前編
……カチッ、ジリリリリリリリリリリリリ
心臓に悪い音が鳴り続ける目覚まし時計を止めて起き上がる。驚きでバクバクしている心臓をなだめながら時間を確認、七時半。おかしい、こんなに早く起きるようにしていただろうか? 八時半にしていたような。大学は高校よりも近い場所にあるから、もう少し遅くても十分余裕があるはずだ。もしかしたら、アラームの設定を変えるのを忘れたのかもしれない。とにもかくにも、もう一度寝るには不安が残ってしまう時間だ。仕方ない、とりあえず部屋を出てリビングに向かうか。
「おはよう、お母さん」
「おはよう。朝ごはんなら、もうできてるわよ」
「あー、はいはい」
こっちではなくテレビを見ているお母さんを尻目に、冷蔵庫から牛乳を取り出してからテーブルに座る。私が起きるよりも早く家を出たお父さんに合わせて作られた朝食は、すでに冷めており、トーストはサクサク感を、サラダはシャキシャキ感が失われており、全体的にしっとりとした朝食になっている。しかし、私は作ってもらっている身。文句を言えるはずもないので、黙々と苺ジャムを塗ったり、胡麻ドレッシングをかけて食べ進めていく。テレビにはお母さんの大好きな韓国ドラマの録画が流れているが、これまでの流れを一切知らないので今がどういった場面とかはわからない。そういえば、あれは先週ようやく最終回を迎えていたような。終わり方が良かったのか感動で泣いていたお母さんを覚えている。また最初から見始めたのだろうか。だけど、お母さんはいつも録画を見たらすぐ消していた気がする。そんなにこの作品を気にいってるのか? でも、四年分もあるから、そもそも残せるのか? もしかしたら、知らないうちにダビングをしていたのかもしれない。そうこう考え、納得しているうちにお皿には落ちた苺ジャムと胡麻ドレッシングの跡しかなかった。
「ごちそうさまでした」
「あら、結構ゆっくり食べたのね。時間大丈夫?」
「高校のときよりも近いし、全然大丈夫だよ」
「高校? あんた、何言ってるの?」
「何って、何が? 別に変なこと言ってないでしょ」
お母さんの言葉に疑問に思いながら部屋に戻り、明かりを点ける。閉められたカーテンにより朝日が一切入らず、真っ暗だった部屋は一気に明るさを取り戻して全体がハッキリとわかるようになる。机の上には昨日用意したスーツや鞄が……なく、そこには高校の制服とスクールバッグが置いてあった。
どういうことだ? お母さんが嫌がらせをした? それにしては、スクールバッグが新品のように綺麗だったりと手間がかかっているし、そもそも、そんなことをする意味があるか? わけがわからないけれど、とりあえずスーツを探すためにクローゼットを開ける。見つからない。部屋を出て、廊下にあるハンガーラックにないか探してみる。見つからない。おかしい、どこにもない。
「お母さん! 私のスーツどこにもないんだけど!」
「スーツ? あんたのなんて、あるわけないでしょ」
「これじゃあ、入学式にでれないよ!」
「入学式なんて制服でいいでしょ」
「何言ってんの? 大学の入学式だよ、いいわけないじゃん」
「あんたこそ、寝ぼけてるんじゃないの? 今日は高校の入学式でしょ」
「はぁ?」
何を言ってんのは、こちらの台詞だ。先月高校を卒業したのに、また高校に入学するなんて前代未聞だ。
「いやいやいやいや、今日は大学の入学し、き……」
反論しようとしたとき、録画を見終えたのか朝のニュース番組に変わっていたテレビから「今日は四月八日、金曜日。天気予報の時間です」と聞こえてきた。八日? 今日が八日? おかしい、私の記憶では今日は四月一日で月曜日だ。昨日は日曜日で、ショッピングセンターが人でにぎわっていた。平日だったらあんなに混んでなんかいない。曜日が一つ違うぐらいならあるかもしれないが、日付を一週間も間違えるなんて普通はありえない。だけど、番組は訂正をすることなく今日の全国の天気を教えている。今日の天気は一日中晴れ、よかった。違う、そんなことを思っている場合じゃない。
もしかしたら、間違っていることに気づいていないのかもしれない。そんな淡い期待を抱いて部屋に戻り携帯を手に取る。三年間愛用している携帯には小さな傷がいくつかあったはずだけど、それがない。ただでさえ淡かった期待がどんどん薄れていく。おそるおそる電源を入れるとロック画面には『四月八日 金曜日』と表示されていた。だったら、私の記憶はどうなっているんだ。三月いっぱいまでは何があったのかは覚えている。次の日から四月も覚えている。なのに、今日は四月八日。一週間ほどの記憶がなくなったっていうのか? そんな馬鹿な……と言いたい。自分は間違っていないのだと思いたい。いや、思い込みたい。間違っていたのが自分だと判明し、ますますわからなくなり、焦っていく。とりあえず、少しでも手がかりを得ようとロックを解いてカレンダーのアプリを開いてみる。そこには年月日が書かれていた……三年前の今日であったが。
「ははっ……」
あまりの展開に乾いた笑いをもらした。理解はできたけど、わかりたくない。三年前に戻っているなんて摩訶不思議な現実を受け止めきれない。どうして? なんで? 疑問は浮かぶけれど、答えなんてもちろんでるはずもない。これは夢かもしれないと思って頬を軽く抓るが、そんな簡単に解決するはずもなく、ただ頬がヒリヒリするだけで終わった。無駄な抓り、無駄な痛み、無駄に時間をつかってしまった。
しかし、現在が三年前だと理解したら、お母さんの発言も理解できる。今日、高校を入学する娘が過程をすっ飛ばして大学に入学するとか言ってきたんだ。何を言ってるんだと思いたくもなる。あの台詞はあちらで間違いなかったのだ。
いつの間にか消えていた携帯の電源をもう一度入れる。日付と曜日は変わっていないが、時間は変わっている。時刻は八時四分。さて、どうする、どうしたらいいんだ。何でこんなことになったのかわからない状況で頭が痛く、休みたい気持ちに心が揺れ動く。だが、先ほどまで元気に食事をしている姿を見られてしまったので、体調不良で休むのはとても難しい。そして大学に着て行くはずのスーツはない。そもそも三年前の私には大学に入学する権利はない。あるのは高校に入学する権利だ。そうすると、私に残された選択は一つしかない。高校にかかる通学時間は一時間ぐらい。机の上に置かれた案内には十時から入学式がはじまるので、九時半ごろには教室にいるよう書かれていた。つまり、私は家を八時半には出なければいけない。とりあえず、問題について考えるのは後にしよう。やるべきことを決めて、私はもう着る予定のなかった制服に袖を通して準備を始める。
