前領主と面会
少しは慣れてきた機能訓練をこなし、朝食のあと着替えをする。
流石に、前領主に会う──しかもそれが爵位や歴史にこだわる相手なら、それなりの服装が求められるからだ。
アルフラッドもいつもより多少マシな格好をしてきたことに、少し意外に思う。
「余計なことを言われて長引いても面倒だからな」
渋面を隠そうともせず告げられて、なるほど、と納得した。
少しでも滞在時間を短くしたいのだろう。
「やっぱり、私も一緒に……」
ジェレミアもついてこようとしたが、仰々しすぎると遠慮した。
彼女だって時間が押しているだろうから、アルフラッドを急かすように移動して、一緒に出ていくことにした。
「お気をつけて、お義母様」
見送りに声をかけると、いくらか悩んだ様子を見せたが、渋々馬車に乗っていった。
そんなに問題のある人物なのかと、少しばかり不安になるが、一人ではないから恐くない。
アルフラッドと共にはじめて別館に足を踏みいれて──別の意味で驚いた。
広さこそ本館より控えめだが、廊下には絵画が飾られ、大きな花瓶や彫刻が適切な間隔で置いてある。
勿論細部まで掃除も行きとどいていて、病人一人のためとは思えない。
本館の装飾の少なさを知っているだけに、こちらに先に通されたら、どちらがメインの居住区かわからなくなるだろう。
いかにも歴史ある貴族の屋敷、といった様子に、ひたすら驚いてしまう。
伯爵という地位だが、長い年月のたまものだろう、飾られている品々は公爵家にもひけをとらない。
入口から老練の執事によって案内されたのは、ひときわ豪奢な扉の前。
ノックをしていらえがあってから中へ入ると、予想どおりの豪華な室内に目を瞬かせる。
こちらへ、と呼ばれて奥へ行けば、大きな寝台で座位をとっている男性がひとり。
「おお、よく来てくれた」
嬉しそうな顔をしているその人が、前領主なのだろう。
見た目はどことなくアルフラッドに面影がある。
病などのせいで身体の線はいくらか細くなっているが、見たかぎりではいかにも病人、という風情でもない。
身なりは整えているし、着替えたのかいつもなのか、寝間着ではない服を身につけている。
その衣装も手の込んだもので、装飾品とも合わせていて、なかなかの洒落者のようだ。
「はじめまして。ノウと申します。お目にかかれて光栄です」
ノウは自分にできる精一杯の丁寧な礼をすると、畏まらなくていい、と声がかかる。
そろりと顔を上げると、前領主はノウを見つめてよかった、と呟いた。
「これでクレーモンスは安心だ。どうか、私が生きている間に孫を見せてくれ」
「……精一杯、ご期待に添えるようつとめます」
開口一番の科白に、あらかじめ考えていた答えを述べる。
これは前もってアルフラッドと相談していたことだ。
「ブーカ家はクレーモンスほどではないが歴史のある家。男爵家ではあるが、悪くない縁だ、よくやったな」
息子であるアルフラッドへの言葉に、ノウは顔に出さずに他にないのかと思ってしまう。
都から帰って一度も会っていないから、数ヶ月間が空いているはずなのに。
男は滔々とクレーモンスの偉大さを語り、世継ぎが必要だと熱弁する。
誇張されているかもしれないが、話のいくつかは歴史を学んだ折に耳にしているから、事実ではあるのだろう。
貴重な情報ではあるが、それしか話してこないという事実に、うまく言えない不安めいたものが湧いてくる。
ノウの性格だとか、そういうことには興味がないらしく、特になにかを聞いてくることもない。
アルフラッドに対しても、仕事のことも健康のこともなにも聞かず、ただ血を続けることだけに固執する。
「──そうだ、お前、オーヘン家を相談役から降ろしたそうだな?」
しばらく郷土自慢が続いたあと、不意に声が低くなった。
咎めるような視線にも、アルフラッドは動じない。
「大分ご高齢でしたから。本人も納得していましたよ」
「それならそのまま、現当主に引き継ぐものだろう」
「彼は新しい役職に就いていましたから。今のところ、問題は出ていません」
