揉め事の予感
「お帰りなさい、フラッド様」
「ああ。ただいま」
すっかり慣れたやりとりののち、ノウはジェレミアと共に書斎へ移動する。
最近は、二人の報告に混ぜてもらえるようになった。
アルフラッドと一緒に公的な場へ出ることも増え、情報は共有しておくほうがいいだろう、という判断からだ。
認められたようで嬉しくてはりきっていたら、無理をするなと釘を刺されてしまったけれど。
報告といっても、どうしても主観が入ってしまうので、参加させるのを少し遅らせたのだと理由を知れば、悩んでいた自分が恥ずかしい。
「あの……なにかあったんですか?」
ジェレミアがどことなく険しい顔をしているので、もしや体調でも、と不安になる。
今日の午後、お茶を飲んだ時は特に変わった様子はなかったのだが。
アルフラッドも同じように感じていたらしく、問いかける視線を送っていた。
眉間に皺を寄せた彼女は、体調は悪くない、とまず告げて、懐から封筒をとりだした。
そこに刻まれた家紋には見覚えがある。
「オーヘン家からの招待状がきたのよ」
なにせ領主だ、様々な手紙が毎日のようにとどけられる。
華やかな席への誘いは喪中ということで少ないが、寄付やらの頼みやらなにやら、内容は多岐にわたる。
それらは邸にいる者が確認して、後にこの場で改めて、というのが常だという。
今日邸にいたのはジェレミアなので、彼女がまず読んだわけだ。
むっつりした顔なのは、その中味が原因ということらしい。
「邸と庭の改装が終わったので、是非どうぞ、ですって」
「……園遊会ですか?」
「いえ、そういう席はまだよくないだろうから、個人的なお誘い、とあるわ」
招待状の送り主はオーヘン家当主、つまり、卿の息子にあたる人物だ。
話を聞いてみると、彼の邸は代替わりの際に、大幅な改築を行ったのだという。
流石に建物自体を壊すことはしなかったが、内装はほぼすべて、庭はいったん更地にして、造地からはじめる手の込みよう。
代替わりをしたのはアルフラッドが領主になってすぐのことで、つまり、一年以上前の話だ。
それほど大がかりな工事だったなら、さぞかし大変だっただろう。
完成したのなら、ひとに見せたくなるのも理解できる。
「パーティーだ茶会だとあれば、きっぱり断れたんだが……」
手紙の文面を読んだアルフラッドが、唸るように呟く。
大々的な会も催すのだろうが、その場に出席できない領主たちを慮り、まず先に見てほしい、とある。
「余計なお世話も甚だしいわね、でも──」
断りたいという雰囲気を隠しもしない二人だが、言葉尻は鈍い。
相談役という状況でなくなったとしても、オーヘン家の力は強い。
領地ができてからずっとその地位にいたのだから、すぐに弱体化するわけもないのだ。
「今の当主はあいつと繋がっているから、あまり放ってもおけないしな」
忌々しげな言葉に、ああ、と思い出す。
現当主は、暇を見つけては前当主の見舞いに訪れているという。
かなり気に居られているらしく、だからこそ、一度きりの面会の時にその名を出したのだろう。
そんなオーヘン家当主の機嫌を損ねれば、前領主派たちで結託されて、余計な揉め事が起きかねない。
一人ずつ、少しずつ力を削いでいかなくては、長い歴史を持つ領地の改革は行えないのだ。
従って、この招待は受けたほうがいい。
「連れてきたいかたがいるならご遠慮なく、とあるわけか。……どうします?」
視線をむけられたジェレミアは、ものすごく渋い顔をした。
とりあえず、義母は遠慮するべきだろう。
これだけ行きたくないという態度の彼女に無理を強いたくはない。
となるとアルフラッドは確実として──あとはノウがどうするかだ。
「あの……わたしなら、構いませんけれど」
公式の場ではないのだから、むしろ気楽なものだ。
自分が悩みの種になっているなら、と考えて発言したのだが、二人の表情は苦いまま。
「隠すことでもないから言うが、オーヘン家の娘は、俺の婚約者候補だったんだ」
──なるほど、と彼の嫌そうな顔の理由を察した。
歴史ある相談役の家なら、つりあいとしては十分だ。
「ただ俺は結婚する気なんてなかったから、即座に断って……だから候補として名前が出ただけで、ほとんど会ったこともないし、興味もない」
やたら饒舌に説明されて、思わず笑ってしまった。
もしかして、それで自分が気分を害すると考えたのだろうか。
彼の年齢と状況からして、婚約者の存在はむしろ自然なことだ。
