ガトーショコラ
「ガトーショコラください。」
「かしこまりました。」
店先での客と売り子とのやりとりの声が厨房に聞こえる。俺はある街角のパティシェ。真山朝日。ガトーショコラは看板商品だ。今日もこうしてガトーショコラだけを買っていく客がいる。
幼稚園の青いリュックを背負って玄関に入ったとき、涙ぐみながら紺色のランドセルを背負って靴を脱いだ日、ユニフォーム姿のまま部活でヘトヘトになってリビングに倒れこんだ日。いたる場面でこのココアたっぷりの香りが背景にあった。お袋がよく焼いてくれたんだ。よく最後の一切れを妹とジャンケンしたり、半分こしたりして食べた。盛ってある皿ごと抱えてがっついて、お袋に笑われていたこともあったな。
掃除はサボっても、俺たちによくガトーショコラを焼いてくれたお袋は、もういない。ケーキ好きが高じてそのままパティシェになった俺だが、お袋のガトーショコラには今でも勝てないと思っている。
口が悪くて、気が短く、手も早いお袋だったが、いつも俺や妹の一番の味方だった。黙っていればそこそこのルックスだったし、まわりの母親たちに比べると若く見えるので、友人の間でもよく話題になったものだ。
俺や妹が学校でケンカして、あまり良い勝負ではなかったと涙ながらに話した日もお袋はゲキを飛ばした。
「そういう時は、やり返してきな!一回くらいは謝りに行ってあげるから。はあ?学校?校長だろうが教育委員会だろうが、もしもの時は踏み込んでやるよ。」
山盛りのガトーショコラが入った深鉢を目の前にドンと置いて言い放ったものだ。俺たちにしてみれば、本当に踏み込みそうで、子供心にも学校よりもお袋の方が怖いと思ったものだが、ガトーショコラの優しい味がお袋の本当の姿だったと今は思う。
毎日たくさんのガトーショコラを焼く。その度にお袋を思い出す。お袋との思い出を忘れたくないのと、あの味を追い越したい気持ちで焼き続けているうちに看板商品になっていた。