一方、領主は
アルフラッド目線です。
「……カーツ、ちょっと相談があるんだが」
領主の執務室、さしあたっての書類が片づき、昼休みでも、という雰囲気になったころ。
アルフラッドからの言葉に、カーツはなんですか、と顔を上げた。
都から帰って少し、カーツが正式に領主補佐に任命された。
もともと誰かつけようという話になっていたのだが、アルフラッドがいらないと言って逃げていたので、なかなか決まらなかったのだ。
都へ行くとなると一人では無理だということで、商会に長く勤め、領主との橋渡しもしていたカーツに白羽の矢が立った。
長旅を共にして、うまくいくようならそのまま補佐に回る、という、いわば試験期間だったわけだ。
「ほとんど仕事の話じゃないんだが、妻帯者の意見を聞きたくて……」
歯切れの悪い様子と単語から、これは奥方絡みだなと判断していたが、当たりのようだ。
妻帯者、という言葉を聞いて、他の部下たちも聞く体勢になった。
興味半分、主の顔が真剣なので、心配半分といったところだろう。
「ノウのドレスを仕立てることになって、デザインの中に気に入ったものがあったと言うんだが、それが首の空いたドレスなんだ」
「……夜会服なら当然じゃないですか?」
「そうなんだが……子供のころの事故の時に、首を絞められた記憶があるらしく、傷はないものの晒すのが恐いらしいんだ」
「…………」
からかうような微笑ましい表情をしていた面々も、一気に顔を険しくした。
ここにいる者たちは、勿論ノウの怪我のことは知っている。
詳細は伏せているものの、上半身の半分近くに傷痕がある、という話は周知の事実ともなっている。
知らない人間がノウに余計な質問をしないために、敢えてある程度知らせる方法をとったのだ。
アルフラッドの本意ではなかったが、いつでも自分がそばにいるわけではないので、やむを得なかった。
「人前で着る自信はないが、つい頼んでしまった、と申し訳なく言われてな……なにか、少しでもできればいいんだが」
トラウマを克服できれば、もう少し色々な服を着ることができる。
年ごろの女性なのだし、遠慮せずにたくさん頼んでくれてもいいのに、ノウはそれをしない。
難しいとはわかっているが、言うばかりでなにもしないでいるのも嫌なのだ。
「……え、いや、そんなに悩むことじゃないですよね?」
頭を抱えるアルフラッドに、妻帯者たちは呆れた調子で声をかける。
「なにか案があるのか?」
ぱっと顔を上げた彼に、一同はなんとなく互いの顔を見やり、代表してカーツが口を開く。
「ネックレスを贈ればいいだけの話でしょう」
うんうん、と部下たちもうなずいている。
そもそも夜会服のデザインに露出があるのは、装飾品を見せるためでもある。
代々伝わるもの歴史を自慢するだとか、貴重な石を購入できる財力を示すとか。
「なるほど、じゃあ帰ったらメイドに……」
「いや、そうじゃなく」
思わずといった調子で部下が即座に指摘する。
カーツもため息を我慢しながら諭しにかかることにした。
「あなたが選んで贈るから、お守り代わりになるんですよ。人任せじゃ意味がないでしょう」
勿論、すぐに外出できるようになるとは思えない。
だが夫からの装飾品を身につけていれば、心強くなるだろう。
そのためには、アルフラッド自身が選ばなければ駄目だ。
カーツの指摘に、彼はしかし……と口ごもる。
「俺はそういうのには詳しくないぞ」
どこからどう見ても美形なのに、この朴念仁さはどうなのかと嘆きたくなるが、男所帯の軍にいればこんなものなのだろう。
父親のようになりたくない、という感情もあるかもしれないので、あまり強くは言えない。
普通の男性であれば大問題だが、よくも悪くも彼は貴族だ。
「デザイナーの店は知っているんでしょう? そこへ行けばいいんですよ」
貴族のデザイナーとなれば、ドレスだけでなく、装飾品も合わせて考えているはずだ。
だから店に行って用件を話せば、ドレスに似合う候補を見繕ってくれるだろう。
その中からアルフラッドが選べば、問題は解決だ。
「よくできてるものだな」
「……いや、普通です」
感心するアルフラッドに疲労感を覚えてしまう。
まあ、一度言えばあとは大丈夫だろうし、聞いてくれてよかったとも思う。
カーツは手もとの書類を確認しつつ、午後の予定を思い返す。
特に重要なものはないし、訪問予定の相手も領主みずからである必要はない。
