朝の一大事
「……そういう感じの今日でした」
夜、寝る前のひととき。
寝台に腰かけての会話で、ノウは一日のできごとをアルフラッドに話していた。
旅の間に長く一緒にいたこともあり、話すことに苦労はなくなっている。
「休むように気を遣われたのでしょうか……」
二日酔いだと言っていたが、本当なのかはわからない。
初日も飲んでいるから挨拶はあとで、と止められたが、それも怪しいところだ。
嫌われてはいないと思っていたが、内心では顔も見たくないと考えているのでは……と、どんどん思考が落ちそうになる。
だが、アルフラッドはきっぱりと、嫌ってるはずはない、と断言した。
「あのひとが本気で腹芸をしたら、正直俺でもわからんが……酒に弱いのは本当だ」
いわく、ジェレミアは酒が好きなのだが、めっぽう弱いのだという。
泥酔するような真似はしないが、そもそも飲める量が少ないらしい。
そのため、本人が飲みたい量を飲むと、翌日はほぼ二日酔いになってしまう。
この地に嫁いできた理由も、酒の噂を聞いたからもあるようだ。
アルフラッドが都にいた間は、領主代理を務める必要があり、禁酒状態だった。
今は翌日潰れても問題ないので、使用人も止めずにいるらしい。
「だから、気にしなくていいぞ」
「は、はぁ……」
色々と物言いたい部分はあるが、とりあえずうなずいておく。
アルフラッドのほうはと問うと、事務仕事ばかりであまり面白いことはなかったと返ってきた。
たしかに、領主の仕事で特別なことが起きると、概ね悪いことだろうから、そのほうがいいのだろう。
地道な作業ばかりしばらく続くが、帰宅時間は遅くならないと言われて、ほっとしてしまう。
甘えてばかりいられないとは思うのだが、外との接触もあまりなかった生活だったので、まだ他者には気後れするのだ。
三人での夕食も楽しいが、こうして二人きりで、些細なことを共有する時間が、ノウはとても気にいっていた。
穏やかに訪れる眠気に抗うこともなく、優しいお休みの声を聞いて床に入る。
誰からも罵倒されない、翌朝のことを憂う必要もない。
やんわりと頭をなでられて、穏やかに眠りについた。
そして翌朝は、アルフラッドに頼んで同じ時間に起こしてもらった。
運動用の服はないが、実家で着ていた普通の格好なら問題ないだろうとひっぱりだす。
「無理をしないで眠っていてもいいんだぞ?」
いつもより一時間ほど早いためか、アルフラッドはしきりに気にしているが、特に無理はしていない。
実家ではこれくらいに起きて、使用人を手伝っていたこともあるのだ。
どのみち邸にいるのだから、ノウは途中で休むこともできる。
アルフラッドは自分につきあって、朝の鍛錬に参加できていないのだから、そのほうが問題だ。
……と正直に口にすると困らせるので、機能訓練までにもできることをしたいから、と申し出た。
使用人たちも朝の鍛錬に混じっているから、参加自体は問題なかった。
といっても、ヒセラたちが行うのは準備体操のようなものだけだが、しておくといい、という論があるそうで、結構な人数が参加している。
ノウもそれに混ざって、見よう見まねで体操をした。
嫌がられるかと危惧していたが、そもそも主のアルフラッドが率先して参加しているので、皆すんなり受け入れてくれた。
きちんと手足を伸ばして動くとなかなか疲労するし、あまり使わない部分も伸ばしているから、効き目はありそうだ。
慣れるまでは基本的なものだけにしましょうと言われ、あとは木陰の椅子で見学する。
本当に自由参加らしく、基本だけで仕事にもどるもの、二人ひと組でさらに続けるもの、鍛錬に混じって邸の周りを走るもの、様々だ。
それらが一通り終わると、今度は邸の警備をしている面々による鍛錬がはじまる。
日によって内容は変わるらしく、今日は体術の鍛錬らしい。
皆武器は持たず、己の身ひとつで一対一の手合わせをはじめていった。
そんな中、ノウが見てしまうのは、どうしてもアルフラッドの姿だった。
教える側にいるらしい彼は、若い面々に稽古をつけていく。
突進してくる彼らを軽々といなし、かと思った直後には、あっさりと大きな身体をひっくり返す。
相手の力を利用すると、こちらの力はほとんどかけずにできるとは聞いたことがあるが、まるで魔法のようだ。
