めまぐるしい一日
領主としては新人だが、軍にいたからということもあり、上が動かないといつまでも片づかないと痛感しているアルフラッドは、東で果樹に病気と聞けば行き、西の崖が崩れそうとなると赴きーーとにかくすぐさま駆けつけてしまう。
そして、必要とあらばその場で即決するのだ。
災害につながることがらや、緊急の要件であれば、民衆にとってこれほどありがたいことはない。
しかし、報告があがるやいなや、馬に乗って現場に行くものだから、ついていくほうは大変だ。
いくら一人で熊に相対できるとはいえ(こちらでもその話は有名らしい)領主を一人で行かせるわけにはいかない。
そして、現場の者も、まさかすぐに領主自らやってくるとは想像していないので、大騒ぎになってしまう。
状況を伝えるなら誰でもいいとアルフラッドが言ったとしても、それなりも役職にある者が迎えるべきだとなり、誰が行くかとなったりもする。
報告を無視されないのは嬉しいが、せめて先触れを! という現場の悲鳴がしばらく多かったらしい。
最近は領主がそうであると知られてきたし、陳情を先に見た部下が、これは直接行きそうだと予想して先触れを出したりするという。
「してることは間違ってないから、文句を言うわけにもいかないのよ」
誰も悪くないので、困ってしまうわけだ。
思い起こせば、旅の間もそういうことが多かった。
「盗賊が出た時もまっさきに走っていきましたし……そういうかたなんでしょうね」
まっさきに思い出したのは、襲撃された時のことだ。
生まれ持ったものと、軍時代に養われたものの両方ならば、直すというのも難しい。
迂闊に忠告してやる気を削ぐわけにもいかず、止められる存在もいないから、どうしようもないわけだ。
カーツたちも小言は漏らしていたが、あからさまに制止したりはしなかった。
「……まさか、あなたを放っていったの?」
なんとなく口をついた言葉だったが、聞き捨てならなかったのか、ジェレミアの目が鋭くなる。
たしかに今の言葉だけでは誤解を招くと、ノウは慌てて説明した。
その時には周囲の敵は一掃されていたし、ちゃんとナディも残してくれたと告げれば、険しい顔はひとまず落ちついた。
「とにかくそういうわけで、働きすぎなのよ、あのバカは」
遠慮のない物言いだが、嫌悪の感情は見えない。
ジェレミアなりにアルフラッドを案じているのだろう。
もっとも、本人より、まきこまれる周囲のほうをより慮っているのかもしれないが。
「……私が言っても聞かないけれど、あなたなら、早く帰ってきてと頼んでも問題ないわ」
立場上妻だし、新婚でもある。あくまで書類上だが、ジェレミアはそのことを知らない。
遠く離れた地へ一人で嫁いできた妻が、夫に早めの帰宅を願う──まあ、ごく自然なことだ。
アルフラッド一人が苦労するなら、本人の問題だから放っておいてもいい、とジェレミアは考えているが、この件に関してはたくさんの人間が関わってくる。
「おかげで事後処理も多くなって、私も大変なのよ」
なにより、補佐をしているジェレミアにもとばっちりがくるわけだ。
勿論、緊急性の高いものに関しては、彼女だって即座に動くべきだと思っている。
だが今のアルフラッドはなんでもかんでもすぐ解決しようとするので、下の者の負担が大きい。
毎日のように予定外の報告書までやらされれば、いくら民衆のためと理解していても、仕事が嫌になりかねない。
ひいては、領主への不満が高まってしまう、それは、避けるべき事態だ。
「もう少し慣れればそのへんの采配もできると思うけど」
今はまだ、愚直にすべてに全力でむかっていってしまう。
体力があるからできることだが、誰もがそうとはかぎらない。
そして、いくら健康体だといっても、慣れない領主業は負担になるはずだ。
ある日突然倒れられでもしたら、さらに大変なことになる。
「ということで、お願いするわ」
「それは……わかりました、けど」
大切なことは納得したし、アルフラッドに声をかけることにも異論はない。
だが、仕事というにはあまりに簡単すぎる。
それだけでおしまいとは流石に納得できない。
他になにか……と言い募ろうと思っているところに、医者がこちらにやってきたと告げられる。
ひとまず会話は切りあげられ、ノウは伯爵家の主治医と対面した。
壮年の医師による診察は問題なく終了した。
あらかじめ傷のことなどをまとめておいたので、それを見せたこともあり、すんなり進んだ。
医師は傷についてあれこれ言うことはなかったので、ノウにはありがたかった。
ノウによるまとめと診察を終えた医師は、日常生活には問題ないでしょう、と断言してくれる。
ただ、今は旅の疲労もあるだろうし、気候は都とさほど変わらなくても、環境の変化は大きい。
のんびり初夏のクレーモンス領を楽しんでください、と穏やかな笑顔で言われてしまった。
もう少しすると、蒸留酒の主軸となる玉蜀黍の収穫がはじまり、その後は加工へと忙しくなるから、とも。
