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伯爵の噂

 さっきも他にひとはいなかったから、見つかっていないようだが、それも時間の問題だろう。

 誰かに目撃された時、ノウといることが知れたらと、先ほどの不安が蘇ってくる。

「……あなたは爵位継承の件からしても、話題の人物です。わたしといることが知れたら、よくない噂が立つかもしれません。ですから、今のうちに失礼させていただきたいのですが」

 うまく言えたかわからないが、咄嗟では頭も働かない。

 詳細を説明するのは時間がかかりすぎるしと簡潔に伝えたつもりだが、成功しただろうか。

 アルフラッドの顔を失礼にならない程度に注視するが、特に変化は見られない。

 爵位的にも年齢的にも上の存在なので、言うだけ言って立ち去るわけにもいかない。

「さっきも言ったが、都に来たのは初めてだから、あなたの噂は知らない。それに、そんなものでどうこうするような関係はこちらから願い下げだ」

 ……どうやら、暇乞いはできないようだ。

 どうしたものかと困ってしまう、そもそも、長時間男性と喋った経験がほとんどないのだ。

 エリジャのおかげで女友だちは少しできたが、男性はそうもいかない。

 未婚で、かつ未成年の自分は、異性と二人きりなど簡単にはなれないし、自分の生い立ちゆえに、そうしたいと誘ってくる相手もいなかった。

 ──ふと、少しだけ彼の目線が鋭くなる、けれど本当に一瞬で、すぐに表情を改めた。

「あなたは私のことを他にもずいぶん知っているようだが、それはどうしてだ?」

 ノウが前歴を知っているせいだろうか、先ほどの視線と合わせて、どことなく詰問されている気分になってしまう。

「ええと……ちょっとした有名人のあなたの噂は、いくつか流れてきています、から」

 平静を保とうとしたが、少しばかり萎縮して声が途切れてしまった。

 それがわかったのか、それとも怪訝な気持ちが勝ったのか、鋭さはすぐに減った。

「……どんな噂か教えてもらっても?」

 しかし次の質問に、またも冷や汗が出てくる。

 噂を本人に聞かせる役目など、誰がやりたいものだろうか。

 幸か不幸かたいしたものはないけれど、それでも気を悪くする可能性は高い。

 人目はあるといっても、機嫌を損ねたらどんな目にあうか、考えると心臓が冷える感触がする。

 四六時中両親に罵倒されているノウにとっては、かなり難易度の高い行為だ。

「……あの……失礼に、なります、から」

 どうにか言葉をつくると、彼はいいや、と首をふる。

「腹を立てることがあったとしたら、それは、噂を流した連中にであって、あなたにではない。約束する、だから……教えてくれないか?」

 大きな身体を小さくするように懇願されれば、嫌とは言えない。

 なんてことに巻きこまれたのかと嘆きたいところだが、こうなればしかたない。

 ノウは腹を括ることにして、自分の知る情報をまとめる。

「アルフラッド・クレーモンス伯爵。……庶子のため軍に所属していたけれど、正式な跡取りが亡くなったために、伯爵位を継いだ人物。継承のために、はじめて都に上がってきた」

 まずは、噂というよりは事実を述べる。

 このあたりは彼がくるということを知って、すぐに得られた情報だ。

「とても美形で、辺境の警備を希望したのに別の華やかな場所に配属されかけたとか、さしいれをする女性がたくさんいて、食べ物などには困らなかったとか、国境沿いの任務で隣国の兵士に勝ったとか、……その、熊を一人で倒したとか……」

