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古い夜の終わり

「今は恋愛感情とは違うが、俺は君と話していたい。年寄りの後妻になるのをみすみす見送るのも嫌だ。ひとまず俺と結婚すれば、それらをすべて解決できる。だから──うなずいてくれないか?」

 こんな幸運な、夢のような話があっていいのだろうか。

 たたみかけられ、ノウは呆然とアルフラッドを見つめてしまう。

 ついさっきまで、自分の未来をあきらめていた。

 だのに突然開けた新しい道は、あまりにも魅力的で。

 手をとってはいけないと思っても、考えれば考えるほど、断る言葉は消えていってしまう。

「ほんとうに……」

 やがて、ため息のように小さな囁きを落とす。

 アルフラッドは言い切ってすっきりしたのか、静かな顔でノウを見ていた。

 深呼吸をして、震える手をどうにか抑えようと必死になる。

「……本当に……わたしなんかが、そんなありがたい申し出を、受けていいのでしょうか……?」

 ぎゅっとにぎりしめて白くなった手を、いくらかの逡巡ののち、アルフラッドの手が伸びてきた。

 ほどくようにふれられて、力が抜けると、ゆっくりと労るようになでられる。

 経験のない他人の暖かさに、驚きから震えも止まってしまった。

「君以外に言うつもりはない、だから、遠慮しないで受けてくれ」

 ぬくもりを与えるように、やんわりと両手を包まれる。

 ──大きい手だ、と、現実逃避のように思ってしまった。

 どう考えても、断ったほうがアルフラッドのためにはいい、わかっている。

 けれど、あきらめたつもりでも、誰かの後妻になって、肌を暴かれて、愛されもせずに生きていく未来はやはり絶望でしかない。

「助けてほしいと言ってくれなければ、俺はどうしようもできない。だから──口にしてくれないか?」

 懇願するような調子に、そんなに言わなくてもいいのにと他人事のように思う。

 誰かに救援を求めるなんて、とっくにやめていた行為だ。

 体調を崩した時も、使用人に気遣わせて、両親から叱られては困ると、いつも我慢し続けてきた。

 それが一番いいのだと、自分を納得させて。

 けれど本心では、そんなわけもなくて──

 ここで泣いたら彼が困ってしまう、必死に我慢しながら、ノウは重たくなった唇をどうにか開く。

「お願いします、……たすけて……くださ、い」

 こぼれそうになる涙を見せないように、深く頭を下げる。

「──ああ、必ず、君を家から救いだそう」

 顔を見なくても、声だけでもわかるほど安堵の呟きが落ちてきた。

 それを聞いて、とうとう耐えきれずに、数粒の涙が闇夜に落ちた。



 どうにか気を落ちつけたころには、大分いい時間になっていた。

 その間、アルフラッドは手をにぎり続けてくれた。

「……気の利いたことが言えなくて、すまない」

 顔を上げると、ばつが悪そうな顔をしていたので、慌てて首をふった。

「いいえ、そばにいてくださるだけで、十分でしたから」

 言葉がなくても、心配する気配は伝わっていたし、あれこれ声をかけられても、うまく返答する余裕はなかっただろうから、結果的にちょうどよかった。

 ノウの言葉に、苦笑いを返したのち、アルフラッドは表情を改める。

「……男爵に、明日訪問する約束を取りつけるつもりだ」

 そこで結婚の許可を求めるという。

 ただ、ノウには知らないふりをしてくれ、と頼んできた。

 なまじ知っているとわかれば、父親がどう出るかわからないから、と言われる。

 先ほどの衝撃が残っているノウは、前もって情報を与えることで、適当な老人のもとへ嫁がされることを防ぎたいアルフラッドの意思に気づけない。

 それより、父が許可するかどうかのほうが不安だった。

 先日の贈り物のことがあるので、まったくの拒絶とはならないだろうけれど、それだけだ。

「それで……その話の時に、君を貶めるような言葉を使うことになるかもしれないが、断じて本意ではないから、気にしないでくれると……助かる」

 無茶な話だが、という彼に、静かに首をふった。

 父に対して本当の理由を言うわけにはいかないのは、ノウもわかっている。

 アルフラッドの見た目は悪くないし、年齢的にも選べる令嬢はたくさんいる。

