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独身最後の夜会

 結婚が決まり、もう用はないと思ったのだが──ノウは夜会に出させられていた。

 あわよくば、という狙いではなく、今日はダニエル公爵がきているからだった。

 しかも、妻のほうがとなれば、ノウに出ろと言うのも無理はない。

 公爵夫妻、とりわけ妻のほうは、こちらのことを今でも気にかけてくれているので、可能なかぎり出席するようにしているのだ。

 おまけに、ここ数年、公爵夫人は人前に出ることが極端に減っている。

 体調がよくないという話だが、老人という年齢でもない。

 まだあちらが元気なころは公爵邸に呼ばれたりもしたのだが、本人が不調ではそれも叶わず、最近は手紙のやりとりだけになっていた。

 夫人はなにかと手紙を寄越してくれており、返事は書いているけれど、直に感謝したい気持ちはあったので、ノウも素直につき従う。

 だから、彼女との挨拶が終われば、すぐに追い払われるのだけれど。

「ああ、ノウ、会いたかったわ」

 夫人から声をかけてもらい、丁寧に挨拶をする。

 見たところ、少し痩せた様子ではあるが、その程度だ。

「少し彼女を借りてもいいかしら?」

「勿論です、どうぞごゆっくり」

 父はにこやかに返答し、夫人はノウを連れ、少し奥まった場所の椅子に腰かける。

 控え室に行ってもいいのだろうが、賑やかなパーティーの様子を見たいのだろう。

「いつも手紙をありがとうございます」

 深々と礼をすると、いいのよ、と微笑まれた。

 両親が健在なのだから、と、高額なプレゼントをすることはなくなったが、近況に加え、菓子だとか、小さなものも添えてくれる。

 娘らしいものを自分で買えない彼女にとっては、夫人とエリジャに感謝している部分が大きい。

 使用人たちとお喋りはするし、ニュースは調べるし教師から聞くが、それら世間の話は市民のものばかり。

 彼女らがいなければ、貴族の流行を知る機会がほとんどなかっただろう。

「そんなにかしこまらないでちょうだい、あなたのことは、娘のように思っているのだから」

 親というには年かさだが、祖母というには若すぎる、婦人はそんな年代だ。

 夫人にはとうに成人した息子も娘もいる。娘のほうは、王族に嫁いでおり、公爵家の力がうかがえるというものだ。

 二人に血縁関係はないし、彼女から見たノウの両親はよくできた人物だから、おこがましいのだけれど、と言い添えてくる。

 ノウとしては、両親よりよほど彼女のほうが想像する母親に近い。

 だから夫人が謙遜するたびに、逆だと口にしたいが、不可能なので勿体ないお言葉です、と返すだけだ。

 こういう場所でなければ、夫人には本当のことを伝えたかった。

 社交の場に出なくても噂は聞いているのだろう、手紙には何度も、結婚について気にしている文面があった。

 優しく穏やかなこのひとを、半ば騙している罪悪感から、沈みそうになる気持ちをなんとか保つ。

「久しぶりにお目にかかれて、お話もできて、嬉しいです」

 掛け値なしの事実を述べると、夫人はわたくしもよ、と微笑んでくれた。

 だが、その表情はどこか影があり、疲れているようにも見える。

「顔色が悪いです……無理をしてらっしゃるのでは?」

 誰か呼ぶべきか悩んだが、止められてしまった。

「年のせいかしらね、人混みが苦手になってきて……でも、大丈夫、せっかくあなたとおしゃべりできるのですもの」

 だからもう少し、と懇願されれば、断れるわけもない。

 会話の内容は他愛ないものだ、夫人の庭に植えてある花のことや、最近夫人から贈られたケーキのこと。

 たいしたものではない──けれど、両親との会話がないノウにとっては、貴重なものだ。

「顔色が、というならあなたもよ、……ちゃんとお茶は飲んでいる?」

「……はい、ちょっと……苦いですけど」

 お茶、というのは夫人から届く薬草茶のことだ。

 どうしても体力などが他の令嬢に比べて劣るノウにと、夫人が自分が飲むついでにと、いつも送ってくれるのだ。

 しかし、味はお世辞にもよいとはいえず、強烈な苦みがあり、正直に言えば苦手だった。

 健康にいいならと大部分をとりあげようとした両親ですら、その味に耐えきれず、公爵夫人のお気持ちなのだから、全部お前が飲め、と突き返された過去もある。

 しかし、飲んだあともしばらく口の中に苦みが残るので、夫人には悪いがこっそり処分したりする。

 どうも夫人は、そういう各地のあれこれを集めるのが好きらしく、妙な置き物をもらったこともある。

 図書館にしかないような本に載っていたそれが、縁起のよくないものだったりした落ちもあったのだが……

 どこか浮き世離れしたところのある夫人は、しかし憎めない女性だ。

 そんな彼女に、結婚のことといい、言えないことばかりが増えてきて、どうにも居心地が悪い。

 夫人と話せるのは嬉しいのに──と葛藤していたが、いくら彼女がいいと言っても、長時間独占はできない。

