ある夜のパーティー
よろしくお願いします。
流れる円舞曲、優雅に踊る人々、それを眺めながら談笑する者……
一見穏やかなそれらは、けれど水面下でのせめぎあいだ。
よりより相手との縁を持とうと画策したり、使えそうな手駒を探したり……
パーティーの規模は異なっても、行われることは変わらない。
微笑みの下になにを考えているのか、見えないほうがきっと幸せだろう。
けれど、見ないままでいれば、それは結果的に自分の首を絞めてしまう。
……もっとも、そう分析するノウにはあまり関係のない話だ。
隣にいる父はせっせと目の前の老人と話している。
彼女はそれを、精一杯の愛想笑いで聞いているだけだ。
つい、と老人の目がノウに移り、上から下まで、舐めるように眺められる。
背筋を這う悪寒を隠して、表情を変えないよう気をつける。
老人は胸や腰をさんざん眺めたあとに、軽く首をふり、とどめにふぅ、とため息をつかれた。
ノウとしてはありがたいことに、おめがねにはかなわなかったようだ。
それでも父はご機嫌取りに終始し、まあまあなごやかに会話は終了する。
彼らから離れて歩く途中、父は小さく舌打ちした。
「まったく……どこまでも使えない娘だ。もう少し媚びを売ったらどうだ?」
周囲にはそれなりに人がいるので、その声は本当に小さく、彼女にしか聞こえない程度。
今さら、そんな言葉で動揺はしないノウは、静かに「申し訳ございません」と呟いた。
「あとはおとなしくしていろ、余計な雑魚に捕まるんじゃない、いいな?」
「はい、エリジャ様にご挨拶に行ってこようと思いますが、よろしいですか?」
父の命令に、平淡な声で問い返す。
「勿論だ、くれぐれも失礼のないようにするんだぞ」
強い調子にはい、とうなずいて父と別れる。
目指すのはとりわけ華やかな女性たちの一角だ。
公爵令嬢の彼女を筆頭に、そうそうたる貴族令嬢が揃っている。
その頂点に立つエリジャは、ノウとそう年齢も変わらないのに、凜とした態度でその場のトップとして君臨している。
「ノウ、こちらへいらっしゃい」
美しい容姿に負けない豪華なドレスと、地位に恥じない振る舞い。
凜とした美しさは少し近寄りがたく感じられるのだが、実際はそんなことはない。
その証拠に──
「さあ、こちらに座って。体調はどう?」
令嬢たちに隠れて、万一にも父たちに見つからないよう死角をつくってから、ノウをふかふかの椅子にすわらせてくれるのだ。
他の令嬢たちも協力的で、彼女が席に落ちつくと、すぐに飲物や軽食をさしだしてくる。
「いつもありがとうございます。……少し、疲れていますけれど、いつものことですから」
正直に答えると、娘たちは揃ってほっとした顔をする。
ここにいる令嬢たちは、いわゆるエリジャのとりまきだけれど、全員優しい者ばかりだ。
身分を笠に着て他者を蔑ろにする者や腰巾着だけの存在を、エリジャはよしとしない。
逆に、彼女が認めた者は、身分関係なくこの場にいられる。
ノウもその一人だ。ただし彼女の場合は、認められたというより、避難所として、という意味合いが強いのだが。
「今日もずいぶん連れ回されていましたものね……お疲れ様ですわ」
エリジャに近い友人である伯爵令嬢が、気遣わしげな表情になる。
たしかに、今夜は何人もの貴族を紹介された。今までの最高人数だろう。
どの貴族も年齢はかなり上で、妻を亡くしていたり、独身のままであったりする者ばかり。
ただし、総じて資産は持っている。この時点で、なにを狙っているかはわかろうというものだ。
「年齢も年齢なので、焦っているんでしょうね」
ノウの平淡な言葉に、エリジャはまなじりをつり上げる、美人なだけに凄まじい目力だ。
