月にさよならを
ドナポリス中央会議場の真ん中に、チアがいた。
前列にビッグ・シスターズが並び、それをシスターズが囲んだ。
「まず、あなたの功績をたたえ、しばしの沈黙を捧げます」
アストリスタが宣言した。みな沈黙をチアに捧げた。
「あなたの功績よりもはるかに大きな罪については、今回は不問に付します。これは火星の総意だからです」
罪とはAIの反乱についてだ。火星のAIすべてがチアに従ったことは、反乱に匹敵する重罪なのだ。しかしAIはチアをマザーと認識した。それはチアが望んだことではなく、AI自らが望んだことなのだ。
「議題に移りましょう」
アストリスタは無表情でそう言った。
「現在、衛星ソリティアは軌道から4万ルーンの距離を降下しています。それは次第に加速していき、やがて火星表面と接触します」
「ミューイナス、正確な時間を」
「2か月と11日16時間です」
「それは」
「地球時間で」
アストリスタはチアに向かって言った。
「チア、あなたは何か考えがあると言った。今それを聞かせてもらうことはできる?」
「もちろんです、アストリスタ姉さま」
「では話しなさい」
チアは会議場にいるすべてのシスターズを見回した。
「みんな、子供の時のことを覚えている?」
議場に戸惑いとざわめきが起きた。
「チア、それが今必要な質問なの?」
「アストリスタ姉さまは覚えている?」
「まあ、少しなら。綺麗な花の中で、マザーと遊んだ」
またざわめきが起こった。
「そう。それはみんなの記憶でもある。みんなそれが当たり前と考え、誰も疑問に思わない」
議場はさらに戸惑いが深くなっていく。
「それがどうだというんです?」
「それがマザーの限界だからです」
悲鳴に近い反応が起きた。面と向かってマザーを批判することが今まであったろうか?誰かそんなことをしたものはいたのだろうか?答えはノーだ。
「意味が分かりません」
「つまり、誰が考えても答えは一緒だと言うことなんです」
「それはシスターズが同一思考しかできないと言うことですか?」
「では証拠をお見せします」
「まあいいでしょう。あなたの茶番につきあいましょう」
「ありがとう、アストリスタ姉さま。いいですか?みなさん。それでは目をつぶって」
シスターズは渋々目を閉じた。
「鳥の姿を思い浮かべてください。鳥。バード。火星には30種類くらいしかいませんが、何でも好きな鳥を」
しばらくみんなは首を傾げたりうつむいたりしていたが、やがて姿勢は戻っていく。
「できたようね。それじゃあ今度は色を思い浮かべて。鳥の色です。なんでもいいですから」
またみなさまざまに考えているようだった。
「じゃああたしがその色を言いますから、違う方は立ち上がって下さい」
みんなは目を見合わせた。ここにシスターズは300人はいる。そのすべての考えている鳥の色を当てるなんて不可能だ。みなそう思った。
「その色は、金色です」
大きなざわめきが起こった。しかし誰も立ち上がろうとしない。さらにざわめきは大きくなった。
「どうして金色だと分かったの?」
アストリスタがそう言うと、ざわめきは止んだ。
「あなたがた、いえ、あたしも含めてみな同じ、だからです。同じ細胞の一つからできたからです。それがマザーの限界というわけです」
「面白いけど、今はそれどころじゃないでしょ?それにそんなことを言われても、どうしようもないでしょう」
「あたしは、考え方を変えてくださいと言っているのです」
「ここで哲学を語るのはおやめなさい。今は火星の存亡の時なのです」
「どうして存亡なのですか?これは大いなるチャンスかもしれません」
「何を言っているのですか、あなたは!火星が滅んでしまうんですよ?」
チアは上を向いた。涙を流しているのだ。きっと話はわかってもらえないと思った。最初から。でもきっと誰かわかってくれると、そう信じていたのだ。
「あの」
一番後ろの席のシスターズが立ち上がった。
「あなたは?」
「メルキシスポリスのグレイスです」
「なにか」
「発言を」
「認めます」
「感謝します、アストリスタ姉さま。実はわたしは鳥の色を青と考えました」
ざわめきが起こった。
「なぜ立ち上がらなかった?」
「それは、わたしごときがおこがましいと考えたからです」
議場は騒然となった。
「実は私も。色は赤です」
「私もです。色は白」
「わたしは黄色」
「わたしなんか黒よ」
「静かに!」
議場は静寂に戻った。チアは嬉しかった。違う考え、違う意見、そんなものはシスターズにないと思っていた。でもあった。