「善は急げです、これから行ってきていいですよ。急ぎの仕事もありませんから」
昨日の今日なら十分間に合うだろうが、早いほうがいいにこしたことはない。
ここ数日真面目に働いたおかげで、大分余裕もできてきた。
本当なら二人で選ばせたいところだが、ノウの性格を考えると難しいだろう。
アルフラッドは少し悩んだようだが、ついでに街を見てくればいいでしょう、と他の部下の言葉に納得したらしい。
行くデザイナーの店名をカーツに伝えると、すぐさま執務室を出て行った。
残った面々はそれをにこやかに見送り、カーツは留守の間の仕事の割り振りを考えることにした。
途中で外出したものの、デキる部下のおかげで、途中抜けたわりに仕事は問題なく終わり、このところと同じ時間に帰宅できた。
カーツを補佐に、と言われた時は、正直面倒だと思ったが、こうしてみるとずいぶん楽だと感じる。
もっとはやくに承諾していればよかったかもしれない。
そんなふうに思いながら玄関の大扉を開けると、いつものようにノウが出迎えてくれた。
邸にきてからはまだ数日だが、旅の間も一緒だったので、すっかり馴染んでしまっている。
「お帰りなさい、フラッド様」
すっかり慣れてきたらしい愛称で呼ばれるのも心地いい。
ただいま、と返して着替えをすませると、夕食までの間にジェレミアと書斎へ行く。
「今日は午後から、ノウにちょっと仕事をしてもらったわ」
「……もう、ですか?」
数日は休ませるということで意見は一致していたはずだ。
覚えず尖った声が出そうになり、慌てて落ちつかせる、ジェレミアがわけもなく行動するはずがない。
「仕事を頼まれないのは、信用されていないから、と悩みはじめているようだったから」
ため息まじりの言葉に納得しつつも、眉間に皺が寄ってしまう。
誰も急かすような真似はしていないし、むしろ休むよう配慮しているはずだ。
けれどノウにとっては、それも逆に居心地が悪いのだろう。
役に立とうとしなくても、誰も追いだしたりしないのだが、長年にわたったものはなかなか変えられない。
「それでとりあえず、過去のものを検算してもらってみたのだけど」
思った以上に優秀だったわ、との評価に、そうだろうと思う。
自己評価は低いが、真面目に努力していたからと、両親からの圧力の結果だろう。
由緒ある家のために、家の中だけの収支といっても、かなりの規模がある。
古い邸だから修繕も必要だし、別邸はずいぶん浪費してくれるし、代々の品々の保持もしなくてはならない。
それらの経費を、ミスなく計算しきり、疑問点を質問してきたという。
ついでに領内の有力者の話などもはじめたという。
社交をさせるのは先になるが、情報は得ていて損はない。
「ただ、あまり根を詰めさせたくないから……庭を任せようかと思って」
「庭、ですか?」
今ひとつ意味がわからず、鸚鵡返ししてしまう。
そういえばハーブを植えたいと申し出たと聞いたが、そのことだろうか。
「庭は手を入れていないから」
貴族の庭というのは、通常もっと花が植えてあったり、ちょっとした休憩所があったりするらしい。
言われてみれば、都でノウと話した庭も、あちこち趣向が凝っていたし、かつての仕事で赴いた先もそうだった。
それに比べるとこの邸は、手入れはしてあるがそれだけだ。
ジェレミアはそういったことに興味がなかったので、古くからあって使えるものだけ残しているが、新しく建てたりはしていない。
花もいちいち手配することはなく、庭師が独断で多少植えているだけだ。
「ハーブだって見た目のいいものはあるし、花の配置なんかもやってもらえばって」
庭の全体的なつくりを決めてもらおう、ということだと納得する。
勿論ノウがすべてやるわけではなく、庭師と相談しつつ、ということになるだろう。
実際の作業は庭師や大工が行うから、彼女自身の負担は少ない。
一手に任されてプレッシャーを感じるかもしれないが、幸い邸の庭師は熟練者ばかりだ。
少なくとも、今の殺風景な状況より悪化することはないだろう。
「あなたといい、俺は恵まれてますね」
「……なに、突然」
しみじみ呟くと、ジェレミアが微妙な表情になった。
いつも感謝の念はあるつもりだが、このところはさらにそれを感じるようになった。
これもノウのおかげだろうか。
アルフラッドは笑って誤魔化すと、領地に関する話に切り替えた。
領主頑張る、って題名は流石にひどいと思ったので……