マザー
帝国軍残存艦隊殲滅から三日、火星は戦勝に浮かれていた。しかし新たな脅威が迫っていた。ビッグシスターズはこの脅威に無力だった。責任の追及が必要だった。チアのいる艦隊に火星最強の超巨大戦艦を含む多数の戦闘空戦艦が向かう。チアを逮捕するためだ。迎えるクレティリアは迎撃の構えを見せる。チアは空を取り戻そうとする。そんななか、マザーがチアにコンタクトを求めて来たのだ。
「アゾレアに着艦要請です。グレデリアさまがお着きになりました」
「護衛艦隊の数が多すぎるな」
「まるでこちらと戦闘をするような構えです」
「ような、じゃないな。すでに臨戦態勢だ。捕虜の受け取りにしては仰々しい」
モーガン艦長はさっきからずっと沈黙しているクレティリアの顔を見た。
「モーガン艦長。もしチアが逮捕されて火星に連行された場合、貴官はどのような行動をとるか?」
クレティリアの顔が翳っていた。
「軍に入ってすでに20年。見切る機会を探していましたが、ようやく希望が叶う日が来たと」
「そうか、覚悟の上か」
そう言ってクレティリアはコマンドコントロールを眺めた。操作パネルはすでにすべてグリーンの光で埋め尽くされている。主砲含めあらゆる戦闘オプションがすでに準備されている。ああ、こいつらはここで死ぬのか、そうクレティリアは判断した。
「よかろう。わたしもつきあおう」
「反対されるかと思いました」
「反対すれば、やめたか?」
モーガンは笑顔のみで返事を返した。
「連絡艇を着艦させろ。グレデリアか。やなやつが来た」
帝国残存艦隊を半数以上壊滅させ、残りを鹵獲し、さらに帝国の本体である衛星ソリティアを半分消しとばしたチアたちが帰還して三日が経った。火星は戦勝に湧いた。ただ深部では、不可解な動きが見られている。その一端が、シスターズの不協和音だった。
本来、シスターズは共通の意思伝達能力を有している。しかし今はビッグシスターズとのアクセスができないでいた。そんな中、7人のビッグシスターズのひとり、グレデリアが火星の第五の都市、デモンレイクから50以上の護衛艦隊を引き連れ上がってきたのだ。
「いいか。話し合いが全てだ。しかし、むこうが強引にチアをさらう気なら容赦はしなくていい」
「チアに知らせなくてもいいのですか?」
「同胞殺しはわたしたちだけでいい。あの子には汚れてほしくない」
「そんなこと言っても、わたしたちが死んだらどうなると思いますか?チアは黙ってませんよ」
「それこそ火星が滅ぶときよ」
モーガンは納得し、憂いた。われわれを救うため、チアは喜んで逮捕されるだろう。だが、チアなきあとの火星に何の未練もない。自分の人生もだ。チアは悲しむだろうが、チアを失うことと比べたらもう選択肢はない。
「暗号通信。各艦に通達。各自の判断に従え、と」
「各艦より暗号電入電。貴艦とともに」
馬鹿なやつらだ、とモーガンは笑った。
その二日前、火星第一の都市であるドナポリスに7人のビッグシスターズが集まっていた。
「ソリティアが墜ちる?」
アストリスタが深刻そうに言った。
「衛星軌道を徐々に外れている。計算では遅くても3か月以内に火星地表と激突すると予想された」
第二の都市コレスターナのシスターズ、ミューイナスが報告した。
「もう一度消しとばせないのか」
第三の都市ドミリオスのファストレーナが言った。
「反陽子反応を引き起こす膨大な陽子エネルギーがいるらしい。どこのどいつがそんなものを考えたんだ」
第四の都市エンデンベルグのメディアナが怒りを込めた目で言った。
第五の都市デモンレイクのグレデリアが立ち上がる。
「チアを逮捕します」
第六の都市メールクールのエミリテリアが驚いたようにグレデリアを見て言った。
「なぜ?チアのせいじゃないでしょう」
「いずれにしろ、だれかが責任をとらないと」
「それはチア以外に。あの子はただ空が飛びたいだけ」
「あなたはいつもそうやってチアを甘やかすから」
「とにかくチアの話も聞かないと」
第七の都市のアメシスタが言うと、話はそこに落ち着いた。
「チアを召喚します」
アストリスタが宣言した。
「逮捕という形をとりましょう」
グレデリアが強硬に主張した。
「いいわ。あなたに任せる。でも、これだけは覚えておいて。火星の未来のすべてがその行動で決する、ということを」
アストリスタは遠いところを見るような目で言った。
「では準備を。デモン艦隊すべてを出します」
「気をつけてね」
