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開演前

 わくわくして待っているうちに、あっというまに観劇の日がやってきた。

 早めに仕事を終えて帰宅したアルフラッドと共に馬車に乗り、到着したそこは新しい建物だという話だが、見た目はそうと感じられず、歴史ある街に合わせているのだろう。

 美しいたたずまいは、嘘偽りなく都の劇場と比肩する大きさだ。

 都でも名を聞いたことがあるからだろう、なかなか盛況であるらしく、一般市民のチケットもかなりの数が売れているらしい。

 アルフラッドとともに中へ入ると、広々とした待合スペースに圧倒される。

 普通の領民とは入口からなにから別になっているので、ここにいるのは有力者ばかりだ。

 使われている素材も異なるらしく、簡単な飲物も振る舞われているらしい。

 グラス片手に談笑する者たちもいるので、ちょっとした社交場になっているのだろう。

 開演時間前ではあるが遅い時間ではあるので、かなりの人数がすでに入っているらしい。

 足を踏み入れると、ほぼ全員からの視線を浴びて、アルフラッドの腕をぎゅっとにぎってしまう。

 彼はというと敢えて気にしないそぶりで進み、奥から飛びだしてきた支配人と挨拶を交わした。

 はじめての来訪ということで、支配人は大喜びであれこれと解説してくれる。

 興味のあった劇場の内部の様子や歴史もついでとばかりに話してくれたので、ノウは興味深く聞いてしまった。

「ではお席にご案内を……」

「ああ、いや、自分たちで行くから大丈夫だ。仕事に戻ってくれ」

「ええ、お話ありがとうございました」

 支配人をいつまでも独占しているわけにもいかない。

 ひととおり話し終えたところでアルフラッドの言葉に添えると、支配人は頭を下げ、慌ただしく奥へもどっていった。

 そっと周囲を見渡してみるものの、誰がだれかはわからない。

 情報は得ていても、顔かたちは肖像画をいちいち用意してもらうわけにもいかなかった。

 訪問客はいなかったので、全員が初対面という状態だ。

 ここに入る前の馬車では、さっさとボックス席へ移動しようと言っていたが、どうするのだろうか。

 待合室の人々は遠巻きに眺めるばかりだが、好奇の目にさらされるのは少し恐い。

 とはいえ、ここで早々に引っ込んでしまうのも態度が悪いと思われそうだ。

 すぐに移動すると言っていたが、隣に彼がいるなら、少しくらいは社交に励むべきだろう。

 アルフラッドに小声で話しかけようとしたその時、初老の男性が近づいてきた。

 年齢は七十代ほどか、老いてはいても歩きは颯爽としており、身につけている衣装も品がいい。

 その上……と、衣装に気づいたところで、アルフラッドが老人へ声をかけた。

「こんばんは、オーヘン卿」

 気さくな調子は、つくっていない素に近い。

 だが、聞き覚えのあるその名前は、あまりいいものではなかったはずだ。

 少なくともはじめて彼からその名を聞いた時は、渋い調子だった。

 アルフラッド呼ばれたオーヘン卿は、苦笑いをこぼしてみせた。

「私は引退した身、どうぞ名前で呼んで下さい」

「引退された今でも、あなたはオーヘン家で最も尊敬すべき存在だと思っているから、それは譲れない」

 公的な地位ではない場所にいた彼だが、アルフラッドの卿への態度はいつもより丁寧だ。

 かもしだす雰囲気にも敵意は感じられない。

 先入観を与えたくないとアルフラッド自身の感想は聞いていなかったが、どうやら尊敬しているのは事実なのだろう。

 前領主との会話の際は素っ気ない様子だったが、色々理由があるようだ。

「ちょうどいい、紹介させてほしい。妻のノウだ」

「はじめまして、ノウと申します」

 機能訓練のおかげで姿勢もよくなったから、こうした挨拶も前より綺麗にできるようになった。

 少なくとも、陰口を叩かれるひどいものではないはずだ。

 オーヘン卿はにこやかな表情で、どうぞよろしく、と返してくれた。

「あなたが観劇に? と思いましたが……成程、奥方の影響ですかな」

 やはり、世間ではアルフラッドはそういうものを解さないと思われているようだ。

 ここは印象を払拭すべく動くべきだろう。

 オーヘン卿が話しかけてきたことで、時機を窺っていた他の者は声をかけられなくなり、代わりに聞き耳を立てている。

 ここで失敗するわけにはいかない、アルフラッドに添えた手から伝わる体温に勇気をもらい、口を開いた。

