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お休みなさいの前に

 寝る支度を終えると、おずおず隣の部屋の扉をノックした。

 数秒後開いた扉の先では、アルフラッドが苦笑を浮かべていた。

「ノウの部屋でもあるんだから、好きな時に開けていいんだぞ」

「理屈ではわかっているのですけれど……」

 自分の部屋と使用人の使う場所以外は、気軽に入れなかった時代が長すぎて、どうにも気後れしてしまう。

 この屋敷の者からは、基本的にどの部屋も出入り自由と言われたとしてもだ。

 昨夜は通りすぎるだけだった部屋は、寝台以外は変わった部分はない。

 あの大きな寝台を撤去して、一人用が二台並んでいる。そのため、部屋の占有ぶりは同じようなものだ。

 こんな面倒をさせて申し訳ない気持ちだが、これくらいかわいいものだとアルフラッドは言う。

「急な無茶振りに、使用人だけでは手が足りず、警備の俺たちまで駆り出されたこともあるからな」

 それに比べればなんてことはないし、むしろ、配慮が足りなかったとメイド長は恐縮していたくらいだ。

 ノウに謝罪すればお互いに頭の下げあいになるので、やめておけと止めたので彼女は知らないままだが。

 アルフラッドがさっさと左の寝台に腰を落ち着けたので、ノウは必然的に右側に腰かけた。

 間には隙間があるので、むかいあわせになってもなんとか足はぶつからない。

 とはいえアルフラッドは背も高いため足も長い、大分窮屈そうだ。

「あの……お仕事は、どうでした?」

 先ほどはノウのことばかり聞かれたので、今度は逆に問うてみる。

「特にどうとはなかったな、あのひとがきっちりやっていたから」

 ジェレミアのほうが慣れているし有能というのは間違いないのだろう。

 仕事自体は問題なかったのだが、帰ってきた領主が妻を連れていたという話はすでに広まっており、あちこちで捕まって大変だった。

 今まで色恋沙汰とは無縁だったのに、一足飛びに妻となれば、色めき立つのも理解はできる。

 部下にざっくり説明したので、あとはそれが広まるのを待てばいいが、それまでは同じ話の繰り返しになるだろう。

 アルフラッドの部下たちは結婚について好意的だったから、機会を見て幾度か公の場に連れて行けばいいだろう。

 ただ、顔を合わせなかった面倒な連中に関しては、簡単にはいかないが、それは今後の話だ。

「早く帰れとせっつかれたりしたな、新鮮だった」

 今までは控えめに進言されることはあったが、強く出る者はいなかった。

 けれど今日は、遠方からわざわざ嫁いできた新妻を放置するなんてと言われてしまった。

「幸い、急ぐ仕事はなかったから、甘えて帰宅したわけだ」

「……では、いつもはもっと遅いんですか?」

 邸で仕事をしていた両親は、さほど遅くまで仕事をしていた様子はない。

 夕食前には終わらせて、夜会がある時はその準備、そうでなくても人脈を広げるべく活動していた。

 とはいえ仕事を疎かにしていたわけではないし、むしろ評価されるために努力していたので、時間も長いほうだったのだろう。

「そうだな……夕食に間に合わないこともある」

 ここにきてから、ジェレミアと夕食の席を一緒にしているというが、べつに会話が盛りあがるわけでもない。

 仕事の話は資料などもあるから、書斎でするのがいつのまにか決まっていたし。

「別々に食べると給仕と片づけが大変だからと叱られてばかりだったな」

 ……それは、勿論本当だろうが、アルフラッドが早く帰宅するようにとの配慮もあるのだろう。

 ジェレミアが言うだけでは効果が薄そうだが、使用人の迷惑を表に出せば、彼は気にする。

 それでも、片づきそうな仕事があると、つい手をつけてしまい、遅くなることも多かったらしい。

 健康には気を遣っているだろうし、軍人経験もあるのだから、無理も無茶もしないとは思うが、やはり心配になる。

「……今日は、本当に、のんびりさせてもらって、顔を合わせたみなさん、丁寧に接してくれました」

 いきなりやってきた妻という存在を邪険にせず、それどころか歓迎してくれる。

 思うところもいくらかあるだろうが、表に出すことはない。

 邸の使用人はみんな優しかったが、ノウの噂は社交界では周知の事実だったので、時には貴族の従者にも嘲笑されることがあった。

 身分も低いため、体調を崩した時に冷遇されたこともある。

 きっとこの屋敷の者にしてみれば、当然の対応だったのだろうが、ノウにはとても嬉しかったのだ。

「でも、それでも──あまり、知らないかたですから……」

 最初から打ち解けられるほど、ノウも積極的ではないし、どうしても引いてしまう。

