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夜更け

 夫婦の寝室であるそこには、さらに大きな寝台が鎮座していた。

 これを使うことはないだろうに、一部の隙もないベッドメイクに申しわけなさが募ってくる。

 きっと、妻を伴うと聞いた使用人が、せっせとあつらえたのだろう、傍らのテーブルには花も生けてあった。

 その脇を素通りして、ドアの前でノックをしようとした手が止まる。

 ──本当にいいのだろうか、と今になって臆病風が吹いてきてしまった。

 だが、相手は軍経験のあるアルフラッドだ、近くの気配に気づかないはずがない。

 数秒後むこうがわから響いたノックと、聞き慣れた低い声にびくりとする。

「そこにいるんだろう? 入ってくるといい」

 どうやら居留守は使えそうにないらしい。

 あきらめておずおずとドアを開けると、旅の間にも見た、いくらかくつろいだ服装の彼がいた。

 旅先でも邸でも、あまり変化はないらしい。

 完全に気の抜けた格好をすることはあるのだろうか、とふと疑問に思った。

「……首を、どうかしたのか?」

 黙ったままのノウが巻きつけているストールを見咎めて、訝しげに眉を寄せる。

「どうもしませんけれど……その、空いているのが、気になって……」

 たしかに寝巻きには不釣り合いな代物だが、動転して、外すことまで頭が回らなかった。

 正直に告げると、気遣わしげな表情はそのままだったが、立ち話もと思い直したのだろう、中へいざなわれた。

 アルフラッドの部屋は、ノウの部屋と家具はさして大差ない。色味は渋いがその程度だ。

 整然としているのは今まで留守にしていたからだろうか、あまり生活感がない。

「すぐ眠りたいなら、俺のベッドに入るといい」

 示された寝台はノウのそれより少し大きいかもしれないが、まあ一人用と表現できるだろう。

 だが、口ぶりから一緒に寝る気はなさそうだ。

「俺はよくそこのソファで寝てるくらいだから、気にしなくていい」

 実際ノウがくるまで飲んでいたらしく、そばに置かれた小机には酒瓶があった。

 ソファと言っても横になれるほどの大きさだから、アルフラッドの長身でも困らないのだろう。

「眠い……ほどでは、ないのですけど」

 邪魔をしているならさっさと眠るべきだが、心に根づいた不安がそれをしたくないと訴える。

 昼間も寝ていたから、睡眠不足の心配も少ない。

「なら、そこに座るといい」

 そこ、と示されたのはベッドの端だったので、うなずいて腰かける。

 アルフラッドは特に言葉を求めるふうでもなく、ベッドサイドに水差しとコップだけ置くと、ソファにもどって手酌しはじめる。

 無理強いされない空気に、緊張がいくらかほどけていった。

 やがて、自分でも不思議なほどすんなりと、言葉が出てきた。

「……事故の後、目を覚ました場所は、公爵邸の大きな部屋でした」

 長距離を動かすのも危険だということで、病院ではなく屋敷の客室に連れて行かれたらしい。

 最上級の部屋だったらしいが、傷だらけの子供にそんなことがわかるはずはない。

 端が見えないベッド、高い天井──広い室内。

 それはむしろ知らない世界に落とされたような恐怖だった。

「そのあと移動した病院でも……広い個室で」

 公爵という身分からすれば当然なのだが、小さい子供にはありがたくない配慮だった。

 処置さえしてしまえば、あとは本人の体力次第だったし、見舞いにくる者がそういるわけでもない。

 弱小貴族の娘なのだから、当たり前だ。

「そのせいか、広い部屋は……苦手、で」

 だから、実家の狭い私室は逆にちょうどよかった。

 立派な部屋を用意してもらって感謝しているのは本当だが、しばらくは落ちつかないだろう。

「……だが、当時は子供だったんだろう? 付き添いがいたはずだが……」

「それは……普通はそうなんですけど……」

 ──両親は怪我の話を聞き、痕が残ると知った時点で、ノウの価値をゼロと判断した。

 それもあってだろう、母は妊娠中をいいわけに長居してくれなかった。

 父は公爵の手前、見舞いをしない非情な親とみなされては困るからと、それなりに部屋にいてくれたのだが──

「仕事を持ちこんでいて……邪魔をするな、と」

 本当なら公爵やその周辺に取り入りたいのに、その時間を減らさなければならない。

 それが、彼にはとても不愉快だったのだろう。

 仕事の合間に役立たずになりおって、と繰り返し罵倒された。

 痛みと高熱に喘げば、忌々しげに舌打ちして、煩いと呟いて──

「──まさか、首を絞められたのか?」

「え……?」

「気づいていないのか? 今……」

 アルフラッドの視線は顔から少し、下がっている、──首に。

