動きだす夜
社交シーズンは最盛期を過ぎたが、まだまだ毎晩のように開催されている。
今夜も大きなパーティーに両親と参加していたノウは、いつものように何人かを紹介された。
というのも、水面下で進めていた、大本命の老貴族に断られたのだ。
そんな相手がいるなら、他の貴族と顔合わせをしなければいいのにと思ったが、相手の年齢が七十をとうに過ぎているため、流石に外聞が悪すぎるから、もう少しましな相手がいればと探していたらしい。
それが気にくわなかったのか、ともあれ、なんとかとりなそうとしたが結局失敗に終わり、他からも色よい返事がもらえていないために、両親は焦っているというわけだ。
その老貴族とは一、二度挨拶した程度なのだが、断られたのはお前のせいだ、とさんざんなじられた。
はたして、今日はどれだけ連れ回されるのだろうとうんざりしていたのだが、いつもより数は少ない。
そして父はしきりに、アルフラッドを気にしていた。
──勿論、その理由をノウは知っている。
彼も大分夜会に出ているから、人々の興味も引くかと思いきや、アルフラッドの人気はなかなか衰えず、彼と表だって接点のない父は近づけないままだ。
夜会が嫌だからだろう、険しい顔をしていることが多いものの、整った顔立ちと長身は、ひとを引きつけるらしい。
しかし、気にしていたのは両者ともであったらしく、
「──ブーカ男爵、こんばんは」
一通りの挨拶を終えたころ、すっかり聞き慣れた低い声に父が呼びかけられた。
「これはクレーモンス伯爵!」
父はすぐさま笑顔をつくり、横に控えるノウは静かに礼をする。
爵位としては父のほうが下なので、彼から声をかけられるまで待つのが基本だ。
父は嬉々としてアルフラッドの長身を見上げ、深々と礼をする。
「いや、声をかけて下さってありがたい、先日は大変素晴らしいものを贈って頂いて……なんとお礼を申し上げていいものか」
父の声は大きくはないが、抑揚が絶妙だ。
大仰になりすぎない程度に、けれど情感たっぷりに──正直、役者になればいいのにと思うほど。
彼はその処世術と計算能力によって、爵位以上の職務についている。
父は愚かではない、だから、後ろ暗い犯罪には決して手を染めず、職務にも忠実で信頼も厚い。
事実だけを見れば、彼は有能な人物なのだ。
けれど彼はそれだけでは飽き足らず、派閥を上手に把握して、せっせと身分の高い貴族との交流を深めている。
そんな彼にとって大切なものは──かれらへの贈り物。
ただし、父は男爵だ、分不相応のものは贈れない。
身分に相応しく、しかし彼らに気にいってもらえるもの──というのは、なかなか難しい。
父の言う素晴らしいものとは、アルフラッドの事情を聞いた夜会の翌日とどけられた品物のことだ。
どこの酒造にも、あまり外へ出回らない、貴重な酒が存在する。
それらを手に入れるということは、一種のステータスになるし、好事家に渡せば好感度が跳ね上がる。
アルフラッドは先日、いつも娘さんとの会話を楽しませてもらっているので──と、手紙と共に何本かの酒を贈ってきたのだ。
どれも通常の手段では購入できないものだそうで、父は大いに喜んだ。
勿論、その時に返礼の手紙は送っている、ノウも当たり障りのない文章を綴り、同封してもらった。
このことにより、父の中でアルフラッドの価値が一気に高まったらしい。
夜会の前、馬車の中でも、何度も今夜は会えるのかと聞かれたほどだ。
約束をしているわけではないのでわかりません、と正直に答えれば、使えない娘め、と吐き捨てられたあと、どうにかして近づくしかないかと呟いていた。
「いつも娘さんをお借りしていますから、ほんのお礼です」
長身の彼はどうしても見下ろすかたちになってしまう。だからだろう、こういう時のアルフラッドは、なるべく丁寧な口調を心がけているらしい。
儀礼的なやりとりを何度かかわしたあと、アルフラッドの視線がノウにむく。
「ノウ嬢、少し顔色が悪いのでは? よければ休憩できる場所までお連れしますよ」
「ああ──気づかなくてすまなかったね、ノウ、お言葉に甘えなさい」
「…………はい」
娘を気遣う優しい父親を演じる姿は、何度見ても慣れない。
一瞬の間が空いたが、どうにかとりつくろってさしだされた手にみずからのそれを乗せる。
「馬車で言ったこと、忘れるなよ」
通り過ぎる刹那、小さく囁かれる父の言葉。
それをふりきるように、ノウは会場を後にした。
喧噪の会場を抜けると、アルフラッドは当然のように手を離し、いつもどおり、肘を持たせてくれる。
繋いだ状態より安定するので、正直ありがたい。
今日もひとけのない庭のベンチに落ちつくと、アルフラッドは気遣わしげにノウを見た。
「馬車で父親に何を言われたんだ?」
「……やはり、聞こえていましたか」
元軍人ならば耳はいいだろうと想像していたが、そのとおりだったようだ。
父らしからぬ失態だ、そういう意味では、両親はアルフラッドを甘く見ているのだろう。
