義母との時間
朝の訓練を終えて、朝食の時間にはジェレミアも起きてきた。
すぐには姿勢も直らず注意されたが、続けていれば大丈夫と言われたことを信じるしかない。
あらかた食事が終わったところで、アルフラッドがジェレミアを見た。
「そろそろ休みをとろうと思うんですが、どうですかね」
アルフラッドの言葉に、彼女は遅いくらいよ、と呟いた。
彼女のほうも気にしていたらしく、そろそろ言おうと思っていたらしい。
「明日でもいいわよ、こっちは特に急ぐものはないから」
とんとん拍子に話は進み、どうやら早々に休みになるようだ。
ノウの予定はどうとでもなるので、いつでも異論はない。
そんなわけであっさりと明日の休日が決定した。
「行ってみたい場所でも考えておいてくれ」
アルフラッドはそう言い置いて仕事に出て行った。
と言われても、街のことは地図でしか知らない。
そもそも自分の意思で外出したことがないので、なにも浮かんでこない。
「ノウ、明日のことだけど、あれのことだからお忍びで行く気よね?」
アルフラッドを見送り、玄関近くの場所に腰かけるよう促されると、第一声がそれだった。
流石によくわかっているなと思いつつ、はい、とうなずく。
それ自体に文句はないらしく、表情はいつもどおりだが、服は? と問うてきた。
「あ……はい、それをお義母様に相談したくて」
ノウの手持ちでも品は問題ないが、都で買ったものなので、こちらとは感じが違ってしまう。
目立ってしまうことは避けたいので、となると、変装用の衣装が必要になる。
アルフラッドはそのあたりを言及していなかった。
「あれに女性の服についてどうこうは期待できないものね……買物に行く者に頼んでおくわ」
「ありがとうございます、お手数かけますが、よろしくお願いします」
これで服装の心配はなくなった、あとはお金の問題だが、ノウの私財はないので、アルフラッドに頼むしかないだろう。
そもそも街の平均がわからないし、買い物をしたこともないから、その練習からになるが。
「午後に昨日の続きを少しするけど、あとはのんびりしたらいいわ。明日は連れ回されるでしょうから」
街中はどうしても徒歩で移動することになる。
まだまだ体力もなく、歩きかたも直っていないから、たしかに大変そうだ。
机にすわっての勉強なら大丈夫だろうと思ったが、ジェレミアは認めてくれなかった。
立ち去る姿を見送って、思わずため息をついてしまう。
「……はやく教わらなければ、いつまで経っても役に立てないのに……」
ジェレミアは二言目には無理をするなと、あまり色々させてくれない。
やはり、こんな自分だから期待されていないのだろうか。
しょんぼりとうなだれていると、目の前に影が落ちた。
顔を上げると、そこにいたのはメイド長だった。
「今から独り言を呟かせていただきます」
やおら言い放たれてきょとんとするが、独白なら「はい」とも言えず、うなずくだけにしておく。
メイド長は視線を外すと、ゆっくり話しはじめた。
「ジェレミア様のご子息……ジェフ様が亡くなられた原因は、肺炎によるものです」
予想外の内容に驚いたが、口は挟むことはしないでおく。
今まで誰も、彼のことは喋らなかった。
邸の中に痕跡もなく、ただ、生前使っていた部屋だけがそのまま残っているだけだ。
ノウはその部屋に入ったことはないし、多分今後も、自分から入ることはないだろう。
「ですが、亡くなるほどに悪化したのは……過労があったと、医師の話です」
彼はとても心優しい青年だったという。
物心つくころには、すでに父は身体を壊し、ベッドの上にいることが多かった。
そのため領地の采配は、ほとんど母がとりしきっていた。
そんな母を見ていた彼は、よく勉学に励み、早々に政務の手伝いも願いでた。
視察にも出かけたし、街の様子を見に行くこともあり、領主より好かれていたのではないか、というほどだ。
彼が領主になれば、この地は安泰だと、誰もが思っていた──それなのに。
「症状は一気に悪化し、そのまま……」
若く健康な身だから、すぐによくなると安心していたのに。
「我々の前では、いつもご自分を律しておられます。ですが……無理をしている者がいると、誰であろうと休ませたがるようになりました」
息子みたいになってほしくないという思いからだろう。
「死ななければ明日でも明後日でも続きができるから、と……」
それは、掛け値なしにジェレミアの本音なのだろう。
だからノウにも無理をするなと再三言ってくる。
能力を低く見ているからとか、そういう理由ではなく、彼女が抱える恐怖心から。
