夜中の会話
「あの時……」
繰り返すアルフラッドに、もっと詳細に言えばよかったと反省する。
具体的に射かけられた時だと添えようとしたのだが、その前に呟かれた。
「どの時かわからないが、今日のことなら、恐かった時はないな」
なんの気負いもなく告げられて、次の言葉を失った。
どれかわからないが、逆に、どの瞬間も恐ろしくなかった、ということだ。
矢が放たれた時も、盗賊を倒した時も、ただの一度も──
「……どうして……ですか?」
「わかったからだ」
重ねて問いかけると、あっさりと返される。
だが、あまりに簡単な単語すぎて、意味が正確に把握できそうになかった。
なにがわかったというのか、ノウにはちっともわからない。
アルフラッドも言葉の足りなさを悟ったらしく、ちょっと待ってくれと断ってくる。
戦闘経験のない相手への説明を悩んだのだろう、しばらく頭の中で組みたてたらしい。
「……まず最初に矢が降ってきた時だが、見れば到達地点はわかる」
わかるものなのか、と疑問だが、多分アルフラッドたちならわかるのだろう。
もしくは計算ができれば、角度などから測ることもできるかもしれない。
彼らの場合は経験に基づく勘という名の代物だろうが。
「速度もたいしたことはなかったから、地点を予測して払うことにした。対処法がわかれば、恐くはないだろう?」
理屈ではそうなるが、ノウには払う技術がない。
仮に予測できた場合にできることは、避けることだろうか。
一度放たれれば、突風などがないかぎり、矢の到達点は変化することはない。
立ち向かえるのは、対処しうるだけの力量がある彼だからこそといえよう。
「出てきた盗賊たちの動きも、訓練されているものではなかったから、俺たちなら問題なく撃退できると判断した」
盗賊退治はよくやったからな、と物騒な追記に、なんと返していいか悩んでしまう。
それだけ治安の悪い場所にいたということで、しかも彼らを弱いと断ずるということは、もっと強い相手と戦ったこともあるのだろう。
見たところ大きな傷痕はないが、きっと無傷ではすまないこともあったはずだ。
「首領たちがいないこともわかったし、残りは任せて奥へ行った」
ノウにはわからないが、行動や身なりで大体の判別はつくらしい。
たしかに、アルフラッドが奥へ行ったあと、残りの敵はテムたちがあっさり倒していた。
実力をきちんと把握していてこそだろう。
だが、首領格がいなかったということは、別の場所にまだ大人数がいる可能性もあるのではないだろうか。
「指示する者の力量は、部下を見ればある程度わかる」
先発の盗賊はお世辞にも強くなかったため、首領はたいした脅威にならないと踏んだらしい。
実際見つけた首領とその取り巻きは、遅れて合流したハーバルと二人でほとんど倒すことができたという。
つまり、アルフラッドの読みは的中したわけだ。
「手札が見えているカードゲームなら、勝つのは簡単だろう?」
たしかに、相手の札がわかっているとすれば、自分の手札を出すのは簡単だし、慌てることもない。
遊戯にたとえるのは不謹慎かもしれないが、わかりやすくはある。
勝負が見えていれば、ポーカーフェイスを演じる必要もなく、自然に構えていられるだろう。
わかったからだ、という最初の意味がようやく理解できた。
「わたしができるようになろうとしたら……とても時間がかかりそうですね」
できそうにない、と簡単に切り捨てるのは嫌で、けれど可能な気もしなく、そんな感想を述べてみる。
「全員ができる必要はない、適材適所というものだ」
たとえばアルフラッドは戦闘なら得意だが、カーツのように商談をまとめる自信はない。
似たような勝負の場面だが、そちらでは絶対顔に出るだろう、と言う。
自分の得意な分野で活躍すればいい、というのは正しいが、ノウにはその得意なことが存在しない。
改めて己の役立たずさに自己嫌悪しかけたのだが。
「ノウがちゃんと恐いと思ってくれたから、こちらも動きやすかったしな」
「ど、どういう意味でしょう……?」
恐いと思って褒められたような雰囲気に、当惑したのは無理もないだろう。
今まで、そんなふうに言われたことはない。
ひとかけらも咎めるそぶりを見せないまま、説明してくれる。
「君は恐いと思っても、俺の言葉を信じて、そのままでいてくれただろう」