三年ぶりの入学式。本来なら大学の……だったはずだが、高校のをもう一度。
「新たな制服を身にまとって藤咲高校の門をくぐった新入生の皆さん、入学おめでとうございます。皆さんの入学を心から歓迎します。また、保護者の皆様、お子様のご入学を心よりお祝い申し上げます。さて……」
先月の卒業式を最後にもう聞くことはないだろうと思っていた校長の言葉。三年前に同じ体験をしているとはいえ、内容全てを覚えているはずもないので新鮮に感じるといえば感じるが、周りには見覚えのある人たちがいるので懐かしくもある。黒色の髪の毛の中には金やピンク、緑があったりと色彩豊かな絵面は見ていて飽きないけれど、まじまじと見つめるのは不審に思われてしまう。そうだ、この入学式の時間を有効活用して何が起きているのかを改めて整理しよう。
まず、何故か三年前に時間が戻っている。原因はわからないし、思い当たることすらもない。そして、このことを知っているのは現状では私しかいない。お母さんの反応からして他の人も知らなさそうだと考えられる。微かな希望は抱きたいけど、少なくともこの入学式に参加している人たちの中にはいないだろう。
もしかしたら、大学の入学式に緊張やドキドキしたりした結果、夢で予行演習をやっているのかもしれない。夢の中でも意識があったりするのを前にテレビかネットで見たことがある気がする。だけど、予行演習をするなら入学式の場面からはじまればいいし、朝のくだりはいらないのでは……もしや、遅刻をしないようにという自分の脳からの警鐘なのでは? それなら三年後に四月一日を迎える私は今すぐ起きてくれ。とにもかくにも、目覚めるまではこの夢に付き合わなければいけない。夢と思わなければやっていられない。
「新入生が退場します。拍手でお送りください」
話はほとんど耳に入れてなかったけど、気づけば入学式が終わったようだ。周りから浮かないように立つ場面では立って礼をしたけれど、大丈夫だっただろうか……終わってからどうこうできるものじゃないけど。真面目に聞いていなかったから、間違えている可能性が否定できず不安である。それなら最初からちゃんと聞いていればいいと反論されてしまいそう。そう思いながら前の人の歩幅に合わせつつ教室に向かう。
二年生や三年生のときはクラス替えで盛り上がるけれど、一年生の場合は違う。知らない人に馴れ馴れしく話しかけられるはずもなく、多くの人は一人で携帯をいじったりして暇をつぶすので教室が静かで気まずくなってしまう。私は知り合いに話しかけたいと思うものの、その知り合いになるのが先の話であるため、話しかけても怪しまれる可能性があるので避けたい。仕方ない、私も携帯をいじろうとするもお気に入りのアプリがこの時点では配信されていなかった。担任よ早く来てくれ。
楽しめない静寂の中で過ごすこと十数分。今もなお、電気が点いており明るいはずの教室は暗い雰囲気で包まれていた。体感では一時間ぐらい経っているのに、六分の一ぐらいしか経っていない。こんなに時間が長く感じるなんていつぶりだろうか。二年生になってからは比較的充実した毎日だし、気まずいことが多かったのは一年生ぐらいだろうか。だとすると三年前? いや、三年前も一年生じゃないか。つまり三年前の気まずさをもう一度体験していることになるのでは?
さらに十数分、合わせて三十分ぐらい経ったあたりでガララッと教室の扉が開く音がした。トイレに行く人がいたので何回かその音を聞いたけれど、入ってきたのは生徒ではなかった。そもそも現在は誰も席から立っていないのだから、入ってくるのは生徒なわけがない。つまり先生、それも担任だろう。何かしらの動きがあり、ようやくこの時間が終わると多くがそう思ったのか、さっきまで暗い雰囲気だったのがやわらいだ気がする。
「全員、席には……着いているな。それじゃあ、自己紹介をはじめようか」
唐突すぎる。だけど、これが特徴でもあったな。三年間お世話になったこともあり、そこそこ覚えている。二年生の頃にはこの唐突さにも慣れたけれど、初めましての状態では反応に困る。
「とりあえず私からだな。私は一年三組の担任になった橘柊彩、担当教科は現代文。一年間よろしく。次は出席番号一番、ほら立って」
誰もが戸惑う中、容赦なくはじまっていく。考える時間をほとんど与えられなかった一番の子は、立ち上がるものの何を言えばいいのかその場で悩んでいる。その後ろでは次は自分だと察したのか、こちらもこちらで悩んでいるようだ。よく見るとその後ろもだ。高みの見物な気持ちでいる私も考えなければいけないのだが、どうしようか。名前と好きなこと、いや食べ物がいいか? あとは部活がいいだろうけれど、入る予定が一切ない。笑いを狙って帰宅部というのもあるけれど、これで狙えるかといえば微妙すぎる。真ん中ぐらいの順番だから考える時間はまだある。それに無理に考えずに前に発表した人たちのを参考にすればいい。
予想通りだが、大半は名前、好きな食べ物、趣味、入ろうとしている部活、最後に一言の流れだった。中には笑いを狙って変なことを言う人もいたが、そのときだけ場が涼しくなった。さすがに初対面な状態では笑うことも難しいということで、いけにえになってくれてありがとう。私はやらないようにしよう。そうこう考え、聞いているうちに私の番がきた。
「多田峰恵乃です。趣味は読書、好きな食べ物はチョコです。えぇっと、一年間よろしくお願いします」
最後の一言と同時に頭を軽く下げる。当たり障りのない自己紹介で、良くも悪くもないはず。自己紹介なんてこんなものだ。とくに共通のものがない場合は。とりあえず一番大変なことが終わった。あと今日やることは特になかったはず。このまま帰るだけ。ようやく一区切りだ。忘れかけていたが、これは夢だ。あまりにもリアルすぎるが夢だ。早く帰って休みたい。いや、夢から覚めたいが正しいだろうか。
