襲撃
「……ノウ、起きられるか?」
うとうとしていたので正確な時間はわからないが、アルフラッドの声に起こされた。
どうやら、休憩場所に到着したらしい。
「動くのがつらいなら、このままでもいいが……」
「……いえ、大丈夫です、起きます」
外の空気を吸いたいし、いつまでも膝を借りているわけにもいかない。
もっと思い切り起こしてくれてもいいのにと思いつつ、そっと身体を起こす。
「先に降りて待っているな」
答えを待たずに馬車を降りたのは、身だしなみを整える時間を与えるためだろう。
携帯用の櫛を使って、乱れた髪の毛を整える。
凝った髪型にせず緩くたばねただけだったので、さほど困らずにすんだ。
服に寄った皺はどうしようもないので、見て見ぬふりに決めた。
どのみち体調を崩したことは知られているだろうからと開き直ることにする。
馬車の扉を開けると、当然のようにアルフラッドがいて、しかも、手をさしだしていた。
これを無視する選択肢はないので、おずおずと手を乗せると、どういうわけかその直後には、ノウの身体は宙を浮き、アルフラッドに抱えられていた。
ちょうど肩の部分に頭がくるくらいの高さなので、そこまで恐くはないが、それでも浮遊感は慣れない。
「あ、あの、自分で歩けますから」
体調不良には慣れているのだから、注意していれば転ぶことはない。
手を借りられればいいと主張したのだが、道が悪いからと却下されてしまった。
たしかに道は相変わらず土なので、旅用のものとはいえ、ノウには厳しいものではあるのだが。
普段なら遠慮するだろうが、膝枕をしたことで、彼のほうもふっきれてきたらしい。
文句は聞かないとばかりにさっさと歩きはじめてしまう。
しっかり抱えてくれているおかげで、不安定さはなく、一ひとり荷物があるとは感じられないほど、普通の動きだった。
「──しかし軽くないか? 平均体重を割ってそうだな」
そう呟かれても、健康的な身長と体重の割合など、ノウは知らない。
アルフラッドも流石に数値を上げることはしなかった。
貴族の令嬢は──一般人の女性もそうだろうが、胸や尻は大きく、腰は細くというスタイルがもてはやされる。
それに当てはめると、ノウの体型は細い点は合っているが、愛嬌のなさと相まって、痩せているというより枯れ枝のようだ、と今ひとつ不評だった。
やつれているわけではないのだが、全体的な雰囲気と、相手の先入観がそうさせるのだろう。
そのおかげで、傷があってもと求めてくることがなかったので、幸いだったと言える。
アルフラッドはきっと、そんな見た目の美しさより、健康的な身体を大事だと考えているのだろう。
毎回こんなふうにされては困るので、どうにかして体力作りをしなくてはならない。
降ろしてもらえないので、やむなく抱えられた状態で周囲を見渡すと、周囲は多少開けた場所、という表現がぴったりだった。
本当に少し休むくらいしかできないだろう、狭い場所で、すぐにまた林が連なっている。
馬車は道の途中に強引に止めている状態だ。
開けたまんなかあたりに敷物があり、カーツがすでにすわっていた。
同じ場所で慎重におろされて、すぐにナディが飲物を渡してくれる。
「こういうところだから、長時間は無理だが、とにかく身体を休めるように」
「はい、わかりました」
わざわざどこかから持ってきてくれたのだろう、水はひんやりしていた。
カーツも同じように水を飲み、深く息をついている。
参っている、というのは事実なのだろう、シャツのボタンも少し外して、楽な姿勢をとっていた。
頭上を確認すれば、まだ日は高い。昼は過ぎているだろうが、あせる時間には思えなかった。
だが、ナディたちはどこかそわそわしているように感じられる。
アルフラッドはいつもどおりに見えるのだが、どうしてだろうか。
けれどあれこれ聞くのはやはり憚られて、おとなしく水を飲み、揺れない地面で休むことを優先しようとする。
──ところが、休みはじめて少しも経たないころ。
不意に、アルフラッドが動いた。
その動きはとても何気ないもので、ちょっと虫でも見つけたような、そんな自然なものだった。
どうしたのかと問いかけようとしたが、その時前方の空から、光るなにかが飛んでくるのが見えた。
「────え……?」
目をこらしてみると──矢だった。
ノウの視力は悪くない、だから、間近で見たことはなくても、それがなにかを把握できてしまった。
光っているのは鏃の部分なのだろう。
数はひとつふたつではない、気づけば十数本が、間違いなくこちらめがけて放たれている。
事実に気づいた時には、矢は間近に迫っていた。
ゆっくりと見えたのは錯覚だったらしく、結構な速度なのだろう。