気持ちが伴っていなかったとわかっているから、特にどうとも気にならない。
「はじめに会った時に仰っていましたものね」
「……そうあっさりされるのも複雑だが、まあいい」
「私も結婚する気がないと聞いていたから、話が進む前に手を回しておいたんだけど、あっちは断られるとは思ってなかったらしいのよね」
名ばかりの役をなくし、婚約の話も流され、それでは前領主の陣営に傾くのも当然だろう。
だが、影響力があるので、そのまま放置とはいかない。
「そういうわけだから、ノウになにかしら言ってくると思うから、正直連れて行きたくない」
渋っているのは本人の問題だけでなく、気遣ってくれたためだとわかり嬉しくなる。
話にもならなかった婚約者候補にはなんとも感じないが、嫌味を言われたとしても、彼の妻は自分なのだと主張したい気持ちは、今のノウにはちゃんとある。
だから、選択肢はひとつしかない。
「大丈夫……とは、言えませんけれど、でも、行きたいです」
もしその場でなにか言われたとしても、アルフラッドがそばにいてくれる。
もしそういう事態になれば、黙って見過ごすわけはない。
一時嫌な思いをするとしても、それだけのことだ。
「そうね、私的な訪問だし、さっさと切りあげてくれば、そこまでムカつくこともないでしょう」
ジェレミアも必要性は理解しているからだろう、あっさりと許可をくれた。
……発言はかなり乱暴なのだが、この際置いておく。
アルフラッドは最後までごねていたが、結局は折れるしかない。
だが、寝る時間になって寝室に行っても、眉間の皺はなくならないままだ。
「そんなに気になりますか?」
「……当主本人はたいした能力がないくせに、地位に甘んじている奴だからな」
軍にいたころも、そういう連中に困らされたんだ、と実感をこめて呟く。
都にもそういう貴族は多かったが、ノウはそのせいでどうこう、というのはないため、ピンとこない部分はある。
「連れ、と書いただけで、あのひとの名前も、ノウの名前もない。あいつはそういう奴だ」
つまり彼にとっての目的はアルフラッドだけというわけだ。
領主代行もつとめたジェレミアを、喪中とはいえないがしろにした文面に腹を立てているらしい。
たしかに、オーヘン卿との手紙のやりとりでは、彼は必ずアルフラッドとジェレミアにもよろしくと記してくれる。
私的な手紙であるにも関わらずだ。そういう気遣いが、今の当主には欠けているのだろう。
「でしたらなおさら、行きたいです」
先ほどよりも強く言い切ると、アルフラッドは怪訝そうな顔をした。
「だって、わたしのことをフラッド様の妻だと、認めていないということですよね?」
そしてジェレミアのことも低く見ている。
どちらも、ノウにとっては看過できない問題だ。
今まで会った有力者たちは、内心はあまりよく思っていないにしても、きちんとノウを領主夫人とみなしてくれた。
アルフラッドがノウを大切にしているという話は広まっているから、失礼な態度をとれば彼を怒らせるとわかっているからだ。
だが、オーヘン家の当主はそれをしない、それなら、こちらからわからせるしかない。
「ちゃんと妻だと認めさせたいです」
まだまだ勉強中ではあるが、アルフラッドもジェレミアも、ノウをきちんと評価してくれている。
自信満々とはいかないが、二人に恥じないよう、ちゃんとしていたい。
ノウの言葉に、アルフラッドは驚いたように目を見張ってから、嬉しそうに笑って抱きしめてきた。
「じゃあ、俺もノウを大事な妻だと言いまくっておこう」
「そ……そこまではしなくても」
「するさ、最近の君はちゃんと俺を好きだと示してくれて、ものすごく嬉しいんだからな」
「……中途半端だと、思わないんですか?」
妻だと認識されたいと行動しつつも、アルフラッドとの関係はいまだ進んでいない。
頻繁に抱きしめられるようになってきて、いつのまにか慣れたが、そこまでだ。
ノウの中では、妻と名乗るのはおこがましいという自制と、そうなりたいという願いが拮抗している。
あともう少しという気はしているのだが、その一歩が難しいのだ。
「まったく思っていないから、ノウのペースでいいぞ」
アルフラッドは優しく笑って、ゆっくり頭をなでてくれる。
こんなふうに甘やかされてばかりなのだから、少しくらい荒波に揉まれるのも望むところだ。
そう決意したノウは、きたるべき日に供えて準備をしないと、と心の中で拳をにぎりしめた。