「万が一にもそのようなことには」
グレデリアにはまさかチアたちが反旗を翻すとは思っていない。狂信的な軍人がわずかな抵抗を試みるだろうが、火星軍随一の超巨大空戦艦ゴライアス級が二隻、いるのだ。抵抗は一瞬で終わる。もしチアが一緒なら、それもやむを得ないと思う。
「その万が一によ」
アストリスタが寂しそうに言った。
「ち、メデューサとポセイドンを連れてきている。こいつは厄介だな」
空戦艦サラトガの指令兼艦長のマイク・ウエーバーがつぶやいた。火星の誇る超巨大空戦ゴライアス級が大きな船体を見せたのだ。
「艦長、ティラミスから暗号通信です。音声切り替えます」
「マイク、いまさらビビってんじゃないでしょうね」
「メアリー、誰に向かって言ってるんだね?君こそ震えあがってるんじゃないかと心配していたところだ」
「あら、心配してくれてたのね。うれしいわ。それで相談なんだけど、核空雷が百本ほど余ってるんだけど、撃ち出すまでちょっと時間が欲しいの」
「俺が時間稼ぎを、と?」
「悪いわね。一番先に死んじゃうけど」
「馬鹿だな。核空雷だろ?そんなもん至近距離で爆発したら先も後もないじゃないか。でもまあ面白い。乗った、そいつに」
「ありがとう、愛してるわ、マイク」
「よせよ、照れる」
両艦橋の士官下士官たちは思わず微笑んだ。これから死地に、しかも理不尽な死に場所に向かうのに。
「グレデリアさまが指令室に」
「行こう」
クレティリアはもう覚悟は決まっていた。
士官室に入ると、緑色の髪を真っ白な軍服にたらした背の高い女が立っていた。
「グレデリアねえさま、お久しぶりでございます」
「そうね、クレティリア。元気そうね。さあ、あいさつはすんだわ。用件はわかってるわね。チアをここへ」
「そうはいきません。チアはここには来ません」
グレデリアは驚いた顔をクレティリアに向けた。
「聞こえなかった?チアをここへ、と言ったのよ。これは命令よ」
シスターズが命令に反するなど聞いたことがなかった。グレデリアは混乱した。
「聞こえています。ですが、チアはお渡しできません」
「命令に歯向かうと?」
「そうなりますか」
「ではあなたも逮捕します」
「それもお断りします」
「なぜ!」
「知れたこと。あなたたちに抵抗する、その指揮官がいなくなってしまいますから」
グレデリアは確信した。これは反乱だ。明らかに反乱なのだ。しかしこいつらに何ができるのだ。たったこれだけの戦力で。たしかに帝国の残存艦隊を破った実力は侮れない。しかしそれはチアのチームがあったらこそだ。いまアゾレアから空戦機一機でも出ればたちまち2艦の超巨大戦艦が一斉に砲門を開くだろう。たとえわたしがいようと。そう命令してきた。シスターズの命令は絶対なのだ。
「いいでしょう。チアを差し出さないというなら、あなたたちごと火星の表面に叩きつけてあげるわ」
「ねえさまはチアのことを」
その言葉は痛かった。グレデリアは知っていた。小さいころ見かけたチアのことを思い出していた。チアひとりマザーに遊んでもらっていた記憶。うらやましかった。わたしたちは機械に育てられ、ずっと生かされてきた。なのにチアはマザーと一緒に、生きていた。この違いは何なのか。能力?いいえ、軍事、政治、経済、どれをとっても誰にも引けを取らない。まして空を飛ぶことしか知らない、空を飛ぶことしか頭にない幼稚な娘に負けるわけがないのに。
「そうよ。憎んでいる」
そう言ったグレデリアはクレティリアを睨んでいた。クレティリアは悲しそうな目でグレデリアを見ながら言った。まるで最後の別れのように。
「ねえさま、いままでありがとうございました」
「ふん」
「コントロールより、連絡艇が発艦する。グレデリアさまがアゾレアから出る。各員総配置につけ」
連絡艇がアゾレアから離れると、隔壁が降ろされていく。砲門が活き活きと展開し始める。
「空戦機出しますか?」
「いや、これは私たちの戦いだ。チアたちに関係ない」
「そう言っても、格納庫でシスターズが暴れてます」
「しょうがないわね。今行くわ」
格納庫に行くと、アンリミテッドファイターズの全員が出撃させろと騒いでいた。
「あんたたち、やめなさい!」
クレティリアは珍しく大声を出した。
みなが、ハッとした。そして全員が敬礼をした。
「クレティリア様、どうかわれわれを出撃させてください」
チアの副官のセラが泣きながら言った。
