一泊め
少し休憩して、宿の設備の説明を聞く。
基本的に万一を考えて、どこでもナディか誰かと一緒にいるように、と言い含められた。
そもそも一人で出歩く気もなかったので、すなおにうなずいておく。
時間もちょうどいいということで、そのまま食堂へと流れていった。
昼のように全員でテーブルを囲んだが、ここでは一人ずつに決まった食事が配られる方式らしい。
トレーの上に一律に同じ料理が載って運ばれてきた。
正直、ノウには少し多すぎるくらいだ。
馬車に乗っていただけで動いていないせいもあって、食べきれるか不安になる。
「無理しなくていいぞ、食べられない分は俺が引き受けるから」
食べはじめないことから察したのだろう、横から声をかけられる。
しかし、一度手をつけたものを渡すのは気が引けてしまう。
「なら、先に……」
だからとりわけてしまおうと思ったのだが、いいから、と言われてしまう。
「食べたいだけ食べればいい」
「……わかりました」
固辞している間にも時間はすぎてしまうし、他のみんなも気にして食べられなくなってしまう。
それに、二人は夫婦なのだから、そこまで遠慮するのもおかしな話だ。少なくとも、建前上は。
意を決してフォークを持ち、少しずつ食べていく。
味つけは少し濃かったが、味は悪くない、どころかおいしい。
「体力を使ったあとは塩分が欲しくなるからな」
「あと肉っすね、肉!」
やいのやいの言う面々の話を聞いて納得する。
たしかに、汗をかいたあとは塩分もとるようにという話だから、徒歩や馬で旅をする場合、薄味では満足できないのだろう。
自分はすわっているばかりだったし、まだ季節は夏の盛りの前だから、さほど暑くもなかった。
宿屋の食事としては理に適っているのだなとわかったものの、ノウには肉が多すぎた。
半分ほどで音を上げてしまうと、残りはアルフラッドがあっさり食べてしまった。
彼も自分と一緒で馬車に乗っていただけのはずだが、体格の違いが大きいのだろうか。
ともあれ無事に夕食を終えて、多少慣れない設備にとまどいつつも、寝る支度をすませていく。
「ええと……着替えは一人でできるので、扉の外で待っていてもらえますか?」
部屋の前でアルフラッドとナディに頼むと、もとからそのつもりだったアルフラッドは素直にうなずいたが、ナディはえ? と声をあげた。
てっきり頼まれると思っていたのだろう、とまどっているのが少し面白い。
「遠慮されなくても、あ、いえ、上手ではないですけど」
「そういう意味じゃなくて、いつもこうしていたから……だから、大丈夫」
専任のメイドがいなかったこと、傷のこともあって一人でこなしていたことを説明すると、一応理解してくれたらしい。
とはいえ二人も扉の外で待ちぼうけは、なかなかおかしな光景だろう。
可能なかぎり急いで着替えをすませ、一応薄手のガウンも羽織っておく。
二人を招き入れれば、今度はアルフラッドの着替えだ。
こちらも、一人でできるから、誰かきたりはしない。
「じゃあ今度は、わたしが外に出ていますね」
ノウとしてはごく当然のつもりだったのだが、直後、二人から止められてしまった。
ナディと一緒なら問題ないと思うし、自分の時はそうしたのだからと考えたが、二人は違う意見らしい。
「男の着替えなんて時間もかからないし、衝立の向こうにいてくれればいい」
アルフラッドの背丈と同じくらいの衝立があるから、それを間に置けば、見えることはなさそうだ。
なら自分の時もそれでよかったのでは、と言いかけたが、おそらくアルフラッドの気遣いだったのだろう。
彼にしてみれば、いくらナディが一緒でも、ガウンを着ていても、誰彼なく見られる位置にノウを置きたくはなかった。
不躾な視線を送る輩はどこにでもいる。その結果彼女が気に病むことは避けたかったからだ。
麻の上下に着替えたアルフラッドは、衝立から顔を出して声をかける。
ノウはというと、明日の荷物を用意しているところだった。
「あと、お手伝いすることはありますか?」
ナディの質問に、しばらく考えてから首をふる。
朝になったら起こしにきて、そのまま手伝ってくれるというから、寝るだけならすることはない。
早起きは慣れているから、起こすのを手間取らせることもないだろう。
「それじゃ、あたしは馬車にいますから」
「え?」
そのまま退出しようとしたナディの背に、思わず声をあげてしまう。
今、聞き間違えでなければ、彼女は馬車にいる、と言わなかっただろうか。
「馬車で……眠るの?」
そういえば隣はカーツと護衛、その反対も護衛の男性たちだった。
てっきり彼女は一人部屋だと考えていたのだが、どうやら違うらしい。
「ええ、行きもそうでしたし」
けろりと返答するが、ノウにとっては驚くばかりだ。
