4 信じがたい現実
『やっほーい、美代さん。元気してるかい?』
「ああ、トウさんじゃない。久しぶり。私は元気よ。トウさんは?」
『そりゃあもう元気元気。いや、死んでるんだけどね!ああ、そうだ、出掛けた先で友達になった奴が居てよ。連れて来ちまった』
「あら、そちらの方?初めまして、ここの店主をやってる、神崎美代」
『どうも……』
『そうかしこまるなって、ヒキさんよ』
『そうそう、何だかとっても気の良さそうな女性じゃない!』
開いた口が塞がらない、というのはこういう事を言うのだろうか。
蛍は呆然として、店に入って来た客達を見つめる。
この小さな店に、三人の来客があった。蛍はもっと、普通の展開を予想していたのだ。いらっしゃいませーと気だるげに女店主が言って、蛍のように、夜の中に浮かび上がる灯りに釣られて、客が楽しそうに入って来る、そんな、場面。
なのに、現実は全然違う。
だって、その客は既に死んでいる、幽霊だったのだから。
トウ、と呼ばれた中年男性の霊は、少しだけ薄くなった頭皮をかきながら、ニヒヒ、と笑う。随分人の良さそうな表情をしているが、侮ってはいけない。幽霊である。
いくら霊感が強くて、肝が据わっていて、それなりに対処も出来るとは言っても、ここまで幽霊を陽気に出迎え、まるで生きているかのように振舞うのは初めて見た。さすがに驚かざるをえない。
どちらかといえば、階段の隅にぽつんと控えた雪月という女性の方が、幽霊っぽい。しかし彼女は生きている。
そして彼女の幽霊に助けられている、という事もよく分からない。
何なんだ、この店は。
『この静かにしてる眼鏡の人がヒキさん。わけえのに病気で死んだらしくてよ。友達居ねえって言ってたから連れて来てやったんだ』
ヒキ、と呼ばれた人は美代に会釈をする。
確かに、何処となく顔色が悪い。生前は余程苦しい生活を送って来たのか、若いのに表情は苦労がにじみ出ていた。
きっと生きていたら、蛍と歳も変わらないはずだ。
『んで、こっちの女がマミさんな。この人、見た目は若々しいが、実年齢は……ぶ!』
マミと呼ばれた女性は勢いよくトウを殴る。彼は痛そうに殴られた頬をさすり、申し訳なさそうに笑いながら謝る。いや、それでは逆効果なのではないか、と心の中で呟くと、マミは笑顔で美代の手を取った。
『よろしく、美代さん!』
「はい、よろしく。私よりお姉さんって事でいい?」
『そう!それでいい!さっすが美代さん、話が分かるぅ!』
マミは短い髪を揺らして、笑顔で答える。トウを即座に殴った所や、あまり化粧っ気のない所を見ると、ボーイッシュな女性なのかもしれない。
いや、それよりも驚くべき所はまだまだあるのだが、頭が追いつかず、目の前で起こる楽しげな会話を聞くしかなかった。
ちら、と視線をやると、雪月は周りの霊に押されるようにして、階段の隅から、トウ達の近くにやって来た。
怖いのだろうか、きつく目をつむっている彼女はびくびくと震えている。だがしかし、それを美代が容赦なく引っ張り、彼らの前に出される。
「雪月、トウさんだ。そんなに怯えなくてもいいだろう?」
「は、はい……。あの、こ、こんにちは……」
小さな声でぼそぼそ言う彼女を、トウはガハハと陽気に笑い飛ばす。どうやらいつもの事らしい。
『こんにちはだな、雪月ちゃん!でも今は深夜だからホントはこんばんはだ!』
「あっ……」
間違いに気づくと、雪月は目を閉じたまま、頬を染める。次第に俯いて、横に控えた女性の霊に、助けを求めるように、手を彷徨わせた。
『雪月、大丈夫よ、恥ずかしがっちゃダメ』
彼女の傍の霊はそう言うと、不安そうに彷徨う手を包むように取る。その行動に安心したのか、雪月はこくり、と頷いた。
「ま、ここで喋ってても何だから、マミさん達は店内でも見て回って行きなよ。ウチの看板娘が慣れるまでね」