「次はこちらからだ、いいな?」
声をかけると、今度はアルフラッドから仕掛けていく。
防御にまわるがわは、とても反撃できず、じりじりと後退していってしまう。
「実戦ではそうもいかないぞ、……ほら」
アルフラッドは余裕の表情で、隙を指摘し攻撃する。
次々と相手を変えていくが、少しも疲れた様子はなく、負けることもなかった。
旅の間、襲撃された時は、混乱していたし、のんきに見物、などというわけにもいかなかった。
だから、戦う姿をきちんと見たのははじめてで、副隊長にまでなった事実を、今さらながら実感する。
領主にならなければ、きっと今も、どこかの地を守っていたのだろう。
そうすれば、自分と出会うこともなかった。
アルフラッドにすれば望まぬ地位かもしれないが、ノウにとっては、巡り合わせに感謝する以外ない。
あまり熱心に見つめていたからだろう、ふっと視線を寄越したアルフラッドが、ノウに笑ってみせる。
──直後、心拍数が一気に倍になった気がした。
赤面していく頬を自覚し、慌てて顔に手を当ててうつむくと、傍らのヒセラが声をかけてくる。
「どうされました~?」
「あ……いえ、その、……フラッド様が、格好よくて」
なんと答えるべきか少し悩んだが、結局すなおに呟いてしまった。
戦う姿は勿論だし、そのあと視線に気づいて微笑んでくれたのも嬉しかった。
おかしなことを言ったかとひやひやしたが、
「わかります~私も毎日夫に惚れなおしますから~」
力強く頷いて同意するヒセラの「惚れ直す」という言葉に、はたと気づいた。
ちゃんと自分を見てくれて、声をかけてくれる。
そんな経験が今までなかったから、こんな気持ちになるのだと思っていた。
だが、それだけだったら、胸がどきどきしたり、側にいてほしいと思ったりするだろうか。
側で眠っても不安になるどころか安心するとか、頭をなでてもらうと嬉しいとか。
それは──恋といえるのではないか。
「結婚してから、好きだって思うなんて……変じゃないかしら」
唐突に自覚した想いに、ノウは覚えず口走る。
しまったと気づいた時には遅かったが、ヒセラは不審がることなく、いいえ、と首をふった。
「ちっともヘンじゃないですよ~むしろ、いいことです~」
そもそも結婚する前は恋愛感情がなかったわけだが、そこは知られるわけにはいかない。
……好きだ、と、自分で口にしておきながら、腑に落ちて驚いてしまう。
今までだって好意は持っていた。心配してくれて優しく接してくれるのだから、当然だ。
けれどその感情は、たとえば雛が親になつくような、そんなものだと思っていた。
そうでなければならない、と信じこんでいたのもあるかもしれない。
だが、少しずつ、その好きは形を変えていて──
「日差しが強くなってきたが、大丈夫か?」
こんなふうに声をかけられて、見つめられると、どうしていいかわからなくなる。
アルフラッドはノウに対して恋愛感情を持つはずがないのに。
それどころか、自分がそんなふうに想っても、迷惑なだけなのに──
一度に溢れた感情を制御できず、押し黙ってしまうノウに、アルフラッドは眉を寄せた。
怒っているようにも見えるが、しばらく一緒にいたからわかる、これは心配している時のものだ。
「ノウ? やはり体調が悪くなったんじゃ……」
「いえ、大丈夫です、その……」
「ちょっと女同士の内緒話をしていたんですよ~」
言い淀むノウに、すかさずヒセラが助け船を出してくれる。
先ほどの会話は秘密にしてくれそうで、ほっと息をついた。
アルフラッドは怪訝そうにしていたが、大丈夫ですと再度言えば、そうか、と納得したらしい。
「だが、あまりいてもよくない。俺ももうすぐもどるから、先に中へ入っているといい」
ぽんぽんと、すっかり癖になったのだろう、頭をなでてくる。
後ろでは、その様子を見ていた面々が微笑ましいものを見る顔をしていて、いたたまれなくなる。
唐突に自覚した恋心は、けれど、伝えるわけにはいかない。
救いたいと申し出てくれた形式的な結婚なのだ、本当に好きになってしまったなんて、言えるわけがない。
せめて役に立たなくてはと、何度目かの決意をしながら、ヒセラに促されて中へもどることにした。
格好いいところを見ると、いきなり自覚することってありますよね。