アルフラッドの訪問
そして翌日、いつのまにか眠っていたおかげで、どうにか隈をつくることはなかった。
昼用のドレスに身を包み、そわそわする姿を見咎められたくなくて、呼ばれるまでは自室に引きこもることにした。
気晴らしをしたくとも手につかず、ひたすら小さな窓から外を見ていると──見慣れない馬車が入ってきた。
とはいえ、ここで部屋から出ては父になにを言われるかわからない。
緊張からにぎりしめた手も顔色も白くなりかけていたが、いつもと大差ないのが幸いだった。
ややあって、給仕係が呼びにきたので、両親とそろって玄関で出迎える。
「ようこそいらっしゃいました、狭い家で恐縮ですが」
にこやかに微笑む父に、アルフラッドも笑顔を浮かべている。
貴族としてはあまりないことだが、どうやら一人できたらしい。
勿論御者はいるのだろうが、従僕としてつき従うことはしていない。
しかし彼の態度は堂々としたもので、父とは年期が違う部分を、その威圧感でカバーしているようだった。
儀礼的な挨拶をしたのちに、明るい応接室へと移動する。
男爵家ということもあり、言うとおり屋敷は大きくないが、この部屋は角に位置しており、日中はほとんど日が入るようになっている。
置いてある調度品や家具も、驚くほどの高級品ではないが、全体を雰囲気よくまとめており、居心地よいもので、訪れた者からは好評だ。
このあたりのセンスは、昔からあちこちの茶会に出て情報収集し、本人もそういうことが好きな母の手腕による。
「ああ、そうだ、これは土産です」
席について、アルフラッドは木箱に入ったなにかをふたつ、父にさしだした。
細長い形状からして、酒だろうと判断する。
印字されている文字は八年とあるから、それなりの品なのだろう。
ありがとうございますと丁重に礼をして、懇意にしている公爵お気に入りの窯でつくられた茶器が運ばれてくる。
茶葉もその公爵が好きな銘柄だ、事前に情報があれば、父はそれらをすべて相手の好みで揃えるが、アルフラッドの場合は判断ができなかったらしい。
しかし特にこだわりはないらしく、おいしいですねとにこやかに微笑んでいた。
ノウは会話にあまり入らず、おとなしく聞き役に徹することにする。
こういう時に邪魔をすれば、あとで叱られることがわかりきっているからだ。
「──それで、今日はお礼以外にお願いがありまして」
やがて、アルフラッドがそう切りだし、両親にいくらかの緊張が走る。
「ノウ嬢を、私の妻に迎えたいんです」
それを知ってか知らずか、彼はいくらの間もとらず、言葉を続けた。
少しは予測していただろうが、意外な気持ちもあるのだろう、両親は演技でなく驚いているようだった。
「それは……その、ありがたいお話ですが、娘は色々とさわりがありますから……」
ノウは注意深く両親の様子を観察する。
多少の情報は仕入れてあるのだろう、拒否するほどの強いものは感じられないが、どれだけ利があるかも計りかねているらしい。
不服であるなら、彼が異論を出せない相手を持ちだして断ればいいだけの話だ。
それをしないということは、両親は彼との結婚について、結論を出しかねているということ。
「傷のことなら承知しています。見てはいませんが」
アルフラッドはけろりと言い放つ。さりげなく、ノウに手を出していないことを強調するが、ノウはその部分に気づかない。
彼は悠然と、笑顔を消さないまま話を続ける。
「──その上で、お願いしているんです。許して頂けるなら、数日後に私が帰る際に、一緒に領地へ連れて行きたいと思っています」
「また……急ですな」
急ぐ様子になにかがあると感じたのだろう、探るような目になる。
普通は事前準備に時間をかけるもので、一般的な親なら訝しんで当然のことだ。
ノウに関して言うならば、さっさと追い出したいところだから、ありがたいくらいの申し出だとしても、すなおに表に出すわけはない。
「何度も領地と往復するのは面倒ですからね、手間は一度にすませたいんです。それに……式だなんだと、煩わしいこともしたくないので」
アルフラッドはあくまでにこやかな態度を崩さないが、言葉は穏やかとは言いがたい。
通常であれば式は大切なものだというのに、それを鬱陶しいからしたくない、と断言する。
仮にも妻にしたいと要求したのにも関わらず、迎えにもう一度都へくるのも面倒だとすら言い放つ。
「父の体調もよくないので、それを理由にすれば、式をしなくても領民から文句は出ないので、ちょうどいいんです」
彼の父の状態がどこまでひどいのかはわからないが、跡取りを急いだことからして、そう長くはないのだろう。
となると、めでたい席へ出ることは困難だし、親がその状況で式など、と非難する者も出てくる。
