はじめての宿
ノウは再び紙をめくり、大街道の部分を開く。
さっき昼食をとった場所を見つけ、そこから指で道をたどっていくことにした。
「今日はどこまで行く予定ですか?」
大街道に沿って宿場町はいくつも存在するし、中には大きな街もある。
そのうちのどこが到着予定なのか問うと、再びアルフラッドの指が伸びてきて、ここだと示す。
そこは、まだ先のほうにある、中規模の宿場町のようだった。
「……ああ、君に聞くことがもう一つあったんだ」
思い出したように呟かれて、顔を上げると、複雑そうに眉をひそめていた。
あまり言いたくないことなのかと首をかしげると、宿についてなんだが、とはじまる。
伯爵一行として動いていないので、宿泊は貴族の屋敷に邪魔をすることはなく、普通の宿を使うらしい。
カーツの説明とも合っているし、不思議はない。問題があるとすれば、外泊をしたことがないので、どうすればいいかわからないことくらいだ。
「ナディさんに教えてもらえば、普通……っぽく、できますか?」
自分の行動のなにが貴族然としているかは、よくわからない。
しかし、街の宿を使うとなると、不自然な言動をすれば怪しまれてしまう。
結果、迷惑をかけるのは避けたいところだ。
ナディに面倒をかけるのは心苦しいが、手ほどきを受けるしかないだろう。
「ああ、それは大丈夫だと思うが……そうではなくて、部屋割りのことだ」
「部屋割り?」
わけがわからず鸚鵡返しすると、アルフラッドはふーっと息を吐いてから話しはじめた。
今後宿泊する宿は、決して安宿ではないが、それでも街中にある建物だ。
比較的高価な部類には入るが、旅の商人が利用してもおかしくない程度を選ぶ予定だという。
貴族の屋敷ならば、護衛の者が多く配置されているし、客人に万一があっては困るから、十分な配慮がされる。
街の宿屋も、なにかあれば信用問題に関わるので、最低限のことはしているが、それでも名も知らぬ者が他に大勢宿泊している状態だ。
「……だから、悪いが君を一人にはできない」
女性が一人で泊まっているとなると、よからぬ輩が侵入してくる可能性がある。
若くて金のありそうな身の上なら、なおさらだ。
小遣いをせびる程度ならまだいいが、金品狙いや──乱暴をすることもある。
という部分は敢えて言わなかったので、ノウにはぼんやりとしか通じなかったが、それでも十分に納得できた。
「ということで……」
しばらく言葉が途切れたが、ここには二人しかいないので、誰かが会話に混じることはない。
アルフラッドはやがて観念したらしく、表情を改めた。
「俺かナディ、どちらと同室になるか、選んでくれないか」
勿論寝台は別にする、と言い添えられて、少し考える。
アルフラッドは書類上の夫だから、同室になっても不自然はない。
ナディは同性だから、これも自然な配置だ。
彼女の護衛の腕は、アルフラッドが保証してくれているので、女性二人でも問題ないのだろう。
どうしよう、と悩んだのはわずかだった。
「……アルフラッド様は、わたしが同室でも、よろしいのですか?」
ノウとしては、ナディと同室になるのは避けたかった。
それは彼女が嫌だからではなくて、同室になれば、必然的に彼女はノウの世話をしなくてはならなくなる。
護衛としてつき従っているというのに、メイドのような仕事をさせるのは気が咎めてしまう。
同性なのだから、と周囲も考えるだろうし、それが彼女の重荷になりそうだ。
その点、アルフラッドは男性だから、着替えなどは手伝いようもないし、なにか言われても性差を理由にすれば断りやすい。
ノウは自分に魅力があると思っていないので、男性と同室になっても危険だとか、そういった考えには至れない。
「俺は……まあ、構わないが」
返答に、アルフラッドのほうが内心焦ったのだが、なんとか表情には出さずにおく。
「でしたら、…………ご一緒させてください」
すみませんが、と口にしかけて、急いで言葉を変更する。
理由について続ければ、なるほど、と納得した声が聞こえた。
「設備に関してくらいなら、俺でも教えられるから、君が心配するほどナディに迷惑はかからないと思うぞ」
「それなら安心です」
大体の宿のつくりだとか、それに付随して軍時代は野宿が多かったことなどを聞いていれば、時間はあっという間にすぎていく。
いくらか日が傾いてきたか、というころに、目指す街に到着した。
無理をすれば進めるが、門限を越えてしまって野宿になってはいけないから、ということらしい。
少し手前からカーツが乗ってきたので、宿の部屋割りについて話す二人に対し、聞き役に徹する。
予約をとっているわけではないが、おおよその時間が決まった時点で一人が先行し、手配をするので泊まれないことはまずないという。
ただ、宿泊状況によって多少宿のランクが上下するというが、ノウは眠れればどこでも異論はない。
流石に床で寝たことはないですけれど、と冗談のつもりで呟いたのに、誰も笑わないどころか安心されたのは少し解せなかったが。
そんなこんなで街に到着し、門を抜ければぐっと馬車の速度は落ちる。
やがて停まり、アルフラッドに手をとられて降りれば、そこには少し大きめの館、といった風情の建物があった。
ここが今日の宿、ということなのだろう。
見た感じは清潔そうだし、建物もしっかりしたものだ。
先行した者が手配ずみだというので、アルフラッドに案内されるまま、中へ入っていく。
一階は受付と、その奥は誰でも使用可能な食堂、さらに先はその他の設備らしい。
客室は二階から上で、階段の前には一応簡単な見張りがついている。
だが、いちいち名簿を確認するわけでもないので、簡単に入ることができそうだ。
たしかにこれでは、備えておくに越したことはない。
泊まるのは最上階の奥のほうの部屋で、両隣にカーツたちが泊まり、アルフラッドとノウはまんなかになるという。
隣から侵入されることのないように、ということらしい。
「俺は宿の設備を見てくるから、ノウは休んでいるといい」
アルフラッドはそう言い残し、荷物だけを置いてナディと入れかわって出ていく。
「……設備?」
「職業病みたいなものですね、万一の移動経路とか、調べておかないと落ちつかないんです」
ナディの説明に、なるほど、と納得する。
ノウには思い至らないことだが、危険もある仕事に長くいたからこそなのだろう。
すわるよう促されて腰を落ちつけると、ナディがお茶を用意してくれた。
「ありがとうございます」
礼を言い、同席はと渋る彼女を説き伏せて二人で着席してお茶を飲む。
昼食の時は一緒だったのだから、今さらだと粘ったのが功を奏したようだ。
一口飲んで、ぱちぱちとまばたきを繰り返す。
「……おいしい。ナディさんはお茶を淹れるのが上手なんですね」
「ああ、あたしも副隊長……アルフラッド様と同じ部隊にいたので」
「え、そうだったんですか」
つまり、リーと名乗った青年とも一緒だったということだ。
昼の話の上官のもとにいたから、ナディもひととおりこなせるようになったのだろう。
「わたしはあまり上手じゃないので、教えてもらいたいくらいです」
淹れかたは覚えたのだが、性格のせいだろうか、慎重すぎて時間がかかってしまうのだ。
そのせいで渋くなりやすく、お世辞にもおいしいとは言いがたい。
ノウの言葉に、いいですけど……と呟いたのち、
「あの、あたし相手に敬語はやめてください。そんなふうに喋られたこと、ないですし……」
心底困った顔で言われてしまった。
しかし、自分より年上相手だと、なかなかうまくいきそうにない。
努力すると約束したところで、アルフラッドが帰ってきた。
こっそりサブキャラの名前を変更しています。