生まれてはじめての明確な攻撃に、ノウは悲鳴も忘れて呆然と見つめるしかできない。
逃げなくてはと思う気持ちすら浮かべることもなかった、当然、逃げるという選択肢も出てこない。
呆然とするノウに、けれど矢が一本たりとて当たることはなかった。
自分をかばうような位置どりにいたアルフラッドが、鞘に入っていたままの剣を無造作に幾度か振る。
どうということのない動きに見えたのに、次の瞬間には、迫っていた矢はすべてはたき落とされていた。
周囲にばらばらと落ちた矢に視線をやれば、鏃はいくらか潰してあったが、直撃すれば無傷とはいかないだろう。
もしもアルフラッドがいなければ、何本かは間違いなく、自分に当たっていた。
命の危険を実感して、ひゅ、と下手くそに息を吸いこんでしまう。
「──ノウ。深呼吸だ」
静かな声に、混乱しかけていた頭が引きもどされる。
アルフラッドは背をむけたまま、話しかけてきていた。
穏やかな調子での命令に、無意識に従い息を吸い、吐いていく。
「大丈夫だから、そのまま。下手に動かないように」
続けての淡々とした言葉にはなんの根拠も提示されていないが、その調子は説得力に満ちていた。
だから、とても冷静にはなれなくても、彼の言うことを信じれば平気だ、と、そう思えた。
「────は、い」
ようやく返事を絞りだしたころ、奥から集団が出てきた。
どう見てもまともではない、汚れた服装は、盗賊なのだろう。
後ろにいる数名はいつでも矢を射てるようにしており、彼らが最初の攻撃をしてきたらしい。
はじめから射てきたことからしても、話し合いをする意思はないのだろう。
アルフラッドの背に半ばかばわれているので、詳しく見えないが、見たいとも思えずそのまま動かずにいた。
「男は失せろ、そうすれば追わないでやるよ」
一番前方で剣を構えた前にいる男が、にやにやと笑いながら告げてくる。
それはつまり、荷物と女は置いていけ、ということだ。
値踏みするような視線がノウにも注がれて、貴族連中の時より強い恐怖に身をすくませる。
この状況でノウにできることはなにもない。
先ほどのアルフラッドの言いつけを守ることが、最良なのだろう。
どのみち身体は硬直して動きそうにないので、それしかできないのだが。
アルフラッドは背をむけたまま、後ろ手に一度軽くノウの手に触れた。
さっきまで感じていた温かかさに、ノウの恐怖がいくらか薄れる。
言葉はないが、それ以上のものを感じて、身体の震えも静まっていった。
それを確認したからなのか──その直後、アルフラッドが無言のまま飛びだした。
一気に速度を上げ、あっというまに敵の集団に迫る。
数拍遅れて、テムたちもあとに続いていった。
「なっ……!?」
いきなり攻撃されるとは思わなかったのだろう、男たちに動揺が走り、最初から崩れていた陣形がさらに乱れる。
先ほどからノウの傍らに控えていたナディは、いつのまにか剣を手にしていて、カーツも表情は悪いままだが、短刀を携えていた。
素早く距離を詰めたアルフラッドは、前衛の振りかざした剣を避け、その身体に無造作に鞘がついたままの剣を叩きつける。
「ぎゃっ」
「この……うわぁっ!」
聞き苦しい悲鳴をあげて一人が倒れた時には、目の色を変えた周辺の男たちへ攻撃を移しており、彼らもろくな言葉もないまますぐ地面にくずおれた。
彼らの持つ剣は使用されることもなく、弾き飛ばされてしまう。
アルフラッドが前衛を片づけている間に、近くにいた弓手はテムたちが飛びかかり、こちらもさしたる時間をかけずに昏倒させる。
あっというまのできごとをどうにか目で追っていると、今度はアルフラッドがさらに奥へ走って行った。
すぐにその姿は消えてしまい、あとはなにもわからない。
先は林になっており、距離もあるため音も聞こえてこない。
不安にかられるが、彼は大丈夫だと言った。ノウはそれを信じるしかない。
「カーツさん、ノウ様をお願いします」
周囲の敵がテムたちによって倒されたので、ナディは傍らを離れ、転がっている連中をてきぱきと拘束していく。
カーツは少し移動して、ノウの側についてくれた。
「──もう少しの間、辛抱してください」
動くな、ということだと判断し、はい、とか細い声でうなずいた。
まわりの男たちはうめき声をあげるばかりで、戦闘復帰できそうではない。
手足を縛ると、荷物のように隅のほうへと追いやっていった。
散らばっていた武器も集められ、敵とは離れた場所に積まれていく。
まるで手順が決まっていたかのような流れ作業に恐怖は薄れ、呆然となりゆきを見守るしかない。
ろくに会話もないまま作業は進み、捕縛がすんだころ、奥からアルフラッドがもどってきた。