カーツの苦労
カーツ視点
朝から落ちつかない主を、カーツはうんざりした目で見ながら自分の作業をしていた。
昨日はどうしても外せない用があったため、同行できなかったことが悔やまれる。
結婚の申し出だというのに、一人で行くなんてと絶叫したが、本人はどこ吹く風だった。
それなりに勝算があったのだろう、そもそも勝てない戦に行く主でもない。
だが、それでも返事は気になるらしく、うろうろする姿は、いい加減鬱陶しい。
恋に浮ついた様子とは違うのだが、結婚したいというくらいだから、情があるのは間違いないようだ。
その後急いで調べた彼女は、たしかに同情したくなる生い立ちだった。
アルフラッドの身の上と似てはいないが、通じるものがあったのだろう。
打算の結婚で失敗するよりは何倍もマシだし、本人が望んでいるなら外野がとやかく言う筋合いはない。
ないのだが、愛妻家で子煩悩な夫であり父であるカーツとしては、やはり気になるもので、緊張がうつってしまってこちらまで居心地が悪い。
──待望の手紙がとどいたのは昼近くになってからだった。
本人がペーパーナイフで封を開き、素早く中味を確認して……よし、とうなずく。──ということは。
「了承されたぞ」
察してはいたが、そうですか、と返す。
おめでとうございますと言うべきか悩んだが、それより彼が言葉を続けた。
「詳細を詰めなければな」
すぐにも出て行こうとする勢いだったので、慌てて止めた。
いくらなんでも性急すぎる、帰還の日どりを明確に決めたわけではないのだから、そこまであせらなくてもいいはずだ。
「相手は貴族ですよ、今日は返礼の手紙だけにしておくべきです」
その中で訪問する日を問うべきだと諭せば、わかった、とうなずかれる。
こういうところは素直でありがたいのだけれど、と小さく嘆息した。
「……それに、となるとこちらも準備をしておかなくてはいけませんし」
すべて準備できるかは微妙だが、ある程度支度をしておかなくては、むこうの家も安心できないだろう。
日数が少ないので、どこまで望みどおりにできるかは怪しいので、カーツとしては不服が出そうだが。
しかしカーツの言葉に、アルフラッドはきょとんとした顔になった。
「準備? 一緒に帰るだけだろう」
心底わからないといった様子に、思わずこめかみを押さえた。
「……まさか、我々の馬車に乗せるつもりじゃないでしょうね?」
「────あ」
この阿呆、と罵らなかった自制心を褒めたい。
今気づいたという主の姿に、深々とため息を吐いたのはしかたがないだろう。
少人数でやってきた一団は、貴族とも思えぬ人数だ。
誰に言っても信じてもらえないような数になっている。
身の回りを整える使用人は一人もおらず、まともな馬車もないのだ。
カーツと部下は商会の馬車に乗ってきており、あとは荷馬車しか存在しない。
アルフラッドたちはどうやってきたかといえば、全員乗馬してだ。
商会の用事で遠出することもあるので、使用しているのは決して粗悪な馬車ではないが、それでも貴族の令嬢を乗せていいとは思えない。
そもそも、自分たちと同乗などいいわけがない。
「……用意できるか?」
完全に失念していたらしい主におずおずと問われ、できますよ、と答える。
ただし、日がないし、急なことだからどの程度のものがあるかは、行ってみないとわからない。
「かかった分は惜しまないから、なるべくいい馬車にしてくれ」
アルフラッドの言葉に、おや、と思う。
やはり、それなりに彼女への情はあるようだ。
最も、ここで安くすませようとしたならば、今度こそ張り倒しただろうが。
「わかりました。なるべく乗り心地のよいものを選んできます」
クレーモンス領までは距離もある。長旅に慣れないお嬢様にはなかなか厳しいだろう。
幸い、カーツにはそれなりの伝手がある、駆使すれば値が張る馬車でも借りられるはずだ。
馬もなんとかなるだろう。社交シーズン終了間際になると同じような者が増えるが、少し時期が早い分、まだ余っているはずだ。
「荷馬車も増やしますか?」
貴族の令嬢となれば、ドレスだなんだと多くなるし、使用人も連れて行くだろう。