 辺境とはいえ、そこにも勿論領主はいるので、やりとりは少なからず発生する。

 とある噂好きな伯爵は、都へもよくやってきているために、主に彼を発生源とした噂は耳にしていた。

 ……問題は、その伯爵の噂の信憑性がいまひとつ、というところなのだが。

「いや、熊は一人ではなかったぞ、流石に」

 その言葉にちょっと安心する。それが事実だったら、色々な意味で恐ろしい。

 だが、よくよく考えてみれば、何人かで倒したことは本当なのだろう。

 ……詳しく聞くのはひとまずやめておいて、知っている噂を続ける。

「ええと──あとは、まだ独身なので、今回の訪問で結婚相手も探している……といったところです」

 もともとは庶子でも、前伯爵の血を継いでいることは間違いない。

 従って結婚相手も、それなりの身分の女性を求められる。

 少し遅い継承になってしまったから、結婚も急いでいる、という話だが、見たかぎりそんな様子はない。

 ここは噂が違っているのだろうか。

 アルフラッドの顔色を窺うと、感心したようにうなずいていた。

 どうやら、気分を悪くしてはいないようで、ほっとする。

「なるほど、合っている部分があるのが驚きだ」

「それは……あなたが都にいらっしゃらなかったからではないかと」

 思わず呟いてしまうと、首をかしげて続きを促された。

 ──噂というのは、相手がいなければ立ちようがない。

 貴族にとって軍の者は、警備などで近くにいることはあっても、基本的に世界が違うと判断される。

 アルフラッドは都の軍に所属していたわけではないので、ひととなりを知る者がまだ少ない。

 従って噂と言っても、かなり正確な、事実に近いものしか出てこないのだろう。

「今日の夜会でのあなたの応対で、新しい噂が出るかもしれませんけれど……」

 言葉を濁したのは、その一端に自分がなる可能性が高いからだ。

 噂の人物が、夜会の間姿を消していた、と囁かれる未来が見えて、憂鬱になる。

「任務時の情報も、噂だからと一蹴はできないしな……ふむ、参考になった」

 しみじみ納得したらしい彼は、ありがとうと礼まで口にした。

 理解のしかたが任務というあたりに、彼の生きてきた姿が垣間見える。

「……それで、どうしてあなたといると悪評が立ちかねないのかは、聞いてもいいのだろうか?」

 やがて躊躇いがちに問いかけられて、わずかな間沈黙する。

 あまり自分から言いたい話ではないが、今後しばらく都に滞在するなら、嫌でも耳にするだろう。

 その時に歪んだ情報を受けとるよりは、ここで話しておくほうがいいかもしれない。

 ノウの言葉を信じてくれるかどうかはわからないが、言下に切り捨てることもない気がした。

「わたしには……小さいころの事故が原因で、大きな傷痕があるんです」

 貴族の娘にとって、容姿は大きな武器となる。

 勿論中味も大切だが、見た目が美しければ、それだけでひとの目を引きつける。

 男爵の娘であっても、うまく見初められれば、もう少し上の爵位を持つ家に嫁げるかもしれないのだ。

 それは、野心を持つ者にとっては重要なこと。

 ──けれどノウはその役には立てない。

 露出の高いドレスを着れば見える位置にまである傷跡は、しかもかなり目立つもので、他人が見れば顔を歪めるし、ノウ自身もできれば見たくないほどだ。

 おまけにその後遺症のため、長時間立っていることは難しいし、体調にも波がある。

 内臓に損傷はほとんどないと言われたが、健康で美しい令嬢がいくらもいるのに、顔立ちも平均的なノウをわざわざ選ぶ物好きは存在しない。

 爵位のわりに父は裕福だし都で役職も持っているが、長男はきちんといるので、養子に入ってそれらを引き継ぐこともできない。

 幼いころの事故だから、ノウ自身を悪く言う者はいないし、同情的な目で見てもらっているが、それだけだ。

 ないないづくしの彼女は「痕だけある男爵令嬢」と口さがない者に言われている。

「……すまない、不躾な話を」

 つらつらと説明すると、アルフラッドは目に見えてうなだれていた。

 そんな姿は、どこか大型犬を思わせる。

「いえ、誰もが知っていることですから……」

 頭を下げられても困ってしまう、たしか、彼は五歳以上離れているはずだ。

 相手が誰でも非を認める姿はすばらしいと思うけれど、自分にされるのは慣れていない。

「そんなわけで、わたしも結婚相手を一応探している身なので、あなたといたことが知られると……多分、あなたが同情されるくらいですむとは思いますが」

 絡まれて大変だったなと慰められる程度だとは思うが、不安は残る。

 父はクレーモンス伯爵とのやりとりは特にない。領地も反対側に位置するので、貿易でも無関係だ。

 それだけに、知られた場合の化学反応が予測できない。

 もっとも、もし誰かきていても、夜の闇ではわかりづらいだろう。

 たとえ見かけても、うつむく姿をノウと結びつける者は少ないだろうが、それでも気になってしまう。

 彼はノウのほうを見てから、それにしても、と呟く。

「そんなに自分が噂になっているとは予想していなかったな……ずっと田舎にこもっていた伯爵だぞ?」

 意図的に話題を切り替える姿は不自然ではあったが、ありがたくもある。

 心底不思議そうにしているが、ノウとしてはその反応のほうが変わっていると判断してしまう。

 生粋の貴族でない分、感覚が異なるのだろう。

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