眠れない夜
とりあえず、いつもどおりに着替えをすませたが、どうしたものかと立ちつくしてしまう。
寝台はひとつで、いつも泊まっていた場所ならソファもあったりもしたが、この部屋にはない。
つまり眠れそうな場所は寝台しかない状態だ。
「当然、君はベッドで眠るように」
同じく着替えたアルフラッドは、きっぱりと言い放つ。
床の上で眠ったことは流石にないが、今の体調でそんなことをすれば、まず悪化するだろう。
とはいえ、わかりましたとすなおにうなずくわけにもいかない。
「アルフラッド様はどこで眠るんですか?」
半ば予想はつきつつも、はっきりさせたくて問いかければ、なんてことない様子だ。
「床だな」
用意はしてあるのだと、野宿の時に使うという寝袋を床に敷いてみせた。
ナディが馬車で使用しているのも同じものだという。
あまり厚地には見えない、ナディもこれで毎晩眠っているというのなら、なんだか申しわけなくなってくる。
軍時代で慣れているから問題ないということだろうが、アルフラッドを床に寝かせて、のうのうと寝台を占領するなど無理な話だ。
「君が気にするのはわかるが、流石にこれは譲れない」
「でも……寝台は広いですし……」
アルフラッドが嫌でなければ、一緒に眠ってもいいのではないだろうか。
寝相が悪くて迷惑をかけることもないと思うし。
だが、彼は真面目な顔のまま首をふる。
「駄目だ」
短いけれど、確固たる意思が感じられて、反論ができなくなってしまう。
「……そうですよね、わたしと一緒なんて、お嫌ですよね」
たとえ眠るだけだとしても、対外的には夫婦であっても。
当たり前なのに、このところの待遇のよさに、すっかり勘違いしていた。
自嘲気味に苦笑いすると、違う、と再び短く断言される。
「君と一緒が嫌だからとか、そういうわけじゃない」
それから、どう言うべきか悩んだらしく、数秒口ごもる。
けれどその間も、視線はまっすぐそらさない。
「……君は見られたくないから、眠る時もそういう服なんだろう?」
やがて、いくらか口ごもりながら指摘されて、改めて自分の服装を見直す。
首もとまでボタンをしめた上に、袖口にもボタンのあるきっちりした夜着。
丈は長く膝下まである上に、男性用のズボン下まで穿いている。
普通女性は身につけないものなので、見えないようにしているが、欠かしたことはない。
それもこれも、意識していない時に自分で傷を見ないためで、今は加えて他者に見られないためだ。
今まで、アルフラッドはこの服装について言及したことはない。
思い返せば最初の日の夜、物言いたげだったが、それだけだ。
「一緒に眠れば、なにかの弾みで見てしまうかもしれない。俺はそれをしたくない」
──つまり今までずっと、察して黙っていてくれたのだと、唐突に気がついた。
敢えて口にすることはなくとも気にかけていたのだろう。
疎まれたわけではなく、むしろその逆なのだとわかり、勘違いした自分が恥ずかしくなる。
「そこまで気遣っていただいているとは知らずに……すみま……あ、ええと、ありがとうございます」
慌てて謝罪から感謝に切りかえて、ほんのりと頬を染める。
疑いの眼差しなど欠片もない様子に、今度はアルフラッドが居心地の悪い思いをすることになった。
勿論、ノウに話したことは偽りのない本音だが、今はそれだけではない。
戦闘のあとはどうしても気が昂ぶってしまう。
自制できるようにはなっているが、それでもいつもより理性の手綱が緩くなっているのは認められる。
その状態で、ノウと一緒に眠った場合、間違いが起きないとは断言できないのだ。
所詮男などそんなものだと思っているので、ことこういう案件に関して、アルフラッドは自分自身も信用していない。
そうでなくても同衾なんて駄目だと思っているが、特に今夜は避けたかった。
「──まあ、どうしても、というなら、実力行使に出てくれ」
できないとわかっていることを呟くが、ほんの少し、それを望む心も存在する。