「……よし、これで説明は全部終わり。質問は、とくにないな。明日は全教科書を持って帰ってもらうから、ちゃんと用意とかしておくこと。それじゃあ、今日は解散」
自己紹介の後は校内での注意事項の説明を聞くだけ。知らないことを聞くならまだしも、すでに三年間も過ごした身。知っていることだらけで退屈だったとしか感想がでてこない。だが、これでようやく一日が終わった。入学式と自己紹介と説明だけだから、まだお昼過ぎだけど。クラスを軽く見渡せば先ほどの自己紹介で気になったのか、話あっている人がいたり、早々に帰っている人もいる。私は誰かに話しかける気もせず、ただただ夢から覚めたい一心だ。そうでなくても一人になって考えたい。誰かと話している余裕はない。そうだ、帰ろう。ここでずっと座っているのも変に思われるので、私は帰途についた。
寝たら元通りなんてことはなく、今日も高校一年生。明日も明後日も、来年は二年生、再来年は三年生、最後は卒業。これで終わりだったらよかったが、そんなこともなく、高校一年生に戻った。三度目だからって、具体的な対策を思いつくはずもなく、一度見た日々をまた過ごしていく。
そんな中、ふと思ってしまった。三年生から一年生に戻る瞬間がどうなるのか? 今までは三月三十一日に寝て、起きたら四月八日になっていた。その境目はどうなっているんだ? 好奇心に勝てるはずもなく、三度目の卒業式を迎え、春休みを過ごし、ついに訪れた三十一日。三度目の正直で今度こそ大学生になれるなんて考えはあったが、すぐに捨てた。ただ、念のため準備はしておく。寝る時間である二十二時になり、本来なら寝ている二十三時になり、そして時刻は二十三時五十九分。時間と日にちを一緒に見られるのは携帯だけなので、ずっと携帯を見つめる。秒数までわかればギリギリまで目をつむっていられるが、頑張って目をずっと開くもそろそろ限界。たった一分なはずなのに、全然日付が変わる気配がない。少しでも耐えようと薄目で見つめ続けていた、その瞬間、時刻が全てゼロになり、日付が変わったことがわかる。下に表記されている日付を見ると四月一日。まさか、本当に三度目の正直が起きたのか、予想外の出来事に目を見開く。
しかし、ずっと見開いていられるわけもなく、目が乾燥を避けようと涙を少し出しながらつむってしまった。じっくりと目を潤してから再び開き、日付を確認すると四月八日と表記されている、どういうことだ? 確かに、先ほどまでは四月一日だった。あんなに目を見開いて確認したのだ、間違えるはずもない。数字の一と八なんて、そうそう間違えない。瞬きしただけで三年前に戻ったということなのか? 携帯から目線を外し、座っていたベッドを見る。何時間もベッドの上でダラダラと過ごしていたので、布団はくしゃくしゃになっていたはずなのに、今は綺麗に敷かれていた。他にも、机の上にあった大学の入学式のための準備は全て高校の入学式のためのものに変わっており、右手で持っていた携帯は三年間でできた細かい傷の感触はなく、新品のようなツルツルとした触り心地だった。自分の着ていたパジャマすら、先々週に購入した水色のものではなく、一年半ぐらい前まで愛用していた黄緑色のものに、肩まで伸びたはずの髪の毛は耳下ぐらいまでに短く、暇つぶしに昨日切った爪は少し伸びすぎている程度の長さになっていた。目を閉じて開けただけで、三年前に戻っていた。そのことを頭が完全に認識したそのとき。
「うっ……」
あまりの気持ち悪さに吐きそうになった。ここで吐き出すわけにはいかない、急いでトイレに行き、吐く、吐く、吐く。全ての気持ち悪さを胃液と一緒に吐き出す。気持ち悪い、気持ち悪い、きもちわるい、なんで、わたしが、どうして、わたしが、こんなめに、なにをしたというんだ、いや、なにもしていない、なにもできるはずもない、わたしは、なにもない、とくべつなこでもない、ふつうだ、なのに、なんで、どうして、どうして、どうして、わからない、さいあく、きもちわるい……。
全ての気持ち悪いを吐き出して多少はスッキリしたが、まだ頭がグルグルと回っている感覚があり再び気持ち悪さがこみ上げてきそうだ。しかし、空っぽになった胃からはもう何も出てこないので、どうしようもない。このままずっとトイレに居座るわけもいかないので、とりあえずトイレから出たものの、汗と涙と跳ねてきた吐き出したもので汚れた顔は別の意味で気持ち悪い。洗面台で洗い流し、タオルで拭き、最後に鏡で確認をする。目の前に映っている自分の顔は昨日見た顔よりは幼く、三年に戻ったことを改めて認識させてきた。今までだって同じだったはずなのに、寝て起きたらと瞬きしたらでは、こんなに気持ち悪さが違うのか……もう、境目で起きるのは止めよう、冷静さを失われた頭ではこんなことしか考えられなかった。
それからというもの、私は自分の精神を保つためにも、この奇妙な出来事を受け入れたフリをしながら高校生活を繰り返していた。どういうことなのか知りたい好奇心を奥底に隠したまま。
あの境目の出来事から三回ほど高校生をやり直した。現在は六回目の高校二年生で、今日から三者面談のおかげで早帰り。とくに宿題もないので、家でダラダラと過ごそうと電車内で考えていたとき、携帯が震えた。電源を入れてみると、どうやらメッセージが一件届いたとのこと。先に帰ったはずの一ノ瀬葵さんからじゃないか。あの子から色々と面倒ごとを引き受けていた思い出が頭に浮かぶ。今回こそは……そう願いながら、メッセージを見る。
『お願い! 買ってきて欲しい本があるの!』
やっぱり。予想通りで嬉しいような、悲しいような。いや、病気とかで休んでいないんだから自分で買いに行けばいいじゃん。そうツッコミを入れつつ返信をする。
『なんで? 自分で買えば?』
『買うのを忘れたのよ! 気づいたときはもう部屋の中だったから……画像と同じのを買ってきて!』
間髪を入れずに返信とネット通販の商品ページの画像が送られてきた。そんなに必死にならば、忘れないで覚えていろよ。いくら中学からの知り合いとはいえ人使いが荒い。面倒だから断ろうと思ったけど、こんな出来事は何度も高校生活を送ってきた中では一度もなかった。稀有なことなのかもしれない、そう考えてしまった私は「了解」と短く返信をする。