 そこでようやく、ノウは自分が首筋をかばうように手を当てていることに気づいた。

「……無意識でした」

 呆然と呟く。本当にわかっていなかった。

 けれど、どこかで納得する己がいた。

 首には傷痕はない、けれど露出するのがどうしても嫌で、気がついた時にはずっと襟のある服を選んでいた。

 晒したくないという気持ちは、まさか──

「……ぅ」

 ずきりと、頭が軋む。

 眉をひそめて半身を折り曲げたノウに、アルフラッドが慌てて近づき背をさすってくれた。

 父だったのも、本当かもしれない、けれど──

「でも……本当に、は、しなかった……と、思います」

 毎日医者が診察していたのだ、おかしなことがあればすぐに気づかれてしまう。

 公爵邸の中だから、下手人を装うのも難しかっただろう。

 だから、首を絞めるふりはしたかもしれないが、実際に痕を残す真似はしなかったはずだ。

 ──なぜなら、彼は自分がなにより大切だから。

「でも……でも、なにか……」

 忘れているような気がする──

 だがおぼろな記憶は、すぐどこかに消えてしまう。

 必死につかもうとするが、鈍い痛みが増すばかりで、うまくいかない。

「無理に思い出さなくていい、……俺のせいだな」

 とんとんと背をなでられ、ようやくいいえ、とかぼそく答えた。

 アルフラッドの言葉はたしかにきっかけだが、思い出そうとしたのは自分の意思だ。

 今まで避けていたことだし、今さらではあるのだが──すっきりすれば、開放的な服を着る気になるかもしれない。

 そう考えると、少し頑張ってもいいのでは、という心地になる。

「真っ青だ、……眠くないかもしれないが、横になったほうがいいな」

 そばにいるから、と続けられて、おとなしくうなずく。

 これ以上思い出そうとしても今は無理そうだし、なによりアルフラッドが心配する。

 いったん忘れることにして、言葉に甘えて寝台に入ることにした。

 もぐりこんだ寝台はやはり広く、手足を伸ばしてもどこにも引っかからない。

 けれど、すぐそばにアルフラッドがいるからか、さっきのような不安はなかった。

 ふぅ、と息をついて見上げると、気遣わしげなアルフラッドの顔が見えた。

「眠る時はしばらく、同じ部屋にするか」

 一も二もなくうなずきたい提案だが、部屋のベッドはひとつだけだ。

 アルフラッドが同じベッドに入ることはないだろう。

「でも……アルフラッド様が毎晩ソファでは、身体によくないです」

 流石に申しわけないので、受けいれるわけにはいかないと首をふる。

 だがアルフラッドのほうは、その反応が予測ずみだったらしい。

「隣の部屋は見ただろう? あの大きなベッドを撤去して、一人用を二つ置けばいい」

 名案だ、と続けられて、ぱちぱちとまばたきをした。

 たしかに隣の部屋は十分大きいから、ベッドを二つ置いても問題はないだろうが。

「……そんなことができるんですか?」

 すでに寝室には大きなそれが鎮座しているのだ。

 新婚夫婦があれを使いたがらない理由をつくるのは難しいのではないだろうか。

 仮面夫婦だと皆が知っていれば別だが、そうは思わせていないのだし。

 だがアルフラッドは大丈夫だ、と断言し、ただ……と続ける。

「傷のことと、白い結婚だということは、話すことになるが……」

 申しわけなさそうな表情だが、ノウにはたいした問題ではない、どちらも真実なのだから。

 だが、傷は誰もが承知のことといえ、白い結婚に関しては話して大丈夫なのかと不安がよぎる。

 仮初の夫婦であることは伝えていないのだから、怪しまれかねないのではないだろうか。

「一応、理由は考えてある」

 こういうのは得意じゃないんだが、と前置きしつつアルフラッドが用意した言葉は、一応の筋が通っていた。

 大きく嘘をつくわけでもなかったので、ノウに異論はない。

 閨事に明るくないノウは、使用人が片づけに入れば結婚が白いかどうかすぐに知られることに気づかない。

「あのひとはそういう詮索はしないだろうから、そんなに気にしなくていいぞ」

 その言葉には色々と意味が含まれていそうだが、アルフラッドの口から話すつもりはないようだ。

 ジェレミアの個人的な事情があるからだろう。

 会話らしい会話もしていないので、鵜呑みにもできないが、ノウを見る目に冷たさはなかった気がする。

「ジェレミア様……お義母様と呼ぶのは……よくないでしょうか」

 アルフラッドは一度もそう呼んでいない、血が繋がっていないし、共に生活するようになったのも最近だからだろう。

 となると自分もそれにならうべきなのか、それとも、と悩んでしまう。

 もうちょい続きます。

 深夜の内緒話って、個人的に好きなんですよね。

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