オーヘン家にて
秋の気配も色濃くなってきたある日、ノウは鏡の前でじっと自分の姿を確認した。
仕立てのよい、けれど首の隠れた露出の少ないドレスに、ヒセラが綺麗に結った髪の毛。
控えめな化粧と、少ないながらも品のいい装飾品を身につけた己は、別人のよう……とまでは言わないが、かなり昔と違って見える。
なるべく地味に目立たなく、と心がける必要がないのだから、当たり前ではあるのだが。
「いい感じですね~」
使用人たち数人に笑顔で断言されて、ありがとうございますと礼を返す。
胸に光るカメオは古いもので、しかも層が厚い。
鑑定眼など持ちあわせていないが、邸の宝飾品リストに載っていたものだから、相当なものだろう。
つけるのを躊躇うほどだったが、使わないのも勿体ないしと押し切られた。
ヒセラたちとしては、オーヘン家にノウを低く見られないために全力を尽くしたいので、これでも我慢したほうだ。
けれど正直に告げれば、諍いを好まない主はさらに遠慮するだろうから、本心は隠しておく。
「留守は頼むな」
「それでは、行ってきます」
ジェレミアは仕事に行っているので、執事頭たちにあとをまかせて、伯爵家の家紋つきの馬車に乗る。
見られることを念頭に置いた馬車の装飾はなかなか派手だが、内部は至って実用重視だ。
「あまり長居せず、さっさと帰るようにするから」
何度も繰り返された言葉は、心配してくれているとわかるので、はい、とすなおにうなずく。
アルフラッドのほうも自覚はあるようで、しつこいな、と苦笑いして、それからノウをじっと見つめた。
「いつもと少し違うが、そういう格好もいいな」
普段は少女の面影を残すノウの年齢に合わせた衣装が多い。
公式な場所に出る時は、領主の妻らしく見せる必要があるが、愛らしさを消すのは勿体ないというヒセラたちのこだわりにより、絶妙なバランスをとっている。
しかし今日は、言ってしまえば勝負なのだ。
負けることは許されない、となれば、完璧な領主夫人に認識されるようにと、平素より大人びた印象になるよう苦心したわけだ。
「フラッド様は、いつでも同じように仰る気がするのですけれど……」
心にもないことを言っている印象はないが、町民の服でもエプロン姿でも同じように褒めてくる。
そうなると、信憑性が薄くなるのはやむをえないだろう。
ノウの言葉に、アルフラッドはそうだったか、としばらく考えて、やがて笑ってみせた。
「そうかもしれない、どれもいいと思ったからな」
──言うんじゃなかった、と赤くなった頬を隠すように手を当てる。
美辞麗句を使うわけではないが、その分直球過ぎて恥ずかしくなることも多い。
勿論、嬉しいのだが、いつもこうでは心臓がもちそうにない。
今日は淑女らしくあらねばならないのだから、この調子ではいけない、と自分に言い聞かせた。
さほど時間も経たずに馬車はオーヘン家に到着する。
なにせ最古参だ、邸もそう遠い場所ではない。
ただ、領地ができた時に色々とあり、敷地は広いがやや外れた場所に建っている。
「すごいですね……」
小窓から覗く壁はかなり長く続いており、所有する土地の大きさを物語る。
クレーモンスの邸も大きいのだが、それと同じくらいだろう。
アルフラッドとの町歩きでは貴族の屋敷にはこないので、オーヘン家を見るのははじめてだ。
卿は隠居したからと別の住まいを構えているので、この中にはいないらしい。
門扉からもさらに馬車が進み、ようやくといった体感で停車する。
アルフラッドに手を借りて降りれば、眼前には立派な邸がそびえていた。
クレーモンスの邸と同じくらい歴史があるから当然だが、手入れはきちんとしているのだろう、古くささは感じない。
どことなく似たつくりなのは、領主とのつながりを当時から主張していたのかもしれない。
そして大扉の前には、四人の男女が待ち構えていた。
いよいよだ、とそっと深呼吸すると、アルフラッドの肘に手を添える。
大丈夫だと言うように一度その手をなでると、彼はまっすぐ前をむいて歩きだした。
「やあ、ダント。無事の改装、まずはおめでとう」
声をかけられ、中心にいた年配の男性──当主のダントは、満面の笑みを浮かべて大袈裟なほどに両手を広げた。
「ありがとうございます。そして、ようこそお越し下さいました!」
どこか芝居がかった調子は、父を思い出させて少し憂鬱になりかける。
当主の横にいるのが妻で、あとは長男と長女だと紹介された。