最寄り駅内になる本屋に入り、送られてきた画像を頼りに本を探す。先ほど送られてきた画像によると『俺とキミの電子の恋』というのが欲しがっている本とのこと。一ノ瀬さんはアニメや漫画を好むオタクのジャンルに分類される人物なので、そういったコーナーに置いているはず。現に画像にある本の表紙はそういった絵柄だ。恐らく当たっているはず。多分。外れたときはそのときだと思いつつ、たくさんある背表紙たちとにらめっこしながら目当ての本を探す。あれでもない、これでもない、じゃあどれだ? 何度か画像を見返しているとき、画面上部に通知が表示される。一ノ瀬さんからの追加情報。どうやらこの本は漫画ではなくライトノベルのコーナーにあるとのこと。それは最初に言えよ。すぐにコーナーを移動して探してみると、新刊というわけか平積みされていてあっという間に見つかった。画像と見比べ間違っていないかを念のため確認。うん、これで間違いないな。
あとはこれをカウンターに持って買うだけなのだが、つい癖で裏表紙にあらすじがないかを確認してしまう。この作品にはあったので読んでみると、どうやら自分の住む世界が恋愛ゲームの世界だと気づいてしまった主人公がどうにかこうにかしようとするお話らしい。さすがに夢を見すぎなのでは……といった感想しかでてこない。表紙に描かれているキャラの中にはピンクや青といった現実ではテレビぐらいでしか見ない髪色がいる。金髪ならまだしも、こんな髪色の子が学校にいたらおかしいと普通は思わないのか?
だけど、不思議と見覚えがある。いや、こんな夢みたいなことを見ていたら、完璧ではなくても覚えているはずだから、少し違うかもしれない。だったら何で見覚えがあるんだ? これと似たようなこと見たのか? いつ? どこで? 疑問が次々と浮かんでくる。だけど、ずっとここで考えているわけにもいかない。端から見れば裏表紙をガン見している怪しい子だ。とりあえず、これを買って渡しに行く当初の目的を思い出し、カウンターに持って行った。
よし、借りよう。帰り道を歩きながら考えに考えた結果、借りることで落ち着いた。そもそも私はこの本の内容を知らない。そんな状態で疑問を解消するなんて難しいので、借りて読もう。そう決意してインターホンを押すと、ピンポーンと軽くて小さな音が聞こえる。
『やっと来た!』
「めっちゃ元気だね」
『そりゃそうじゃん、病気じゃないし』
なら、その元気さを活かして本屋に行けよ、と言う前にインターホンが切られた。文句言われるのをわかって切ったな。呆れる間もなくガチャッと扉が開かれると、そこには数時間前に学校で見た姿が現れる。制服ではないが、そのまま外出しても平気な恰好。自分で行けばよかったのでは?
「いやー、ほんとにありがとね」
「帰り道だったから、そこまで手間じゃなかったし」
買った本を手渡し、ようやく家に帰れる……まて、私の本命の用事があるじゃないか。
「そういえば、これの前の巻を借りたいんだけど」
「意外だね、これに興味がでたの? いいよ、持ってくるから待ってて!」
そう言うと彼女は家の中へと戻っていった。その間に何かやることがあるわけではないので、携帯で時間を見たり、周囲を見渡すことぐらいしかやることがなかった。まだだろうかと思いつつ足元を見ていると、突然ガチャッと扉が開いた。
「おまたせ! はい、これ。全部で三巻」
「うん、ありがとう。しばらく借りるね」
「全然大丈夫だよ。同じのもう一冊ずつあるから」
「えっ……すごい。それじゃあ、帰るね。また明日」
「ほんとのほんとにありがと! バイバイ!」
ようやく用事が終わって家に到着。午前で授業が終わって気が楽なはずなのに、普段と同じぐらいに疲れた気がする。考えるべきことはたくさんあるけれど、最初の考えに従って今日はゆっくりしよう。明日から頑張る。そう思いながら部屋のベッドにダイブをして、目を閉じる。あっ……制服のままだと皺が……。
昼寝を済ませた夕方。幸いなことに寝相がよかったので制服がしわくちゃになるのを避けられたが、これ以上の被害を防ぐために部屋着に着替える。たった数時間、されど数時間。夜の睡眠時間よりは短いけれど、寝るだけで疲れが大分とれた気がする。いや、授業は午前中だけなのに、なんでこんなに疲れているんだってこともあるけれど。
しかし、昼寝のおかげで昼食を逃したので最後にご飯を食べたのは通学する前、七時ごろということになる。そして現在は十七時。お茶とかを飲んでいるとはいえ、十時間も食べていない。それなのにお腹は空いていない。これも昼寝効果なのか、どうなのか。こんな状態でも、普通なら食べたほうがいいかもしれないけれど、二時間後に夕食があるのでやめておこう。そうすると、あと二時間ほど何をすべきか。勉強といっても明日までの宿題はない。絶対にやっておくべきことがない。そうなると……借りたこの本を読むしかないか? 借りておいてなんだけれど、読む気力があまりない。自分では進んで読もうとしない、どちらかといえば避けているジャンルのせいだろうか。けれど読まなければいけない。いけないってことは、絶対にやらなければいけないことになる。つまり最優先でやることになる。しまった、自分で納得する理論が組み立ててしまった。仕方ない、読もう。
渡された紙袋から一巻を取り出して、ベッドで横になる。今度は皺に気をつけなくても大丈夫。呼吸を整え、意を決してページをめくる。そして読む、めくる、読む、めくるを繰り返す。敬遠していたので怖い気持ちがあったが、思いのほか読みやすい。このペースなら夕食までには読み終えられるだろう。暇つぶしに丁度よかった。
借りた本『俺とキミの電子の恋』の一巻をほとんど読み終えた。あと数ページでこの巻が終わるというのに、運悪く夕食の時間になってしまったので、モヤッとした気持ちで夕食を食べることになったのは残念だったけれど。