 主であるノウがなにも言わなければ、使用人たちもそこまで会話することもない。

 これから少しずつ歩み寄っていけるとは思うが、初日では無理な話だ。

 馴染んでいるナディはまだ休みだし、自分の都合で出てこさせたくもない。

「だから、今日、帰ってきたフラッド様を見て、とても安心できて、それで、あの……」

 言いたいことは決まっているのだが、なかなか言葉が出てこない。

 膝の上で手をにぎりしめて、たっぷり数十秒躊躇った。

 その間も、アルフラッドは決して急かさず、ノウのことを待ってくれる。

 心地よい空気と穏やかな雰囲気に、ようやく言葉を発することができた。

「その……もう、少しの間だけでいいので、早く帰ってきていただけると……嬉しいです」

 ジェレミアに頼まれただけでなく、ノウ自身がそう願っているから。

「わがままなのは、承知しているのですけれど……」

 謝りたいが禁止されているので使えず、おそるおそる顔色を窺う。

 だが、アルフラッドは穏やかな顔のままで、わかった、とうなずいた。

「急な災害が起きればそっちへ行くが……そうでない時は今日くらいに帰ろう」

「──! ありがとうございます」

 ほっとして礼を述べると、正面から静かに伸びてきた腕が、柔らかく頭をなでてくれる。

「我が儘なんかじゃないから、気にしなくていい。慣れない場所にきたんだから当然だ」

 どんなに親切にされても、至れり尽くせりでも、本人が落ちつくかどうかは別問題だ。

 今までが酷かったとはいえ、それに慣れきっているノウにしてみれば、この状況はむしろ負担になるだろう。

 誰にも言えずに我慢して壊れてしまっては、後悔するどころではない。

「ちゃんとそう言ってもらえて、むしろ嬉しい。俺はどうにも、そういうのは無頓着だからな」

 なにせあちこちへ出向いていたから、どこでも寝る場所さえあれば十分なのだ。

 ベッドがなくても床でも眠れるし、知らない者ばかりの中に放りこまれたこともある。

 慣れない、落ちつかないなんて、言っている状況にはなかった。

 だが、それはあくまで特殊な話で、誰も彼もそれに慣れろと言う気はない。

「いい領主でいたいからな、そのためには妻の協力は不可欠だ、よろしく頼む」

 ノウが気にしないように、軽く、冗談のような口ぶりで頼めば、小さく笑ってくれる。

 今も領民からの印象は悪くないが、愛妻家の印象もつけば、さらによくなるだろう。

 先代も無能ではなかったが、わざわざ民になにかする、ということはなかった。

 歴史を守るように動きはしたが、逆を言えばそれだけで、よりよくしようという動きはなかった。

 建造物も、歴史的なものの保持には躍起になったが、生活を便利にするものには無頓着で。

 ただ、それらをすれば結果的に領地の印象がよくなると進言されれば、詳細は気にせず許可を出したので、下の者にとってはやりやすい領主でもあった。

 その分、小さな横領なども多々あったため、代理として動きだしたころのジェレミアは大変だったらしいが。

 アルフラッドは細かい帳面の確認は苦手だが、人を見る目はそれなりに鍛えられている。

 実務面ではジェレミアという強力な味方がいるし、まだ働かせるつもりはないが、ノウも事務処理はアルフラッドより的確だろう。

 旅の間に話している時の彼女は、経理の話も熱心に聞いて、質問までしたほどだ。

 そのため、途中からアルフラッドの手に負えず、カーツに教師役を頼みこんだ。

 宿に早めについた時などは、まるで授業のように、メモをとるノウの姿があった。

 あとでカーツに聞いたところ、十二分な能力を持っていると断言された。

 商会の経理を頼んでもいいくらいですと手放しで褒めていたので、信用していいだろう。

 ただしこのあたりのことは、本人にはまだ教えていない、絶対にやりたがるからだ。

 うとうとしだしたノウに中へ入るよう声をかけると、素直にうなずいてシーツにもぐりこむ。

 いつもどおり傷を上にして横になり、ぼんやりした目がアルフラッドにむいた。

「おやすみなさいませ、フラッド様」

 少しだけたどたどしい声で挨拶され、覚えず笑みを浮かべてしまう。

「ああ、お休み」

 アルフラッドが隣にいても、すっかり安眠できるようになってくれた。

 そのことにほっとして、自身も横になる。

 どの向きでも眠れるから、ノウの様子が確認できるよう、左を下にする。

 心臓が下だと嫌がる者も多いが、少々の違和感で眠れないほどではない。

 目の前で規則的に揺れる動きを追いながら目を閉じると、すぐに眠りに落ちた。

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