『炎鳥の羽』
山の麓に存在するその建物が、彼女が言うところのギルドハウスという代物であるらしい。
「ハウスってことは、ここで暮らしてるわけか?」
「何を当たり前のこと言ってるんです」
「いや……爺ちゃんと一緒に山小屋や資材小屋は作ったことあるけどさ、結局、外で寝泊まりすることが多かったからさ」
「見た目は武闘家のように見えますが、狩人か何かをしていたんですか?」
「そりゃあ、食わないと生きていけないしな。修行にもなるし」
「それで、今は変質者にクラスチェンジしたわけですね」
「変質者、それは何だ?」
「あなたのことです」
どうやら俺は、変質者と呼ばれるべき存在のようであった。
おそらく、見習いの拳士か何かを差す言葉なのだろう。よし、覚えたぜ!
「それにしても、でかいな……」
縛られたまま、ギルドハウスを見上げる。
落ちてくる時に見た城っぽい建物を除けば、俺が今まで見てきた中で最大の人工物がこの建物ということになる。
こしらえは、やはり落下する際に鑑賞した他の建物と同じく石造り。
真四角な形をした建物は、おそらく内部が三階層ほどに分かれているのだろう……窓の数を踏まえても、優に十人や二十人は余裕で生活できそうな大きさだった。
爺ちゃんと一緒に作った小屋など、これに比べれば玩具も同然である。
「『炎鳥の羽』か……不思議な名前の人が家主なんだな」
入り口の部分に掲げられたバカでかい――でもちょっと傾いてる看板に書かれた字を読み上げた。
どうでもいいけどこの書体、爺ちゃんが書いたのにそっくりだな。
「文字くらいは読めるんですね? でもそれ、人の名前じゃなくギルドの名前です」
「そうなのか? それで一つ疑問なんだが、こんな立派な建物なのにどうして人の気配がしないんだ?」
そうなのである。
この巨大な建物からは、人の気配というものが一切感じられないのだ。
感じられるのはどこかうらぶれ、寂れた……かつて暮らした人々の残滓とでも呼ぶべきもの。
傾いた看板のみならず、建物全体のそこかしこが痛んで感じられるのもそこに起因していると見た。
「そ、それは……あなたには関係ありません!」
いい加減に名前くらい教えてほしい彼女が、わずかな怒りに顔を赤らめずんずんと建物の中へ進んでいく。
これは、明確に俺が悪いな。
触れてはいけない部分へ迂闊に触れてしまった。
少々の申し訳なさと共に、俺は『炎鳥の羽』ギルドハウスの入口をくぐったのである。
--
大小様々な食卓や椅子がずらりと並べられたそこは、おそらく大勢が食事に使うための空間なのだろう。
特に中央へででんと置かれた大円卓は、素朴な作りでありながらこの空間へ足を踏み入れた瞬間に目を引くほどの迫力だ。
生まれてからこっち爺ちゃんとしか食事を共にしたことの無い俺には、これを使っての食事風景というものの想像がつかなかった。
どうやら食事に使う広間と調理に使う場所とは分けられているようで、長机――これがカウンターというやつだろうか――がその区切りとなっている。
爺ちゃんがサカグラザルの巣からかっぱらった酒を飲みながら、懐かしげに語った酒場という場所の風景……こことそれとは瓜二つと言ってよいだろう。
「あら……懐かしき炎が空を過ぎ去ったかと思えば、古き風をともなって新しき風が舞い込んだわね」
……いかにこのギルドハウスという建物の中身が珍しかろうと、いや、そもそもがこの建物に入るまでその気配に気づかなかったのは俺の不覚という他にない。
その女の子は、広間の隅でコップ――いやカップというやつか――を片手に持ちながら、やわらかくこちらへ微笑んだ。
小さな……いっそ幼いといって良い女の子である。
何しろ、年の頃は今も温泉水のロープを手に掴んでいる彼女より下だ。
魔狼種の毛皮にも似た色合いの銀髪は腰の辺りまで伸ばされており、さらりと揺れ動いている。
顔立ちには幼少期の哺乳類に共通する愛嬌やあどけなさというものが存在せず、年齢と不釣り合いなまでに整った造作からはゾッとするものを感じられた。
着ている装束は俺を連行してきた彼女より更に布面積が少なく、これはもう服と呼ぶべき代物なのかと疑問を抱く装いである。
ともかく、およそ生物というものの定型から外れたものを感じさせる女の子なのだ。
実際、その直感は正しかったようである。
「お婆ちゃん! 温泉に入ってたらこの人に覗き見されたんです!」
……自分より明らかに年下だろう相手に対し、ロープを持った彼女は母親の母親に用いるべき呼称を使ったのだから。
「あら、そうなの?」
お婆ちゃんと呼ばれた女の子は、小首をかしげながらこちらを見やった。
「わたくしはてっきり、炎鳥ニフェクスから落とされてたまたまあなたが入浴している所に出くわしてしまったのかと思ったのですけど」
すっげ、全部見通してる。
どうやら、只ならぬのは容姿だけに留まらないようであった。
「何でお婆ちゃんがこの人と同じ嘘をつくんですか!?」
ロープを持ったままぷりぷりと怒る彼女であるが、それは真実であるからに他ならないと思うぞ。
「それであなた、お名前は?
