落ちる
解説を挟みつつ一行は館の中を歩き、ぐるりと一周した。
「地下には倉庫と別に、武器防具を陳列しているんです」
一見するとわからない入口を教えるということは、敵対しないという表現か、とアルフラッドは考える。
しかしそこで、今までわりとおとなしかった娘が口を開いた。
「私、あんなおそろしいところ、行きたくないです」
甘ったるい声を出して、あからさまに嫌そうな顔をする。
どうやら本心からのようだ、それも無理はないだろう。
昔の使われかたからしても、女子供に見せたい場所ではない。
いくら改築して綺麗になったといっても、いわれを知っていれば敬遠する。
「ね、ノウ様もそう思いますよね?」
「え? ええと……」
同意を求められたノウは、少々返答に困ってしまう。
地下の部屋、となれば、牢獄か拷問部屋かというところだろう。
血なまぐさいものは見たくないが、今は展示するための部屋のようだし、客人を招くのなら、綺麗にしてあるはずだ。
昔の武器などには興味があるので、ついていくつもりだったのだが、そう答えづらくなってしまった。
「外に行きましょう、秘密の庭をつくってもらったんです。男性は立ち入り禁止なので、お父様も中を知らないんですよ」
腕をとられて、ね? と誘いを受ける。
娘のためだけの庭とは、流石大きな敷地を持っているだけある。
正直、興味はあるが、そうなるとアルフラッドと離れることになる。
どうしたものかと悩んだが、ここであまり断るのも場の雰囲気を悪くしてしまうだろう。
敷地から出るわけでもないし、娘と一緒なら問題が起きることもないはずだ。
「アルフラッド様、行ってきてもよろしいですか?」
長身を見上げて問いかけると、予想以上にすぐさまうなずいてくれた。
「あまり歩くようなら、程々にな」
口にする気遣いは疲労に対してのものだけだ。
ダントたちの手前ということもあるだろうが、表情からはそれ以上の心配は見てとれない。
ということは、彼も大きな懸念はないと判断しているのだろうと判断できた。
娘──シャールに案内を頼むと、彼女はいそいそと歩きはじめる。
いくつもある出口のひとつから外へ出て、右へ左へと曲がりくねる道を行く。
直線距離にすればたいしたことはないのだろうが、生け垣や植樹によって目を誤魔化しているのだろう。
かと思うと開けた場所に花壇をしつらえていたりと、庭にもかなりの手がかけられている。
もう少し邸にもこういうしかけが必要だろうか、と眺めながら歩くと、ほどなく背の高い生け垣で覆われた一角にたどりついた。
入口には瀟洒だがしっかりしたつくりで、きちんと鍵もかかっている。
これはたしかに、入りこむのは難しそうだ。
シャールは得意げな顔で花の飾りがついた鍵をとりだすと、入口の施錠を解く。
「さあ、どうぞ!」
自信満々といった様子で示され、中へ入ってみると、思った以上に広かった。
庭のあちこちから水音がしていたが、どうやら各所に人工的な川をつくっているらしい。
ここにもその一部が流れてきているらしく、奥からはせせらぎが聞こえている。
薔薇などが植えられた庭園内には小さいながらもガゼポがあり、白いガーデンテーブルとチェアも置いてある。
数が少ないことからして、本当にかぎられた人数だけを招くのだろう。
そのためだけというにはかなり大袈裟なつくりだが、エリジャのところも娘には甘いと聞いたので、一般的な父親の姿としては正しいのかもしれない。
今は秋なのでいくつかの花は見られないが、盛りの時期はさぞかし豪華に映ることだろう。
「この川もね、魚もいるのよ!」
こっちよと誘われて嫌とも言えず、近づいてみる。
それなりの深さがあるのだろう、綺麗な水の流れの中に、小魚が泳いでいるのが確認できた。
心地いい場所だと思うべきなのだろうが、過去の事故のことがあるため、あまり長時間いたくない。
だが、令嬢は知らないのか、お気に入りなのか、動く気配はなかった。
「ところでノウ様、私、聞いてみたいことがあるんです」
「──あ、はい?」