恐怖で動けなかったのもあるが、アルフラッドに大丈夫と言われた安心感もたしかにあった。
ナディたちがそばにいたのもあって、じっとしていれば安全だと信じることができた。
「中には恐いと思わずに、自分勝手に動く者もいる。そういうのが一番厄介だ」
実力を伴わない無鉄砲は、危険しか生み出さない。
本人だけが大変な目にあうならまだマシだが、最悪、一団を巻きこみかねない。
たとえば今日の昼、ノウが言うことを聞かずに一人でどこかへ走って行ったら。
ナディがついていったとしたら、盗賊と対峙する人数が減ってしまう。
そうなれば若干不利になっただろうし、ノウを探索する人員も割かねばならない。
また、アルフラッドたちとはぐれるだけでなく、首領に出くわしていたら、事態はもっと悪化する。
最悪、人質にとられでもすれば、いくら彼らが強くてもなすすべはなかった。
ノウとしてはなにもできないと歯がゆい思いをするばかりだったが、決して無意味ではなかったのだと知って、正直驚いた。
「──だから、恐いと思うこと自体は、悪いことじゃないんだ」
静かな低い声に、すんなりとうなずくことができた。
「これからも素直になっていい。俺たちはそのあたりが……大分鈍くなっているからな」
戦闘しかり、体調不良しかりだから、と。
襲撃に関しては二度とないほうが嬉しいが、その際はアルフラッドの言うとおりにしようと思った。
どんな選択であれ、彼が自分を見捨てることはないし、おそらくその場で最善だろうからだ。
けれど体調に関しては、躊躇う気持ちをなくしきれない。
普通の者より弱いことは事実なのだ、年配のカーツのほうがまだ余力があることからして明らかでもある。
「仕事の護衛なら、ここまで気を遣わないかもしれないが」
過去、面倒な貴族を何度も相手してきただけに、言葉には実感がこもっていた。
一度科白を切ったアルフラッドは、少し悩んでから、そっと手を伸ばして頭をなでた。
「──君は他人じゃない、家族だろう? だからいいんだ」
「……そう、言われましても……」
家族というのは、ノウにとって最も遠慮する存在だった。
エリジャたち他人である友人よりも、不調を悟らせてはならない相手として認識していた。
気づかれれば最後、さんざんに罵倒され、どうしようもない場合は、舌打ちをしながら医者を呼ばれる。
弱った身にその仕打ちは、常より心をえぐってくる。
「難しいのはわかってる。だから、俺から聞いた時は、嘘をつかないでくれればいい」
自分から訴えられないなら、こちらが目を配ればいいだけのことだ。
仕事柄、その気になれば相手の変化には敏感になることができる。
そこで否定されればそれまでだが、先手を打っておけば、根本的に気立てのよいノウは断れない。
思惑どおり、悩みながらも、わかりましたとうなずいたので、褒めるように再び頭をなでてやれば、こわばっていた表情が緩む。
打ち解けた笑顔はいまだに見たことがないが、段々表情がほぐれてきている。
貼りつけた顔はもうさせたくないので、今後も困られるくらいかまい倒してやろう。
「同じ部屋に俺がいる、だから危険はなにもない、安心して眠るといい」
背中でも叩いてやれればいいのだが、傷のある彼女の身体にふれるのはまだ早いだろう。
だから代わりに頭をなでてやれば、徐々に瞼が落ちていった。
「お休み、ノウ」
「──おやすみ、なさい……あの、ちゃんと、アルフラッド様も、寝て……」
ください、の語尾は溶けて消えた。
疲労もあったからだろう、すとんと寝落ちてしまう。
この状況でもアルフラッドを気遣うあたりは、好ましいものだが、もっと自分本位でもいいのにとも思う。
「……大分絆されているな」
だが、悪くない。
そもそもすでに夫婦なのだし。
絡まった髪の毛をほどくと、いくらか指に引っかかる。
あまり手入れもできていないのだろう。
香油だのなんだのはアルフラッドはさっぱりだが、詳しい者はいくらも邸にいる。
そのあたりも頼まないと、と脳内に刻みながら、床の上に敷いた簡易寝具に横たわる。
固い床の感触だが、岩の上で眠った作戦時に比べれば大きな差だ。
あの感覚を忘れないためにも、邸にもどってもたまには床で寝るか、と、使用人やノウが聞いたら全力で止めそうなことを考えつつ、目を閉じた。