一夜明けて
予想どおりだなというのが、ノウの最初の感想だった。
微熱と倦怠感、この程度なら昔はよくあることだ。
考えてみると、この邸にきてからは、あまり調子を崩していない。
訓練のおかげなのか、気分的に穏やかだからか、両方だろうか……ととりとめなく考える。
「……ですから、そんなに心配しなくても」
目を覚ませば心配そうなアルフラッドの顔があって、ついで自分の体調を自覚したのだ。
「いや、するだろう、普通」
「大丈夫ですよ、思ったより軽いですし……」
少し無理をすれば動くこともできそうなくらいだ。
だからノウにとっては、そこまでおおごとではないという認識なのだが、アルフラッドは違うらしい。
額に手を当てられると、熱があるからもあってか、心地よく感じる。
「たしかに微熱だが……医者は呼ぶし、いいと言われるまで動き回らないように」
すぐにヒセラを呼ぶと、入れ違いに部屋を出て行く。
「……少し、過保護ではないでしょうか……」
「まあ、ああいうひとからすると、我々はすっごく弱くみえちゃうんですよね~」
困ってしまってついこぼすと、ヒセラも苦笑いをした。
体格もよく、頑丈そのもののアルフラッドやヒセラの夫からすると、すぐ壊れそうで恐いらしい。
象と蟻まではいかないが、そんな感じなのだという。
ばかにしているわけではないし、そう簡単にどうこうならないとわかっていても……なんだそうだ。
ヒセラは過保護、という部分には同意してくれたものの、熱があることには違いないからと、動くことは許してくれなかった。
そうこうしているうちに医者がやってきて、助手によって少し汗をかいた服を替えてもらう。
診察の結果は軽い風邪で、安静にしていればすぐ治るとのことだった。
ノウの感じたとおりだったのでほっとしたが、医者からも無理は駄目だと念を押されてしまう。
機能訓練は勿論休みになり、軽い読み物だけだと資料の類いも近くから没収される。
どうやってみんなを説得しようか悩んでいると、ジェレミアと朝の鍛錬を終えたアルフラッドがやってきて、昨夜のように食事の席を用意してくれた。
いつもより量は少ないながらも、食欲はそれなりにあるノウを見て、二人は安心したらしい。
「俺は今日、外せない用事があるから行かなきゃならないんだが……」
執務服に着替えたアルフラッドが寝室にもどってきたのだが、眉を下げてしまっている。
正直、アルフラッドがいないのは心細くはある。
特になにをするわけでなくとも、いるかいないかで大違いだ。
実際部屋でおとなしくしているしかないので、仕事でいなくても問題はない。
ちょっとした風邪と領主の仕事、どちらをとるかなんてわかりきっている。
頭では理解していても、寂しいという感情は別ものだ。
「あの……行かないでほしいとは言えませんけれど、はやく帰ってきてほしいとは……思います」
だから、すなおに気持ちを伝えることにした。
「……そうか、わかった。なるべく急ぐな」
アルフラッドは嬉しそうに笑って、ノウの頭をなでてくれる。
「我儘すぎではありませんか?」
怒られるとは考えなかったが、褒められたことでもないと自覚していた。
だから喜ぶばかりの反応に、少々驚いたのは事実だ。
「言う分にはかまわないだろう? 叶えられることならそうするし、できないならできないと言うだけだ」
なんてことないようにアルフラッドが答える。たしかに彼なら、そのあたりははっきりしそうだ。
それより、ノウが自分の意思を伝えてくれたことをよしとしてくれている。
今は急ぎの仕事もあまりないから、そう遅くならないだろうと言い残して、出かけていった。
玄関まで送れなかったのが不満なので、はやく治してしまおうとおとなしくすることに決めた。
日中はジェレミアがついていてくれるということなので、ノウの私室に移動する。
夫婦の寝室はベッドがメインだし、いくら白い結婚とはいえ、そこに義母を入れるのは少し憚られたのだ。
「勝手にしているから、気にせず眠りなさいね」
あれこれと資料らしきものを持ちこんだジェレミアは、小さな机をベッドの側に寄せて作業をはじめた。
