二日目
目を覚まして時刻を確認すれば、ほぼ同じなのは常のことだ。
そっと隣を窺うと、まだ眠っているようで、これもいつもどおり。
なにもなければもうしばらく寝ているはずなので、昨日と同じように、軽く邸の周囲を走るだけにとどめておく。
もどってきた時も、まだノウは同じ姿勢のままだった。
不寝番をしたわけではないから、定かではないが、寝返りをあまり打っていないように感じる。
傷を下にした場合、どれくらい痛みがあるのか、確認したほうがいいかもしれない。
そんなことを考えつつ、寝台に腰かけてぼんやりとする。
いつもならこの時間は護衛たちと朝の鍛錬をしている。
雨などで時間が短くなった時などは、過去の資料などを読むことが多かった。
だが、ノウの前でそれをすれば、本人もやりたがるので、意図的に書類は遠ざけている。
そうなるとすることがなくて手持ち無沙汰なのだが、待機すること自体は職業柄苦痛ではない。
ぼんやりしながら、こんな時間を持つのはずいぶん久しぶりだと気がついた。
なにせにわか領主だ、覚えるべきことはいくらでもある。
ジェレミアの補佐もあるし、優秀な人材も揃っているから、急がなくていいと言われるが、それで迷惑を被るのは下の者たちだ。
そこにいたからこそ、自分はきちんとしていたい、と思って突き進んでいた。
働くこと自体に苦痛を感じてはいなかったが、無為に過ぎる時間は、思ったより悪くない。
母が生きていたころ、会いに行くと、こんなふうにしていた記憶が蘇る。
離れていた間にあったことを話そうとしたり、女一人では困るだろう力仕事をしようとする自分に、ゆったり微笑んでお茶を煎れてくれた。
穏やかな気持ちで想起できるようになったのは、時間の経過だけではなく、ノウの存在があるからだろう。
話しづらかった母との記憶を共有してくれた彼女だからこそ──
──と、気配が動き、覚醒を悟る。
目を開けたノウは、慎重な動きで半身を起こして、それからアルフラッドに気がついた。
「おはよう」
「おはよう……ございます。どうしてここに?」
ぼんやりしつつも挨拶を返してから、するりと疑問が落ちた。
寝起きで覚醒しきっていなかったために、言葉を飾ることもしないまま。
「……俺の寝室でもあるんだし、そんなに変か?」
アルフラッドの苦笑を眺めているうちに、徐々に意識がはっきりしてくる。
「す……すみません、起きた時にいらっしゃったので、つい」
慌てて謝る、今のは失言がすぎた。
しかし旅の間はずっと、朝起きると姿がなかった。
ナディいわく朝の鍛錬をしているという話だったし、起きれば気配を察した彼女がすぐ声をかけてくれたから、不安に思うこともなかった。
身支度などで気を遣わせているのだろうと考えていたし、いないことが当然になっていた。
「眠っているノウを放ってどこかへ行くのも、どうかと思ってな」
昨夜不安だったと打ち明けたせいだろうか、と想像する。
優しいアルフラッドなら、ありそうな理由だ。
行く場所はわかっているのだし、気にしないのだが、そう進言すべきだろうか。
「皆にも怒られたし……俺も尤もだと考え直したんだ」
「みなさん……ですか」
ということは、使用人たちだろう、ジェレミアなら表現が変わるはずだ。
たしかに、仮初めの夫婦だと知らなければ、怒るかもしれない。
新婚早々、仲が悪いととられる行動は避けたほうが無難だろう。
だから、アルフラッドは今ここにいてくれる。
納得する一方で、ちくりと胸に芽生える寂しさを、ノウは強引に押しこめる。
「まだ時間はあるから、ゆっくり支度するといい」
アルフラッドはそう言うと、自分の部屋のほうへ行ってしまう。
はい、とものわかりよくうなずいてから、小さくため息をついた。
……がっかりするなんて、わきまえていないとわかっている。
それなのに、あまりに居心地がいいものだから、つい高望みしてしまうのだ。
上の空のまま入室を請うノックに応えたため、ヒセラに見咎められてしまった。
「具合でもわるいんですか~?」
心配そうな声かけに、はっと気づいて慌てて手をふる。
慌てて支度を整えるが、どうやらジェレミアに合わせて、朝はそこまで早くないらしい。
果樹の世話で必要とあらば早起きするらしいが、そうでない時は結構ギリギリなのだという。
