最初の朝食
着替えを終えて階下へ降りると、すぐの場所にアルフラッドが待っていた。
「食堂はこっちだ」
どうやら、わざわざ案内するために待っていたらしい。
男爵家より広い邸は、たしかに慣れるまで迷いそうだ。
とはいえ、あまり大きな顔でうろついても、周りの人間に迷惑がかかる気がするので、うろつくことはないだろうと思う。
そうして案内された食堂は、意外に小さかった。
家族だけで食事するためなのだろう、テーブルも六人くらいでいっぱいになりそうな大きさだ。
すでにジェレミアが席に着いていたので、慌てて礼をする。
「そんなにかしこまらなくていいわ、……身内、なのだから」
淡々とした物言いは冷たく聞こえかねないが、ずっと両親からきつい言葉を投げつけられたノウにはわかる。
彼女のそれは嫌悪感からくるものではなく、素がこういう調子なのだろう。
「ありがとうございます。……昨夜のことも、重ねてお礼申し上げます」
椅子に腰かけ改めて礼を告げれば、そんなこと、と返ってくる。
そして視線は隣のアルフラッドへむけられた。
「どう考えても強行軍だわ、文句を言っていいくらいよ」
「そう……なんですか?」
どうやら普通の日程だと、もう数日かかるらしい。
それでも野宿は一度もしていないし、夕暮れ前には宿に到着していたから、無理をした覚えはないのだが。
ジェレミアいわく、馬の速度が通常より速かったかららしい。
「そのせいで馬車酔いが悪化したと思うわよ」
断定されて、アルフラッドは渋い顔だ。彼にしてみればそんなつもりはなかったのだろう。
カーツは音を上げていたが、年齢のせいだろうと思っていたようだし。
ノウは比較対象がなかったのでそういうものだと考えていたのだが、改めるほうがいいらしい。
「あの……でも、アルフラッド様はよくしてくださいましたし、休めば治りますから」
後半は大分苦しかったが、どうしてもの時は小休止をとってくれたし、吐く真似はせずにすんだ。
それにずっと膝の上だったので、早く到着してほしい気持ちも大きかったので、結果的に文句はない。
「今から甘やかさなくていいのよ」
ジェレミアはきっぱり言い放ちながら、美しい所作で食事を進めている。
昨夜食べた時も思ったが、どの料理もとてもおいしい。
朝からあまり食べられないのが惜しいくらいだ。
無理に食べないようにとの配慮なのか、ノウの前に置かれた皿に載っていた量は明らかに少なく、負担なく食べきることができた。
流石に、旅の時のようにアルフラッドに食べてもらうのは、マナー的にどうかと思っていたのでたすかった。
「……それで足りるの?」
それなりの量を平らげたジェレミアに胡乱な目で見られたが、大丈夫ですと答える。
「ここには菓子が得意なのもいるから、合間におやつをもらえばいい」
大盤振る舞いしてくれるぞ、とアルフラッドが言うのだが、子供でもあるまいし。
しかし、無碍に断るのも気が引けるので、曖昧にうなずくにとどめておいた。
あらかた食事が終わったところで、アルフラッドがおもむろに口を開く。
「俺は仕事に行くが、ノウはひとまずゆっくりしてくれ」
「仕事に……行く?」
言葉の違和感に繰り返してしまう。
通常、領地の運営は邸で行うことが多いものだ。
怪訝そうな表情に、ああ、とアルフラッドが説明してくれたことによると、昔と今で中心部がずれているらしい。
領地ができた当初はここが中心部だったのだが、年月を経て街が大きくなったことで、移動したのだという。
長い歴史のある街だからこその事象だろう。
その際、ちょうどいいからと施政に必要な建物をまとめて建造したという。
歩いて行けないこともないが、馬を使ったほうが楽な距離くらい離れているらしい。
なので、領地全体の運営に関わることはそちらで、伯爵家としての内部の諸々は邸で、と分けている。
だから邸に大勢の者が押しかけたりしないので、ある意味楽でいい、と締めくくられた。
