銅像
昔ある所に、三宮銀次郎という少年がいた。銀次郎は勤勉であり、家の手伝いをよくした。暮らしは貧しかったが、銀次郎が不満を言う事はなかった。
大人になってからも変わる事なく、困っている人がいれば助け、農業等、銀次郎は各地で様々な改革を起こした。
それから数百年の歳月が流れ、人々はそんな銀次郎の功績を称えると共に、子供達にも銀次郎のような人物になってもらいたいとの願いを込めて、学校に銀次郎の銅像を建てた。
それは、幼い銀次郎が薪を背負い歩きながら本を読んでいる銅像だった。銀次郎そのものを表していると言っても過言ではなかったし、誰しもが銀次郎と言えば思い描く姿の銅像だった。
しかし、そんな銀次郎像にある団体から物言いがついた。
「歩きながら本を読む銅像とは何事だ!! 歩きスマホを助長しているようなものだ!!」 「子供が真似したらどうする!! すぐにでも撤去するべきだ!!」
圧力に屈し、銅像は取り壊されたが、それならばと切り株に座りながら本を読む銀次郎像が建てられたが、またしてもある団体から物言いがついた。
「聞いた話ではこの銀次郎、寝る間を惜しんで夜、月明かりで本を読んでいたと言うではないか。子供が真似をして夜に本を読み、目が悪くなったらどうしてくれるんだ!!」
またしても圧力に屈し、銅像は取り壊された。
もはや銀次郎に何もさせなければいい。功績を称えての銅像なのだ。銅像の存在その物に意味がある。
そんな訳で薪も背負わず、本も読まず、直立の銀次郎像が完成した。
だが三度、団体から物言いがつく。
「そもそも銅像を建てるとは何事だ!! 自分の像を建てられなかった者達が可哀想とは思わないのか!!」
圧力に屈し、何をしているでもない直立の銀次郎像は取り壊され、アホらしいと二度と像が建てられる事はなかった。