二度目の訪問
アルフラッド視点
「──それじゃ、ノウ嬢のところへ行ってくるな」
服を着替えてカーツに告げると、彼ははい、と返事をしてから、据わった目で見つめてきた。
「……どこか変か?」
ちゃんと貴族に見えるようあつらえた服だから、問題ないはずだが。
問いかけると、カーツは冷たい目のまま、手、と呟く。
「手?」
「手土産は持っていかないんですか」
「……男爵には十分渡したから不要だと言ったのは、カーツだろう?」
すでに何本も渡した希少な酒は、男爵には過剰なほどだ、というのが彼の談だ。
手持ちもほとんどなくなったというので、今日はなにも用意していないが、それで機嫌を損ねることはないだろう。
貴重な酒をと怒っていたくせにと思いながら答えると、そうじゃない、と首をふられた。
「令嬢への手土産ですよ、仮にも結婚相手でしょうが」
──まったく考えていなかった。
と正直に告げれば間違いなく怒られるので黙ったのだが、なによりの返答になったらしい。
ぎり、とあからさまに眉がつり上がった。
「まさか手ぶらで行く気ですか? 正気か」
本気で腹を立てているらしく、いつもより言葉がぞんざいになっている。
しかし、アルフラッドにも一応言い分はあるのだ。
「ノウ嬢と両親の件は言っただろう? かれらの目の前でそんなことをすれば、怪しまれてしまう」
カーツたちには、ノウは両親から蔑まれているが、それを自分が知っていると気づかれると厄介なのだ、と説明してある。
独自で調べた情報では、ブーカ男爵は善人かつ優秀と出てきたようで、半信半疑といった様子だが、最終的には主である自分の言葉を信じてくれた。
だから、手土産なんてもってのほかだと続けたのだが、カーツの説教はなくならない。
「だからって、自分で選んだ相手にその扱いはないでしょう。こっそり渡す方法の一つ二つあるんですし」
──たしかに、普通の貴族の屋敷なら、使用人に小金を渡して、という方法などがある。
小金を渡される側だったし、なんなら経験もある身だ。
だが、彼女の家でそれが通じるかどうかはよくわからない。
確実に彼女と二人きりで会えるのは夜会の場だけだが、どのパーティーに出るかは知らないから、手段としては微妙なところだ。
「──そもそも贈ることすら浮かんでなかったくせに、余計な言い訳だけは頭が回りますね」
しらけた表情をされ、思わず首をすくめると、はーっと深いため息をつかれた。
だが、しかたがないだろう、こちらは長年、そういうものと無縁の生活をしてきたのだから。
勿論学生時代もそのあとも、女性は周囲にいたが、当時の彼にとって大切なのは母の存在で、他は二の次だった。
学生時代には、恋人と呼べるような存在はつくらなかったし、卒業後も、声をかけられて、まあ……ということはあったが、関係を深めることはしなかった。
アルフラッドは自分の立ち位置が曖昧なことを自覚していた。だから、迂闊に関係を持って、相手に迷惑をかけることを避けたかった。
異母弟が爵位を継ぐまではおとなしくしていよう、といつからか考えていたし、母亡きあとは、命じられるまま僻地を渡り歩く生活も気に入っていた。
一カ所にとどまらない生活では、特定の相手などつくりづらい。
結果的にこうなったから、それは間違ってはいなかったと思う。
だから、女性になにか贈るという思考に至らないのも、当然だ。……と反論すれば、思い切りバカにされることは明白なのでやめておく。
自分で考えても、これは大分どうしようもない。
己の恋愛遍歴のなさを白状する気にもなれず、しかしカーツの言うことは一理どころかあるわけで。
「だが、贈り物といっても……」
約束の時間まではあまり余裕もない上に、アルフラッドはなにを渡せばいいかもわからない。
どうしたものかと小さくなっていると、カーツがヒントを出してくれた。
「普通は花や小物、菓子類ですかね」
──言われてみれば、軍人時代、同僚たちが意中の女性に贈っていた気がする。
まったく興味がわかなかったので適当に聞き流していたのだが、こんなことならちゃんと混じっておけばよかった。
情報は大事だと、身をもって知っているというのに、内容が恋愛沙汰だと切り捨てたのは失態だった。
きっとノウだったら、自分とは無縁だと思いつつ、役立つかもと留意しておくだろうに。
そういえばそうだったと思い出しても、ではどこで買えばいいかなどは、まったく浮かんでこない。
領地内なら地図だけでなく店も情報として記憶しているが、都に関してはどうせ当分こないから、と地形把握だけしかしていないのだ。
むう、と唸っていると、かさかさと音がしたあと、これを、と渡された。
「そんなことだろうと思って用意しておきました、都で有名な菓子店のものです」
愛らしく包装されたそれは、いかにも女性むけ、といった様子だ。
片手で持てる小ささだが、これくらいのほうが重荷にならなくていいんです、と言われて納得する。
……どんな顔をしてカーツが買ったのか気になるが、聞いたあとが恐いので自重する。
「渡し方は自分で考えて下さい、ただし持って帰ってきたら許しませんよ」
「…………わかった」
重々しくうなずいて、行ってくる、と今度こそ外へ出る。
──許さないと言ったって、なにができるわけもない。
経営のことなどに関してはあちらが先生でもあるから、時々どちらが上かわからなくなることはあっても、アルフラッドは領主で、カーツが部下である事実は変えられない。
それに、渡すことができなくても、誰かにあげるなり、自分で食べてしまえば、持ち帰らずにすんでしまう。
そもそも問いただされたところで嘘をつけばいいだけのことだ。
だが──そんなことはしたくない。
カーツに対して正直でいたいという気持ちが半分と──きっとノウは、こういうものも滅多に口にしていないから、食べさせてやりたかった。
そう気づいたら、是が非でも渡さなくては、と強く思った。
しかし、現状ではよい手立ては浮かばない。
「──さて、どうしたものか」
ちんまりした包装を前に、アルフラッドは到着までの間、馬車の中で大いに頭を悩ませた。
──結果的には、その悩みは無駄に終わったのだが。
そうして、たいして時間もかからず、アルフラッドを乗せた馬車は男爵邸に到着する。
詳細の打ち合わせをするためで、正直面倒くさいが、しないわけにもいかない。
出立の日と、教会での宣誓だけは、最低限決めなくては動きようがないからだ。
だが、ノウのためとは言え、素っ気ない態度や、彼女を都合のいいモノ扱いするのは心苦しいのもある。
いくら彼女の両親に怪しまれないためとわかっていて、ノウもそれを納得していてもだ。
気にしないと言っていたって、そういう負の感情は、小さなホコリのように少しずつ積み重なり、やがて放置できない大きさになる。
せめて、彼らのもとを離れたあとは、思い切り人生を楽しんでもらいたい。
そのための労力を惜しむつもりはないし、幸い、その程度の財力はある。
とはいえノウの性格からすると、律儀に仕事をしようとしそうだが、そのあたりは彼女に助力を乞えばいい。
手伝ってもらう日がくるとしても、とりあえずは、今まで抑圧された分、好きに過ごしてほしいのだ。
領地内に若干の問題もあるので、そのあたりは気をつけなければならないが、ノウは賢い娘だ、きちんと説明すれば理解してくれるだろう。
そのためにも、ここで躓いているわけにはいかない。
億劫だが、うまく演技をしてこなすしかないと、気を引きしめ直した。