挨拶の仕方くらいは教わっているのではなくて?」
その言葉にはっとする。
そういえば、爺ちゃんは人間同士の初対面では挨拶が重要だと言っていた。
思えば、俺は外界に降り立って以来一度もそれをしていない。
ロープを持った彼女が怒っているのは、もしかしたならばそれが原因なのではないだろうか?
ならば、すべきことは一つ!
「むん!」
「え、嘘!?」
ちょっと力を入れて温泉水のロープを引きちぎり、俺はその場に片膝を付いて右拳を左手の中へ収めた。
「我が名はユリン! 師にして祖父、チャンハの薫陶を受けし拳士なり!」
「はい、よくできました。
わたくしの名は、ヴォーマ。メーインの家名を継ぎし魔法使いにして、そこにいるランの祖母です」
「え? チャンハ? え? え?」
どうやらランという名前だったらしい彼女が、魔法の効力を失い床にしたたった温泉水と俺とを見比べながら困惑した声を上げる。
「さあさあ、挨拶も済んだところで食事にいたしましょう」
だが、ヴォーマさんは孫の様子などどこ吹く風でカップを置くと、上機嫌でそう言いながらパンパンと手を叩いたのだ。
驚いたのは、そこから後である。
何か奇妙な――俺や爺ちゃんが操る気とは似たようで異質な力がヴォーマさんからみなぎると大円卓の空間が歪み、見たこともない種々様々な食べ物……いや、料理の山が卓上に並んだのだ。
これもまた、魔法の技であるに違いない。
しかもその技量はおそらく、ランのそれより数段上だ。
「ふふ……はりきってストックを開放してしまったわ。
でも大丈夫よね? あなた、食べ盛りの男の子ですし」
「それはもちろんです。
ですが、いただいてもよろしいのですか?」
「ええ、ええ。もちろんですとも。
友人の孫をおもてなししないとあっては、メーインの恥さらしにあたりますからね」
「ならば、遠慮せずにいただきます」
果たして、爺ちゃんの技によってどれだけの時間意識を失っていたのか……。
それは判然としないが、どうやら消化器官は正常に働いていたらしく俺の腹はペコペコである。
狩りをしようにも、この辺りの生態系や植生をくわしく知らない身にとっては、何ともありがたい申し出だ。
「ちょっと! 私を置いて話を進めないでくださーい!」
俺が椅子を引くのと、ランが抗議の声を上げるのとはほぼ同時のことだった。
--
結論を述べてしまえば、この食事にありつけただけでも外界にやって来た甲斐はあったということになるだろう。
こんなに美味い料理は今まで食ったことがない。
というより、俺が今まで料理だと思っていたものはその実、料理ではなかったのだ。
無論、俺とて食材を食べるにあたって様々な手をほどこす。
獲物の解体は言わずもがな。時に焼き、時に茹で、時に蒸し、時には揚げる。
蜂蜜漬けにした木の実もそうだが、時には保存食をこしらえることもあった。
だが、その程度だ。
片手の指で数えられる程度の工程で作り上げたものなど、今目の前にある品々を食べた上で料理と称するのはもはや不可能である。
ヴォーマさんが出してくれた料理の数々は、俺へそう思わせるに十分なクオリティを誇っていた。
不思議な皮に包まれた小さな蒸し料理は、口の中に放り込むと内部に仕込まれたスープと共に具材が溢れ出し、口の中を熱々な多幸感で満たしてくれる。
色とりどりの野菜と揚げ肉に蜂蜜のそれにも似たとろみを持つ黒い餡がかけられた料理は、色合いの美しさを魅せると共に食べ始めたら止まらない中毒性をも有していた。
トーフというらしい面妖な食材にひき肉入りの真っ赤なタレが絡められた料理は、一口ほおばると口の中に痛みが走り悶絶しそうになるのだが、むしろその痛みと口の中を抜ける刺激的な香りが次第に心地よくなってくるのだから不思議だ。
その他にも多種多様な品を味わった中で、とりわけ気に入ったのがラーメンという料理である。
俺は最初、この品に関してだけは食べ方がよく分からずヴォーマさんに教えを乞うこととなった。
そして教わった通り、麺というものを箸で掴み……一気にすすりこむ!
