幕間
「一体なにがあったの」
帰宅したノウが浴室へ行ったあと、アルフラッドはジェレミアとともに書斎にいた。
険しい表情で報告を求められたので、つい昔の癖で敬礼しそうになる。
それほど威圧を感じたからだが、きっと自分も似たような険しい表情だろう。
「ノウからはまだなにも聞いていないので、それ以外からの報告になりますが」
前置きをしてから、ノウとオーヘンの娘二人だけが庭へ行ったことをまず伝える。
その言葉に眉を寄せたが、とりあえず話を聞いてくれるらしく、止めることはなかった。
「庭でなにか揉めたあと、ノウが川へ落ちたそうです」
「揉めた……?」
問いただしたげな表情だが、アルフラッドも内容までは把握できていない。
見ていたといっても遠くからで、声までは拾えていないのだ。
ただ、乱闘というほどではなかったし、突き飛ばされた様子もなかった。
「あくまで推察ですが、右手にカメオを握りしめていたので、それを取ろうと落ちた可能性があります」
ただ、あのカメオはたしかに値打ちのあるものだが、娘が見たがるようなものかというと、よくわからない。
なにかの行動の結果、カメオが外れたということも考えられる。
どちらにしろ、ノウ本人に訊ねてみなければなんともだ。
「あんなもののために川に落ちることなんてないのに」
苛立たしげに呟くジェレミアに同意するが、起きてしまったことはどうしようもない。
「──小娘が意図的に落としたわけじゃないのね?」
ややあってからの問いかけに、断言はできません、と返した。
アルフラッド自身はあの娘とほとんど口をきいたこともない。
就任の際にちょっとした集まりは催していて、その時にいたと記憶はしている。
ずいぶんしつこく声をかけられたが、興味がなかったので適当に返していたはずだ。
ジェレミアから結婚に関する話が出た時には、お互い腹を割って話したあとだったので、あっさりすべて断ることで落ちついた。
「現場にいたのは二人だけですから、双方の話を聞いてみないことには……」
「……そう」
と言っても相手が相手だ、罪人のように問いつめるわけにはいかないだろう。
ノウは話そうとしていたが、落ちつくまでそんな無理はさせたくない。
川に落ちたことで昔のことを思い出したのか、ずっと顔色も悪いし、不安げな表情が晴れないのだ。
「この件だけでオーヘン家をどうにかするわけには……いきませんよね」
わざとではなく事故であるならば、過失はさほどではない。
加えて、誰も見ていないのであればなおさらだ。
厳重に注意することはできるだろうが、これといった制裁を与えるのは難しいだろう。
ジェレミアもそこは冷静に、無理ね、と言い放つが、
「いい機会だし、潰す?」
あっさりと、葡萄かなにかでも扱うような軽い調子で続けられた。
「目撃者なんていくらでもつくれるから、やろうと思えばできるわよ。ただ……ノウの反応がね」
「……ああ、止めそうですね」
ノウとて貴族だから、黒い部分も知っているはずだ。
だが、自分のために二人が手を汚したと知れば、優しい気質だ、気に病むことは間違いない。
敵意をむけることも苦手なようだから、相手にも同情するかもしれないし。
「反対するだけならいいわよ。でも、嫌われたらどうするの」
──それは由々しき問題だ。思わず黙ってしまう。
もうおそばにいられません、と宣言されたら立ち直れないし、そうなってもノウに帰る場所はない。
「だからやるなら、ノウとは関係ない部分で証拠をつくる必要があるわ」
無能ゆえに相談役を降ろしたのだから、他の理由なら彼女もそう怪しまないだろう。
今すぐとなると時期的に疑うかもしれないが、内容によっては納得するはずだ。
すでにジェレミアはいくつか考えているらしく、おいおいね、と物騒に微笑んだ。
そんな彼女を見て、覚えずアルフラッドは口を開く。
「かつて俺は、そういう貴族を相手に煮え湯を飲まされたものですが。……皮肉ですね、今は逆の立場だ」
どう考えても目の前に犯人がいるのに、身分と用意されたアリバイゆえに捕らえられない。
でっちあげの証拠だとわかっているけれど、犯人として捕縛しなければならない。
両極端の経験は、実際かなりの数にわたる。自分が把握していない分も、きっとあっただろう。
できるだけ正当に平等にしたいと思っていても、上からの圧力に屈するしかない時は、ひどく荒れたものだ。
無実の人間を追い詰めることは、今でもしたくはない。
だが、余分な存在を落とすためなら、それもとるべき手段なのだと、考えるようになった。
しかし悲しいかなアルフラッドには、実行するだけの腕がまだついてこない。
「幼いころから領主となるべく育っていれば、そういう手口も使えるようになってたんですかね」
罪をでっちあげること自体は容易だが、つけこまれないよう完璧に仕立てるとなると、手間も金もかかる。
だがアルフラッドには、汚れ仕事を頼める伝手がまだまだ少ない。
そのあたりはいまだにジェレミアがにぎっているからだ。
「人脈だとかもあるから、勉強だけしておけばって話でもないわ。でも、いいのよ、あなたはまっすぐにいれば」
おそらく持っているだろう暗躍する存在を、彼女はアルフラッドに教えてくれない。
なぜかと問えば、決まって同じ、あなたはまっすぐでいい、という返答。
領主である自分が不正を働いたと知られれば、領地全体が揺らいでしまう。
だから知らないままでいいのだ、という意見はある意味正しい。
頭では理解しているが、だからといってジェレミアにすべて負わせていいわけもない。
彼女は己は不幸でないと言うが、アルフラッドにはそう思えないのだ。
もうこれ以上、犠牲になってほしくないと、切実に願っている。
「……とりあえず、ノウが悲しむことはしないでください」
一番効果的であろう説得方法を用いると、しかたないわね、と渋々うなずいてくれた。
「でも、このままで済ませるつもりはないわ。つけあがらせてなるものですか」
アルフラッドが領地にくるまで、長く代理を務めていたジェレミアだ、オーヘン家については思うところが色々あるのだろう。
拳を握って決意している彼女を止められる気はしないし、するつもりもない。
ただ、すべてまかせきりは嫌なので、なにかしらで一枚噛ませてもらわなければと思う。
ノウは自分の妻なのだ、本人はいまだに仮の妻だと言い張るが、こちらはとっくにそのつもりだ。
手放すつもりは毛頭ないし、傷つける存在を許すわけもない。
相手が男なら決闘を申しこめば片づくのだが、過去の自分がしてきたことでは決着をつけられないのが面はゆい。
「蚊帳の外にはしないでくださいよ」
気づいたら追放されていそうなので頼んでおくと、勿論よ、と返ってくる。
「でも、あなたはまずノウについていなさい、またこんなことがあったら──」
「……あったら?」
「ノウの寝室は私の部屋の近くに移動させるし食事の椅子配置も変更するわ」
真顔の彼女は冗談を口にしている様子はない。
できるわけがないと言いたいが、使用人と結託されたら、アルフラッドに勝ち目はない。
邸の中の実権は、メイド頭と執事頭がにぎっているのだから。
室内別居は勘弁してほしいので、全力で反省し二度はないことを心に誓うのだった。
入れる場所がここしかなくて……代わりに金曜日も頑張ります。