内容は本屋で読んだあらすじと違いはなかった。いや、あらすじと違ってはいけないのだけれども。ある日、自分の世界が恋愛ゲームの世界であることに気づいてしまった主人公の男の子。そして彼は自分がそのゲームの『主人公』の立場でもあることに気づいてしまう。彼の周囲にいる多くの女の子は攻略キャラ。攻略というのはゲーム用語か? 彼が恋愛できる対象という解釈でいいのかな。とにかく、その子たちと恋愛しながら世界について知っていこうとしていく、ところで一巻が終わってしまった。大まかな展開を思い出してみるが、そんなに量がなかったな。台詞の量が多かったからなのか、単にこの本が薄目なだけなのか、どちらにせよ借りた三巻まで読んだとしても期待できないような。とはいえ、読まないまま返すのも悪いので読むけれど。
しかし、内容は薄かったが、既視感がある話はあった。とくに、あらすじのときも気になった髪の毛だ。普通では考えられないカラフルな色。染めているならまだしも地毛というのがすごい。一体どんな家系、遺伝子ならそんな色で産まれるのか不思議だ。この本では主人公の幼馴染がピンク色だったり、クラスの学級委員長の女の子が緑色だったりした。お使いで買ってきた最新刊には青色の子もいたので、その子も今後登場するのだろう。このカラフルな髪色、現実でいれば絶対に気づくはずだ。気づかないということは見たことがないということ。なのに、既視感がある。どこかで見たことがあることになる。問題はどこで見たかだ。この本と同じならば、学校で、ということだけれど、そんなカラフルな生徒がいたか? みんな普通の色だった気がする。ヤンキーっぽい子が金髪にしているぐらいしか思い出せない。普段、他人の髪色なんて気にしないからよく覚えていない。おかしな色、おかしな色……本をヒントにするならば、幼馴染や学級委員長か? 私には幼馴染はいないけれど、確か、隣の席の橋本翔太くんには幼馴染がいたな。あの子の髪色はわからん。全く話したこともないのにわかるわけがない。そうなると、学級委員長か。同じクラスだから毎日見てはいる。なら思い出せる。いや、写真を見ればいいのでは? 思い出すより正確じゃないか。
携帯に保存されていたはずだと探してみる。あった。日付が去年だから、一年生のときに撮ったものか。体育祭のときにクラスで集合して写真を撮ったということで、学級委員長は帽子をご丁寧なことに被っていたけれど、髪色はなんとか把握できる。
「んん? うーん……」
これは濃い緑色か? 大勢の写真ということで一人ひとりが小さく、最大限まで拡大をしてみるが、わかりづらい。でも、隣の子と比べると少なくとも黒色ではない。やはり、この世界は普通ではないのか? まだ確信はもてない。もてるだけの素材はありそうだけど、百パーセントではない。
「一年前といっても、みんなけっこう違うな……一ノ瀬さんも髪が長いし」
せっかくなので他の子も見てみる。やっぱりみんな黒色だけれど、この頃は髪を伸ばしていた子が現在はバッサリと短くしていたりと面白い。次の写真を見てみると、こちらも体育祭のもの。今度は担任の橘先生も混ざっている。そういえば、先生の髪色はどうだろうか。見てみると太陽光で反射していてわかりにくい。全面反射しているのか? そんなわけはないだろう。拡大してマジマジと見てみるが、白い。どこかに微かに黒があると思ったけれど、どこにもない。橘先生はまだ二十代半ばだと言っていた。そんな若さで全部が白髪になったのか? そんなわけないだろう。これは明日、聞いてみるしかない
「どうだった? 読んだ?」
「え?」
「昨日貸した本のこと! もしかして、まだ読んでいない?」
「いや、一巻だけ読んだよ」
翌日、登校するや否やテンションが普段より高めな一ノ瀬さんに絡まれた。まさか、貸してもらった次の日に感想を求められるとは……早すぎなのでは? それほど嬉しかったのか? 暇つぶしとして一巻だけでも読んでいてよかった。
「それで、どうだった?」
「どうって言われても、こういうジャンルにはあんまり触れなかったから新鮮だったよ」
「それから、それから?」
「あとは……そもそも恋愛ゲームっていうのをプレイしたことないから、知らない単語が多くて大変だったかな」
「え? プレイしたことないの? てか、単語がわからないのによく読めたね」
「なんとなく、こういう意味なのかなって予想しながら読み進めたんだよね。だから、答えはわからないままだよ」
「それじゃあ、私が教えようか?」
「いいの? 助かるよ」
「楽しく読んで欲しいからね。それで、何がわからないの?」
「うーん、何って言われてもゲームの専門単語? そういうのほとんどかな」
「なるほどね。じゃあ、恋愛ゲームについて説明した方がいいかな?」
「それがいいな。大丈夫?」
「全然大丈夫! じゃあ、お昼休みに説明するね」
「うん、ありがとう」
そう言って彼女は自分の席に戻っていった。それと同時に鳴り響くチャイム、扉を開けて入ってくる橘先生。そうだ、思い出した。昨日の私は先生の髪色に疑問を持ったのだった。本当は直接聞きたいのだが「先生の髪って地毛ですか? 白の地毛ってすごいですね?」って聞けるのだろうか? いや、どう考えても失礼だし、勇気もない。まぁ、教師で髪を染めるっていうのもおかしなことだと思うから、きっと染めていないはずだ。そう考えて、先生の髪色を見てみる。白い。いや、白っていっても純白ではなく、グレーをすごく薄めた色っていう感じだ。これでハッキリしつつある、この世界は異常だ。いや、私は生まれてからずっと同じ世界にいる。つまり、ここが普通ということになり、私の考える『普通』とは一体……と思っても深く考えてはいけない。とにかく、私たちはゲームもしくはアニメの世界にいる。どちらとは断定できないので、それについては今後考えよう。今はお昼休みにある一ノ瀬さんの恋愛ゲーム講座を楽しみに過ごそう。
「さてと、これから教えていこうと思うんだけど、何か一言ある?」
「食べながらでも大丈夫?」
お昼休み。一ノ瀬さんは普段の二倍ぐらいのペースで食べ進めていき、あっという間にお弁当を空にさせた。反対に私はその速さに圧倒されてしまい、食べることに集中できなかったので三分の一も食べれていない。だが、時間はたっぷりあるので食べ終えられるだろう。
「私が早く教えたかっただけだから、気にしないで食べて食べて」