そこで、アルフラッドが代わりに説明してくれる。
馬車は勿論きちんと決められた場所に置いていて、宿の敷地内だが、万一の盗難の恐れは捨てきれない。
毎回荷物をすべて客室に運ぶというのも無理がある。
そのため、一番大きな荷馬車に積みこみ、そこで一人が眠るのが普通なのだという。
行きは女性がナディだけだったので、自然と彼女が見張りに決定した。
「でも、盗みなんて滅多にないので、普通に眠れますよ」
帰りは荷物も減っているので、広々と過ごせるらしい。
隣を気遣う必要もないから、快適なくらいだとあっさりしたものだ。
野宿経験もある彼女からすると、それは掛け値なしの事実なのだろうが。
ちなみにもしノウがナディと同室を希望した場合は、男性が交代で番をする予定だったそうだ。
その中にはしっかりアルフラッドも入っていたらしい、つくづく、主らしくない。
本人たちは了承しているのだから、ここでノウが文句を言うのはお門違いだ、それは理解できる。
けれど、そのままお休みなさいと送りだして、自分がちゃんとした寝台で眠るのは、どうにも気が引ける。
せめて少しでも……と考えて、あ、と思い出した。
「ナディさん、ちょっとだけ、待ってください」
ノウは部屋に持ちこんだ鞄を開くと、寝台の上に広げていく。
大きく開けると、ふわりと柔らかな匂いが広がり、アルフラッドが不思議そうに覗きこみ……かけて、着替えだからと慌てて顔をそむけた。
衣類を詰めた中には、いくつか入れておいたはずだと、服の間に手を入れてしばらく、目的のものを探しだす。
しまったのも自分だから、予想通りの場所にあってすぐに見つけることができた。
「じゃあせめて、これを」
手渡したのは、ラベンダーのポプリだ。
邸の隅で使用人たちと育てていたハーブのひとつで、かれらからもらった端切れで袋をつくった。
凝ったつくりではないけれど、縛るリボンは編んだもので、袋と色味を合わせてある。
掌にすっぽりおさまるそれは、香りも強すぎないはずだ。
暇さえあればつくっていたので、種類も量も結構なものだったが、ほとんどは使用人に配ってしまった。
それでも余ったので、荷物の間に匂い消しも兼ねて入れておいたのだ。
「ラベンダーは安眠の効果があるから、よければ使ってください」
まだたくさんありますし、と他のも見せれば、遠慮気味だったナディもじゃあ、と受けとってくれた。
「かわいい、ですね、いい匂いだし……ありがとうございます」
にこにこ微笑む姿に、もっといいものがあればよかったのに、と思う。
クレーモンス領でもポプリやドライフラワーがつくれるなら、やらせてもらいたいところだ。
見て楽しいだけではなく、ちゃんと実用にもなるものだし。
「それでは、お休みなさい」
「お休み」
「お休みなさい」
綺麗な敬礼をしてナディが出ていくと、ノウは鞄を片づける。
「……その、それは、まだあると言ったよな?」
背後からの控えめな声に、振り返るとはい、とうなずく。
アルフラッドは口もとに手を当て、しばらく不明瞭な呟きをしたあと、
「──俺も、ひとつもらっていいか?」
やたらと真剣な顔で懇願するものだから、その内容に拍子抜けしてしまった。
「構いませんけれど……」
あまり布を使ったので、男性が持ってもおかしくない地味な色もある。
その中から黒っぽい灰色を選んで渡すと、嬉しそうに笑った。
たいしたものではないので、逆に申しわけなくなるのだが、すみませんと言う状況でもないのはわかる。
「母も昔、よくこういうものをつくっていたんだ。孤児院に持っていくんだと言って」
懐かしそうに目を細める姿に、ああ、と納得する。
「あまり上手ではないですけど、領地についたら、またつくりたいです」
だから、自分でも驚くほどすんなりと、そう声に出していた。
今までなにかしたい、なんて、口にできる立場ではなかったのに。
「俺は詳しくないが、なにかしらはあると思う、帰ったら一緒に見てみよう」
アルフラッドは勿論そんなノウを叱責するようなことはなく、それどころか気軽に約束をしてくれた。
それはきっと本当になる、まだ短い間しか一緒にいないけれど、すなおに信じられて、ノウははい、とうなずいた。
「さて、そろそろ眠ろう、旅はまだ続くからな」
「はい、お休みなさい、アルフラッド様」
「お休み、ノウ」
きちんと顔を見て、名前を呼んで、お休みと声をかけあえる。
なんてことのない挨拶だけれど、ほとんど経験のないノウにとっては、とても感動するものだった。
じんわり温かい気持ちを噛みしめながら、お互い別々の寝台に横になり、その夜は更けていった。
もう一個入れたい話があったのですが、入りきらなかったのであとに回します。