茶化すことで奥底へ沈めると、アルフラッドはてきぱきと床に寝る支度を整えてしまう。
そして、ノウが声を発する前に、ごろりと横たわってしまった。
こうなってしまえば、非力な彼女に彼を移動させることなど、正攻法では無理な話だ。
ノウも最初から勝ち目のない挑戦をする度胸はないらしく、困惑の表情のまま動けなくなる。
やがて根負けしたらしく、失礼しますと断って、部屋の大きな灯りを消した。
小さな灯りを頼りに寝台へもどり、蝋燭も吹き消せば、室内は真っ暗になる。
訓練などしていないノウには、気配など察せられない。
だから、まるで一人でいるような感じになり、途端に不安が押し寄せてきた。
かといって、いるかどうかを声に出すなんて子供みたいで、するわけにはいかないと戒める。
とにかく寝てしまおうとぎゅっと目を閉じた。
身体は疲れ果てているので、すぐに眠れると思ったのだが、目を閉じても脳裏に昼間の光景が蘇ってしまう。
自分たちに襲いかかってきた鏃の鈍い輝きが、記憶の中ではひどく鮮明で鋭くて。
うとうとすると矢が迫ってくる夢を見てしまい、眠れなくなってしまった。
これ以上迷惑はかけられないと必死に息を殺すのだが、暗い室内は恐怖を増すことはあれど、落ちつかせてはくれない。
「あ、の……アルフラッド様」
どうにか我慢しようとしたが不可能だと判断し、おそるおそる声を発した。
「眠れないか?」
ほんの小さな声だったが、すぐにはっきりしたいらえがくる。
「はい。──すみません……」
謝るなと言われていたが、今回ばかりは申しわけなくて、意識する間もなくすべり落ちる。
わずかな衣擦れの音がして数秒後、消していた蝋燭の明かりが灯された。
それだけで安心して、ほっと重たい息をついてしまう。
アルフラッドは毛布を肩にかけた状態で、寝台そばの床にすわりこむ。
ノウも位置をずらして、彼の顔が近く見えるようにした。
「謝らなくていい、昼間は恐かっただろうから、当然だ」
驚いた様子がないことからしても、予測の範囲内だったのだろう。
あの戦いぶりからしても、辺境警備の過去もあるのだから、対人戦闘の経験はそれなりにあるはずだ。
そして、それに巻きこまれた住民の保護も、おそらく。
となれば対応がわかるのも、なんら不思議ではない。
血を見せればもっと混乱するだろうから、と鞘から出さずに、なるべく素早く片づけたアルフラッドだったが、治安の保たれている場所でしか生活したことのないノウには、十分すぎる衝撃だった。
「眠くなるまで話でもするか」
わざとだろう、明るく声をかけてくれる。
多少睡眠時間が削られても、横になっているだけでも負担は減る。
アルフラッドは一度の徹夜程度でどうこうならないので、気軽な態度を崩さない。
「とはいえ寝物語には詳しくないから、なんの話にするか……」
童話のたぐいは聞かなかったんだ、と白状される。
彼の母は就寝前の絵本の読み聞かせをしたかったらしいが、彼女のもとへ「返却」された時には、アルフラッドは絵本のいる年齢ではなくなっていた。
弟が生まれるまでは跡取りとして、早い段階から教育を受けていたし、寝室も一人部屋だった。
ノウもそういう記憶はないので似たようなものだが、こちらは趣味で何冊か読んだことがある。
ただ、実家の本棚には存在しなかったので、使用人や家庭教師に借りたりしたのだが。
「どうせなら昼間とは違う話題がいいと思うんだが、浮かばないものだな」
真剣に悩む様子はどこか微笑ましい。
べつに同じようなことでもいいと思う反面、夜中、小さな灯りだけをつけてこっそり──というのは、たしかにいつもと違うことをしたくなる。
なにかなにかと考えて──いっそのこと、と思いつく。
「あの、でしたら……聞いてもいいでしょうか」
不謹慎だろうかと悩んだが、彼からの答えを聞けば、この恐怖心も克服できるかもしれない。
先を促すアルフラッドに、意を決して訊ねた。
「アルフラッド様は、あの時、恐くなかったんですか?」