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急転

 色々やろうと思っていたのに、と胸のうちで呟いて、ノウはソファに沈みこんだ。

 そばではヒセラとナディが心配げに見守っている。

 というのも、今朝から機能訓練をはじめたのだが、想像以上に疲れてしまったのだ。

 やること自体は正しい姿勢を保ちながら動くだけとはいえ、長年歪んだ体勢で慣れていた身には、正しいほうが苦しくなってしまう。

 歪むたびに指摘されて、どうにか意識すればちゃんとした状態を保持できるようになったのだが、これがものすごく大変なのだ。

 今日からナディも復帰するということで、張り切ってしまったのもあるかもしれないが、ともかく、一休みしなければ動けそうにない。

「横になってもいいんですよ~?」

 ヒセラはそう言ってくれるが、今眠ると起きられる気がしない。

 午後はジェレミアに教えを請うつもりなのだから。

 それに、この邸にいる皆は大丈夫だと思っていても、寝こんで罵倒された記憶があるので、昼から横になる勇気は出ない。

「のんびり読書することにします」

 渋々といった様子で二人は引き下がってくれたので、先日からせっせと図書室で借りている本を読んでいく。

 子供のころに観た芝居の原作も、まだ軽く読んだだけだし、同じ作者の本も読もうと思っている。

 ヒセラに頼んで今日だけは大目に見てもらおうと、数冊追加で借りてきてもらったのだ。

 公爵に連れていってもらったあれこれは、子供には難しすぎたりしたので、当時はそこまで熱心でもなかった。

 体調が悪くても無理矢理に支度させられたし、公爵の前でいい子でいろときつく言われていたこともあって、心から楽しむどころではなかった。

 今にしてみれば勿体ないが、子供だったから致し方ない面もあるだろう。

 演劇の内容も大分忘れていたのだが、印象的なシーンがあったために記憶していたのだ。

 原作はずいぶんと長い話で、これはこれで面白いが、もう一度観劇したくなる。

 とはいえ、それをアルフラッドたちに頼むのも心苦しい。

 社交でちょうどよく機会があればいいのだが、そううまくいくかどうか。

 劇場はあるという話なので、なにかしらは観られる日がくるだろうが……

 その時に備えて、この地で上映されたものもさらっておこうと決意した。

 なにせ歴史を重んじる人々の多い場所だ、昔からのあれこれも多いことだろう。

 それらを知っていれば、印象はよいものになるはずだ。

 できれば今から調べたいところだが、怠い身体はまだ動きたくないと駄々をこねる。

 実家にいたころは無理矢理にでも動かさなければならなかったが、ここではそうしなくていい。

 なんてありがたいことだろうと噛みしめながら、ノウにしてみればとんでもなく贅沢な午前中を過ごした。


「お帰りなさいませ」

 夕刻、アルフラッドの帰宅時には、問題なく出迎えられるほど回復していた。

 だからといつものように玄関にいたのだが、ノウの姿を見た彼は、ちょっと眉を寄せた。

 それから近づいて、じっと顔色を観察される。

「あの……大丈夫です、お昼まで休ませてもらって、元気になりましたから」

 至近距離で見つめられると、どうしても照れてしまう。

 数歩後ろに下がりつつ、同意を得るべく背後に控えていたヒセラの顔を見る。

 そのとおりです~とうなずいてくれたので、アルフラッドも納得したらしい。

 午後は予定どおりジェレミアに教わっていたが、彼女も無理は駄目だと短時間だったので、あとは刺繍の練習をして過ごした。

 だから今日は本当に、のんびりした一日だったのだ。

 機能訓練自体は毎日続けたいと思っているので、慣れるまでは疲れてしまいそうなのが気がかりだが、早くよくなれば迷惑もかけなくなる。

 気づいた時は教わったとおりを心がけていると、アルフラッドは気づいたのだろう、ぽんぽんと頭をなでてきた。

「回復は時間がかかる、急ぐんじゃないぞ」

 実際に何人も見てきたからだろう、言葉には実感がこもっていた。

「……とはいえ、本人は焦るからな、無茶をしたら……翌日は仕事禁止、のほうがノウにはいいか」

「それは……困ります」

 思わず心から呟くと、苦笑いをされてしまう。

「いいわね、それ、私も賛成よ」

 そこへジェレミアがやってきて、アルフラッドの味方をしてしまう。

 この二人にそう言われては、最初から口答えする気はないし、勝てる気もしない。

 本当ならそれは罰ではないべきだが、今のノウにはそうなってしまう。

 ジェレミアと素早く視線を交わしたアルフラッドは、ひとまずこの話は切りあげるべく、別の話題に切りかえていった。

 そのまま夕食を三人で過ごして、ノウは寝る支度の前に、昨日とは違うドレスを選んでいた。