とはいえ、貴族としては普通の時間帯だ、ノウもそうだが、アルフラッドが早すぎるだけで。
三人そろって朝食となるが、食べている間はあまり会話はしない。
二人とも食事に熱心なので、ノウもそれにならっているのだ。
話しはじめるのは終わりごろ、という流れが大分つかめてきた。
今朝はジェレミアの表情が冴えないので、話しかけるのも躊躇われて、なおさら会話が減る。
しかし、流れる空気にひりついたものはなく、これはこれでいいらしい。
食事の間に喋ることを考えておけるので、ノウにとってもありがたかったりする。
「あの……フラッド様」
ただ、言うべきことに気をとられて、つい愛称で呼んでしまった。
ジェレミアがおや、という顔で見てきて訂正しようとするものの、アルフラッドが嬉しそうにしたものだから、結局そのままになってしまう。
ここでまたアルフラッド呼びにもどるのもおかしいので、ここは押し通すことにした。
「わたしも朝の鍛錬? に、混ぜてもらうことはできますか?」
自分が起きるまでそばにいてくれるのは、嬉しいことだが申しわけなくもある。
それなら、同じくらいの時間に起きて、一緒に運動をすればいいと思ったのだ。
ただ、彼らがなにをしているか、具体的に知らないので、ノウが混じっていいものかはわからない。
特殊な訓練となると、護身術すら身につけていないからどうしようもないし。
「ああ、ノウから言いだしてくれたなら、ちょうどいい」
駄目でもともとのつもりだったのだが、意外にもアルフラッドは乗り気らしい。
「機能訓練をしないか?」
「……機能訓練?」
聞き慣れない言葉に首をかしげてしまう。
「怪我が治ったあと、歩く訓練だとかをした記憶は?」
「いえ……特には」
覚えているほど特別なことをしてはいない、と思う。
正直に答えると、やっぱりな、とうなずかれた。
いわく、ノウの動きは左右で微妙にずれているらしい。
怪我のために左を庇う癖がついてしまい、そのためだろうということだ。
だが、日常生活に問題がないと断言されているなら、ずれたままのほうが悪影響らしい。
「きちんとした動きを身につければ、健康な者と同じとまではいかなくても、大分楽になるはずだ」
アルフラッドはかつて、諸々の事情で障害を持った同僚が復帰するのを見てきたという。
彼らはみな、怪我をしたあとに色々な訓練をして、もとどおりに近い状態まで戻したらしい。
戦時でもない今は特に、人間を道具のように使い捨てるわけにはいかない。
退役した者もいるが、復帰した者も多いのだという。
「機能訓練に従事していた者を招けることになったんだ」
その人物のおかげで復帰した者は数多く、実績も十分。
診察しなければはっきり言えないが、よくなる可能性は高いというのが、アルフラッドの見立てだった。
「それなら、ぜひ、お願いします」
ノウとしても願ってもない話だ。
傷自体は治らなくても、体力をつけていけば、アルフラッドにかける迷惑も減る。
「乗り気なのはいいけど、旅の疲れがとれるまでは、許可できないわよ」
やんわりとジェレミアに窘められて、はい、とうなずくが、高揚する気持ちは抑えづらい。
「そこは大丈夫、返事はもらえたが、到着には数日かかるから」
今いるのは離れた場所らしく、それを聞いたジェレミアは、ならちょうどいいわ、と納得した。
そんなこんなで、この日の朝食も終了し、アルフラッドは仕事へむかった。
ジェレミアは二日酔いだと言葉少なに呟いて部屋に引っ込んでしまったので、ノウは昨日に引き続き、邸を案内してもらうことにした。
ついでに使用人たちと挨拶もしていき、名前と顔を覚え、自室のメモにきちんと書き記していく。
昼には復活したジェレミアと昼食を共にして、そのあとは果樹園を見せてもらった。
二日酔い明けのジェレミアに案内を頼むのは気が引けたので、庭師に頼んだのだが、色々な果樹が植えられており、ぜひとも教えてもらおうと思うに十分だった。
そのせいもあり、一日でたくさんメモをとってしまい、こわごわ追加の紙を頼む羽目になった。
けれどメイド長はにっこり笑顔で請け負ってくれた、ただし、夜中は駄目ですよ、としっかり釘を刺されたが。
こんなふうにして、二日目も穏やかに過ぎていった。