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前日のそわそわ

「こっちの引き継ぎは大丈夫そうですが、そちらはどうです?」

 帰宅したアルフラッドと三人での夕食後の会話に、ジェレミアは問題ないと返答する。

 どうやら無事休むことができるらしい……というか、ちょっと呟いたらすぐに準備が整えられたとか。

 カーツたちも休ませたいと思っていたのだろう。

「じゃあ明日の予定なんだが、朝はいつもどおりで、そのあと……別館へ行こうと思う」

 少しだけ渋い顔をしながら告げられた予定に、ノウは少しだけ驚いてしまう。

 別館、とは、前領主のいる場所だ。

 ついに挨拶に連れて行く気になったらしい。

 今まで延期され続けていただけに、本当ですかと確認したくなってしまう。

 だが、ジェレミアが眉をひそめて先に口を開いた。

「折角の休日に、面白くない用件を入れるの?」

 ひどい言いぐさだが、漏れ聞いた話から判断すると、致し方ないのだろう。

 アルフラッドもそれはそうなんですが、と同意しているくらいだし。

「ただ、ノウは機能訓練にまだ慣れていないので、長時間出歩くのは疲れると思うんです」

 だから朝の訓練のあと別館に挨拶しに行き、一休みして、昼食後に出かけるくらいでいいのでは、と考えているという。

 しかも暗くなる前には帰るというから、実際の外出時間はごくわずかになるだろう。

 それだけ聞くと眉をひそめたくなる話だが、なにも意地悪で言っているわけではない。

 街中を歩いたことのないノウにとっては、体力だけでなく、精神的にもかなり疲れることになるだろう。

 おまけに彼女はすぐに無理をするから、大丈夫と言っていても安心はできない。

 それなら最初から短い時間の予定を組んだほうがいいと考えたのだ。

「これからは俺も定期的に休みをとるから、少しずつ散策していけばいいだろう?」

 なにも一度であれこれと欲張らなくていい。

 時間はたくさんあるのだから──と二度三度を約束されて、嬉しくなる。

 ジェレミアも話を聞いて、外出の件はむしろ賛成された。

「……でも、挨拶だけにしなさいね、長時間いることはないわ」

 ただ、前領主のもとへ行くほうは納得できないらしい。

「俺も一緒に行きますから、大丈夫ですよ」

「当然よ、一人では絶対に駄目」

 そこまでなのか、と逆に興味すら出てきてしまう。

「──で、どこか興味のある場所はあるか?」

 やや強引に話題を変えられて、ええと、と口ごもってしまう。

 なにせ経験がないから、きっとどこでも楽しいだろう。

 歴史ある街並みを実際に歩けると想像するだけでもわくわくしてくるし。

 だから希望なんて、と思う気持ちはあるのだが……

「あの……興味というか、欲しいものがあるのですけれど」

 実は昼の時点でジェレミアに頼んだのだが、それなら明日行けばいいと返されたのだ。

「うん、なんだ?」

 アルフラッドはノウが自発的に言ったことに喜んで、嬉しそうに問うてくる。

「便箋が欲しいんです。友人に手紙を書きたくて……」

 一番は勿論エリジャだが、他の令嬢にも送りたいし、公爵夫人にも知らせたい。

 部屋には一通りのものがそろっていて、書き物机にはシンプルな便箋もあったのだが、折角なら凝ったものにしたいのだ。

「じゃあ文具店だな、他にはあるか?」

「いえ……とりあえずはそれが一番です」

 刺繍の練習をしているために、糸は減ってきているが、買い足すほどではないし、それは直接行かなくても注文できる。

 便箋も、はじめはなんでもいいつもりだったが、ジェレミアに友人に送りたい旨を告げると、なら明日直接行けばいい、と返ってきたのだ。

 それなら言葉に甘えて、送る相手によって異なるものにしたい。

 実家にいたころはそんな我儘は言えなかったが、今は逆で、まだ慣れないところだが、友人に送るという思いがいつもより勇気をくれる。

 一度にあちこち行ける自信はノウにもないので、まずは一カ所くらいがちょうどいいだろう。

「あとは、とにかく、街中を歩きたいです」

「わかった、大通りと……そうだな、文具店の近くに、領地ができたころに敷かれた道があるから、そこを歩いてみよう」

「! それは……とても楽しみです」

 今も残る古いものにふれられるとは、なかなかできないことだ。

 弾んだ声をあげてしまって気恥ずかしくなるが、咎められることはなかった。

 むしろ微笑ましげに見つめられて、それはそれで照れてしまう。

 ジェレミアがアルフラッドに服を用意したことを告げると、彼は失念していたらしく、少し白い目で睨まれた。

 治安は悪くはないが、慣れない町歩きだからノウは財布を持たず、またアルフラッドから離れないように、というジェレミアの忠告をしっかり聞いておく。

