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本と刺繍とハーブと

「ここが書庫です~」

 ヒセラに案内された書庫の扉を開けたノウは、思わず感嘆の息を吐いた。

 壁一面の本棚はほとんどが埋まっていて、圧巻だったからだ。

 なにせ歴史のある家だから、古い書籍もたくさんあるらしい。

 貴重な本は閉架のほうにあり、修復などの専門知識を持つ司書が一人いるというから驚きだ。

 ノウであれば貴重な本も読むことができるというのでわくわくするが、まずはぐるりと見ることにした。

 並んでいる本は司書によって分類されており、とても探しやすい。

 先刻挨拶したが、司書はすぐ自分の席らしき場所にもどり作業を再開した。

 用がないかぎりは放っておいてくれるらしい。

 それを幸いに、隅々まで見学することにした。

 歴史の部分はこの地域のものが多いが、それ以外の地域もあるし、専門的なものも多く見受けられた。

 分野は様々で、学術的なものだけでなく、読み物めいたものもある。

 かと思えば使用人たちもよく借りるという一角には娯楽小説がそろっていて、賑やかだ。

「目移りしてしまいますね……」

 なにせ好きに読める本が少なかったので、はしゃがないよう落ちつくのが大変だ。

 ついつい、手当たり次第に借りていきたくなってしまう。

「いつでも読めますから~お部屋への持ちこみは少なめでよろしいかと~」

 何冊も手にとりそうな主の様子に、ヒセラが声をかける。

 声にも表情にも出すヘマはしないが、内心では焦っていた。

 アルフラッドと同じ寝室だから、夜ふかしして読みふけることはないと思うが、根を詰めそうで心配になる

 直接注意すれば我慢してしまいそうなので、違う言いかたで説得を試みる。

 鍵のついた閉架以外なら、いつでも借りにくることができる、司書がいなくても問題ない。

 使用人たちは貸し出し記録をつけるが、ノウの場合は無断でも構わないと言われているくらいだ。

「あ、そうですね、たくさん借りたら、みなさんに迷惑ですし……」

 違う方向に納得されたが、終わりよければということにする。

 当初の目的である刺繍の本からに、と水をむければ、そちらのほうに歩みを進めた。

 他の本も気になるようだが、アルフラッドに渡したものをなんとかしたいらしい。

 ヒセラは現物を見ていないので判断できないが、ノウ曰く、とても彼には持たせられない粗末なもの、らしい。

 同じようなものをもらったナディはそこまでじゃないと言っていたので半信半疑だが、安い布でつくったのは本当だろう。

 むしろそのほうが丈夫だし、ちょうどいいのでは、と考えたりするが、流石に黙っておく。

 しばらく悩んでノウが選んだのは、基本的な刺繍の図案が載っているものだった。

 それから、あまり厚さのない、読みやすそうなこの地域の歴史をまとめたもの。

 最後に娯楽小説の棚を眺めていたのだが、突然ぱっと表情を輝かせた。

 右手を伸ばして棚から引き抜いたそれの題名を確認して、間違いない、とうなずいてみせる。

「お好きな本ですか~?」

 あいにくヒセラの知らないものだったので、問いかける。

 ノウはわずかに微笑んで、はい、と肯定した。

「子供のころに観に行った劇の原作のはずです」

 だからだろう、本は少し古めかしいし、ヒセラにはぴんとこなかった。

 ノウは大切そうに本を抱えて、これも借りていくことに決めたらしい。

 特別扱いはよくないし、ちゃんと決まりは守らないと、と真面目に言って書いた名前はとても読みやすい美しいもので、内心舌を巻く。

 ジェレミアも綺麗な字を書くが、それより上手だとすら思った。

 結局三冊を持ち帰ったノウは、自室で少しだけ悩んだが、まずは図案の本を開き、なにを刺繍するか悩みはじめる。

「あ……でも、中に入れるハーブはあるかしら」

「匂い袋用はないかもしれませんが~、ついでにたのんでおきますよ~」

 無茶をしないよう定期的に様子を窺っていたヒセラは、お茶を出しながら軽く請け負う。

 毎日の生鮮品を運んでくる商人に言えば、それくらい簡単に手に入るだろう。

 ラベンダーは香辛料には使わないが、珍しいものではないし、時間もかからないはずだ。

 ついでに言えば、価格もさほどではないからだろう、ノウも頼みやすそうだ。

「ただ、できるなら、自分で育てたいのだけれど……」

 ぽつぽつ話してくれたところによると、今までのものは実家で栽培した余りだったという。

 見たいとせがんで恥ずかしがりながら出してくれたそれは、たしかに荒い木綿の生地で刺繍もなかったが、縫い目は揃ってきちんとしていた。

 貴族が持つにはたしかに庶民的だが、それ以外に難点は見当たらない。

「植物を育てるの、楽しいですよね~」

 家でサボテンを育てているとヒセラが言うと、共通点を見つけたからか、もう少しだけ喋ってくれた。

 世話はほとんど使用人が行っていたらしいが、乾燥を手伝ったりするのは、ノウにとっては楽しい時間だったという。

「なら、あとでジェレミア様に頼んでみてはどうでしょう~」

 敷地内は広く、使用人たちが使える畑も用意されている。

 今は野菜ばかりだが、ハーブを植えても問題ないはずだ。

 ノウであれば庭に植えてもいいのだが、おそらく遠慮すると判断し、使用人の畑の話にしておく。

 そもそもジェレミア自身が、かなりの部分に果樹を植えているから、ノウだって同じくらい要求してもなんら問題ない。

 ハーブはあれば料理などにも使えるのだから、無駄にもならない。

 そのあたりを話すと、ノウは少し悩んだようだが、毎回購入するのも気が引けるから、と頼んでみる気になったようだ。