最も、かれらのとりいっている先からでは情報もないだろうから、無理からぬところだが。
「せいぜい媚びを売って、希少な酒をねだってこい、と」
──実際に言われた科白は、お前の容姿と傷では色仕掛けもできないが、どうにかしろ、だったけれど。
そもそもねだった覚えはないが、余計なことは口にしない。
ただ、アルフラッドに物言いたくはある。
「贈って頂いたお酒は、ずいぶん価値のあるものなんですよね……よろしかったのですか?」
わざわざ購入したのか、それとも持ってきていたのか。
どちらかわからないが、どちらにしろ、手間も資金もかかっている。
ノウにぽんと寄越していいものだとは到底思えない。
「それで君の立場がよくなるなら、安いものだろう。そうはならなかったようだが」
彼はけろりと言い放ち、心配げにノウを見やる。
とはいえ、アルフラッドと会うために、父を無視しているわけではないから、そこまで気を悪くさせてもいない。
もとより低い評価なので、これ以上父の中で下がりようもないのが実際のところだし。
などと正直に言えば、また彼に心配をかけるので、お気遣いありがとうございます、と言うにとどめておく。
「それで今日は……君に言わなければならないことがあって」
一通りの会話がすんだあと、改まった調子でアルフラッドが口を開く。
「──そろそろ、領地に戻る日を決めようという話になった」
「それはよかったですね」
真剣な彼に対して、ノウは心からそう思う。
だが、なにが気に入らなかったのか、あからさまに眉をひそめられてしまった。
どこか拗ねた様子に、きょとんと首をかしげてしまう。
社交が嫌でパーティーは憂鬱だとこぼしていたのは、他ならぬ当人なのだ。
帰れるとなれば嬉しいに決まっていると考えたのだが、なにか心境の変化でもあったのか。
「……いや、うん、帰れるのは嬉しいんだが」
やがての言葉に、そうですよね、と納得する。
では、どうして変な態度になったのだろうか。
「……君は、基本的に都にいるんだろう?」
「え? ええ、そうですね」
両親とも都にいることがほとんどなので、ノウもそれにならっている。
表向きは心配だから、大きな病院があるから──だが、実際は目のとどかない場所に置きたくないからだ。
それに、領地への移動は、どうしても負担がかかり、体調を崩しやすい。
娘に合わせた日程など、両親がとるわけはないのだ。
ノウとしても、家庭教師から受ける授業は大切にしたいし、屋敷の使用人と仲もいいので、都にいること自体に異論はない。
「俺が次に都へ来るのは……早くても次の社交シーズン、用がなければもっと先だ」
それも先日予測していたことなので、なんら不思議ではない。
代替わりする前も都へこなかったし、それで問題なかったのなら、社交嫌いのアルフラッドがいちいちやってくる必要もないだろう。
なにを当たり前のことを確認しているのだろう、と首をかしげっぱなしになってしまう。
すべて数日前に考えて……そして、己を納得させたことだ。
「そしてその間に君は、……多分、結婚するのだろう?」
「まあ……そうなると思います」
相手はいまだに決まっていないが、ノウの意見が無視されることは明らかだろう。
それに関しては以前彼に言ったとおり、あきらめているのだけれど。
この調子だと先行きは不安だが、成人する前には誰かに嫁がされるはずだ。
「そうなったら、こんなふうに君と喋ることは難しくなる」
互いが結婚している場合の火遊びは甘く見られることもあるが、それも決して褒められた行為ではない。
まして、ノウがかなり年上の後妻に落ちついていた場合、よろしくない噂の的になるのは間違いない。
「だが、俺は君と話していて楽しかった。できれば、もっと色々な話をしたい」
真剣な目で見つめられて、正直なところ驚いてしまった。
そんなに面白いことを話したわけではない。
普通の令嬢からはかけ離れていたが、特殊な会話ではなかったはずだ。
「それは、光栄です……ぴんときませんけど」
「君は自己評価が低すぎる、まあ、仕方ないんだろうが」
素直に呟くと、即座に返された。
たしかに自己評価は低いが、貴族の常識に当てはめれば、そうおかしなことではないはずだ。
アルフラッドが特殊な生い立ちだからという面も多分にあるだろう。
「……俺は、このまま領地に戻って、君の結婚を知ったら、きっと後悔する」
きまじめなひとだ、と思った。
こんな数日出会っただけの自分に、そこまで心を砕いてくれるなんて。
ノウにとってアルフラッドとの出会いは、きっと一生忘れられないものになる。
けれど彼は周囲の人間にも恵まれているのだから、自分のような相手との会話なんて、すぐに忘れるだろうに。
「だから……ノウ、提案なんだが」
気にしないようにと言おうとしたが、言葉にならず、さらに空気が変わった気がした。
居住まいを正したアルフラッドは、相変わらず真剣な目をしてノウを見つめている。
なんでしょう、と問い返す前に、彼は口を開いた。
「俺と、結婚しないか?」