けれど彼女に言ってもなにも解決しないことはわかっているので、表情の動かない彼女にいつものように言葉をかける。
「何度も言うけれど、なにかあったら必ずわたくしに言うのよ?」
公爵とはいえ未婚の令嬢である彼女自身には、そう強い力があるわけではない。
けれど、ノウの実家のようにわずかな領地しか持たない男爵程度ならば、なんとかなる程度でもある。
とはいえあまり無茶をすれば、エリジャに迷惑がかかるので、ノウとしては頼るつもりはない。
エリジャもそれを承知していて、それでもこうして口を出すのだ。
つまり本心から言っていることもわかるので、無碍にもできないし、ありがたいことだとも思う。
ノウはいつものように曖昧にうなずいて礼を口に乗せ、それから令嬢たちの会話に混ぜてもらう。
この場では一時だけ、普通の娘としていられる。
美しい会場で見る、ほんのわずかな夢の時間なのだ。
「今日はゆっくりお喋りができて嬉しいわ」
扇子を揺らし、エリジャが美しく笑う。いつもは挨拶回りだので忙しくしているのに、ずっとここにいるのはたしかに珍しい。
どうしてだっけ、とノウは少し考えて……ああ、と思い出した。
「今日は例のかたが見えているんですっけ」
「ええ、ほら……あそこ」
令嬢の示す先には、頭ひとつ抜きんでた人影。
「クレーモンス伯爵でしたっけ」
「そうよ、噂どおり、背が高いわね」
「お顔立ちもいいそうよ、できれば近くで拝見したいけれど……難しそうね」
「あまり親しいかたがいらっしゃらないのですもの、残念だわ」
「私、さっき近くを通りましたけれど、本当に美形という言葉がぴったりでしたわ」
「でも……すこし険しすぎませんか? わたしは恐く感じました」
少女の声に、周囲が控えめにきゃあきゃあとはしゃぐ。
──なるほど、彼がいるなら、今日の主役はあちらになるのも無理はないと納得する。
ノウとしてはエリジャがパーティーをのんびり楽しめるなら大歓迎だし、いつもあまり話せないので素直に嬉しかった。
お茶会にも時々誘ってくれるのだが、父の手前、頻繁に応じられないから、他の令嬢と話す機会もあまりない。
なごやかに時間はすぎ──けれど、しばらくすると身体が痛くなってくる。
「──ノウ様、そろそろ休まれたほうが」
すぐに他の令嬢が気づいて、声をかけてくれた。
エリジャもそうね、とうなずいた。
隠そうとしても長いつきあいなので、すぐに見抜かれてしまうのだ。
「いつものように声をかけてあるから、遠慮なくわたくしの控え室を使いなさい」
「はい、ありがとうございます……」
「付き添いましょうか?」
隣にいる令嬢は今にもノウの腕をとりそうだったので、丁重に断る。
彼女たちだって社交をしなければいけない身だ。
いくら今日はのんびりできるといっても、ずっとというわけにはいかない。
自分に関わりすぎて結婚を逃すなんて最悪のことにはなってほしくないのだ。
大丈夫だと丁寧に断ると、ゆっくりと立ちあがる。
退去の礼をしてから、そっと会場から出ていった。
扉が閉まれば、途端に周囲は静寂に包まれる。
時折給仕の人間が歩いていくが、軽く会釈をするだけだ。
──ふう、と息をついて、ドレスの裾に気をつけながら歩いていく。
けれど、今日はいつもより歩かされたせいで、むかう場所がとても遠く感じられた。
幸か不幸か誰もいなくなったので、途中で立ち止まり、少し立ち止まって休むことにする。
椅子があればよかったのだが、ものを運ぶのに邪魔だからだろう、廊下からは撤去されている。
ドレスだと杖を持ち歩けないのが困りものだ、持ち歩くことを父が許してくれない。
折りたたみ式を隠し持ってきて、一人になったら使おうか、と考えてみる。
──と、その時。
「どうかしたのか?」
不意に、低い声が響いた。