いずれノウも行くことはあるだろうが、ひとまずは邸で内向きのことを、ということらしい。
代わりにジェレミアが邸に残ると聞いて、ほっとする。
「しつらえで気にいらないものはなかったかしら、あればそこだけはすぐに変えるわよ」
続いて飛びだした発言に、とんでもない、と慌てて首をふった。
「気にいらないなんて……とても素敵なお部屋です」
むしろ立派すぎて気後れしているわけだが、そこは黙っておく。
すでにアルフラッドによって筒抜けなことをノウは知らないし、ジェレミアも口に出すつもりはない。
「そう? カーテンなんかは手紙に指定された色で揃えたけど、あれはあなたの好みの色なの?」
「手紙……ですか?」
はじめて聞く話に、問うようにアルフラッドを見やる。
どうやら、室内の布製品は、彼によって色を決められていたらしい。
だが、ノウから色について話した覚えはない。
見つめられ、彼は気まずそうな表情になって、うろうろと視線をさまよわせた。
「……すまん。聞いてもよかったんだが、何色でもいいと言いそうだったから、勝手に決めたんだ」
「あ、いえ、謝っていただくことではないですけれど……」
それに、アルフラッドの予想は当たっている。
好みの色を選ばせてもらえることはなかったし、傷がある己に似合うものもないと思っているので、これと言った希望は出せなかっただろう。
「ノウはラーネ山の色に似ていたから、それで揃えるように伝えたんだ」
室内の青緑っぽい色はノウの色だと思ったが、どうやら由来があったらしい。
たしかに見た地図に、そんな名前の山が載っていた気がする。
けれど、普通の山なら緑であるとか、濃い色になると思うのだが、どれもノウの髪色に似た薄い色調だった。
「ラーネ山の火口湖は、青緑色なのよ」
不思議そうにしていたのがわかったのだろう、ジェレミアが補足してくれる。
火口湖、と呟いたものの、いまいちぴんとこない。
諸々の条件が重なって、青緑色になっているらしい。
珍しいのでそれなりに有名な場所でもあるそうだ。
とはいえ、見たことがないので想像するしかないが、湖すらほとんど見たことのないノウには難しい。
事故以来水辺に近寄っていないので、どうにも想像が追いつかないのだ。
「見事な湖だから、いずれ連れて行きたいが……山の頂上だと辛いだろうな」
標高はそこまで高くないというが、それでも山だ。
急な部分は馬車では難しいので、体力勝負になってしまう。
加えて有毒な煙が周囲を漂っているそうなので、慣れていないとすぐ気分を悪くするらしい。
しかし、まったく未知の情景は、とても興味深い。
だが、安易に行きたいと口にすれば、大勢の人間を動かすことになってしまう。
そんな我が儘はとても言えなくて、そうなんですね、と相づちだけを打った。
けれど好奇心は消せそうにないので、あとで頼んで本かなにかで情報を得ようと決めた。
「火口湖の色で、と書いてあった時は少し頭を抱えたけど……」
ジェレミアが呟いて、いくらか非難する目をアルフラッドへむける。
たしかに、一般的に考えると、新妻の室内に対して火山の色、とは色気もない。
だが、アルフラッドなりにノウが落ちつけるように考えてくれたことだし、領地にある山からというのも、彼が領主として自覚があることに他ならない。
それは、とても重要なことだ。
「領地の特徴あるものになぞらえていただけたのは、光栄ですし、綺麗な色でしたから、ぜひそのままで」
ノウは自身の見た目に価値があるとは思えない。
ぼんやりした髪色だとなじられたし、実際そうだと認識している。
けれど、名所と同じ色だと言われると、少しは好きになれそうだ。
季節に応じて模様替えをするのも楽しそうだが、当面は今のままですごしたいと伝えると、わかったわ、とうなずかれる。
そんなこんなで、朝食の時間は終始穏やかな会話で終了した。
当方の田舎は草津温泉です。
エメラルドグリーンの湯釜で有名なのは、
草津白根山、……安直ネーミングです(笑