「わたしが演劇の話を以前したことを覚えていてくださったんです。それで、一緒に、と」

 行こうと思ったのは自分だが、アルフラッドにも花を持たせる言い回しにする。

 実際、彼のおかげで今夜があるのだから、嘘ではない。

「今回の舞台はとても楽しみなんです。特に、書斎の場面をどうするかが気になって……」

「おや、ご覧になるのははじめてですか。では、黙っていることに致しましょう」

 茶目っ気を含めて笑うオーヘン卿に、ノウも好意を持った。

「俺は原作を読まなくても大丈夫と言われてそのままきたんだが……本当に平気なのか?」

 二人の会話がまったくわからなかったからだろう、少々困惑気味に彼がこぼす。

 それにノウは勿論です、とうなずいた。

 領民も観にこられる大衆芸能において、前知識が必要なものは少ない。

 大抵は誰でも、初見でもわかるように配慮がなされているはずだ。

 ましてこの劇団は各地を巡業し、どこでもなかなか好評なのだという。

 クレーモンスの領地にも毎年きていて、チケットの売れ行きも好評なら、そのあたりもきちんとつくってあるのだろう。

 でなければ、独りよがりの劇団などすぐに淘汰されるか、一部でしか上演できなくなる。

「私からも自信を持って断言しますよ、楽しめますとね」

 オーヘン卿からも太鼓判を押されると、アルフラッドはそれなら、と納得したらしい。

 ちょうど開演直前を知らせる音が響いたので、そこで別れ、アルフラッドの案内でボックス席へ入る。

 観劇にきたことはないが、前もって敷地内の地図は頭に入れてあるあたり、軍人気質が抜けないのだろう。

 いつでも脱出する経路などを確認しておかないと、落ちつかないのだという。

「──あのかたのことは、信用しているんですね」

 まだ客席の照明は落ちていないので時間はある。

 席についてから問いかけると、ああ、と肯定された。

「明確な地位のない補佐の役をなくすのに一役買ってくれたんだ」

 ジェレミアから彼の情報を得ていたアルフラッドは、彼女の助言に従い、直球でオーヘン卿に事情を打ち明けたのだという。

 無理矢理にではなく、駄目元で説得を試みたところあっさり協力してくれたらしい。

 オーヘン卿も思うところがあったということなのだろう。

 息子に家督を譲ろうと考えていたところだと聞かされて、具体的な作戦を詰めていった。

 幸いその時はまだ相談役だったので、二人で話しこんでも誰にも見咎められずにすんだ。

 その結果、まずオーヘン卿の息子に適当な地位をあてがい、その後引退と共に相談役という肩書きを廃止することにした。

「正直、あのひとは補佐役として有能だったから、引退されたくなかったんだが……」

 その件以外にも、新人領主に色々と教えてくれたのだという。

 ジェレミアも勿論協力的だったが、所詮領主代理、女ということでまともにとりあわない連中もいた。

 オーヘン卿は彼らとの繋ぎがとれたので、情報を多く持っていたのだ。

 次期領主に必要なこと、となかなかスパルタだったらしい。

「だが、どれも役立つことばかりで、あの男があてにならなかった分、とても助かったんだ」

 それこそ、古い連中を一掃しようと思っていたのを、反故にしたくなるほどに。

 しかしそれはオーヘン卿みずからに却下された。

 それでは、なあなあの状態も引き継がれてしまうからと。

 結局は当初の予定どおりとなり、オーヘン卿は引退後は一切政治に口を出さなくなった。

 今ではアルフラッドとのやりとりも、あくまで私的なもの、かつ最低限にとどめているという。

 ただ、時候の挨拶をしたためた手紙の中に、ひっそりと有力な情報が入っていることがあったりと、今でもなにくれとなく尽力してくれる。

 清廉潔白な人柄で、なおかつ能力もある、となればアルフラッドには欲しい存在だっただろう。

 旧態依然とした上層部を正すためとはいえ、なかなか難儀な話だ。

「少しは芸術鑑賞もしろと説教されていたから、恩返しには……ならないが」

「あの……でも、退屈になったら無理はしないでくださいね」

 嫌々つきあわせたいとは思わないし、それではお互いに楽しくない。

 同じものを楽しめればいいが、趣味というのは好みが大きいものだ。

 そこで上演を開始する案内が入ったので、ひとまず会話はそこまでになった。

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