夫と義母と
「今日は本当に、ありがとうございました」
二人きりの寝室で、ノウは改めて礼を言う。
アルフラッドは困ったように笑ってみせた。
「これきりじゃないんだから、気にしないでくれ。次からは休日の間隔も早めるつもりだから、すぐまた出かけられるし」
「休みをとるのはいいことですけれど……」
急な発言に、なにかあったのかと心配になる。
「さっき、今日のことをあのひとに聞いたんだが」
たしかに、夕食後に二人は仕事の話をする、と書斎へ行っていた。
そのうちノウも参加させてくれるというが、そこまで出しゃばっていいのか悩ましいところだ。
ジェレミアいわく、鬱憤のたまっていた面々がここぞとばかりに彼女に文句を言いにきたらしい。
──ここクレーモンス領は、前領主が自慢しているとおり、歴史の長い場所だ。
従って、古くからの慣習だとか、権力者だとかがゴロゴロしている。
たとえば祭りなら、保存していくべき文化財だし、貴重な観光の財源にもなる。
しかし、その座にあぐらをかく面々がいたり、形骸化しているものも存在するのが事実だ。
「俺もあのひとも、それをなんとかしたいという意見は一致してる」
ジェレミアは前領主の代わりに執務をしていたから、その思いはかなり強い。
ただ、当時は代行であったから、あまり強くも出られなかったし、まだまだ前領主の声も強かった。
ところが、アルフラッドの登場によって状況は変化する。
実力優先の彼だが、最初から無茶はしなかった。
軍にいた時も同じような経験をしていたので、いきなり押し通しても反発が強いだけだとわかっていたからだ。
幸いというか、彼の出自のこともあり、古くからの有力者たちはアルフラッドに近づこうとしなかった。
そこで彼女と相談し、表向きはあまり仲がよくない雰囲気を装うことにしたのだ。
アルフラッドは実力を持つ者をとりたてて、能力がないくせに実権を持つ者たちを少しずつ追いやっていく。
ジェレミアはそれによって反発する面々に声をかけ、適度にいなし、万一よからぬことを考えていた場合はそれを潰す。
今はまだまだはじめたばかりだが、いずれ上層部は一新されるだろう。
その手始めがオーヘン家だったというわけだ。
アルフラッドが都へ行っていたために、彼を快く思わない連中は、ここぞとばかりに結託していった。
勿論それは折り込みずみで、ジェレミアがしっかり状況を調べてある。
結びつきが強くなったものの、帰ってきた彼がずっと仕事をしていたために、折角の結託も阻害され、腹を立てているらしい。
「……わかりやすく謀反してくれればすぐ片づくが、それはそれで、民衆に被害が及ぶ可能性もある」
つい、俺を狙ってくれれば、と言いかけて、ノウを心配させると言葉を変える。
持久戦は忍耐力が必要になるが、少しずつ力を削いでいくほうが他方への損害は抑えられる。
そのためにも、まだしばらくはジェレミアも実権を持っていると思わせたほうがいいのだ。
本人もやる気なので、とりあえず二対一くらいの印象になる程度にしたい。
「というわけだから、少しずつあちこち回ろう」
夏の盛りになると長時間の外出は体力を消耗してしまうし、ノウが生活に慣れるまでは、ちょうどいいので短時間にしようと提案する。
「そうですね、それならフラッド様もご自分の時間を持てますし」
「俺はずっとノウと一緒がいいんだが、それじゃ気詰まりだろう?」
だがノウはズレた納得のしかたをするので、苦笑して訂正する。
すると、彼女はうっすらと頬を染めて、口ごもってしまう。
きちんと意識されているとわかって、アルフラッドは上機嫌だ。
「あの……フラッド様がお仕事の日のことなのですけれど」
赤面した顔を隠すように手を当てながら、ノウが話題を変えてくる。
「お義母様が今より多く仕事に行くなら、あまりわたしに時間を割くのも申しわけないですし、無理をしていると心配させたくもないし……でも、なにもしないのは気が引けます」
ジェレミアから領内のことを教わるのはとても勉強になるのだが、ただでさえ仕事の増える彼女に頻繁に頼もうとは思えない。
だが、アルフラッドたちが言うように、のんびりするのも性に合わない。
「ですから、前にお義母様に言われた、庭づくりをはじめようと思います」
ノウの言葉に、彼は優しく笑って賛同してくれた。
アルフラッドとしては、自分で考えた意思を尊重したい。