しかしカーツの言葉に、アルフラッドはしばらく考えて、多分不要だ、と告げた。
「彼女は色々と普通の令嬢とは違うから、おそらく……大丈夫だろう。明日確認する」
本当か? と疑ってしまうカーツは致し方ないだろう。
胸のうちでもう一台当たりをつけておこうと決めながら、他に二、三確認すると、カーツは急いで出る支度をする。
とにかく、移動手段だけは先に確保しておきたい。
よいものを、と望まれているなら、なおさらだ。
「手紙は私が確認しますから、出さないで下さいね!」
業務連絡なら問題はないが、仮にも結婚相手の家へ出すものだ。
無味乾燥としたものではよろしくない。
この主に任せれば、軍隊時代の文書になりかねない。
仕事では簡潔でわかりやすいと評判だが、それを結婚する相手に許す気にはなれなかった。
カーツは出がけにくどくどと念を押して、慌ただしく外へと飛び出した。
「──副隊長ってブスが好きなのかなぁ」
夜、酒を飲みながらの会話となれば、あけすけな話題も出てくるもので。
男の言葉に、同僚はなんだそれ、とけたけた笑った。
「だって副隊長時代、すっげぇ美人が寄ってきても素っ気なかったんだよ」
昔からアルフラッドと一緒だった彼は、酒の席ではよく昔の話をする。
本人の前では遠慮しているが、ここにはいないから気が緩むのだろう。
もう一人は領地育ちなので、昔の話に興味津々だ。
「たしかに、今もモテてるけど、どうこうないしな」
──そうだな、とカーツは心の中で同意する。
なにせ領主だ、しかも若いし、美形でもある。
少々鋭すぎる顔をしているが、それがいいという意見もあるくらいだ。
街中を視察していれば、声をかけられるのはしょっちゅうで、たまに行列までできる。
あわよくばおこぼれをと狙い、彼についていこうとする部下は後を絶たない。
「だのにえーと、ナントカ令嬢と結婚するんだろ?」
「ブスだとはかぎらないんじゃないか? 貴族だから結婚しなきゃって言われてるわけだし」
ずっと浮いた噂のなかった主が、唐突に結婚を決めれば、それは酒のネタにもなるだろう。
あまりにひどい話題になれば止めるつもりでいるが、カーツも彼女の顔を知らないので、とりあえず黙っておく。
彼らは性格が悪いわけではないし、剣の腕もなかなかなのだが、そこまでだ。
とてもではないが、従者として控えさせるわけにはいかない。
添削して出した手紙にはすぐ返信があり、明日また男爵家を訪れることになった。
しかし、カーツは馬車の件やらで出なくてはならないので、再びアルフラッドを一人で行かせることになる。
せめてもう一人、こういう状況でも使える者を連れてくるべきだったと後悔するが、どうしようもない。
それなりに芸達者な主は、大きな失敗はしないだろうけれど、それでも心配になるのだ。
これを本人に言うと、保護者顔はやめろと渋い顔をされるのだが、実際そういう気持ちなのだからしかたがない。
ならざるをえなかった領主に就いた彼はしかし、腐ることなく職務をこなし、わからないことは覚えようとつとめている。
そのために、カーツたちに頭を下げることも厭わない。
それを領主のくせにと笑う者もいるが、カーツは逆で、好感を持っている。
でなければ、商会の者だけで都にきただろう。
カーツにとってアルフラッドは、領主であり、主であり、教え子であり……少し手のかかる子供のようなものなのだ。
息子のいないこともあり、余計そうなるんだろうと、カーツは自己を分析している。
そんなふうに思っているから、結婚相手の令嬢のこともとても気になるのだが、ひととなりはつかめないままだ。
傷のことはすぐにわかったが、体調がよくないらしく、ほとんど外に出てこない。
正直、領主夫人としてつとまるのか不安なところだ。
領地にはあのかたがいるから、いなくても回るのは事実なのだが、足手まといにはなってほしくない。
彼らは容姿ばかり気にしているが、カーツにとっての懸案事項はそちらのほうだ。
しかし、このままでは顔合わせは当日までお預けになりそうで、そっとため息をついた。