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ついに到着

 せりあがってくる吐き気を誤魔化すために空咳をすると、背中に置かれていた手がさすってくれる。

 ほんの気休めにしかならないが、それでも少しはましになる。

「緊張するなと言っても無理だろうしな……」

「はい……」

 困り果てた声を発しながら背をなでてくれるアルフラッドに、か細い声で応答する。

 今日ばかりは、膝の上を遠慮する元気もなく、むしろありがたく借りている状況だ。

 緊張と馬車酔いで気分は最悪で、指一本動かしたくないほど怠い。

 ここまで悪化したのは悪路のせいでもなんでもなく、もうすぐ目的地に到着するからだ。

 目的地──すなわちクレーモンス伯爵の邸に。

 手紙で迂闊なことは書けないからということで、邸の者への説明は簡素にすませたらしい。

 パーティーで知り合った令嬢は傷を理由に望まぬ結婚をさせられそうで、同情と気も合ったので結婚することにした──と。

 間違ってはいないが、本当にそれだけしか書いていないのなら、相手は頭を抱えたのではないだろうか、と心配になった。

 加えて、邸の皆のことも──特に義理の母となる女性のことも、あまり教えてもらっていない。

 アルフラッドが説明すると、どうしてもそこには主観が入ってしまう。

 だから、あまりあれこれ語りたくないのだと言われて納得した。

「心配はいらないと思うんだが、君の性格からして難しいな」

「すみません……」

「いや、謝ることじゃない」

 ノウも到着前からこんな調子では先が思いやられると苦い気持ちになるのだが、平気であろうとしてもうまくいかない。

 もうこうなったら、直接会ってしまうほうがいいだろうということで、休憩もとらずに進んでいるのだ。

「先にテムを行かせて、出迎えは最小限にしてくれと頼んだし、ついたらとにかく休めるようにしよう」

 アルフラッドの言葉に反論する材料はなく、渋々うなずくしかない。

 ひたすら耐えることしばらくして、ついたぞ、という声にぼうっとしていた頭が覚醒する。

 とはいえ、アルフラッドの膝の上で寝ている状態では、窓の外は見えない。

 意識がはっきりしたところで、ゆっくり上半身を起こす。

 顔色の悪さはいかんともしがたいが、せめてもと髪の毛だけを慌てて整えた。

 そして、微かな音を立てて馬車が停まる。

 アルフラッドはすぐさま馬車を降り、それからノウに手をさしのべた。

 いよいよ対面だ、ノウはおずおずとアルフラッドの手に震える手を載せる。

 そのまま軽く引っぱられて、あっさりと横抱きにされてしまった。

「あ、アルフラッド様……!」

 最初の挨拶くらいきちんと立って礼をするべきだと考えていたのに、これでは非礼になってしまう。

 だが、彼はけろりとした顔で、降ろす気はなさそうだ。

「ノウは体調が悪いから、このままで。──ただ今戻りました」

 急いで視線を前にやると、そこには四人の男女がいた。

 三人を従えて最前列に立つ女性に対し、アルフラッドが声をかけたことから、彼女が前領主夫人、ジェレミアなのだろう。

 四十代のはずだが理知的で若々しい、だが、それに反して身につけているドレスは黒っぽく装飾も少ない。

 ──息子の喪に服しているのだ、とすぐに察せられた。

「お帰りなさい、そして──ようこそ」

 淡々とした声が自分へむけられ、そして視線が交わった。

 ノウは抱えられたまま、精一杯頭を下げる。

「このままの格好で失礼します、ノウと申します」

 緊張に口の中はからからだったが、どうにかどもらずに名乗ることができた。

「私の後ろにいるのが執事、メイド長、あなた専属メイドの予定の者だけれどー─詳しい話は後にしましょう」

 ジェレミアはノウを見て眉をひそめ、そう宣言する。

 怒っているような表情に、嫌われてしまったのかと不安になる。

「休めるように手配してあるから、ヒセラ、案内を」

「は、」

「部屋はわかっているから、このまま行くほうが早いですよ」

 後方の年若いメイドに声をかけたジェレミアに対し、きっぱり言い放つと、アルフラッドは答えも聞かずに歩きだす。

「あ、あの……自分で歩きます……から」

 なかなかの早足のわりに、振動はほとんど感じない。

 そのことに驚きつつも降ろしてくれと懇願するが、聞く耳は持ってくれない。

「危ないから駄目だ、俺たちの部屋に行くには階段を使うしな」

 人ひとりを抱えているとは思えない速度に、後方のヒセラと呼ばれた女性が小走りについてくる。

 このまま階段を登るほうが危ないのではと思ったが、流石というべきか、わずかな恐怖心を抱くこともなかった。

 不安定さも感じることなく、あっというまに部屋についてしまう。

 そこでようやく降ろしてもらえた。

 廊下には間隔をあけていくつかの扉が並んでいる。