ノウの場合、根を詰めかねないので、使用人一同、ちょうどいいと考えているのだが、そこは伏せておく。
「……無理は、しないようにします」
メイド長の話を聞いて、ノウは誰にともなく呟いた。
そんな話を聞いてしまったら、ジェレミアにしつこく頼みこむわけにはいかない。
嫌われているわけでも、無能と思われているわけでもなさそうなら、ひとまず安心でもあるし。
ノウの言葉にメイド長はほっとした顔になり、退出していった。
「……心の喪が明けるのは、難しそうですね」
ヒセラとナディに声をかけると、そうですね、とうなずかれた。
ジェレミアの責任ではないが、きっと彼女はそう感じていることだろう。
自分が気づいて無理をさせなければ──と。
「少しでもお義母様の気が楽になるお手伝いができればいいけれど」
とてもよくしてくれているのだ、簡単に立ち直れるものではないし、きっと一生引きずるだろうが、そればかりというのも悲しい。
「それなら~アルフラッド様の次でいいので、いっしょの時間をすごしてください~あ、勉強以外でですよ~」
息子ということもあったし、ジェレミアもジェフも仕事熱心だったため、休日を共に過ごすことがほとんどなかったらしい。
となれば、そのことを後悔しているだろうことは、想像に難くない。
「……ど、どういうことをすればいいのかしら」
なにせ親子の関係が薄かったので、普通がまったくわからない。
おろおろとナディを見ると、大丈夫ですよ、と微笑まれた。
「ジェレミア様も娘と過ごしたことはないわけですから、お二人で試行錯誤すればいいんです」
「あ……そういえば、そうですね」
弟しかいなかったというし、結婚前から仕事と果樹園に夢中だったというから、あちらもノウと似たり寄ったりの経験値だ。
そう思えば、少し気が楽になってくる。
「一緒の部屋にいても~おなじことをする義務はないですし、そのへんからでどうでしょう~?」
幸いというかなんというか、ジェレミアは日当たりのいい部屋でのんびりしているという。
そこなら広いので、お邪魔してなにかしていても、鬱陶しいことはないだろう。
喋らなければ、なにかしなければ、とつい考えてしまうが、そうしなくてもいいと言われて、そうなのか、と驚きつつも納得する自分もいた。
アルフラッドと旅をしていた時も、会話のない時間はあったが、少しも苦ではなかった。
むしろ、自分のもの以外の生活音が聞こえてくるのが、新鮮で嬉しくすらあった。
ジェレミアが気にしないようなもの、と考えて、部屋から刺繍のための諸々を持ってくる。
サンルームに到着すると、ドアは開け放たれており、爽やかな風が吹いていた。
「あの、お義母様、ここで刺繍をしてもいいですか?」
彼女からもらった裁縫箱を抱えながら問いかけると、勿論よ、と快諾される。
会話はできるが、近すぎない距離のソファに腰かけると、前のテーブルに道具と布を広げていく。
そろそろ、アルフラッド用の匂い袋に着手しようと思っているのだ。
黒っぽい色の生地を選び、糸は少し華やかな黄色などを置いていく。
剣の刺繍図案を写す手つきも、大分慣れたものだ。
「──私は、そういうちまちました作業が好きじゃなくて」
興味深げに眺めていたジェレミアが、ぽつりと呟く。
だから嫁入り道具として持ちこまれたものの、使われることなくしまいこまれたのだろう。
その代わり、品種改良だなんだと走り回ったり、領内を見るほうが性に合っていたわけだ。
貴族の令嬢としてはどうかと言われるのだろうが、好きなことを貫く姿勢は、ノウには羨ましい。
「できあがったものはいいと思うけど……あなたも、よくできるわね」
「少しずつできあがっていくのは、楽しいです」
「……果樹ならそう思えるけど、刺繍は無理だわ」
うんざりした様子のジェレミアに、失礼だと思いつつ少しだけ笑ってしまう。
「もしよかったら、お義母様にもつくっていいですか?」
練習にもなるし、よくしてくれているお礼というにはささやかだが、気持ちを贈りたい。
ノウの言葉に、勿論よ、とジェレミアがうなずいた。
「じゃあ、どの生地がいいか選んでください」
刺繍はノウができる範囲になるので、こちらで選ぶが、柄の好みがわからないので聞くほうがいい。
ヒセラによって残りの生地も運ばれて、ジェレミアが真剣に選んでいく。
こんなふうに誰かとのんびりすごす日がくるなんて、想像もしなかった。
ジェレミアが選んだ生地を大切により分けながら、あとで彼女に似合う図案を探す時間を楽しみにするのだった。