ちょうどいいので、実家への手紙を書くのだという。
そのわりに本やらが多いのは、果樹に関しての質問やらを一緒にしたためるかららしい。
地形や気候の差によって、同じ品種でも味や質が変わることがある。
そのあたりの研究について、しょっちゅうやりとりしているらしい。
小気味よいペンの走る音と、ジェレミアの整った横顔眺めながら、自身も本をめくっていたのだが、いつしか眠ってしまった。
一方、職場に到着したアルフラッドは、せっせと書類を捌いていた。
酒が領地の特産品だが、それだけでは人々は生きていけない。
自分たちが食べる食料が収穫できるこの時期は、なかなかに忙しい。
冬にむけて犯罪の抑制や、貯蓄の確認など、することはいくらも出てくる。
それでも一時期より犯罪件数は減ったし、治安もよくなっている。
領主になりたてのころよりコツもつかめてきたから、まごつくことも減ってきた。
順調に業務を片づけて、昼休憩の時間になる。
アルフラッドは軍時代が長かったので、食堂での昼食になんのためらいもない。
ジェレミアもそうだったので、食堂の者も慣れていて、就任当時に多少ざわついた程度だ。
ただ、同じ席だと緊張するので、と言われて、料理は同じだが別室で食べることになったけれど。
「──昨日はオーヘン家に行くという話でしたが」
別室で食事をとるのは、アルフラッドに近い者たちばかりだ。
食べはじめてすぐにカーツが話しはじめ、他の者も耳をそばだてているのを感じた。
まあ、気になるのは当然だろう。
彼らはオーヘン家を追い落とすのに一役買ったくらいで、快く思っていない。
しかし、アルフラッドより長くこの地にいるので、簡単に排除できないこともわかっているのだ。
「ああ、行ってきた、で、不愉快なことが起きた」
やはりな、とその場の誰もが思った。
朝から彼の気配はどこか尖っていて、けれど真面目に書類にむかっていた。
これは急いで帰りたいなにかがあるのだろうな、という予測は簡単だった。
たとえ苛立っていても、決して周囲に当たり散らしたりしないあたりは流石だが、愚痴すら言ってくれないのも部下としてはさみしいものだ。
切りこんだカーツに、他の部下が尊敬の眼差しをむけている。
「まあ、あの家に行って気分よく帰れるとは思えませんが……何があったんです?」
「離れた隙に、ノウが川に落ちた」
「は!?」
簡潔な説明に、一気に場がざわめいた。
嫌味を言われただとか程度と思ったら、予想以上の事実が飛びだしたのだ。
いくらなんでも説明が足りなすぎると思ったのだろう、アルフラッドは続けてあらましを話してくれた。
文書の類いを補佐している部下は、まだノウに直接会っていない。
だから思い入れもあまりないだろうが、それでも川に落ちたと聞けば痛ましげな顔になる。
共に旅をしたカーツにとっては、心配の二文字ではとても表せない。
水難事故で怪我をした過去があるのだ、どれほど恐怖を感じたことだろう。
「……それでも、仕事を優先すると言ったら、当然だと送りだしてくれた」
きまじめな性格の彼女なら、さもありなんだ。
アルフラッドだって、いてくれと頼まれて突然休む性格でもない。
ジェレミアに代理を頼める状況であったとしてもだ。
「わかりました、急ぎのもの以外はなるべく後日に回しましょう」
アルフラッドの机上にはたくさんの書類がある。
だが実は、緊急性の高いもの、領主みずからの判が必要なものだけに絞ると、結構減るのだ。
ただ、普段はこれも勉強だと手を出さないでいるので、多くなってしまっているだけで。
こういう時くらいは、甘やかしてもいいだろう。
「……すまない、ありがとう」
「それなら、さっさとはじめますか」
てきぱきと食器を片づけ、執務室にもどろうとする部下たちに、アルフラッドが目を細めて礼を告げる。
当然ですよ、と返す彼らは実力でここにいる者たちばかりだ。
領主に対しての忠誠心は高いし、恩も感じている。
なにごともなければさほどかからず終わるはずだが、そうはいかないだろうな、と思いつつ、カーツも席を立った。