「うん、そうする」
「それじゃあ説明に入るけれど、恋愛ゲームっていうのはその名前の通りで、プレイヤーがキャラと恋愛をしていくゲームで、二種類あるんだよね」
「二種類?」
「そう、二種類。男性が主人公で女性のキャラと恋愛をするタイプと、その逆のやつ。一般的に前者が『ギャルゲー』、後者が『乙女ゲーム』って呼ばれているかな」
「じゃあ、借りた本だと男の子が主人公だったから、ギャルゲーの世界でのお話ってことになるのかな?」
「その通り! それで、ゲームの流れはある期間のうちにキャラと仲良くなって、『好感度』っていうキャラとの仲の良さがわかる数値が一定以上だと告白に成功して恋人になれるし、未満だと告白してもフラれて終わっちゃう、そういう感じかな」
「期間ってゲームによって違うの?」
「そうだよ。この本では一年間だけど、三ヵ月しかないものもあるし、長いやつだと三年間とかもあるよ。まぁ、そんなに長いのはよほどの大作か、少し前のやつぐらいだから、最近だとあんまり見ないかな」
「ふーん」
興味はあるものの、毎回反応していたらお弁当を空にすることができなくなる。時間はたっぷりあるとはいえ、食べなければ終わるはずもない。軽く相槌を打ちながら、白米やおかずを口に放り込んでいく。
「流れはそんな感じで、次は単語の説明かな。何がわからないの?」
「うーん、そうだな……『攻略』や『ルート』とか……かな?」
「なるほど。とりあえず、よく見る単語を説明すればいいかな」
「それじゃあ、それで」
教えてもらう立場が何やら言えるはずもないので、大人しく相槌を打つしかない。
「まず『攻略』っていうのはそのままの意味で、どのキャラと恋愛するかって感じで、他にもキャラには攻略できるキャラとできないキャラがいて、できるキャラはそのままなんだけれど『攻略キャラ』って呼ばれているんだ」
「ほうほう、てことはこの本の場合だと、この幼馴染の子とかが攻略キャラってことになるんだ」
「そういうこと。そして『ルート』っていうのにも二種類あって、『共通ルート』と『個別ルート』があるの。共通ルートは個別ルートに分岐する前にある、どのキャラでも必ず見る共通の物語のことで、この間に上げた好感度の数値によってどのキャラの個別ルートに入るのかが決まるんだ。あと、個別ルートの個別をキャラの名前に置き換えて、○○ルートって呼ぶことが多いよ」
「へぇ……でも、好感度ってどれくらい上がるかわかるの? 調整とか大変そうだけど」
「それはね、教えてくれるキャラがいるんだよ。どの子と仲が良いとか、悪いとかって感じで。それを参考にしながら調整するの」
「あ、そういうキャラもいるんだ」
「もちろん。あと、他には隠しキャラとかもいるよ。ある条件を達成すると、次から攻略にできるようになるんだ」
「じゃあ、全員攻略しようとすると大変だね」
「そうなの! 普通の攻略キャラでも、好みとか把握するために何周もしないといけないから人数が多いほど大変なのに、それに加えて隠しキャラなんていたら……よほど熱中している人じゃないと、そうそうやらないかもね。私も好きなキャラだけ攻略して終わることもあるし」
「へぇー、そうなんだ」
「うん。全員攻略したい気持ちもあるんだけど、それをやっている間に新しいソフトが発売されちゃうから……というわけで、これぐらいの説明で大丈夫?」
「大丈夫だよ。ありがとうね」
ある程度の知識は得ることができたのは助かった。インターネットで検索する手もあったけれど、やはり貸してくれた本人から聞く方を選んで正解だった。自分の捉え方が当たっているのか、すぐに答えが返ってくるのでありがたい。
しかし、この世界が恋愛ゲームなのかはわからない。一ノ瀬さんがキャラの好みを把握するために何周したように、私もその判断ができるぐらいまで、高校生活を過ごし続けるしかない。まだ六周目。しかも自分のことでいっぱいだったから、あまり周囲を見ていなかった。何周もすれば、それなりの判断を下せるはずだ。よし、根気強く観察をしていこう。そう決意して、最後に残しておいた甘い玉子焼きを口に放り込む。まぁ、途中で終わってくれれば、万々歳なんだけれども。
どれくらいの時間が経ったのか。いや、正確には年月か。最初のうちは数えてはいたけれど、途中からは数えるのを止めてしまった。最後に記憶したのは十二回目だったはず、そうすると最低でも三十数年ぐらいは高校生活をエンジョイしていることになる。
色んな『ループ』をテーマにした小説や漫画、映画などを漁ってみたが、どうやらこのような時間が巻き戻る体験を何回か繰り返すうちに発狂しかけることが多かった。それもそうだ。多くの作品は同じ一年、あるいは数日を過ごすことになっていた。記憶を忘れるよりも早く同じ体験をし続けるのだ。そしてその記憶はどんどん濃くなって忘れることが不可能になっていく。そんな状態になれば誰だって発狂したくなる。この他人からは「アンタってルーズな性格をしているよね」と言われる私ですら発狂するだろう。ていうか、カタカナを使えばけなしている感じが減るどころか褒められている気がしてしまう。実際のところは、ほぼストレートにけなされているんだけど。ルーズの意味ぐらい私でもわかっていますとも。何となくだけど。話を戻すが、高校生活の三年間を繰り返す状況は決して悪くない。三年もあれば最初の頃の記憶はうっすらとしているのでギリギリ発狂しないで済んでいるのはありがたい。しかし、終わりが見えないので別の点から発狂してしまう可能性があるので、それはどうにか避けたいところ。
何度も過ごした高校生活だが、基本的にクラスのメンバーや担任、勉強の内容とかは変わらなかった。覚えている範囲で変わったことといえば、友人がハマる漫画のジャンルだったり、校内の人物関係ぐらいだろうか。前回はあの人と付き合っていた人が、今回は別の人と付き合っていたりするのを何回か見た気がする。これに関しては、推測だけど恋のライバル同士で争った結果が毎回違うから付き合う人も違うのだと思う。
