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義母の思惑

「……それでそういう格好なの」

 時間がなくなってしまい、着替えないまま食卓へ行くと、ジェレミアが呟いた。

 アルフラッドが大丈夫だと言うからそのままきてしまったが、やはりまずかっただろうか。

「邸の中なら問題ないわよ、私も似たようなものだし」

 すみませんと謝る前に続けられて、ほっとする。

 喪服ということを差し引いても、ジェレミアの服装は地味なものだ。

 といってもなにせ背の高い美人だから、それでもおかしく見えないのだが。

 その後アルフラッドを見送り、さて今日はなにかあるかと訊ねようとすると、いつのまにかジェレミアの姿がなかった。

 どこに行ったのかと思う間もなく女中を一人連れてもどってきて、とりあえず腰かけるようすすめられる。

「はい、これ」

 そして小机の上に置かれたのは、美しい細工のされた裁縫箱だった。

 木でできたそれは持ち手のついた立派なもので、上の段と、下の引き出しが二段ついている。

 これが先日言っていた、ジェレミアの裁縫箱なのだろう。

「使っていなかったから、綺麗にするのに少し時間がかかってしまって、悪かったわね」

 謝罪の言葉を口にされたが、見たところは新品のように綺麗だ。

 それだけ使わずに、しまいこんでいたというわけだろう。

「道具も古くて使えないものがあったから、デザイナーがくるついでに頼んでおいたわ」

 だから今はほとんどカラなんだけど──と言われ、中を開けてみる。

 鋏や針などは錆びていたからとり除かれていて、糸も切れてしまったので捨てたという。

 そのため、箱は大きいが、中は言葉どおりすかすかだった。

 残っているのはボタンなどで、つまんでとりだしてみると、貝殻を使ったものなどがあった。

「ありがとうございます、お義母様、大切に使いますね」

 こんな立派な裁縫箱など、勿論持ったことはない。

 覚えず弾んだ声で言うと、適当でいいわよ、と返ってきた。

「お下がりなんだし、気に入らなければ新しくしていいのよ」

 嫁入り道具のひとつとして持ってきたものの、ほとんど使わずにいたらしい。

 だから愛着もないようだが、ジェレミアの両親が心をこめて選んでくれたはずだ。

 となれば、大切に使う選択肢しかノウにはない。

「気に入らないなんてありません、これがいいです」

 きっぱりと言うと、ジェレミアは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく微笑んだ。

 そうこうしているうちにデザイナーが到着したので、裁縫箱をヒセラに持ってもらい、応接室に移動する。

「デザイン画の前に、まずはこちらをお渡ししておきますね」

 そう言って渡された品々に、ノウは目を丸くしてしまった。

 とりあえず、裁ちばさみなどは必要なものだからわかる。

 これらは切れ味がいいほうが使いやすいから、値が張りそうでも文句はない。

 だが、そのあとに出された縫い糸、刺繍糸──さらにハギレに至っては、数えられない数が出てきた。

「お……お義母様、どうしてこんなに……」

 色の洪水に困惑しきりのノウに対し、ジェレミアはけろりとしてお茶を飲んでいる。

「全部ハギレよ」

「それは、そうなんですけれど……!」

「ドレスを仕立てた際に出たものもあるので、大分形がいびつなのもありますから、使いにくいかもしれません」

 その分サービスしてます、とユニに言われてよく見れば、絹らしき手触りもする。

 どう考えても、手遊びに使っていい生地には思えないのだが、二人ともあっけらかんとした様子だ。

 ジェレミアだって、試しにやってみればいい、という調子だったはずだ。

 それなのにこの用意は、いくらなんでも過剰すぎる。

 本職の人間が使うくらいの糸の色は、正直かなりわくわくするが、本当に使っていいのか恐ろしくもなる。

「だからって、無理に使わなくていいわよ。メイドたちにも裁縫好きはいるから」

 ノウが使わなければ下げ渡す先は決まっているらしい。

 それを聞いて、ほっと息を吐いた。

 自分のためだけにこれだけ用意されるのは、どうしても気が引けてしまう。

 けれど、これだけの色があれば、凝った刺繍もできるだろう。

 実家では余ったものを使うしかなかったから、勉強の時以外ほとんどできなかったけれど、今なら遠慮しなくてもいい。

「図案は……図書室にあるはずだから、あとで行ってみるといいわ」

「はい、ありがとうございます。ユニさんも、持ってきてくれてありがとうございました」

 ひとまず収納はヒセラに任せて、次はドレスのほうに移る。

 これといって色に希望がなかったので、何着かは早速仕立てているらしいが、夜会服となると流石にそうもいかない。

 ユニは大量のデザイン図を描きあげてきており、机にどんどん広げていく。