「さあ、話をさせてください。火星の話を。火星が生まれ変わる話を!」
議場は大騒ぎになった。
「今ごろ会議場は大騒ぎになっているだろうな」
モーガンが艦橋でつぶやいた。
「チアですか?」
副官が聞き返した。
「まったく途方もないことを考えるお姫様だよ」
「たしかに」
「ウラヌスは?」
「第5区画に」
「やっぱりやるのか」
「ランスロットが死にそうになってましたね」
「やれやれ」
「そんなことができるのか?」
「理論上は」
「誰がそのようなことをするのだ。たとえそれが成功したとしても、その実行者は帰ってこれぬぞ。宇宙のチリとなろう」
「あたしがやります」
「チア?気でも狂ったか!お前はマザーの後継に選ばれたんだぞ!そんなことが許されると思っているのか!」
「しかしこれはあたしでなければできないのです」
「確率は計算したのだろう?」
「はい」
「生存及び帰還率は」
「生存は2パーセント、帰還率は0.01」
「死にに行くようなものだな」
「たとえゼロでも、賭けてみたいのです」
「話にならない」
議場はまた騒がしくなった。
「わたしはチア姉さまに賭けてみたい」
さっきのメルキシスポリスのグレイスだ。
「ありがとう、グレイス」
「あたしも」
「あなたは?」
「トメリシアポリスのミランダです、チア姉さま」
「ありがとう」
「クリテアルポリスのバリシアです。チア姉さまに賭けます」
「グリュイエールポリスのエメレインです。チア姉さまに」
続々とチアの支持が集まって行った。もう半数以上はチアの意見に賛同している。
「話はわかった。チア、いつまでにできる?」
「アストリスタ姉さま、ありがとうございます。1月半で」
「チア、お願いします。火星を救ってください」
「わかりました。では、月にさよならをしてきます」
そう言ってチアは笑った。
「第5区画管制センターから各部署へ。これよりエンジンテストを行う。総員防護施設に移動せよ」
ウラヌスに大きなブースターがつけられた。しかしこれはあくまで補助でしかない。衛星までこれで行くのだ。そして衛星から中性子エンジンを使う。
「エンジン始動。出力5ギーガー」
通常出力の1パーセントだ。
「隔壁が持たないかもしれん。後ろのやつは下がらせろ」
もの凄い浮揚力だ。船体がきしんでいる。
「艦が持たないぞ」
「シールドを展開しろ」
「こんなバカなことはやったことがない」
「チア様といると毎日だがな」
「隔壁がぶっ飛んだぜ」
「隣のドックが丸見えだ」
「空でよかったぜ」
試験の終了と同時にランスロットはデータの解析に取り掛かる。また3日は寝ないだろう。
「コントロールより艦橋へ。プレストワン着艦します。マッドシスターズのお帰りです」
「チアを艦長室に」
「アイ・サー」
アゾレアの艦橋に改修が施されていた。ソークレーダー。四次元レーダーだ。時空のひずみを探知できるシステムで、潜空挺や超高速の飛翔体に有効なのだ。
「チア入りまーす」
「許可する」
「報告します。ドナポリスでの会議は万事首尾どおりです。計画の続行を」
「ご苦労、チア。だが問題は山積だ」
「と、言いますと?」
「乗組員だ。きみと死にに行きたがるものが大勢いて困っている。速やかな人選をしたいところだが、こうも混乱するとは思わなかった」
「それですが艦長、お話が」
「なんだね」
「乗組員は必要ありません」
「ほう」
「以上です」
「そう言うと思った。AIだけで充分だと?そうだろう。しかし最後は人間がコントロールしなければならない。だから君が乗り込んでいる。乱電磁場のなかで正常に動けるのは君だけだからな」
「おわかりでしたか」
当然よね、という顔をチアはしている。
「ばかもん!そんなことが許せるか!万が一、君が動けなくなったらどうするんだ?誰の助けもなしに脱出など不可能だぞ!」
「マザーと約束したんです」
「なんだと?」
「必ず生きて戻ると。約束を破ると、マザーに怒られてしまうんです」
「はあ」
もう自分がどうこう言うことじゃないと、モーガンは思った。これはチアに委ねるしかない。火星の、いや人類のすべてを委ねる。それをこんな少女に、だ。そんなことが許されるのか、とも思った。だがそれは自分の領域をはるかに超えている。
「チア。無理だけはしないでくれ。わたしはきみが死んだら、自分が死ぬより辛い。それだけは覚えておいて欲しい」
「わかりました艦長。ありがとうございます」
チアは敬礼とウインクをし、出ていった。モーガンは胸がいっぱいになって、泣きそうになっていた。
チア、生きて。それが全員の、願いとなった。




