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十五の誕生日

 ザロン山最大の水源であるこの湖が、一体どれだけの水深を有するのか……それは物心ついた時からここで暮らす俺にも判断がつかない。

 ただ一つ確かなのは、俺と同じ身長の人間百人を縦に並べたとしても湖底に辿り着くことはないということだ。

 まあ、爺ちゃん以外の人間なんて見たことないんだけどさ!


「よし……! 大物ちゃんいてくれよ!」


 俺には全く実感が湧かないけど、爺ちゃんいわく極度に薄いらしい山の空気を肺一杯に貯めこむ。

 そんでそのまま――湖に飛び込んだ!

 服は当然脱いでない。食糧確保のついでに洗濯も出来て一石二鳥ってもんだからさ!


 服だから()()なんだけど、俺の全体重よりも重いこれを着ながら水に潜るもんだから、その体はぐんぐん湖の底目がけて沈んでいくことになる。

 俺の着てる――拳法着というらしい――服は薄手だからこんなもんで済むけど、街ってところに住む人間はこんなもんを何枚も着込んでるって言うんだから俺はまだまだ鍛え方が足りないね。


(う~ん、お前達も美味いんだけど今日はもっと豪勢にしたいんだよなあ……)


 一見すれば湖中に出現した竜巻のようにも見える小魚の群れを発見するが、それはスルーすることにした。

 今日は俺にとって記念すべき日なのだ。あくまでも大物狙いでいくぜ。


 固い決意を抱き、服の重みに任せて湖中へと沈んでいく。

 五百は数えられるくらいの時間、そうしていただろうか……。

 まだまだ潜水時間に余裕を残した状態でそいつを発見できたのは、僥倖(ぎょうこう)と言えるだろう。


(大物ちゃん、はっけ~ん!)


 それは、全長にしておよそ五メートルはあろうかという巨大な魚だ。

 ぎょろりと大きい目といい口元に生え揃った乱ぐいの歯といい、いかにも獰猛そうな――そして実際に獰猛なこいつの名前はランオウギョという。

 何度か食ったことはあるが、でかいくせしてぎゅっとしまった身を持っていて美味い! 今日この日には相応しい獲物と言えるだろう。


(大物ちゃん、いらっしゃーい……)


 脳内でそうささやき、全身の気を抑えながらくねくねと不規則に泳いでみせる。

 こいつの目に……魅力的な餌として映るように。


(――かかった!)


 狙い通り、俺を無力な餌と勘違いしたランオウギョが一直線にこちらへと突進してきた。

 巨大なヒレが生み出す速度は地を走る肉食生物並みだが、一度勢いがついてしまえば容易に方向転換ができないのは地上も水中も同じ……。

 気を開放し殺気を放った俺におじけづき、ぎょっと目を見開いてももう遅い!


(いただきます!)