 あれこれ話していたら時間が経ってしまったので、今夜はそのまま寝る支度を整えることにした。

 寝室へ行くと、アルフラッドはいつものように軽く一杯飲んでいるところだった。

「あ……今日は、お話しするようなことがないです」

「体調でも崩したのか?」

「いいえ、そうではなくて」

 今日あったことを聞きたがってきた彼に正直に答えると、途端に険しい表情になるアルフラッドに、慌てて首を振る。

 それから、ジェレミアの息子の話を聞いたことを伝えた。

 だから今日は自分から仕事の手伝いを申し出ることはせず、けれど彼女のそばにいたのだと伝えると、ほっとした顔になった。

 午後もそんな感じですぎてしまったので、これというできごとは起きなかったのだ。

 作業をしながらたまに話をしたり、休憩だとお茶を飲んだりしたが、話の内容はとりとめのないものだった。

 ただ、それはそれでこのあたりの流行だとかだったので、ノウにとってはとても有益なものだったが。

「アルフラッド様は、お義母様のご子息の事情……ご存じでしたか?」

「……ああ。だが俺も、ノウと同じような感じで知っている程度だ」

 アルフラッドもあまり根掘り葉掘り聞きたくないと思っているらしく、直接ジェレミアから聞いたわけではないようだ。

「俺に対しても無理をするなと注意してくるんだが、鍛えかたが違うと話しても、わかってもらえない」

 やれやれ、と困ったように笑うアルフラッドに対し、けれどノウはうなずけない。

「たしかに、体力はあるでしょうから、風邪や過労は少ないと思いますけれど……病は健康であってもかかります」

 血の巡りが悪さをして、急に倒れることもあるし、内臓に腫瘍ができることもある。

 それに、身体が頑丈でも、心は鍛えられない。

 慣れない領主の仕事で苦しむことも考えているのだろう。

「ですから、わたしに無理をするなと仰るなら、フラッド様も……です」

 軍にいたからだろう、精神力もかなり頑丈そうだが、だからといって無茶をしていい理由にはならない。

 そもそも、ノウにばかり休めと言ってくるのは不平等だ。

 アルフラッドはそうだな、と笑うと、グラスを片づけてしまう。

「仕事ばかりでデートの時間がとれないんじゃ、ノウを口説けないしな」

「……口説く必要は、ないと思います」

 突然の言葉に顔を伏せてしまう、頬が熱くなっているのが自覚できた。

 美辞麗句は使わないくせに、まっすぐな言葉を使ってくるものだから、嬉しいけれど恥ずかしくて困ってしまう。

「必要はあるぞ、仮じゃない恋人同士になってほしいんだからな」

 折角視線を外したのに、アルフラッドはわざわざノウの前にしゃがみこんで、こちらの顔を見つめてくる。

 直視なんてできるわけもなくて小さくなると、抱きしめていいか? と訊ねられた。

 悩んだ末にうなずくと、そっと腕の中に包まれる。

 わずかに香るラベンダーに、はたと彼に渡すものがあることを思い出した。

 慌てて腕から抜けでると、アルフラッドはあからさまに寂しそうにしたが、ぱたぱたと私室から匂い袋を持ってくると、すぐに表情が変わった。

「よくできているな、剣……だよな?」

 刺繍をしげしげ見つめられて、ほころびはないはずだが気になってしまう。

「はい、フラッド様の印象で刺繍をしてみました」

 本当は領主なのだから、家紋のほうが無難だが、それは選ぶ気になれなかった。

 ヒセラたちも賛同してくれたので、ジェレミアに渡す予定のものにも、家紋は入れるつもりはない。

 緊張するノウに対し、アルフラッドはご機嫌な様子でありがとうと笑ってくれた。

「前のもまだ使えるから、持ち歩いてもいいかもな」

「……それなら香りを変えます」

 安眠用だからラベンダーなのだ、仕事中の彼からする香りとしては、いささかちぐはぐだ。

「それとも……そうだな、頼めるなら、仕事用のものにこういう刺繍をしてもらいたいな」

 アルフラッドが使用しているものは実用優先で、飾りはほとんどついていない。

 革製品への刺繍は力がいるが、それ以外なら刺繍できるだろう。

 やりやすいところとしては、ハンカチやスカーフといったところか。

「お義母様のを縫い終えたら、とりかかりますね」

「急がなくていいからな」

 とはいえ、自分が刺繍したものをいつも手にしてくれるのは嬉しいことだ。

 アルフラッドの妻は自分なのだ、と第三者に知らしめるようで──そんな独占欲が生まれている自分に少々驚いてしまう。

 こんな自分が、と思う気持ちはまだあるが、楽しみにしているというアルフラッドの言葉に、少しずつそういう感情が薄まっていくようだった。

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