「オーヘン家は初代からの腹心だからな、よくするように」
「ええ、必要があれば助力を請いますよ」
アルフラッドの答えに、ひとまず男は満足したらしい。
ふう、とついた息はいくらか上がっていて、健康ではないことが察せられる。
側に控えていた執事が心配げに近づくと、前領主はやれやれと首をふった。
「すまないが、そろそろ横になる。……次に会う時は、いい報告を期待しているぞ」
ベルの音が響くと、何人かの使用人が入ってくる。
入れ違いに部屋を出ると、案内は断り二人で歩いて行く。
本館とを繋ぐ廊下はないので、一度外に出る必要があり、行きに通った道を進んでいく。
日差しを受けて、思わずほっと息をついてしまった。
──と、視界の端に大きなものが見えて、そちらへ視線をやれば、馬車が一台やってきていた。
「……あの家紋……」
ジェレミアから薦められた領内の有力者たちを著した本に同じものがあった。
先ほど名前に出たオーヘン家に近い、歴史のある家だったはずだ。
「ああいう連中がしょっちゅう顔を出しているんだ」
「まったく気づいていませんでした……」
なんという失態だと落ちこみかけたが、わからなくて当たり前だと返ってくる。
なにせ敷地内が広いので、本館の前を通らなくても行ける道がいくつもあるのだ。
「あの男にすり寄るのは、俺が地位を取り上げた奴ばかりだからな、顔を合わせたくないんだろう」
「オーヘン家の相談役、というのは……役職としては存在していないものでしたよね」
まだジェレミアから多くを教わったわけではないが、たしか読んだ覚えがある。
クレーモンス領ができた時に、初代領主の側近だった者が、オーヘン家の祖とされている。
彼の活躍がなければどうなっていたか、と語られているほどの人物だったらしく、以後、彼の家は相談役として君臨し続けた。
時によって役職がふりわけられることもあったが、開祖以来ということでそのままきてしまっていた。
勿論、本人に能力があれば、それでも構わなかったのだが──アルフラッドが切り捨てたということは、つまり、駄目だったのだろう。
「先代が高齢だったのは本当だし、納得したのも事実だ。出来た人物だぞ」
だが、当代は及第点にとどかなかった。
「それで真面目に働けばいいのに、あの男に泣きつくんだからな……底が知れる」
実力があると証明すれば、再びの重用もあっただろうに、それをしない。
だが、歴史や伝統を重んじる前領主にとっては、由々しき事態なのだろう。
なかなか難しそうな問題なので、まだ新参者のノウにはとても口出しできない。
だが、いずれは彼らとも渡り合っていかなくてはならないのだ。
ジェレミアの件もあるし、すぐにとは思わなくなったが、頑張らないと……と思ううちに本館に戻ってくる。
「お帰りなさいませ」
見慣れた顔が穏やかに出迎えてくれて、どこか息苦しかった気分が晴れるようだった。
表だって心配しているとは言わないが、部屋につけばすぐに暖かいお茶を用意してくれたりと気を遣ってくれている。
「俺は最近できていなかった武器の手入れをしたいから、また昼食の時にな」
アルフラッドはそう言って、私室から愛用らしい武器を手にして下へ降りていった。
流石に自室で手入れは禁止されているらしい。
ノウもなにかする気は起きなかったので、ナディとヒセラ、三人がかりでメイド長を説得し、四人でのお茶を楽しむことにした。
少し渋りはしたものの、ジェレミアともお茶を飲んでいるという情報を得ていたので、少し話せばあっさり白旗をあげてくれた。
邸でジェレミアやアルフラッドがどう過ごしていたのか、本人だけでなく、周囲からも情報がほしい。
勿論、言えないこともあるが、そのあたりは彼女たちもちゃんとわきまえている。
それに、ジェレミアに贈るにあたり、好みの色なども聞きたかったのだ。
今の彼女は喪服しか着ていないので、普段の様子からでは色の好き嫌いがつかみにくい。
メイド長はノウの意を汲んでくれたので、お茶の時間はとても有意義なものになった。