それを理由にして、ノウとの式などしたくないのだ、ととれる表現だ。
言っていることはどれも彼の本心なのだろうが、事情を知らない両親が聞くと異なる意味にとれるだろう。
「急ぎですからさして荷物もいりません、必要ならあとで送れるよう手配します、持参金も気にしなくて結構。……私にとっても、あなたがたにとっても、都合のいい話だと思いますが?」
咎める響きは一切ない、あくまで、お互いに利益があると本心で口にしている。
その利益にズレが生じているわけだが、両親はそれを知らない。
ノウとアルフラッドの話を聞かされていないかれらにとっては、いいことづくめの提案だ。
きちんとした結婚であれば、しかも都に主に住む貴族相手ならば、披露目などのパーティーは必須だ。
それに、婚家へ持っていく荷物も色々必要になる。
そのあたりを出し惜しみすれば、すぐに知られて噂になってしまう。
娘に無駄金を使いたくない両親にとっては、誰に嫁ぐとしても、それが頭の痛い問題だった。
しかしアルフラッドが相手ならば、それらの懸案事項が解決されるという。
「父の様子も気になりますので、出発はあまりずらせません。無理は承知の上ですが……明日までにご返答いただけませんか?」
長考させれば利のある他の貴族へ気が変わるかもしれない。
だからこそ速度を重視し、急ぐ理由もきちんと明示する。
急がせればそれだけ、判断力も低下しやすく、目先の利益に飛びつくだろう。
父は愚かではないから、この場の勢いでうなずくことはないが、それでもうまい方法だ、とノウは感心してしまう。
「──わかりました、明日までには必ず」
今、父の脳内では様々な計算がめまぐるしい勢いでなされているのだろう。
それをおくびにも出さない様子は、流石としか言いようがない。
「いい返事を期待していますよ」
対してアルフラッドは断られるとは微塵も思っていない様子のまま、なごやかに会話は終了した。
結局ノウはほとんど喋らないままだったが、それが逆に彼の言う「都合がいい」の説得力を増したらしい。
ノウのことを気に入っているのは事実だけれど、それが主な理由ではないから、彼女に構うことはなかった、という態度が、父にはしっくりきたらしい。
欲しいのは、あくまで「妻」という存在だけ。
それに時間も手間もかけたくない──その様子のほうが腑に落ちるというのも、複雑ではあるが、両親には当然なのだろう。
アルフラッドもお仲間だと思われるのは心外だが、否定すればややこしくなる。
彼が帰ったあと、両親はノウを同席させずに長いこと話しこんでいた。ここからしても、彼女の意見を聞くつもりがないのは明らかだ。
──そして夕食の時間も近づいたころ、ノウは書斎に呼びつけられた。
「決めたぞ、お前はクレーモンス伯爵へ嫁げ」
「……わかりました」
問いかけもなにもなく命じられたが、顔を下げてうなずいた。
ここで反論しても逆効果にしかならないからだ。
「狙っていた家から断られたからどうしようかと思っていたからな……ちょうどいい」
それは、ノウにとっても幸いだった。
でなければ両親は周囲の冷たい目も気にせず、ノウを老人へ嫁がせていただろうから。
クレーモンス伯爵の領地は遠く、あの調子では滅多に都にも上がってこないだろう。
唸るほどの資産があるわけではないが、収益はまずまずだから、身を持ち崩して頼られることもない。
妻の実家ということで、手に入りにくい酒を確保してくれるだろうから、その点では大きな利点になる。
それに、年齢もまあまあつりあうから、周囲から反感も買わないだろう。
──などということを、実際にはもっと罵りながら説明される。
「明日了承の返事を出す。荷物はさしていらないと言われたが、勘ぐられても困るからな……多少は持たせてやろう」
ただし側仕えは出せないから一人で行けとつけ加えられる。
慣れ親しんだかれらと別れるのは寂しいが、迂闊な言動は自分だけでなく、かれらまで苦しめてしまう。
どのみち「はい」以外は求められていないのだ。
「それと、捨てられても戻ってくるなよ」
まるで遠くない未来に捨てられるような口調だが、そればかりは否定できない。
自分の傷痕を見たら、きっとアルフラッドも拒絶するだろうから。
彼はそういう意味で妻にしないと約束してくれたから、当分は大丈夫だろうけれど。
真正面から聞くには耐えられない言葉を、アルフラッドとの記憶を思い出すことで受け流す。
これを聞くのも、もう少しの間だけ。
少しも惜しくはないし、たとえ追いだされても二度ともどってきたいとは思わない。
けれども実の両親であることは事実で──
行き場のない想いを告げる機会もないまま、犬猫にするように手をふられ、ノウは部屋をあとにした。