爺ちゃんから教わった食事の礼法には反する食べ方だが、これが実に美味い。
先ほどの蒸し物とは、また違う。
爆発のようにスープが溢れ出すのではなく、川が流れるかのごとく麺と共に入り込んでくるのは一種の快感であるとさえいえた。
しかもこのスープ、何らかの特殊な製法で干したのだろう魚類や鳥類の骨に加え、様々な野菜や俺が知らぬ種の食材でダシを取られているのだ。
重層さすら感じるスープの絡んだ麺を噛み砕くこの感覚は、ザロンに居たままでは決して味わえぬ文明の粋といえるだろう。
「……ふう」
振る舞われた料理を完食し、圧倒的な幸福感に酔いしれながらも食事しながら聞いた情報を整理する。
「つまり……ランが怒っていたのは裸を見られたからなんだな」
「それだけのことを理解するのに、こんな大量の食事が必要なんですね」
「……あっはっは、頭を使うと腹が減るなあ」
気がついてみれば、大円卓には食べ終えた食器が山と積まれていた。俺の食欲を見て、ヴォーマさんが景気よくおかわりを出してくれたおかげである。
下手すれば俺自身の体積よりも多い今回の食事量には、猛省せねばならないだろう。
常在戦場を心がけるなら、腹二分が基本だからな。五分は食いすぎだ。
「というか、それじゃあ衣服というのは何のために存在すると思ってたんですか?」
「修行のためじゃないのか?」
「うっふふ。よその椅子に座る時は気をつけなさい。超重量の服を着たままだと、安物は簡単に壊れてしまいますよ」
「心得ておきます」
どうやら、服というのは修行目的以外にも裸を隠す意図が存在するらしい。
俺や爺ちゃんと比べれば驚くほど少食だった二人に関してもそうだが、外の世界は知らぬ常識で満ち溢れているな。
「それで、あなた本当にチャンハ様の孫なんですか?」
「そうだよ。どっか遠いところで拾ったって言ってた」
ランの言葉に昔の会話を思い出しながら答える。
それでもお前はわしの孫だと言ってたし、じゃあ俺は孫なんだろう。爺ちゃんの言葉に間違いはない。
「あらまあ、彼に似ず礼儀正しいと思ったら血は繋がってなかったのね」
「ええ、祖父が若い頃それで苦労したとか何とかで、俺にはきちんとそこも仕込んでくれたのです。
いかんせん、俺と祖父の他に人間はいなかったので色々中途半端なようですが」
「……だから、私には思いっきりタメ口なんですか? お婆ちゃんには敬語なのに」
「そりゃあ、ヴォーマさんからは爺ちゃんとも違う底知れぬものを感じるからな。
悪いけど、お前に比べれば俺はかなり強いと思うし」
「うやまう基準、そこなんですか……」
「え、違うの?」
意外な言葉に驚く。
「だってお前も、爺ちゃんのこと様付けにしてるじゃん?」
「違いますよ……自分のお爺さんがどれだけすごい人なのか、知らないんですか?」
「知ってるさ……まだまだ俺よりはるかに強いってことはな!」
「いや、そうじゃなくてですね……」
何故怒っていたのか俺に理解させるための説明で疲れたのだろう。ぐでっとしながらお茶なる飲み物を飲んでいたランが、やおら拳を握りしめながら立ち上がった。
「チャンハ様といえば、冒険者なら誰もが憧れる全武闘家の頂点に立たれていた方なんですよ!」
何だかよく分からないが、ものすごい迫力で顔を寄せてくる。うん、近い近い近い。
「幼少期からゾリトの大闘技場で闘士として戦っていた彼は、全闘技を素手のみで制覇するという偉業を果たして引退したのち、ここスパタで冒険者となる道を選びました」
「ほう……」
これはちょっと興味深い話ではある。
そういえば爺ちゃん、若い頃どんなことしてたのかはほとんど語ってくれなかったからな。
「そして後に親友となる剣聖ジャオ様、そこにいる私のお婆ちゃんと共に冒険者パーティを結成! 数々の伝説を残していくのです……」
「懐かしいわね。出会った時のことは今でも思い出せるわ」
ヴォーマさんがカップに手を添えながら目を細める。この人が言うと三日前くらいのことを回想してるようにしか見えないな。
「そう……あの時チャンハは、ちょうど今のあなたみたいにお腹を空かせていたわね」
「そうなんですか?」
「食べっぷりもあなたと同じかそれ以上……でも彼、食事処へ入る前に置き引きへあっていた上に、そのことへ気づいていなかったの」
「え、吟遊詩人の語りと違うんですけど……?」
「というか、その置き引きっていうのにあうとどうなるのですか?」
「食事の代金が支払えず、たまたまそこへ居合わせただけのわたくしとジャオに借金する羽目になったのよ。
――ちょうど、今のあなたみたいにね。ふふ」
にっこりと微笑むヴォーマさんだが、俺はその笑みの奥に底知れぬ恐ろしさを感じざるを得なかった。
数年ぶりに味わう、捕食者と対峙する感覚である。
「というわけで、ただいまの食事代は百万ゴルドになります。
――利子はつけないから、がんばって返してね」
言っている言葉の意味はよく分からないが、こう……絶対に抜け出せない状態で関節が極まった時の気分を思い出す。
目をやれば、ランが気の毒そうな顔で俺を見つめていた。