「そんなわれも忘れた人間を出撃させるつもりはありません。だいいちあなたたちは何と戦うつもりですか?」
「もちろんあいつらと」
「軽々しく言ってはなりません。彼らは同胞なんですよ。敵ではありません」
「じゃあ、なぜねえさまは戦おうと?」
「あたしは、あたしの誇りのために戦うのです。それには大義も名分もありません。わたしの我儘です」
「ならわたしたちも」
「そう思うなら今すぐあの脱出ポッドに乗りなさい。これは命令です」
「いやです」
「シスターズが、シスターズの命令を聞けないんですか?」
「それはクレティリア様だって」
もう時間がない。グレデリアが帰艦してしまう。
「警備兵、こいつらを拘束しなさい」
しかし誰も動かなかった。整備兵たちもじっとしたままだった。
「チアは?」
クレティリアはチアがいないことにようやく気がついた。
「ひとり、艦首にいます」
クイーンが寂しそうに言った。
「いや、クレボエンスが一緒だった」
エメルダが笑って言った。
艦首にチアが立っていた。火星の大気にさらされながら、じっと空を見ていた。火星の艦隊もアゾレアもどうでもよかった。空を見ていたかった。
「ねえ、クレボエンス。あたしはもう必要とされてないのかな?」
「そんなことはありません。姫は誰からも必要とされております」
「空は、もうあたしに来るなと言っているの?」
「空は相変わらず姫を呼んでおります」
「じゃああたしはなんで空を飛べないの?」
「それは姫が躊躇なされているからです」
「あたしが?何を?」
「空を飛ぶことを、です」
「あたしは空を飛びたい!」
「それではまだ弱いです。現に姫は今もこうして飛んでいるじゃありませんか」
「わかんない。どうすればいいのよ」
「それはあの方にお聞きするとよいかも知れません」
振り向くとギアが歩いて来る。
「こんなところにいたのか。捜した」
「みんなより一番先に飛んでる所。たまにこうしているの」
「風邪ひきそうだな」
「あなたたちが来る前まで、風邪なんかなかった。おかげで何万人も死んだわ」
「すまない」
「もういいわ」
「みんなが捜してる」
「ねえ、ギアは何がしたいの?」
火星に夜が訪れる。艦隊は管制をしているため暗い。
「ぼくは普通に生きたい。普通に暮らし、学校に行って、ごはんを食べて」
「皇帝じゃないの?」
「パン屋とかになってもいいな」
「皇帝のパン屋?」
「皇帝から離れろ」
あははは。若い二人の声が火星の空に吸い込まれていった。
「ねえ、ギア」
「なんだい?」
「空が飛びたいのに、誰も許してくれなかったらどうする?」
ギアはしばらく空を見上げ、やがてチアに向かって言った。
「空を君のものにしちゃえばいいんじゃないか?」
「あたしのものに?」
「そう。そうすれば誰にも文句なんて言えないよ」
チアはすこし考えていた。やがてニッコリ笑った。ああ、美しい笑顔だとギアは思った。もう、この身は朽ちるのに、幸せな気分だった。
「クレボエンス、出来る?」
「はい。お待ちしておりました」
「ギア。ありがと。もう迷わないよ、あたし」
ギアにはチアが何だか遠いところに行ってしまうような気がした。
クレボエンスの様子が変わった。機械的な処理の音をさせている。
「統合を発動します。マザーが思念波でコンタクトの要求をされています。お受けになりますか?」
「それはみんなにも見える?あの皇帝にも」
「調整します。おふたりのお話は全ての人の脳に届きます」
マザー。火星のイブ。マーシャンの母。すべての火星人類はその子供だ。アダムは地球から持ち込んだ何億もの生体情報。それを自在に組み合わせ、マーシャンたちを産み育んだ、偉大なる生命システム。チアは小さいころ夢の中で誰かにいつも遊んでもらっていた。いまでもそれを時々思い出す。それがきっとマザーだったんだと気がついた。
最初に希望。そして次に苦悩。また次に喜び。そして悲しみ。ギアは感じた。すべての人間が同時に感じた。頭の中に映像が浮かぶ。ふたりの少女。
「久しぶりね、チア」
そう言った少女は黒い髪をなびかせてチアに笑いかけた。
「マザー?」
チアは目を見開いて言った。こんな顔をしていたんだ。こんな姿で、こんな声で。ああ、知っている。
「わたしは島津ゆい。やっとお話ができたわね」
思念の波は優しく万人に伝わって行った。
マザーは、みなの母だった。地球人類も、火星人類も、その姿をみていた。マザーはいったいチアに何を伝えようとしているのだろうか。