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昼食後の馬車

「しかし……そういう話だけを聞いていると、君の両親はとてもまともに感じられるな」

 出発してしばらくすると、アルフラッドがぽつりと呟いた。

 たしかに、とノウも思う。

 領地経営も順調だし、浪費癖もない、仕事はできる……それだけ聞けば好人物だ。

 だからこそ、よほど打ち解けた相手以外には、本当のことを告げられなかった。

 そうしたところで、信じてもらえないとわかりきっていたからだ。

「少し聞いてもいいか?」

 躊躇いがちに問いかけられて、どうぞ、と答える。

 よほどの内容でないかぎり、なんでも教える覚悟はできている。

 そもそもはじめに傷のことを伝えたのだから、それより重い話もそうそうない。

「男爵の家にはもう二人、娘と息子がいるそうだが、かれらに対してはどういう感じなんだ?」

 貴族名鑑を見れば子供はすぐにわかるので、家族構成を知っていること自体に驚きはない。

「そうですね……どちらに対しても、わたしのような扱いはしていないはずです」

 姉も弟も少し年齢が離れているし、常に邸にいるわけではないから断言できないが、少なくとも罵倒されたところは見たことがない。

「それは、どうしてだと思う?」

「……どうして、ですか」

 重ねての問いかけにしばらく考えて、やがて呟いた。

「多分、わたし以外は役に立つからだと思います」

 あの家で育ってきて気づいたこと、それは、父にとって自分以外の存在は、役に立つか立たないか、それだけであるということ。

 おそらくかれには、情というものがほとんど欠如しているのだろう。

 姉は器量もそれなりで賢かったので、爵位の高い者のもとへ嫁ぐことができて、人脈づくりに大いに役立っている。

 弟は家督を継ぐ存在だから、都から少し離れた学園都市の寮住まいだ。

 都にも学校はあるが、学業と政治を分けるべき──という理由から、大貴族の息子はそちらへ通うことが多い。

 今も王族に連なる数名が通っているので、あわよくば、という狙いもあるのだろう。

 だから、かれらに対してはよく接している。

 外でよい父親であろうとしているのも、そのほうが他者からの評価が高まるからだ。

 だからかれは決して悪事には手を染めない。

 貴族に気にいられたあとも、驕らずたゆまず、実直に職務をこなす。

 領地の経営も、革新的なことはしなくとも、領民が苦しまないようにきちんと手をつくす。

 それらはすべて自分が認められるためであって、他の理由はおそらく存在しないのだ。

「……仕事だけさせる分にはよさそうだが……」

 意見を述べていると、アルフラッドがなんとも渋い顔をする。

「あのひとは世襲制も変えるべきだと進言している一派でもあります」

 身分が高ければ自動的に転がりこんでくる、都の重要な役職。

 しかし、世継ぎの能力が低ければ、それは悲劇に変わってしまう。

 急に求めるのではなく、あくまでじっくりと時間をかけているため、父への反感は少ない。

 外から見れば男爵にしておくのが惜しい人材だが、実際は単に、自分がのし上がりたいだけだ。

 ──そうなのではないかと気づけたから、あまり傷つかずにいられたけれど。

「出来がよすぎるのも困りものということか」

 たとえばもっと上流の貴族だとか、いっそ実力主義の商家に生まれていれば。

 かれは自分の望むものが手に入れられたかもしれない。

 けれど男爵家の嫡男であるということで、手にしたくてもできない状況になっている。

 だから役に立たないものへの不快感は果てしないのだろう。

「十分だと満足すればいいと思うのですけど……」

 位が低いと言っても貴族だし、優秀なおかげで地位もある。

 民から見れば豪華な生活を送れているのだ。

 それなのに、足りないと言う──そんな父が、ノウにはよくわからない。

「まあ、領地まで追いかけてくることはないから、そこは安心だな」

 それだけ堅実なら、簡単に身を持ち崩すこともないだろう。

 適当に時節ごとのやりとりをこなせば、それ以上を求めてはこないはずだ。

 なにせかれにとってクレーモンス伯爵も領地も、さほどのうま味はないのだから。

「もし無茶を言われたら、断ってもらってかまいません」

 嫁いだ身だし、これ以上あちらになにかする必要もないだろう。

 きっぱり断言したが、アルフラッドは苦笑して、明確な返答を避けた。

「父親のほうはわかったが……では母親は?」

「……あのひとは……」

 少しだけ言い淀んだのは、アルフラッドが聞いた時の反応が不安だったからだ。

 だが、黙っていれば余計に心配させてしまう。

「あのひとは、わたしが嫌いなんです」

 憎んでいると表現できるほどかもしれないが、流石に口にしない。

 案の定アルフラッドは、怪訝そうな表情になった。

 母親との記憶が温かいものである彼には、ぴんとこないのだろう。

「実の母親なのにか?」

 たしかに腹を痛めた子供であることは間違いないが、だからこそ苦々しい思いもあるものだ。

 あの二人はそれなりに利害が一致しているらしく、夫婦仲は悪くない。

 情のなさそうな父ではあるが、母に対しては一定の配慮をしているように見える。

