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クレーモンス伯爵

 うつむいていた顔を上げると、そこには一人の男性がいた。

 ノウよりも背が高いので、見上げるようなかたちになる。

 漆黒の髪の毛に金色の瞳、文句なしに整った顔立ちは、美形と呼んで差し支えない。

 詳しい色味はよく知らなかったけれど、ノウには誰かすぐにわかった。

「気分が悪いなら、誰か……呼びましょうか?」

 続けて言うそのひとに、いいえ、と首をふった。

「いつものことなので、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

「いつも……?」

 ノウの返答に、彼は不思議そうな顔をした。

 身分が下であるノウに対しても敬語ということは、こちらのことを知らないのだろう。

 彼女の噂を知っていれば、そもそも話しかけてくる可能性も低いだろうし。

「あまり頑丈ではなくて……しばらく会場で過ごしたあとは、控え室に下がらせてもらっているんです」

 もう少しだけ説明すると、なるほど、と納得された。

 とはいえ、彼の目の前でエリジャの控え室に行くのははばかられる。

 男爵風情が公爵用の部屋を使うのだ。付き添いでもなく、一人で。

 さらに問題なのは、その事実を父が知らないということだ。

 父に告げ口はしないと思うが、なにせひととなりがわからない。

 どうしたものかと悩んでいると、その、と彼が口を開く。

「……私、も少し休憩したいと外に出たんですが、どこへ行けばいいのかよくわからなくて」

 この大きな身体で、あれだけもてはやされていたのに、どうやって抜けだしたのだろうと、純粋に疑問が湧いた。

 だるそうに首を回す姿は隠すこともなく気疲れが見えて、すなおな表現が微笑ましくなる。

 ──などと年下に思われたら気を悪くするだろうから、顔には出さないようにしておく。

「爵位に応じて休める場所はありますけれど……大抵は女性が使うので……」

 男性にとっては大切な社交場だから、あまり席を外すことはない。

 女性と連れだって、ということはあるが、一人では目立つだろう。

 そこへ誰かが押しかけてくれば、逃げ場もないので、今の彼には薦めづらい。

「ベランダを覗いてみたんですが、邪魔になりそうだったので……」

 端切れ悪く言葉を濁すのに、ああ、と軽くうなずいてみせる。

 ベランダは男女が睦みあっていることが多い。

 勿論、良識ある範囲でだが、一人で行くと辟易するのは間違いないだろう。

 ノウも流石に、そこへ逃げたことはない。

「……でしたら、庭はどうでしょう?」

 体力的に疲れているのでないならと、薦めてみることにした。

 奥庭までは無理だが、会場周囲の庭は開放されていて、招待客なら見ることができる。

 昼のお茶会のように花は楽しめないけれど、それなりに見応えがあるはずだ。

 開けた場所なら見通しもいい、誰かに捕まることも少ないだろう。

 ノウの提案に、彼は庭か……と呟いたものの、動く気配はなかった。

「……よければ、案内しましょうか?」

 この家のパーティーには何度か出たことがあるので、道順はわかる。

 逆に、彼が噂どおりの人物なら、都のパーティーははじめてのはずだ。

 こうした建物のつくりは大抵似ていると言っても、最初はまごついても当然だろう。

「では、……いや、でも、体調が悪いのに頼むわけには」

 うなずきかけてから、さっきのことを思い出したのだろう、言葉を濁す。

 優しい対応に、笑い返せればいいのだが、どうもうまくいかないのであきらめる。

「少し行儀は悪いですが、壁を支えにゆっくり歩けば、大丈夫ですから」

 疲労が主なものだから、無理をしなければどうにかなる。

 少なくとも、案内する程度なら問題ない。

 自分の身体のことだから断言できるので、きっぱりと告げた。

 それを感じとったのだろう、まだ少し遠慮しながらも、頼みます、と答えた。

 では案内を、と方向を教えようとしたのだが、その前に、と彼がノウを見つめ、左側に立った。

 それから、エスコートするように肘を出した。

「つかまって歩けるなら、これで大丈夫ですか?」

 杖の代わりになる気らしい。ノウが左側の壁づたいに歩いていたのを見ていたのだろう。