「披露目の前にわざわざ呼ぶなど、気を遣わずともよかったんだが」
遠回りに呼ばれたくなかったが透けて見えるが、男は気にした様子もない。
「あなたに一番に見せたいと思っていたのですから、招待を受けていただけてよかったです」
それほど自信があるのか、領主の側近の座をあきらめきれないのか。
どちらもありそうだなと思いつつ、アルフラッドに促されて礼をとる。
「……そうか。まあちょうどいい、紹介しよう、妻だ」
「はじめまして、ノウと申します」
オーヘン一家は同じように礼を返し歓迎の意を伝えてきたが、本当かどうかは疑わしい。
値踏みするような、以前よく受けていた視線に気づかないほど、ノウも鈍くはない。
「ではどうぞ、中へ」
今回の訪問は理由を適当につけて、中途半端な時間にしておいた。
食事も茶会じみた席も設けられたくなかったからだ。
流石にそれは察しているらしく、当主は早速と案内していく。
中はたしかに全面的に改装したようで、どこもかしこも真新しく輝いていた。
玄関ホールのタイルは細かなモザイクタイルが使用されており、窓ガラスも一枚ではなく区切られてはめこまれている。
中央には大きな瓶が飾られ、そこに香水を使用しているのだろう、あたりには花の香りが漂っている。
……ただ、正直少しばかり匂いがきつく、長居したい気分ではない。
当主の饒舌な案内を聞きながら中を歩いて行けば、フロアごとに床材が変わり、柱には希少な木材を使用、置いてある家具は職人の一点物。
どれも品はいいものなのだが、派手すぎるというか、主張しすぎるというか、好みには合いそうにない。
おそらくそれが、この家の今の雰囲気なのだろう。
それでも素晴らしい彫刻なども置いてあるので、適宜感想を述べつつ進んで行く。
美術品鑑賞が趣味ではないアルフラッドには苦痛だろうが、幸い自分は多少の知識がある。
「こちらの絵画は……ラディの真作ですか、素晴らしいコレクションですね」
「……よくご存じですね」
「特徴がはっきりしていますし」
「──どんな特徴なんだ?」
一枚の絵で立ち止まり、思わず呟いたノウに、ダントがやや表情を歪めた。
その言葉に、今まで聞く専門だったアルフラッドが興味を示す。
「この赤色です。独特で、彼にしか出せない色と言われています」
「へぇ……たしかに、区別しやすいな」
このあたりの赤ですと教えれば、興味深げに眺めている。
画家自体の知名度は、実はさほど高くはない。
早逝したために作品数が少ないことが理由に挙げられる。
しかし特徴的な色を残したため、好事家の間では高い評価を得ているのだ。
「流石、都育ちは違いますな」
「どこで見たんだ?」
「ええと……公爵邸で」
ダントの言葉を聞き流してさらに問うてくるアルフラッドに返答すると、ああ、と納得したらしい。
「ダニエル公爵のところに遊びに行けば、嫌でも見るか」
小さいころは誘いを受ければ、たとえ体調が悪くても行けと命じられた。
そういう時は書庫で本を読みたいですとねだって、動かずにすむようにしたりと、幼いながらに色々考えたものだ。
最も蔵書も素晴らしかったので、決して嫌な時間ではなかったのだが。
「色々あって……子供だったこともあり、ずいぶん質問攻めにしてしまいました」
それでも優しい公爵夫人は怒ることなく、わからない時は使用人をわざわざ呼んで教えてくれた。
思い返せば、記録をつけるようになったのは、そのあたりも理由にあるのだろう。
次に訪ねた時に覚えていたことがわかると、夫人はにっこり笑って褒めてくれた。
家族から暖かい称賛を浴びたことのないノウにとっては、とても嬉しい時間だったから、勉強にも身が入るというものだ。
「──博識な奥方をお迎えになったんですね」
とりつくろうようにダントの妻が言い、やや軋んだ笑い声を立てる。
やりすぎたか、と思ったが、アルフラッドは気にした様子もない。
「他に特徴のある画家はいるのか?」
「そうですね……お屋敷にもやはり色で特徴のある画家の絵があります」
「じゃあ、帰ったら案内してくれ」
おそらく意図的にだろう、過剰でない程度に身をかがめて声をかけてくる。
どこから見ても仲むつまじい新婚夫婦、といった様子になるように。
ぴりぴりした視線をいくつか感じつつも、ここで引くわけにはいかない。
だからノウは敢えてそちらを見ずに、わかりました、と約束してみせた。
次回もおそらく金曜日です。