 ちょうどいいころあいで夫人の使用人が近づいてきたので、辞去の挨拶をしてその場を去ることにした。

 肝心なことは話せなかったが、遠くへ行く前に直接会えたのは幸いだった。

 いつもならこのまま控え室に下がるくらいの時間だが、今日はどうしてももう一人、会いたい人物がいる。

 父は挨拶に忙しそうだし、相手が彼女であれば、許可は不要だろう。

 素早く周囲を見渡して、目指す一団を発見すると、ノウは壁際を目立たぬよう進んで行く。

「皆様、こんばんは、ご挨拶が遅くなって申しわけございません」

 ほどなくしてたどりついたのは、エリジャたちのいる場所だ。

 普段と変わらない様子で出迎えてくれた彼女だったが──しばらくお喋りをしたあと、疲れたわ、と呟いた。

「少し下がるわ、ノウ、あなたも一緒に」

「あ……はい」

 ちっとも疲れた様子はないので、ノウを気遣ってのことだろう。

 他のみんなも察したらしく、行ってらっしゃい、と穏やかに見送ってくれた。

 正直なことを言えば疲労を感じているし、エリジャと二人きりで話したくもあった。

 おそらく彼女も同じなのだろうという想像は、控え室に入ってすぐ確信に変わる。

 疲れているとは思えぬ機敏さで席についたエリジャは、即座に人払いをしたからだ。

「ノウ、手紙にあったことは、本当なの?」

「はい」

 使用人に頼んでこっそりエリジャにとどけた手紙には、ことのあらましを包み隠さず記しておいた。

 これまでの交流で、間違いなく彼女にとどけられると知っていたからできたことだ。

 てっきり返信がくるものと思っていたが、直接会えるならそのほうがいい。

「遠すぎるのが心配だけど……あなたの様子を見るかぎり、都にいるよりはよさそうね」

 どこかいつもと違うだろうか、と不思議に感じたが、エリジャにはそう見えるらしい。

「なにかあったら連絡をちょうだい、力になれるとは……正直断言できないけれど……」

 いつもはきはきと喋る彼女が口ごもるのは珍しいが、それも当然だろう。

 クレーモンス伯爵は、特にどこの派閥にも属していない。

 よって、エリジャの家から圧力をかけることは難しい。

 それでもと言ってくれるだけでも、十分すぎることだ。

「ありがとうございます。不安がないとは言えませんけど……でも、頑張ってみます」

 考えたってどうなるものではないし、現状より悪化することはないだろう。

 少なくとも、声をあげて聞いてくれるアルフラッドがいる。

 助けて、と叫んでも、直接手を出せないエリジャたちより、その点では頼りになる。

 ──精神的な面では、勿論まだ彼女たちに軍配が上がるけれど。

「あなたはわたくしの大切な友人よ、それを覚えていて」

「もったいないお言葉です……ありがとうございます」

 エリジャは何度もそう口にして、そのたび同じように返してきた。

 対等とはとても思えなかったし、今でもそう感じている。

 爵位的なものだけでなく、他のなにもかも、つりあっていないからだ。

 だから礼を述べるだけにとどめていたのだけれど──

「……わたしも、あなたが友人なことは、とても嬉しくて、誇らしいです」

 当分──もしかしたら二度と会えないかもしれないのなら、きちんと言葉にすべきだろう。

 ノウの言葉に、エリジャは驚いたように目を見開いて、それから、くしゃりと笑顔になった。

 それははじめて見る、年下らしい少女めいたもので、その後少しだけ二人きりで話して、会場へもどった。

 その日はアルフラッドを見かけなかったが、こんな状態で彼に会えば、たくさん喋ってしまいそうで、いないことにむしろほっとした。

 連日あれこれ作業に追われているせいもあって、最後のほうは大分体調も悪くなっていたが、気持ちはすっきりしていたので、どうにか両親に勘づかれず帰宅する。

 使用人に甘えて大部分を手伝ってもらい、ノウにとっての楽な服装に着替えると、覚えずついたため息は大分重たかった。

 このままベッドへ入ればすぐ眠れそうだが──その前に、机の前に移動する。

 そこにちょこんと載っているのは、かわいらしい包みに入った焼き菓子だ。

 エリジャのもとで食べたことのある、都でも人気の洋菓子店のものだ。

 価格も手ごろなわりに味がいいので、エリジャもよく使用人に買いに行かせているという。

「……アルフラッド様が知っていたのは、ちょっと意外だけれど」

 失礼かと思いつつも、正直に呟いてしまう。

 けれど、気遣いはとても嬉しかった。

 ノウの説明と、アルフラッドの態度によって、使用人の誤解は解けたらしい。

 とどけてくれた女中も、ほっとした顔をしていたから、無事に送りだしてくれるだろう。

「食べるのがもったいないわね……」

 金色のリボンをほどく気になれなず、ちょんちょんとつついてみる。

 とはいえ、日持ちすると言っても限度があるし、旅の前に食べるべきだろうが。

 流石に今夜ははやめておいて、みんなが開くという会の時に、少しずつ分けて食べようと決めて、ベッドへ入った。

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