 一瞬悩んだが、たすかることは事実なので、甘えさせてもらうことにする。

「少し高すぎるかもしれませんが、壁よりはましでしょう」

「ありがとうございます」

 そっと手を添えて歩きだすと、歩調をすぐに合わせてくれる。

 余計な力も入っておらず、こうした行動に慣れていることがうかがえた。

 おそらく、彼の以前の経歴ゆえなのだろう。

「それと……わたしのほうが爵位は下ですから、敬語はやめてください」

 歩く速度もゆっくりなので、喋る余裕もある。

 さっきから気になっていたことを告げると、少しの間のあと、わかった、と返ってきた。

「正直、そのほうが助かる。……こういう場ははじめてのようなものだから、肩が凝ってしかたがないんだ」

 ふう、とついた息は予想以上に深く、鋭さを持つ顔立ちもずいぶん弱々しい。

「あなたのおかげで息抜きができそうだ、庭なら誰かきても逃げられるしな」

 嬉しそうに言われると、なんと返していいか悩んでしまう。

 こんなふうに男性から屈託なく喋りかけられたことなどないからだ。

 曖昧にうなずきながらも進んでいくと、やがて外に通じるドアにたどりつき、先へ進めば夜の庭園が広がっている。

 ここの主は大輪の花を好むので、日中は少々派手すぎるきらいがあるが、夜は静かだ。

「巡回の警備が見える範囲なら、好きに過ごして問題ありませんから」

 周囲にはいくつもベンチが置いてあるので、時間を潰すこともできる。

 支えにしていた腕から手を離し、失礼の挨拶をしようとしたのだが、

「──よければ、そのへんにすわって話につきあってくれないか?」

 予想外の言葉に、まばたきをして背の高いそのひとを見上げてしまう。

 ノウも背が低いわけではないが、彼は頭ひとつ平均より大きいから、上を見ないと視線が合ってくれない。

「わたしと喋っても、楽しくないと思いますが……」

 とりあえず、控えめにやめたほうがいいと提案してみる。

 この暗さなので、遠目には誰といるかわからないだろうが、最初から悪印象を与える相手といなくてもいいだろう。

 噂程度でどうこうなる存在ではないだろうが、それでも、親切に声をかけてくれたのだ、なにか言われる要素になりたくない。

「一人でいて、また囲まれるのも正直鬱陶しい。助けると思って頼まれてくれないか?」

 だが彼は頑として譲るつもりはないようだ。

 ノウの噂を知らないからだろうが、立ったまま説明するのは少々つらくなってきた身体には厳しい。

 やむなく、一番近くのベンチに腰を落ちつけることにした。

 紳士的な距離を空けてくれたことに安堵して、合わせやすくなった顔を見る。

「……きちんと名乗っていなかったな、すまない。私はアルフラッド・クレーモンス、一応伯爵位を持っている」

「ノウ・ブーカです、……男爵の娘です。名乗られる前から存じ上げていましたので、問題ありません」

 名乗っても、彼の様子に変化はない。

 表情を変えないだけなのか、本当に知らないのか、ノウには判断がつかなかった。

 回りくどい文言でやりとりしたくとも、交渉慣れしているわけではない。

「知っていた? あなたとは初めて会うと思うんだが……」

 きょとんとしている姿は演技には見えない。

 それなりに有名人なのだという自覚はないようだ。

「その……とても、背の高い美形だと聞いていたので、一目見たいと他の令嬢とも話していたんです」

 直接本人にこれを言うのはと思うが、正直に教えておく。

 エスコートしてくれたお礼になるかは疑わしいけれど。

「はじめていらっしゃるかたは、皆様気になりますし、それがあなたのように、目立つかたならなおさらです」

 夜会に初参加というだけで、好奇の視線が集まるものだ。

 加えて背丈と容姿がそろえば目を引くし、どんな人物か見てみたい、話してみたいと思う者も多くなる。

 そこには単純な興味だけでなく、色々な思惑も絡んでくるわけだが。

「それでか……延々声をかけられるし、四方から視線を感じたし、見世物小屋の動物の気分だったぞ」

 言い得て妙な表現に、笑いそうになるが耐え抜いた。流石に失礼だろう。

 よくそこから抜けだせたものだと感心してしまう。

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