 今日は少し緑がかった鮮やかなもので、縁取りなどは黄色っぽくなっている。

 首周りは昨日のものより空きが少ないが、それでも着るには度胸がいる。

 おずおずと袖を通して、最後にネックレスを身につけた。

 アルフラッドからは特になにも言われていない、言えば無理をすると思っているのだろう。

 その優しさはありがたいし、緊張はするが、一人で着て鏡の前で見るよりも、見てほしい。

 自分の姿に自信がないので、一人では見ても落ちこんで終わりそうなのだ。

 だから、と勇気を出して、隣の部屋のドアを開ける。

 寝る支度をすませたアルフラッドは、寝室にも備えてあるソファでなにか飲んでいた。

 飲酒することもあるが、大抵おかわりもせず、一杯だけ飲む程度だ。

 もっと飲んでも構わないと告げたが、特に飲みたいわけでもないらしい。

 ただ、地域柄味を知っておかないといけない面もあるので、という答えだった。

「ああ、今日も着たのか」

 アルフラッドはすぐグラスを置いて、ノウを見て薄く微笑んだ。

 ぎこちなく笑みを返しながら、扉から身体を出す。

「明るめの色は、慣れないのですけれど……」

 虚弱であると印象づけたかったからだろう、薄い色や暗い色が多かった。

 我ながら暗い顔をしていたので、当時はちょうどいいと思っていた。

 だが、ジェレミアが選んだものは、どれも淡い色や明るいものばかり。

 薄いものも、鈍い色ではなく綺麗なもので、かつてのような地味なものはない。

 そんなわけなので、正直似合っている気はしないが、明るい色をまとうと、元気がもらえる気はした。

 アルフラッドは立ちあがると、灯りの近くに立つよう示し、ノウの姿をじっと眺める。

 上から下へ──そして、首のあたりで止まった。

「……青い石だと、少し合わないか?」

 どうやら色味が引っかかるらしい。

「そんなことはないですよ」

 衣装と同じ色で合わせなくてはいけない、という法はない。

 反対色を使って鮮やかに見せる場合もあるし、様々だ。

 青と緑なら近しい色なので、特に問題はないと思うのだが、アルフラッドは気に入らないようだ。

「こういうのはたくさんあってもいいんだろう? もういくつか買っておくか」

 たしかに、貴族の女性ならたくさん所持しているだろうが、ノウにはこれだけで十分すぎる。

 人前に出る時に使うものではないのだから、正直なところなんでもいいくらいだ。

 それこそアルフラッドが贈ってくれたのならば、なんだって自分にはお守りになる。

「練習用ですから、一本で十分です」

「いずれは出歩くかもしれないだろう?」

「それは……そう、したいですけれど……」

 いつになるかわからない日のために、そんな散財をするものではない、とノウは思うのだが、アルフラッドは違うらしい。

「ほとんど着の身着のままでやってきた新妻に、あれこれ贈りたいのは当然だろう?」

 その言葉に、嬉しさよりも胸の痛みが先にやってくる。

 額面通りに受けとめられれば、どんなにいいだろう。

 本当にそういう夫婦なら。けれど自分たちはそうではない。

 だから、理由として挙げられても、うなずくことはできないのだ。

「お気持ちは嬉しいですけれど、本当の夫婦ではないのですから……他のかたの目につく面ならともかく、これはどう考えても無駄遣いです」

 今仕立てているドレスも、それに合わせた装飾品をつくることは決まっている。

 これらは社交の場で使うから、妥協もできないし、ノウも金額についてとやかく言うことはしなかった。

 明示された金額は納得いくものだったし、デザインは問題なくよいものだったからだ。

 社交用のドレスや装飾品は、あまりに同じものを身につけていればケチだと噂され、毎回違うものにすれば散財だと窘められる。

 どちらにしろ、領主をよく思わない面々は文句を言ってくるが、それを抜きにしても、ある程度は必要経費なのだ。

 領内の経済を回す必要もあるし、ノウには無理な話だが、流行の牽引も必要なことだ。

 だから、外へ着ていくものなら我慢するが──言いつのるノウに、アルフラッドはしばらく無言だった。

「──わかった」

 やがて、幾分か低い声で呟く。

 流石に喋りすぎて苛立たせたかと怯んだが、アルフラッドはうん、とひとつうなずいてみせる。

「じゃあ、無駄遣いにならない理由をつくろう」

「え……」

 まさかこの格好で人前に出ろと──と考えたが、そんな厳しい対応をとるはずがない。

 一体なにを口にするのかと、戦々恐々としているノウに、

「好きな相手に色々贈りたい、ごく自然な理由だろう?」

 あっさりと、予想もしていない告白が飛びだした。

 長い夜がはじまります(内容的に数話続くという意味で

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