文句やら、お願いやら
「まあ……思うところは色々、いろいろ、あるけど」
二度繰り返しつつ据わった目で呟く姿に情は見えない。
嫁いできたら前の妻をひどい理由で追いだして、息子は跡継ぎだからと離れに置いていると知ったら、一般的にはどうかと思うだろう。
しかもその男の子も、自分が息子を産んだ途端、お役御免と生母に返したのだ。
いくら貴族社会といっても、想いあっている両親から生まれたジェレミアには、許しがたいものだったことは想像に難くない。
「能力を買われて最初から領地運営に携われたから、そこに文句はないわ」
仕事が好きだというのは本当なのだろう。
前領主は十年ほど前に落馬をして自由に動けなくなり、その後いくつか病も得てしまう。
アルフラッドが教えてくれなかった状況を聞けば、なるほど動けないはずだ。
しかし、死に至る病というわけではないし、思考のほうに問題はない。
とはいえその状況で大々的な結婚式を挙げるのもどうかということらしい。
歴史と見栄にこだわるから、本人いわく情けない姿で参列するのも嫌がるだろうし……とこれはノウには言わずにおく。
「でも、待っていたら年単位だから、どこかでできるよう準備は進めておかなきゃ」
年齢などからして、状態が改善する可能性は低い。
しかし、医者の見立てによれば、気をつけて生活していれば、まだまだ大丈夫だという。
つまり、ずるずる婚儀を先延ばしにしていては、いつになるか想像もできないのだ。
「……あ、いえ、わたしはべつに……こんな見た目ですし」
都で流行していた結婚衣装は、花嫁を魅力的に見せるよう様々な努力がなされていた。
しかし、それらが自分に似合うとはとても思えない。
下品でない程度に肩周りを見せるデザインは、ノウには着ることのできないものだし。
幸せな結婚というものが自分にできると考えていなかったから、ぴんとこないのも本音だ。
「──私はあなたの事情をまだよく知らないから、あれこれ言わないけど……」
苦笑いして首をふったノウに、ジェレミアの凜とした声がとどく。
「自分を卑下するのはおやめなさい、そんな癖は今すぐ捨てるように」
きっぱりと命じられて、反射的にはいとうなずいたが、難しい話だ。
なにせ、周囲からさんざん言われ続けて十数年、染みついてしまった汚れのように、いつも胸にこびりついている。
そのあたりは彼女も承知しているのだろう、少しだけ表情が柔らかくなった。
「いきなりは無理でしょうから、とりあえず、口に出さないこと。まずはそこからはじめなさい」
まずは、という言葉が気になるものの、その程度ならできそうだ。
言葉には力がある、口にすればますます思いこんでしまう。
そんなことをして無駄に自分をいじめても、なんの意味もない、とジェレミアは思う。
ノウのそれは大分根が深そうなので、少しずつ砕いていくしかないだろう。
「……まあ、式のことは相談しつつにしましょう」
今のノウは決して痩せすぎているわけではないが、どうにも吹けば飛びそうな印象だ。
表情も、緊張していることを抜きにしても堅苦しいし、暗さが抜けない。
一生に一度の式ならば、最もよい状態で挙げたいと思うものだろう。
それならもうしばらく待って、ノウが落ちついてからのほうがいい。
アルフラッドも、おそらく同じ意見だろう。
「流石に、なにもしないわけにはいかないから、そこは承知しておいて」
相応に歴史がある領地の主が結婚するのだ。
前領主の事故、病、次期領主の死……民衆も明るいニュースを求めている。
事情はノウにも理解できるので、いずれ式をすることに異論はない。
「あの……ご挨拶というか、お見舞いは、行っていいのでしょうか」
お義父様の、と言うべきか悩んで、結局ぼかしてしまった。
アルフラッドが渋い顔をしていたのでとジェレミアに問うてみたが、こちらも眉をしかめてしまう。
「…………もう数日したら、でいいわよ。あっちはいつも暇だろうから、いつでもいいし」
かなりの間のあとに出てきたのは、かなり消極的な返答。
ジェレミアのほうも、急がせる気はないらしい。
これ以上話すのも申しわけないかと、いったんやめておくことにする。