交際関係の中でもとくにすごいのが橋本翔太くんだ。彼はほぼ毎回卒業式後に告白をするのだが、その相手は幼馴染、委員長、校内一の美人、先生とバリエーションが豊富なのだ。それにみんな美しかったり、可愛かったり、料理上手だったり、優柔な頭脳だったりと、見た目と中身のスペックがどの子も非常に良い。そして告白する側の橋本くん自身も運動神経バツグンであったり、テストでは毎回上位を保持していたりと、彼自身もスペックが良すぎる。なのでお似合いのお二人という図が卒業式後に生まれるのが大半だったが、たまにフラれたりするときもあった。そして極々稀に彼ではなく相手側から告白する場合もあったりするので、そういうのも込みで考えると本当にバリエーションが豊富で、観察していて飽きない人物と言える。
今のところは飽きていない何十回目の高校生活だけれども、いい場面で次週に持ち越された漫画の続きがずっと読めなかったりするし、公開が間近だった映画もずっと公開されないままなので待ち遠しい気持ちがいつしか薄れてしまったりと不便な一面もある。そしてなによりも、終わりが一切見えないのが辛い状況だ。現在は大丈夫だけれども、いつかは飽きが絶対にくるはずなので、そうなってしまったら本格的に危ない。下手すれば発狂して廃人になってしまう可能性もある。これだけはどうにかして絶対に避けないといけない。だがしかし、そのどうにかする方法がわからないから何もできない。そもそも、原因すらわからないのだから、手の施しようがない。お手上げだ。
原因といえば、思い当たるものが一つだけある。以前、一ノ瀬さんから借りたライトノベルと似たようなことが現実で起こっている。仮に、ここが恋愛ゲームの世界であるならば、ループしているのもわかりたくないけどわかる。ゲームなのだから、同じ時間を繰り返して当然ということだ。そして、あのライトノベルではメインとされる人物たちの髪色はピンクや緑だったりとおかしく、現実にはいないだろうと思っていた。しかし、現実では校内一の美人である西園寺椿さんがピンク色の髪の毛だったり、他にも何人か色がおかしい人がいた。もしかすると、うちの学校がゲームの舞台だったりするのかもしれない。そう考えると、ゲームでの『主人公』にあたる子が同学年にいるのか? 他学年の可能性もあるけれど、私たちは同じ三年間を繰り返している。きっとこの三年間というのが重要なはずだ。そうなると、私より上でも下でも三年間ずっと高校にいるわけではないので多分違う。同学年で一番『主人公』にあたる人物……一番それらしい人物といえば、メインにあたりそうな西園寺さんとかと仲良しそうな姿をよく見たことがある橋本くんだろうか。
さっき述べた通り、彼は頭脳明晰、運動神経バツグン、分け隔てなく接している姿は好印象で、彼のことをどう思うかと聞かれたら、十人中八人ぐらいは「橋本? 良い人だよな」と答えるぐらい彼の評価は高めである。ちなみに、彼に一回は助けられたことがあるのかを同学年に質問すると、十人中九人、あるいは十人が助けられた経験があると答えてくる。お助けマシーンという別名があるぐらいには有名な存在なのだ。そんな彼がゲームの『主人公』であるなら納得してしまうし、違和感もない。
しかし、恋愛ゲームの世界ならば私が気づく前からもループしていたのだろうか。だとすると、私は何をきっかけに気づくようになってしまったのだろうか。そもそも、高校入学式前までの記憶はあるけれどこれは本物なのか。幼稚園生のころ、木に引っかけてしまった風船を取るために木登りをしたら失敗して落ちたことや、小学生のころ初めてのお使いで砂糖と塩を間違えて買ってきたことも全部なかったのだろうか。覚えている昔の記憶がどれもやらかしたことばかりなので、昔の私はやんちゃだったのかもしれない。これら全てが設定されたことなのかもしれないと、考えれば考えるほど怖すぎる。これ以上変なことを考えないうちにサッサと寝てしまおう。明日からはまた高校一年生に戻ってしまう。主人公が橋本くんだとしたら、今後は彼に注目したほうが何か解決策が見つかるかもしれないな。あまり期待せずに頑張っていこう、そうしよう。
四月。今日から高校一年生。何度目かは考えたくもない。しかし、今回からは違う。見て見ぬふりをしてきた、この世界について触れあっていかねばならない。触れるといっても、私自身に特殊な力なんてものは存在しないから、触れ合えるかどうかもわからない。気になる人物である『橋本翔太』についても、彼を知ったから世界について知れるとは限らない。そもそも、私が知ったところで何もできない。知る必要があるのか? いや、とにかく私は彼について知っていくのを今回からの目標とする。以上。
何も変わっていない、はずの入学式を終え、自己紹介のターン。何度も同じ自己紹介をしているので覚えており悩む心配はない。ただ、聞き流しているので何を言っていたのかは友人以外のはあまり覚えていない。なので、橋本くんのも覚えていない。彼を知るためには、彼と仲良くなっておいて損はない。ここは話を広げるためにも聞いておかないと。あ、私の番だ。
「多田峰恵乃です。趣味は読書、好きな食べ物はチョコです。一年間よろしくお願いします」
最初のころと比べてスラスラと言葉が出てくる。言っている内容はどうということもないし、そもそも短いし、こんなのでスラスラ言えただけ成長したところなんてない。
「橋本翔太です。部活は入ろうと思っていますが、どこに入ろうかまだ決めていません。もしよければ誘ってください! 一年間よろしくお願いします!」
気がついたら橋本くんの番になっていた。ちゃんと聞いたけれども、この自己紹介からどう話を広げたらいいんだ。趣味とか好きな食べ物とか、そういった話しかけやすい単語が一個もなかった。どうすればいいのか……自分から聞く? どんな風に? 唐突に聞くのは怪しすぎるのでは? とりあえず、隣の席だから挨拶程度はしておこう。
「……よし、これで説明は全部終わり。質問は、とくにないな。明日は全教科書を持って帰ってもらうから、ちゃんと用意とかしておくこと。それじゃあ、今日は解散」
その言葉を機にクラスのみんなは帰宅の準備をしていく。私もその一人なので、もらった紙をクリアファイルに入れ、鞄にしまう。右に目をやると橋本くんも同じ行動をしている。これってつまり、時間がないのでは?