都にいた時に世話になった医師は、はじめは公爵家が懇意にしている者だったが、代替わりと共に変更され、以後は実家が世話になっている医師になった。
両親からなにか言われていたのだろう、最低限の会話だけで、あまり関わろうとはしなかった。
こんなふうに温かい言葉をかけられたことは勿論なかったので、どう反応していいかわからなくなったが、医師はそれを、慣れない土地へきた不安と受けとったらしい。
あとでジェレミアにもそう報告したため、やはり当分仕事はさせずにいようと決まったわけだが──
ノウの診察のあとはジェレミアと、こちらは診察より雑談が多いらしい──が終わるころには、時刻は昼近くなっていて、一階の主な施設を案内してもらって終了してしまう。
昼も朝と同じ食堂で、ジェレミアと二人でとった。
「あの……午後のお義母様のご予定は?」
聞いてから自分がどうするか判断しようと思ったのだが、
「もう少ししたらお抱えのデザイナーがくるから、ドレスを見繕うわよ」
こともなげに言われたが、ジェレミアのドレスではないだろう。
必要なのはわかっているが、まさかこんなにすぐとは思っていなかったので、驚いてしまう。
ジェレミアの言うとおり、昼食を終えてしばらくすると、くだんのデザイナーが到着した。
デザイナーはまだ若く、やる気に満ちている様子で、ノウとしては少し気後れしてしまう。
挨拶をすませて早速採寸を、となったわけだが、本当なら下着姿になるべきでも、ノウにはそれができない。
しかし、そのあたりはおりこみずみだったらしい。
ヒセラが持ってきた紙には、ノウの詳細なサイズが記入されていた。──先ほどの診察時に計ったらしい。
どうりで、やたらとあちこち計測されたはずだと納得する。
それを見れば、傷を見せるところまで脱がなくても、身体のサイズは把握できるというわけだ。
採寸の問題は解決しても、着る服にも制限がついてしまう。
「ごめんなさい、面白くない注文ばかりで……」
本来なら領主夫人というのは、地方の流行を牽引するくらいの気概が必要だ。
だがジェレミアは喪服を貫き通しているし、ノウは首もなるべく出さずに、腕も露出しない格好を望んでいる。
デザイナーにとっては、自分の思うようにできなくて不満だろう。
しかし、ユニと名乗ったデザイナーは、にっこりと挑戦的な笑みを浮かべた。
「それくらいで文句を言うような奴は本職とは言えません。着る本人の要望を聞きつつ、当人の魅力を最大限に発揮する──それができなければ!」
むしろ制限があるほうが燃えます、と言い放ち、色の好みなどを聞かれたが、今まで考えたこともないので正直に話すと、なら一着ずつ別の色にしましょう! となってしまった。
一緒にいたジェレミアに止めてもらおうと目をやるが、彼女は彼女で、とりあえずと持ってきた吊るしのドレスから何枚も引っこ抜いているところだった。
「思いついた分、とりあえず全部つくってちょうだい。ろくなドレスがないから、遠慮はいらないわ」
「かしこまりました、お好みがないとのことですので、雰囲気を変えて何枚かおつくりします」
「ええ、そうして。とりあえず普段着を。そこから好みがつかめたら、夜会ドレスもね」
「お義母様……!」
止めてほしいという願いは儚く散った。
それどころか、当座しのげればいいはずのドレスも十枚以上選んでいて、どう考えても多すぎる。
「いいから、片端から試してみなさい」
吊るしとはいえ令嬢が着るものだから、今までノウが着ていたドレスより高額だ。
細かい部分に施された装飾も丁寧な仕事で素敵だが、それはあくまで見る分にはだ。
こちらもきちんと伝達されていたのだろう、露出の低い衣装ばかりだし、派手な色も少ない。
高価なドレスに抵抗のあるノウにも着やすいようにという配慮だろう。
だが、いくら見た目が落ちついていても、さわった感触や細部に目をやれば、手が込んでいることは明らかで。
夜会の時くらいしか着ることを許されなかったので、気後れしてしまう。
けれど、立場を考えれば、これらに尻込みしていてはいけないことも理解している。
懊悩するノウに、選んだドレスを別にしてもらいながら、ジェレミアが言う。
「これらを毎日着てみて、どれが好きかわかるようになることが最初の宿題よ」
なんとも変わった宿題だが、嫌です、とも言えない。
「でも、どれも素敵なので……選ぶなんてできるでしょうか」
思わず正直に呟くと、それでもいいのよ、と返ってくる。
「最終的には全部気に入ったでもいいわ。とにかく、着心地でもなんでも、順序をつけて考えてごらんなさい」
ジェレミアがなにを考えてそう言っているのかは、この時のノウにはよくわからなかった。
選ぶことを許されず、最初から選択しなくなっている彼女をなんとかしようと思ってのことだと知るのは、ノウがそれをできるようになってから。
だからこの時は言われるままに、とりあえずにしては多いドレスを買うことになるのだった。
『これ「で」いい』と『これ「が」いい』
そもそもノウには「で」すらなかったわけですが。