 実際室内のしつらいといい、領地運営の補助といい、母は十分にこなしている。

 しかし、そんな彼女からはじめに生まれたのは娘で、二人目も自分、つまり女だった。

 最後に生まれた弟と姉との年の差は相当なものだ。

 そのため、彼女は姑にずいぶん言われていたらしい。

 らしい、というのは、ノウが生まれて少しして祖母は亡くなったからだ。

「そしてどうやら、わたしは祖母に似ているようなんです」

 直接聞いたわけではない、だが、ごくまれに声をかけられた時に「どんどん似てくる」と忌々しげに呟いていたことがある。

 加えて、邸の中に祖母の肖像画が一枚もないことも、推測が外れていないことを物語っている。

 祖父の肖像画や、もっと前の先祖のものはあるのに──だ。

 苦々しい外見だけなら、まだ我慢もできただろう。

 だがノウは事故に遭い、直後待望の男児が生まれた。

 彼女としては、ノウを構う必要がなくなったどころか、夫と一緒に疎むこともできたのだ。

 きっと快哉を叫んだに違いない。

「……そういう母親もいるんだな」

 勿論、アルフラッドだって頭では理解しているだろう。

 特に貴族は損得での結びつきだから、互いを想っていない夫婦も多く存在する。

 それでも実際に話を聞くのとは、受ける感覚も異なっていく。

 なにか明るい話題に切り替えたいが、アルフラッドの質問からはじまったので、どうしたものか悩んでしまう。

 だが、同じことを考えていたのか、

「とりあえず、気が滅入る話はこれくらいにしよう。またなにか聞くかもしれないが」

 多少強引ではあるが話題を変えることを提案され、そうですね、とうなずいた。

 それからアルフラッドは、足元に置いてあった鞄を持ちあげて、あれこれと出しはじめる。

 いくらか探したのち、あった、と呟いてひっぱりだした。

「お詫びというわけではなく、渡そうと思っていたものがあったんだ──これを君に」

 手渡されたのは、一冊の真新しい本だった。

 かなり分厚く、片手で持つのは少し大変なほど。

 しかしノウはその表紙の題名を見て、重さも忘れて表情を輝かせた。

「これは……地図ですね」

 地図、といっても壁に貼るものではなく、地域ごとに細かく分けられた書籍版だ。

 早速ページをめくり目次を確認すると、重さの分、縮尺も大きめになっているらしい。

 中を開けば、地形の隆起なども確認できる本格的なものだ。

「大体の地形と、この本ができた時までの主要な道が記載されている」

 アルフラッドは失礼、と断って身体を乗りだすと、ぱらぱらとページを動かし都の部分を出してきた。

「大門がここで、今通っている大街道がこれだ」

 無骨な指先が示した場所を確認し、なるほど、と納得する。

 地図で確認すると、確実に都から離れている。

 生まれてはじめての旅の実感に、むず痒いものが芽生えた。

「地図は持っているかもしれないと思ったが、それならそれで、こちらは書き込んだりしてもいいと思ってな」

「いえ、ここまでのものはないです」

 ノウは他のページも見て、弾んだ声をあげた。

 詳細な地図はかなり広域を網羅しているので、眺めるだけでも楽しそうだ。

「カーツには贈り物としてはどうなんだと言われたが……」

 ──たしかに、一般的な女性への贈り物としては、ため息をつかれるものかもしれない。

 だが、ノウにとっては、宝石よりよほど嬉しいものだ。

「お気遣いいただいて、すみません」

 だから丁寧に礼を告げたつもりだったのだが、その返答は気にいらなかったらしい。

 途端にきゅ、と秀麗な眉が寄ったので、なにかおかしかったかと首をかしげる。

 アルフラッドは口を開き、しかし考え直すかのように閉じ、それから、うん、と呟いた。

「今後謝るのは禁止にしよう」

「…………は?」

 突然の命令に、変な声が出たのはしかたがないと思う。

「前から感じていたが、君はすぐ謝るだろう? 今までの生活からの癖なのはわかっているが、あまりいいものじゃない」

 そうだったろうかと直近の記憶をたぐりよせる。

 謝罪の言葉が先に出ることに違和感を覚えないほど、長く使っている自覚はある。

 両親からの罵倒に反論すればもっと暴言が出てくるので、気を悪くさせないためにも、謝るのが日常になっていた。

 使用人たちとの会話では多少違っていたが、かれらに対しても余計な仕事をさせている追い目があり、やはりなにかと謝っていた気がする。

「今後は、謝らなければいけない時以外は、使わないように。いいな?」

 実際問題、領主夫人として動くとなると、言葉の使いかたも気をつけなくてはならない。

 言葉尻をとらえられ、面倒なことになることもある。

 そういう意味でも、軽々しく謝る癖は直したほうがいいのは、頭ではわかっているが。

「ど……努力します」

 返答が弱々しくなったのは容赦してほしい思いを汲んでくれたのか、アルフラッドは穏やかにうなずいてくれた。

 長い目で見守ってくれるつもりなのだろう。

「謝るより、ありがとうと言ってほしいな」

 続いての要求に、わかりましたと答える。

「では、改めて……本をありがとうございます、大切にしますね」

 ぎゅっと抱えこんで礼を口にすると、アルフラッドも笑顔になった。

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