 買うのだって申しわけなく感じることはないのだが、今言っても了承はしないだろう。

 納得したノウは、中味は置いておいて、とりあえず袋をつくることにしたらしい。

「刺繍するのは久しぶりだから、まずは練習しないと……」

 自信なさそうに呟くと、山ほどある生地の中から、綿のハギレを選びだす。

 慣れた手つきで裁断すると、そこに刺繍の図案を下書きしていった。

 アルフラッドへ贈るからだろう、剣のモチーフにするらしい。

 たくさんの刺繍糸をしばらく眺めてから、意を決したように色を選び、ゆっくりと刺していく。

 ヒセラはしばらく見守っていたが、あまり近くにいては気になるかと、席を外すことにする。

 時間を見計らって時々休むよう声をかけ、そのついでにお茶やお菓子をすすめることも忘れない。

「……もう少し上手にならないと、とても贈れないわ」

 そろそろ切りあげませんかと声をかけようとした何度目かの折、先にノウが呟いて針を置いた。

「拝見してもいいですか~?」

 訊ねると、快く布を寄越してくれた。

 見たところ、綺麗に整っていて、問題があるような気はしない。

「十分お上手だと思いますけど~」

 ヒセラは刺繍に興味がないので、自分ではしない。

 しかし仕事柄見ることはあるから、よしあしくらいはわかるつもりだ。

 無難な色にまとめて丁寧に刺してあるので、悪いようには見えない。

 強いて文句をつけるなら、地味だというくらいだが、練習用なら当然だろう。

「そうですか? ありがとうございます。……でも、もう少し練習したいと思います」

 匂い袋にそこまでしなくてもと思うのだが、いいものを贈りたい気持ちは理解できる。

 根を詰めないように配慮すれば問題はないだろう。

「そうですね~できるだけうまくいったの、贈りたいですもんね~」

 うんうんとうなずくと、そうですよね、と同意される。

 ヒセラは童顔で小柄だが、れっきとした人妻だ。

 おまけに夫は警備隊の仕事に就いている。

 そのあたりを紹介したことと、こののんびりした調子からだろう、ノウも大分打ち解けてくれている。

「とりあえず、そろそろお帰りの時間ですから~」

 もう少し余裕はあるが、今から針を刺せば間違いなく遅くなる。

 頑張りすぎて目や肩を疲れさせているかもしれない、久しぶりならなおさらだ。

 だからと声をかけると、ノウも時計を確認して、そうですね、とすんなり道具を片づけた。

 きちんと道具箱に収納し、出しっぱなしのハギレもまとめていく。

 そうしなくてはならない環境だったこともあるだろうが、性格の面もありそうだ。

 ここはノウの部屋なので、多少はそのままでもいいのだが……そのあたりも今後の課題にする。

 玄関のほうへ行くと、今日もジェレミアが待っていた。

 アルフラッドを迎えるためというより、ノウのためだろう。

 ジェレミアを認めると、控えめに、けれどはっきり嬉しそうにするのだから、悪い気はしないものだ。

「あの、お義母様、ハーブを植える場所をお借りできませんか? 少しでいいんですが……」

 おずおずと口に出した願いに、ジェレミアは内心いい傾向だと思う。

「勿論いいわよ、私の果樹がある近くなら問題ないわ」

 ノウとしては使用人の畑で、と言ったつもりだったろうが、聞いていないので無視することにする。

 ジェレミアの果樹があるあたりは前領主のいる棟から離れているし、本館からも目立たない。

 だから、万一見咎められて文句が出る可能性も低い。 

「そういえば使用人からも欲しいと言われていたわね。ちょうどいいから大きめをつくりましょう」

 なにせ敷地内は広い。いくつかある門の奥はそのまま林に繋がっているくらいだ。

 勿論普段は鍵がかかっているし、巡回もいるので危険はない。

 ただ、アルフラッドはちょくちょく侵入していて、たまに訓練にも使用している。

 いつだったか、食べられる草があった、と持ち帰ってきたこともある。

 どうしてくれようかと悩んだが、普通においしかったので、使用人たちも野草に興味を持ちはじめた。

 そのため、彼ら用の畑はもう余裕がなく、新しいものは植えられないのだ。

 想像以上の大事になりそうだと気づいたノウは困った顔になったが、使用人も使うなら、と納得したらしい。

 実家で使用人とつくっていたのだ、と続けられて、なるほどだから彼女にしては積極的なのかと得心する。

「乾燥する時期に作業するのも、楽しかったので、またできるのは嬉しいです」

「……たしか、果物でもできるのよね?」

 ジェレミアは品種改良を主軸にしていたし、どちらかというと果実酒目当てだったが、知識としては得ている。

「はい、皮を使うので、無駄にならなくていいですよ」

 すべての果物でできるわけではないが、ジェレミアの植えた中には柑橘系もある。

 収穫したあと、いくらかはノウに分けてやるのもいいだろう。

「ただ、花や果物はやったことがあまりないので……」

 心配そうに呟いたが、ものごとに失敗はつきものだ。

 それを言うならジェレミアの品種改良だって、どれほど辛酸をなめてきたか。

「図書室に資料があればいいのですけれど」

「なければ取り寄せましょう、役に立つものだし」

 使用人たちもやる気なのだから、無駄にはならない。

 しかし、ものがハーブでは、邸の庭師たちには微妙かもしれない。

 ただでさえ常日頃から嘆かれているのだから──と胸中で呟いて。

「……花、ね……」

 そういえば──と浮かんだ言葉は、帰宅の声に途切れてしまう。

 ちょうどいいからアルフラッドのいる時にしよう、と決めて、義息子を出迎えることにした。

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