どうしても川が気になってしまい、返答に遅れが出てしまった。
慌てて声を出したのだが、それを令嬢は許可ととったらしい。
「ノウ様には傷があるんですよね? 見せてくれませんか?」
「────え」
今、彼女はなんと言っただろうか。
正確に聞いたつもりだったが、ほとんど初対面の人間にしていい問いかけではないので、間違いかと疑ってしまう。
「あのアルフラッド様を射止めた傷なのでしょう? どんなものか見てみたくって」
さらに言葉を重ねる少女はいっそ無邪気なほどで、驚く自分がおかしいのかと迷うほど。
しかも、傷があったから結婚できたのだろうと言われたわけで、それも事実の一部ではあるが、流石に失礼ではないか。
少女は答えないノウの態度をどう感じたのか、当然のように腕を伸ばしてきた。
すぐに距離をとると、あからさまに不愉快そうな表情になる。
「女同士ですし、他にだれもいないんだから、いいじゃないですか」
ちょっとくらい、と拗ねる姿にぞっとする。
彼女はノウの傷についてどれだけ知っているのだろうか。
いや、知っていてもいなくても、常識的に考えれば、こんな頼みごとはマナー違反にすぎる。
「……お目にかけるようなものではありませんから」
きつい言葉で断るべきなのだろうが、どうしても躊躇われてしまう。
結局やんわりとした言葉になってしまったが、少女は引く気もないらしい。
根負けしたのはノウで、渋々ドレスの袖口をめくっていく。
緩めのつくりになっているので、そうすれば上腕にいくらか走っている傷痕が見えるからだ。
「まあ、本当に傷があるのね」
それを見た令嬢の発言に、疑われていたことを知る。
アルフラッドと結婚したいがために、傷を偽造したと思われているのだろうか。
都から離れているために、ノウの噂を知らないのなら、無理もないことではあるが、気分のいいものではない。
「……でも、たいしたことないじゃないですか」
「腕は……幸い、この程度ですみましたから」
すぐに袖を直して呟くと、令嬢の目が輝いた。
失言に気づいた時にはもう遅く、彼女は再びノウに近づいてくる。
「ということは、もっと酷い部分があるのね? 見せて!」
この少女は、どうしてそんなことを言うのだろう。
執拗に見たがる理由がわからなくて、恐怖とともに混乱する。
エリジャたちだってそんなことはしなかった。
腕の傷を見せてしまった時には、全員から謝られて、逆に恐縮したくらいだ。
だのに目の前の娘は、まるで絶好の玩具を見つけたように、楽しそうにノウを追い詰めていく。
「どうして、そんなに……」
気づけば川の近くまで移動しており、逃げ道がなくなってしまう。
前には令嬢、後ろは水──たいした大きさではないが、ノウの中に存在する恐怖心は、川と令嬢によって最高潮に達していた。
「だって私は婚約者になれなかったのよ」
忌々しげに呟く彼女は、じとりとノウを睨んでくる。
「家柄も、見た目だって文句なしのはずよ、それなのに──なら、理由を知りたいじゃない?」
みずからが婚約者候補から落とされたわけが欲しいという。
だがそんなもの、なにを聞いても本人が納得しなければ無意味なことだ。
彼女はそれを、ノウの傷に見いだそうとしている。
だからこそ、逆に「些細な傷」では認められないのだろう。
同情されるようなひどいなにかがあるから、自分ではなくノウが選ばれた──そう思わせるなにかが欲しいと。
ようやく彼女の感情は理解できたが、ではどうすればおさめられるのかはわからない。
「いいから、見せなさいよ──!」
伸びてきた手をなんとかかわしたが、その衝撃で胸に留めていたカメオが外れてしまった。
貴重品な上に壊れやすいものだ、落下したらまず割れてしまうだろう。
いけない、とほとんど無意識に足を動かし、どうにか手にとるまではよかったのだが──
「あ──」
ずるり、と靴が滑った。
川の近くには小石が敷いてあり、水に濡れていたのだろう。
遠くに甲高い鳥の声を聞きつつ、ノウは呆気ないほどあっさり、川の中に落ちていった。
案の定な展開ですがお約束ですよね。