 奪う命に感謝を込めながら俺は拳を打ち抜き……。

 気と水圧の混合弾を眉間に喰らったランオウギョは、哀れその命を散らすこととなったのである。




--




 ぱちり、ぱちりと焚き火の火が爆ぜ……。

 それを囲む俺と爺ちゃんを優しく照らす。

 適当な大きさに切り出し、木の枝に突き刺して焼いているランオウギョの肉がジュウジュウとたまらない音を立てた。


 メインディッシュは俺が自ら捕まえたこの大魚であるが、今夜の食事はこれだけではない。

 爺ちゃんが山中を駆け巡って収集した色とりどりの果物や、とっておきの蜂蜜漬けにした木の実が食事に彩りを添えていた。


 爺ちゃんを見やる。

 この山で唯一存在する俺以外の人間は、古木のように痩せ細った体を丸めて焚き火に当たりながら、じっとランオウギョの焼け具合を確認していた。

 どうやら食べ頃と判断したのだろう。顔を上げて俺を見ると、ニッと破顔してみせた。


「ユリン……誕生日おめでとう! さあ、食べるとしようか!」


「おう!」


 俺は元気に答え、早速魚肉が突き刺さった木の枝を手に取る。

 そう、これが今日の獲物にこだわった理由……。

 この俺こと、ユリン・チーは本日十五歳の誕生日を迎えたのだ。

 爺ちゃんいわく、外の世界では十五歳になれば一人前の男として扱われるのだという……。

 ならば、この記念すべき食事に手を抜けるはずもない。

 果たして、気合を入れて用意した食事は期待通りの美味さで……。

 俺と爺ちゃんは談笑しながら、これに舌鼓を打ったのである。




--




「それにしても、お前ももう十五歳か……早いもんだのう」


 二人してランオウギョを食べ尽くし、用意した果物や蜂蜜漬けもあらかた平らげたところで爺ちゃんが感慨深げにそう呟いた。


「へへ……ただ年が増えただけじゃないぜ!

 今日こそ、俺は爺ちゃんに勝つさ!」


「ほおう……面白い事を言ってくれる」


 爺ちゃんと俺は静かに立ち上がり、焚き火から少し離れた場所へ移動する。

 焚き火の明かりはなくとも、星の光さえあれば俺達二人には何の問題もなかった。

 そのまま十歩分ほどの距離を置き、互いに向き合う。

 これが俺の誕生日における恒例行事。

 年に一度だけ行う、爺ちゃんとの真剣勝負だ。


「そこまで言うのなら、今日は百パーセントで相手をしてやろうかのう……」


 爺ちゃんがそう言って静かに両手を腰だめにすると同時、ただでさえ冷やりとしていた山の空気が一気に温度を失った。

 巻き添えを恐れた獣や昆虫たちが一気にその場を移動し始め、周囲から命という命の気配が消え失せる。

 ザロン山の主とは、炎鳥ニフェクスでもライデンドラでもましてやシノビアリたちでもない……。

 この老人――チャンハ・チーこそが、この山における最強の生物なのだ。


「――ぬん!」


 爺ちゃんが気合の叫びを入れると同時、普段は特殊な呼吸法で抑圧されている彼の筋肉が一気に肥大化する。

 枯れ木のようだった肉体が見る間に(いわお)のごとく隆起し、練りに練られた気と相まっておののくべき巨人が誕生したかのような錯覚を俺に与えた。

 全力の爺ちゃん、初めて見る姿だ……。

 ――だが。



「――はあっ!」


 このくらいは、予測の範囲!

 俺も気を開放し、これに対抗する。

 爺ちゃんと違い呼吸法で肉体を抑圧していない俺だが、気合と共に開放した気の大きさに関してはそん色ないものと思えた。


「っほほう」


 これから真剣勝負だというのに、爺ちゃんが嬉しそうに顔をほころばせる。


「仕上げてきたのう――これは骨が折れそうだわい」


「骨くらいで済めばいいけどな」


 軽口を叩き合いながら、一歩、二歩と円を描くように間をうかがう。

 とはいえ、どれだけ待とうが隙を見せるような爺ちゃんではない。

 ゆるりと構えたその姿は気迫全身に満ち満ちており、微塵の油断もないのだ。

 そもそも、挑戦する側なのは俺である。

 となれば、こちらから仕掛けて隙を作り出すのみ!


「――シャッ!」


 短く呼気を発しながら、一瞬の内に詰め寄る。

 同時に放った右側頭部への蹴りは、予想通り爺ちゃんの太い左腕で阻まれた。

 大岩を一撃で真っ二つにできる蹴りを受け止めてなお、爺ちゃんの構えはこゆるぎもしない。

 というか、仕掛けた側の俺が脚の痛みで悶絶しそうである。


「――フッ!」


 それは無視し、空中で身をひねりながら残る左足でカカト落としを放つ。

 そして当然、これも阻まれる。

 蹴りの一発や二発で隙が生まれないことなど百も承知。

 なら、百発や二百発を連続で叩き込み続けるだけだ!