「あ、あの」
「ん?」
「また明日!」
「うん。また明日」
そう言って彼は去っていった。とりあえず挨拶をすることはできた。肩の力が一気に抜けて、鞄に顔をうずめる。高校一年生の初日にやることではない、と思いつつも止められなかった。そのままの姿勢をキープして顔を冷やす。初対面の人に話しかけるのがこんなに緊張するものだったとは……今までは話しかけられる側だったので味わったことがなかった。気軽に話しかける人は肝が据わっているんだな。数分経ったし、そろそろ大丈夫だろうと顔を上げてみると、教室には誰もいなかった。みんな行動するのが早すぎる……私も帰ろう。
いきなり仲良くするのは難しい、なので今までの経験から私と橋本くんの関係を確認しておこう。彼とは一年生から三年生までずっと同じクラス。しかも、ずっと隣の席にいる。何度も席替えをしているはずなのに、必ず彼が左右どちらかにいるので腐れ縁みたいなのを感じてしまう。そんな彼との最初の会話は今日みたいな挨拶ではなく、一年生で初めての授業のときに教科書を忘れた彼に見せてあげたときだった。まさか初回から忘れる人がいるとは思わなかったので、突然話しかけられたときは変な反応をしてしまったと後で落ちこんだのを覚えている。それからよく話しかけられるようになり、高校を卒業するころには彼の告白を一押しするぐらいまでには仲良くなった。よく考えると、これってかなり仲がいいのでは? もしかすると頑張る必要がないのでは?
いやいや、思い出せ、今回の目標は橋本くんについて知ることであって、仲良くなることではない。しかし、どうやって知ればいいのか……とりあえず前よりは彼に注目してみよう。こればかりは何度も回を重ねてみるしかない。やることも決まったので、今日は休もう。明日から頑張ろう。
次の日も、その次の日も今までと変わらず過ぎていく。そして時間はどんどん過ぎていき、一周目、二周目、三周目と回を重ね、今は六周目ぐらいだ。春休みに入ったので、一旦整理をしよう。ループしている間、橋本くんは幼馴染の榎木ひまりさんに二回、三年間同じクラスで委員長を務めた楸千尋さんに一回、校内一の美人の西園寺椿さんに二回、そして三年間お世話になる担任、橘先生に一回、告白をするので私は毎回卒業式の後に彼の背中を押してあげた。このことから、彼を『主人公』である前提で考えると、やはりこの世界は恋愛ゲームの世界であり、彼と恋愛ができるキャラはこの六回で告白した四人、榎木さん、楸さん、西園寺さん、橘先生で間違いないはずだ。
次にこの世界が恋愛ゲームである前提で、一ノ瀬さんから得た恋愛ゲームの知識を組み合わせよう。そうすると、ゲームがプレイできる期間は三年、その中でどうするのかはわからないけれど仲を進展させ、卒業式の後に告白をするのが一連の流れ。好感度が一定未満ならば告白をしても失敗し、以上ならば成功。そして好感度が最大に加えてある条件を達成していれば、相手から告白されることもある。その場合だと私は背中を押す必要がなくなる。これがこの世界の仕組みということにはなるだろう。
世界について知れた、では解決方法は? 残念ながら、無い可能性が高い。三年間が終わっても新しくゲームを始めてしまえば、また新しい三年間がやってくる。つまり、私はずっとループと付き合わなくてはいけない。唯一、終わりがあるとすればゲームがプレイされなくなったときではないだろうか? その場合だと、新しい三年間が始まることはないが、積み上げた三年間は消えてしまうかもしれない。死ぬかもしれないのだ。いや、キリのよいところで終わり、死ぬのはまだいいかもしれない。もし、途中でプレイするのを止められたらどうなるのか。そうなるのかはわからないが、考えられるのは同じ一日を過ごし続けることだ。今までは三年間を繰り返してきた。それが一日だけになったらどうだ? 私の精神はすぐに崩壊するだろう。終わることが、死ぬことがない地獄のような日々。考えただけでも泣きそうになる。どうか、どうか、このゲームをプレイしている人は飽きないでくれ。祈ることしかできないのがもどかしいが、何もしないよりはいいだろう。
ある程度、整理ができたので落ち着こう。今まで考えたことは全て仮定でしかない、実際に起こらないとわからない。できれば起きて欲しくないけれど。さて、この世界について知ることはできた。次はどうするか? ゲームであるならば、起こることは全てあらかじめ決められているものだ。なら、決められていないことが起きたらどうなる? あくまで希望だが、バグが生じてしまい、この世界がゲームという枠から外れるかもしれない。そうすれば私は晴れて大学生への道を歩むことができる。しかし、これはリスクが高すぎる。もしかしたら、バグによって消滅するかもしれない。だが、このまま高校生活をずっと楽しんでいるよりはいいかもしれない。心の奥底では消えても、死んでもいいから早くループを終えたいという気持ちが生まれている。
とりあえず、これからは橋本くんに注目することは変わらないが、何が必ず起きているのかも注目していこう。これも回を重ねていくしかない。あまり気を張らず、余裕を持ちながら頑張る。そう考え、私はこの周を終えるべく春休みを満喫した。
それから私は橋本くんの恋愛を見守り続けた。何周もして見てきた記憶を頼りに、彼がどのルートを攻略しているのかを察して、あるときは委員長こと楸さんと体育祭で二人三脚のペアになるよう促してみたり、またあるときは「西園寺さんって、時々寂しそうな顔をしているんだよね、なんでかな?」と彼だけにこっそり言ってみたり、そのまたあるときは榎木さんといつも一緒にいるのを茶化して恋心を自覚させたり、あとは先生と生徒の壁なんて卒業したら関係なくなるのだから、気にしても意味がないと背中を押してあげたりなど、私にできる範囲のことをしてきた。人の恋が実るのは嫌いではなく、むしろ気持ちの良いものだった。なので、きっと私は終わるまで続けているんだろうなと思っていた、そんなときだった。