「あっちが俺の部屋、間が夫婦の寝室、そして隣のここが君の部屋だ」

 とりあえず個室へ入れということらしい。

「俺がいても困るだろうから席を外す、ヒセラ、あとは頼む」

「かしこまりました」

 控えていた若いメイドに声をかけると、あとでな、と微笑んで頭をなでる。

 おそらくジェレミアに不在の間の話を聞くのだろう、階段を降りていった。

「ええと……」

 目の前の扉を見つめて、しばらく迷ってしまうが、意を決してノブに手をかけた。

 鍵はかかっておらず、重たそうなわりにすんなりと開いた。

 ──そしてその室内を見て、うっかり口を開けそうになり、慌てて塞ぐ。

 ぱっと見て寝台の見えない、広い室内だ。

 来客用の部分もちゃんとあり、おそらく奥の衝立の先が寝台だろう。

 実家でノウが寝ていた部屋に比べれば、三倍以上ありそうで、これが今日から自分の部屋だと言われても、恐縮するばかりだ。

「失礼します、荷物をお持ちしました」

 聞き慣れた声にふりむと、ナディが鞄を持ってきてくれていた。

「あらためて、私がノウさまづきになりますヒセラです〜」

 深々とお辞儀をした彼女は、ノウより年下に見えた。

 だが、動作も声にも頼りなさそうなところはなく、きちんと教育を受けていることが伺えた。

 言葉遣いが少しのんびりいているが、愛らしい外見なのでごく自然だ。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 礼を返すと驚いた顔をしたが、これから世話になるのだから当然だろう。

「とにかく、まずはお身体をやすめましょう〜」

 心配そうなヒセラの言葉に、ナディも深くうなずいている。

 クローゼットにはすでに何枚かの服が用意されていた。

 実家の使用人たちが、アルフラッドを通して服のサイズなどを伝えていたらしい。

 試着したわけではないから完璧ではないだろうが、着られれば文句はないし、半既製品のようだが手持ちより手のかかった品なのは間違いない。

 ちゃんと伝達されたらしく、並んだ服はどれも首もとがあまり空いていないし、袖も長いものばかりだった。

 その中から楽そうなものと下着も一緒に用意してもらう。

 抜かりないヒセラは、温めた布もたくさん持ってきていた。

「自分でできるから、少し外してもらえませんか?」

 ありがたい心づくしだし、普通はやってもらうのだろうが、傷を見せる気にはなれない。

 申しわけないと思いつつそう言うと、驚くほどあっさりわかりましたと了承された。

「ただ、気分がわるくなったりしたら、すぐ言ってくださいね〜。あと、あまりにも時間がたったときは、声をかけさせていただきます〜」

 そこは当然だろうからすなおに頷いて、一人になったところでざっと身体を拭いて着替えをすませる。

 吐き気のする状態ではなかなか大変だったが、さっぱりしたことで少しは気分も落ちついた。

 顔なじみのナディがいて安堵したのもあるし、ヒセラと名乗ったメイドは心配げにしていても、歓迎している様子だった。

 勿論見せかけだけの可能性もあるが、アルフラッドが信頼している邸の者なら、疑ってかかるのも失礼だろう。

 支度を終えて声をかけると、すぐにヒセラがカートを押してもどってきた。

 カートの上には軽食が並んでいて、机の上に手際よく並べていく。

「めしあがれるだけめしがってください〜昼食もほとんどとっていないと聞きましたので〜」

「ありがとうございます」

 馬車に酔ったことは伝わっているのだろう、サンドイッチなどもあったが、果物のほうが圧倒的に多かった。

 温かい紅茶をもらいながら、どうにかいくつかを口に運ぶ。

 量的にはわずかだが、なにも食べないよりはマシだろう。

「……あの、他のかたへのご挨拶は……」

 使用人はたくさんいるはずだ、きちんと挨拶しておくべきだろう。

 だがノウの言葉にヒセラはいいえ、と首をふった。

「そんなことはいつでもできます、いまはお休みください〜ジェレミア様のご意見です〜」

「……なら……夕食までは、お言葉に甘えて休ませてもらいますけど、起こしてくださいね」

 ジェレミアとアルフラッドと共に夕食をとるべきだろう、と思って声をかけると、若干の間のあと、わかりました、と返答してきた。

 もう一度念を押してから退出してもらい、おそるおそる寝台へむかう。

 実家の寝台の二倍以上の大きさに、どこで眠ればいいのか真剣に悩んで、結果、そっと隅にもぐりこんだ。

 薄くて固いこともなく、上にかけた毛布もふかふかで、おそらくぎっしり毛が詰まっているのだろう。

 こんな豪華なものを使っていいのかと戦々恐々としたが、疲労には勝てず、すぐに眠ってしまった。

 どこで二部と三部切ろうか考えてませんでした、どうしよう。

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