「――おおおおおっ!」


 空中を跳ね飛んでは連撃を放ち、それが防がれ着地してはまた地を蹴り連撃を打ち放つ。

 技術も経験も遥かに劣る俺が唯一爺ちゃんに勝りうるものがあるとするならば、それは体力を置いて他にない。

 そこに活路を見い出し、とにかく爺ちゃんの周囲を動き回りながら手を足を出し続けた。

 正拳崩拳裏拳鉤突き掌底抜き手手刀前蹴り回し蹴りカカト落とし膝蹴り足刀……。

 俺が覚えた――爺ちゃんから教わったあらゆる技を駆使し、たゆまず攻め続ける!


 果たして、先に隙を生じたのは――俺の方だった。


「――ぬうん!」


 連撃から連撃へ移る際に生じた、針の穴ほどに小さい動きの隙間……。

 チャンハ・チーは――俺の祖父はそれを見逃す男ではなく、その隙を正確に突くだけの技量と肉体を備えた武術家だった。

 結果、彼の放った掌打は俺の腹部を貫いたのである。


「――ご、は!?」


 内臓がのたうち回る衝撃に悶えながら、遥か彼方まで吹き飛ばされた。

 途中、背中に当たった木々や岩々がへし折れ砕けていくのを感じるが、それら全てを合わせたよりこの一撃は痛烈である。

 結局、俺は岩盤に突き刺さりながら数秒腹部の痛みへ悶えることになった。


「勝負あり、だのう」


 いつの間にか眼前へ移動してきていた爺ちゃんが、あごをさすりながらそう宣告する。

 実戦において、数秒身動きできなくなるということはすなわち死だ。

 文句の付けようなどあるはずもない。俺の完敗である。


「今日こそ勝てると思ったんだけどなー」


 岩盤から体を抜き出し、遥か天上の月を眺めるようにごろりと転がった。


「ほっほ、まあイイ線はいってたんじゃないかのう。事実、お前が隙を見せるまでは防戦一方だったしな」


「それでも、届かなかった。

 また一から修行のし直しだな」


 決意を新たに拳を突き出すと、爺ちゃんがそれを掴んで引き起こしてくれた。


「修行か……そう、だな。

 お前には修行が必要かもしれん」


「何だよあらたまって?

 そんなのは俺が一番よく分かってるさ」


「いんや。分かってない」


 その瞬間、である。

 痛みとも痒みとも違う、しいて例えるならライデンイタチの電撃を浴びた時にも似た衝撃が全身の神経という神経を駆け巡った。


「な……にを……」


 聞こうとしても、舌すらろくに動かない。

 おそらくは、爺ちゃんの気功術だ。

 彼の放った気が俺の腕に存在する孔を通じて全身に流され、身動きが封じられているのである。


「わしが言う修行とは、ただ肉体を鍛え技を磨き上げるだけのものではない。

 その点において、お前はわしと同等――はちょっと言い過ぎだとして、かなり近いところまで迫っている」


「…………………………っ!」


 何か言おうにも全細胞が俺の命令を拒否しており、ただ間抜けに呼気を発するだけだ。


「お前が鍛えねばならんものとは、心であり、男であり、人生そのものでもある。

 それを身につけずただ修行に明け暮れても、突きの一発で崩れる薄っぺらい武術家が出来上がるだけよ」


 そして爺ちゃんはとびっきりの優しい笑顔を浮かべながら、俺の眉間に指を置いた。


「ユリンよ……我が孫よ。

 これからお前に試練を与える。そしてこれこそが、わしからお前にくれてやれる成人の祝いとなるだろう」


 俺の意思とは無関係にまぶたが落ち、意識が薄れていく。


「それを果たしたと思ったなら、帰っておいで。

 その時こそ、お前は――」


 意識を失う寸前、ただ爺ちゃんの声だけが耳朶に響いていた……。

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