今までそういったことができなかったのだから、阻害するのはもってのほかだ。
だが、無理をさせたくもないので、少し考えてひとつ提案することにした。
「それなら合間に、あのひとの果樹の世話を手伝ったらどうだ?」
ジェレミアは空いた時間があると、自分の果樹の手入れをみずからしている。
勿論重要な部分は本職と共に行うが、虫除けやらなにやら、仕事はたくさんある。
それらの中には、特に技術がなくてもできることも多い。
「あのひとにとってはそれが気分転換になっているし、ノウも教わることがあるだろう?」
果樹の世話はしたことがないらしいから、知識欲旺盛な彼女なら、と水をむけると、予想どおり、わくわくした表情になっていた。
「そうですね。素人なのでお手伝いできるとは思えませんけれど……やってみたいです」
なにも知りませんから、と呟く彼女に、単純作業も多いから大丈夫と言っておく。
「なら、お義母様と一緒の時間もすごせますし嬉しいです。ありがとうございます」
朝が弱いジェレミアは、季節的に暑い盛りだということで作業も最低限だ。
結果的にノウも無理をしなくてすむので、我ながら上出来の提案だとアルフラッドはひっそり自画自賛する。
「ただ……俺にもちゃんと構ってくれよ?」
あまりにも嬉しそうにされると、少々複雑な心境にもなる。
仲がいいのは喜ばしいが、女心に疎い自覚はある。
ジェレミア相手では、どう考えてもアルフラッドのほうが分が悪い。
許可をとってからそっと抱きしめると、恥ずかしそうにしながらも少しだけ体重をかけてくれる。
「それは……勿論です、だって、次の外出が今から楽しみですから……」
視線はしっかり合うことはないが、それでも懸命に言葉を紡いでくれる。
愛らしさに思い切り抱きしめそうになり、耐えるのに苦労したが、勿論ノウは気づかない。
そして翌日、早速ノウはジェレミアと果樹の手入れを開始した。
「……と言っても、私は品種改良が主だったから、育てるのは専門家頼みだったけど」
日よけの帽子をかぶせてもらい、木の説明を受けていく。
種の選別やら接ぎ木などは勉強していても、ということらしい。
それでもなにも知らないノウに比べれば知識は豊富で、実物を見ながら果樹を専門にしている使用人に話を聞くのは、これもまたいい勉強だった。
「でも、嬉しいわ、興味を持ってくれて」
余分な葉をむしりながらそう呟かれて、手伝わせてもらってよかったと思う。
使用人たちも手伝うことはあるらしいが、やはり身分差が存在するので、対等とはいかない。
生き生きと果樹の世話をするジェレミアは、本当に好きなのだと感じられる熱心さだ。
「わたしも、お義母様のように夢中になれるものを、つくってみたいと思うようになりました」
暑さに負ける前にと早々に部屋へもどされて、思ったことをすなおに告げる。
趣味なんて持てなかったが、今は違う。
あんなふうに楽しそうになにかをしても、今は許されるのだ。
貴族として必要だからという側面もあるが、そういうものを抜きにして、なにか楽しみたい。
「気になるものは片端から挑戦してみればいいわ」
ジェレミアはいいことだわ、と微笑んでくれた。
「でも、今のところ刺繍が楽しいので、まだ先になりそうですけれど……」
「いいんじゃない? 趣味がひとつである必要はないんだし。でも、根を詰めてはダメよ」
「はい、合間には本を読んでいます」
手を動かしていると、どうしても目が疲れるし肩も凝る。
読書も目を使うわけだが、その代わり、最近読む本は娯楽色の強いものだ。
使用人たちからお薦めを聞いてはどうですか、とヒセラに提案され聞いてみて、それらを読んでいるところなのだ。
おかげで使用人との会話も弾むし、各人の好みもわかってきて一石二鳥と満足している。
物語の中には様々な職業やできごとが描かれているので、自分の趣味を見つけるのにも役立ちそうだ。
──かつては、未来になんの希望も持てなかった。
けれど今は、先のことを楽しみにしている。
少しずつ変化していく自分は、間違いなくこの邸のみんなの──ジェレミアの、そしてアルフラッドのおかげだ。
種の選別方法を説くジェレミアの解説を聞きながら、緩みそうになる涙腺をお茶で誤魔化した。
デートが続くのもなーということで挟みました。
なので次もなるべく……頑張ります。