 その中でわざわざノウを選ぶ「理由」がなければ、父は不信感を抱くだろう。

 自分なら都合がいいのだ、と父に思わせようとするなら、当然、ノウの持つ傷が必要になる。

「大丈夫です、慣れていますし」

「……そういうことには、慣れないでほしいんだが」

 アルフラッドの気を軽くしたくての言葉だったが、失敗したらしい。

 さて、と彼が立ちあがり、手をさしのべてくれる。

 礼を言い肘を借りて、いつものように歩いていくが、途中で腕を組み替えられた。

 このほうが、それらしく見えるだろう? とアルフラッドに茶化すように言われたが、慣れないことにあせってしまう。

 どうにか平静をとりもどしたころ、馬車を待つ両親の姿が見えてきた。

「お帰り、ノウ」

 笑顔で出迎えてくれる父は、正直な感想を述べるなら気持ちが悪い。

 顔を伏せてはい、と殊勝げにうなずくのは、それを悟られないためだ。

「すみません、いつもお嬢さんを独占して」

 申しわけなさそうにしつつ、アルフラッドはまだ手を離さない。

 それを訝しげに見つめたが、父はすぐ表情をにこやかなものに改めた。

「いいえ、ありがたいことです、こういう機会もあまりないですから……」

 白々しい会話が少し続いたところで、アルフラッドが会話を変える。

「ブーカ男爵、明日はご在宅ですか? 直接お礼をしたいので、伺いたいのですが」

「お礼など十分頂いていますが、いらしてくださるなら、喜んでお迎えしますよ」

 にこにこと微笑む父に、ざっと時間を伝えると、ようやく手が離される。

 そっと視線を上げると、柔らかく微笑むアルフラッドの顔に、詰めていた息ができてくる。

「では、ブーカ嬢、また──明日」

「──はい、お待ちしています」

 かすれた声で答えると、アルフラッドは満足げに立ち去っていった。


「明日の用件は知っているのか?」

 馬車に乗ってすぐ、父に問われるが、アルフラッドに言われたとおり、いいえ、と首をふる。

 正直、聞いていても、本当だと思えないので口にできる気もしなかった。

「使えないな……今日は何を話したんだ」

「贈り物のお礼を申し上げました、あとは、もうすぐ領地へ帰られるそうで、そのお話を」

 父に話しても問題のなさそうな部分だけをかいつまんで喋れば、一応は納得したらしい。

「あんなに美形のかたなのに、どうしてお前なんかと喋りたがるのかしら」

 父の隣に座る母が、心底不思議そうに呟く。

 そこには、いくらかの嫉妬も混じっているようだった。

 母の態度を咎めもせず、どころか父も同意をしつつ、だが、と呟く。

「庶子だから貴族の娘では話が合わんのだろう。他のパーティーでもよく抜けだしているそうだしな」

 いつのまにかある程度の情報は仕入れていたらしい。

 父の能力には相変わらず驚かされる。

 さりげなくアルフラッドを蔑む父に、反論したいところだが、実際には萎縮して声は出ない。

 彼はこんな自分によくしてくれているのに、言い返せない自分が情けなくなる。

 いつもより落ちこみながら、それでも、近い日にはかれらのいない場所に行けるという事実が、ノウの心に希望を持たせてくれた。

「とりあえず明日だな……できるかぎりのもてなしをしなくては。お前も心しておけよ」

 屋敷についてそう命じると、家令と明日のことを決めるのだろう、両親は慌ただしく書斎へ消えていった。

 ノウは少し迷ったが、給仕係たちは明日の準備で忙しくなるだろうと判断し、なにも告げないことにする。

 明日、本当に決まってから打ち明けても遅くはないだろう。

 ……夢に終わるかもしれない不安があるから、というのもある。

 都合のよすぎる展開は、簡単に信じるのは難しい。

 自力で着替えをすませてベッドに腰かけると、どっと疲労が押し寄せた。

 そのまま横になるものの、頭は冴えていて眠気がこない。

 しかし、寝不足の姿で両親の前に出れば、叱られるのは明らかだ。

 だから早く眠らなければならないのだが、起きた時、すべては夢で、老人に嫁げと言われそうで──

 狭いベッドで身を縮めながら、息を殺して、ひたすら朝になるのを待ち続けた。

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