「領地の諸々は、今はアルフラッド様とお義母様が担っている、ということですか?」
暇、という表現を使用したのだから、実務に関わってはいないのだろうと想像して訊ねると、当たりだった。
結婚当初から補佐をしていたジェレミアがいたので、落馬や病のたびに彼女の補佐する部分が増え、ほぼ全権をにぎったころにアルフラッドが就任し、今に至るらしい。
つまり、彼女は軽く見積もっても十年以上、領地を切りもりしてきたわけだ。
従ってジェレミアの実務能力は相当なものと察せられる。
そのあとを自分が継ぐのかと思うと荷が重いが、アルフラッドに救ってもらった恩は返したい。
「至らないところばかりだと思いますが、ご教授よろしくお願いします」
軽く頭を下げたが、ジェレミアの表情は変わらない。
「領地運営は私が好きでしているのよ。だから、教えるのは構わないけど、あなたが無理をする必要はないわ」
「でも、お役に立ちたいですから」
なにもせずにのうのうと暮らすわけにはいかない。
アルフラッドもしばらくのんびりしろと言ったが、できれば明日からでも、色々教わりたいくらいだ。
領地の采配は責任重大だから、簡単にやりたいなどと口走れないものの、知識欲はひとよりあるくらいだから、覚えたいという気持ちは強い。
そんな前のめり気味のノウを見て、ジェレミアはアルフラッドの言葉を思い出して納得する。
たしかにこの調子では、無理をしてすぐに倒れてしまいかねない。
役に立たなくては、と追いつめられた様子は、むしろ痛々しい。
まったくやる気のないのは問題外だが、これはこれで問題だ。
「アルフラッドが都に行っている間、当然だけど私がすべての業務を代行していたの」
彼が領主になるまで行っていたわけだから、それ自体は苦ではなかった。
とはいえ、疲労しないというわけではない。
「だから数日はのんびりしたいの。いくら仕事が好きでも、タヌキの相手は疲れるし」
「たぬき……」
勿論本物ではなく、面倒な連中の意だろうが。
言葉の節々といい貴族らしくない……というか、普通なら使わない表現が多いが、おそらくこれが彼女の素なのだろう。
美しい顔からざっくばらんな言葉が飛びだすのは、なかなかに迫力がある。
「……ああ、でも、差し当たってあなたにお願いしたいことがあるの」
あなたにしかできないことよ、と重ねられて、そんな重要なことがあるのかと緊張する。
だが拳をにぎりしめたノウの耳にとどいたお願いは、
「あのバカを早く家に帰らせてちょうだい」
「────は?」
ぽかんとした表情をさらしたのも無理はないと思いたい。
話の流れからして、あのバカ、とはアルフラッドのことだろう。
しかし、なにをもってバカ扱いで、しかも帰らせるとは一体どういうことか。
わけがわからないノウに、とりあえず一服しましょうと新しいお茶が淹れられる。
半ば無意識に手にして飲めば、いくらか落ちついた。
「元軍人だとかそういう話は、聞いてるわね?」
ジェレミアの問いにうなずいて、聞いた話をざっと伝える。
自分の知ることから要点をまとめて伝えたのだが、的確なまとめかたにひっそりジェレミアの好感度が上がった。
「私の息子が生まれるまで、数年間屋敷で教育を受けたと言っても、十になるかならずのころだから、そんなにたいしたものじゃなかったわ」
ジェレミアもそのころには邸にいたので、アルフラッドの教育状況は把握していたという。
しかし、彼が邸を出たあとは意図的にそういう教育から離れるようにされた。
結果、今の彼は本人も認めているが、領主としては素人もいいところだ。
救いなのは自覚していることで、詳しい者に頼るし、教えを請うことにも躊躇はない。
自尊心だけ高くても意味はないと断言したともいう。
能力があれば身分の上下はこだわらないし、平民相手でも頭を下げることを厭わない。
本人のそういう言動のおかげでこれといった問題は起きていない──のだが。
「いかんせん仕事をしすぎるのよ」
うんざりした調子で愚痴られてしまう。
どういうことかと首をかしげていると、話すというよりこぼす調子で教えてくれた。