 基本的にはノウが注文したとおり、露出の少ないデザインだ。

 色はドレスによってかなりばらつきがあり、とりあえず片端から試す、というジェレミアの言葉に従ったものらしい。

「いくつか生地も持ってきましたので」

 続いて並べられた生地は、手触りや光加減が様々で、思わず見入ってしまう。

 ユニはノウの質問にも丁寧に答えてくれたので、色々聞いてしまった。

 産地だのは仕立てる上であまり関係ないことなのに、嫌な顔ひとつしなかった。

 好みの色はまだよくわからなかったが、それでも質感などが気に入った生地を選び、数あるデザインの中から、特に目を引いたものから優先して仕立ててもらうことを決めた。

 質問したりしたせいで、思った以上に時間がかかったので、昼食を一緒にすることになった。

 ユニは遠慮していたものの、もっと話を聞きたいからとノウがせがんで押し通した。

 ジェレミアとも話が弾み、嬉しそうな義母の顔を見て、アルフラッドの言ったとおりだと実感する。

「もっと色々なお話を聞きたいですし……好きな色をつくれるようになりたいので、一段落ついたら、お招きしてもいいでしょうか?」

 昼食後にも少し話を進め、彼女が帰る時、思い切って誘ってみると、快く承知してくれた。

「仮縫いが終わったらお持ちしますね!」

 社交の予定はまだ立っていないが、その時のためのドレスはあったほうがいい。

 だから当面は気軽にお茶を、とはいかないが、その後は喜んで、と笑ってくれた。

「お義母様も、一緒にしてくださると嬉しいです」

 年上の女性とのお茶は、公爵夫人くらいしか経験がない。

 エリジャのおかげで同世代とのお喋りはたまに楽しめたが、それも普通の令嬢に比べれば少ないほうだろう。

 ジェレミアの所作は参考になるし、こうやって機会をつくれば、義母も個人的にユニを誘いやすくなるはずだ。

「ええ、勿論」

 アルフラッドからノウの家庭事情を聞いているから、というのもあるが、断られるかもしれない、とあきらめの見える表情で頼まれると、すぐに返事をしてしまう。

 多少食い気味だったが、ノウにはそのほうがいいらしく、あからさまにほっとした顔になった。

 もっと遠慮なく行動していいのに、と少々の苛立ちはあるが、いきなり要求しても難しいことも理解している。

 今のところ彼女が望むのは、伯爵夫人としては些細なものばかりだ。

 昨日はずっと飲みたかった酒を飲んだせいで二日酔い気味で、あまり相手ができなかった。

 悪かったと思ったが、休ませるのにちょうどいいとも考えた。

 だが、夕方に一日の様子を聞いてみれば、使用人の顔と名前を覚えるべく、挨拶して回っていたという。

 自室にもどってから、一人ずつの名前と特徴をメモしていったと報告を受けて、真面目さに感心しつつ、やはり当分無理はさせられないと感じた。

 あれこれメモしたために、部屋に備えておいた紙を使い果たしてしまい、申しわけなさそうに紙を頼んできたと聞いて、どれだけ我慢を強いられた生活だったのかと、顔も知らない彼女の両親に毒づいた。

 趣味がまったくわからなかったので、ごくごくありふれた紙とペンしか用意していなかったのだが、もっと装飾の凝った紙を用意するように言いつけた。

 ついでにペンも、軸の部分がノウの色──アルフラッドは色気もなく火口と評したが──を注文しておいた。

 本当は選ばせてやりたいが、間違いなく恐縮するだろうから、まずはこちらからどんどん与えてみる作戦だ。

 そうこうしているうちに、よく使うものが必ず出てくる。

 息子しかいなかったから、一緒に買い物だとか、そういうことはほとんどしなかった。

 領主代行として忙しくしていたのもあるが、今となっては悔いるばかりだ。

 アルフラッドを息子の代わりにする気はないし、ノウのことだってそうだ。

 けれど──二度と、後悔はしたくない。

 突然嫁を連れて帰ると手紙を受けとった時は、どう接しようか悩んだが、想像以上にいい娘だ。

 おとなしすぎるところは引っかかるが、知識欲はあるし、真面目すぎるが熱心でもある。

 少なくとも、過去アルフラッドの婚約者に──と周囲から勧められた娘たちよりは、断然好感が持てる。

「あの……では、わたしは図書室に行ってきます」

 午後の予定は特にないと告げると、ノウはそう返してきた。

 勤勉さは評価できるが、彼女の性格からして、書庫へ行ったら夕食時まで出てこないだろう。

「その前にお茶につきあってちょうだい、話してばかりだったから」

 時間的にもちょうどいいので誘いをかけると、ノウは素直にはい、と頷く。

 疑うことなくついてくるノウに、なんとなく小動物的な雰囲気を感じるジェレミアだった。

 こう……小型犬のイメージなんです。

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