『おう、そうするか。どうやら俺達以外の客も来ているみたいだしな』
看板娘、というのは雪月、客は蛍の事を指しているのだろう。
自分の事を言われているのにも関わらず、蛍は人と幽霊が集まるその場所を、遠目に見つめて、状況整理に徹した。
やがてトウ達が小さな店内に散る。すると、ようやく美代は蛍に視線をやった。ハッとなって、蛍も彼女達を見つめる。
雪月は相変わらず目をつむり、傍に立つ幽霊と美代に支えられている。その様子に、彼女を初めて見た時の事を思い出す。
大学内の廊下で、彼女は目を閉じて、幽霊達を従えるようにゆっくりと歩んでいた。
そして、今も幽霊たちを周りに集めて目を開かないまま。決して一人で行動をしようとしていない。
つまるところ、それは。
「もしかして、目が見えないんですか」
思わずそう口に出してしまうと、雪月は眉を寄せて、顔をしかめた。もちろん、目は閉じたままだ。
もしや、軽率な事を言ってしまっただろうかと後悔していると、美代が明るく答えてくれる。
「あらら、まだその事考えてたの?もっと他に気になる所、あったんじゃないの?」
「いや、はっきり言って状況は全然掴めないですよ。だから気になる所はあっても、分かりやすそうな所から整理しようと思って」
冷静に言った彼はふう、と一息をつく。未だに手にはネックレスを持ったままだった。先ほどの謎の行為もどうしてか聞きたい。だけど、とりあえずは目の前に広がる多くの幽霊を何とかしたい。
「そう、まあ普通に考えれば分かる。この子は盲目なの。なーんにも見えない。だから幽霊に助けてもらってるのさ。じゃなきゃ生活出来ない」
「美代さん……この人は、」
「そうだね、生きてる。でも、この店を必要としている。だから怯えないの。害がある人じゃないんだから」
「はい……」
静かに頷いた雪月は、周囲の霊達に引き寄せられ、階段の端に座った。スカートから覗く足は病的なほどに白い。
霊感があって、盲目。そして、幽霊に助けられている。
そんな人物を初めて見たせいか、どうしても視線は彼女に行ってしまう。単なる興味本位にすぎないが、好奇心には勝てない。
時折ぼそぼそと霊達がささやき、それに小さく頷きを返している彼女は、儚げだった。
「そうだ、そのペンダント、欲しいんだろう?どうする?」
「……どうするって、」
手に取ったペンダントに、ちら、と視線をやる。しばらくすれば、いらなくなるに違いないものなのは明らかだ。だがしかし、先ほどと変わらず、恐ろしいほどの魅力があるように感じ、どうしても手放せない。
「……これ、いくらなんですか」
試しに値段を聞いてみた。すると、美代は大げさに手と肩を使い、さあ?と白をきる。幽霊達に店主だと自分で紹介しておきながら、商品の値段を把握していない。その事に呆れて、蛍はじゃあいいです、と言いかけた。
しかし、そこで邪魔が入る。
また、入口の鐘が鳴り、来客を知らせたのだ。
「いらっしゃーい」
蛍が入って来た時のような間の抜けた挨拶が、店内中に響く。その声を合図に、雪月やトウ達幽霊は顔をあげて扉の方に視線をやる。
入って来たのは清潔感漂う男性だった。年齢は二十代後半から三十代前半。よく整えられた髪形に、キリッとした顔立ち。手入れされたジャケットやズボンは、見ていて心地が良い。しかし悲しいかな、姿は透けており、やはり幽霊なのであった。
「ヤスさん!どうしたの、今日は来ないって言ってたじゃない!」
笑顔で出迎えた美代は、気さくにそう言うと、ヤスという男に近寄る。ヤスも美代を見るなり、口元に笑みを浮かべてやあ、と挨拶する。爽やかな声質は、人に好かれそうだった。
『うん、本当はね。だけどたまたま通りかかって、気になる所があったから』
「気になる所……?」
美代はこてん、と首を傾げた。かったるそうな仕草ばかり見ていたせいか、意外に可愛くてちょっとだけときめいたのは内緒だ。
一体なんだろうと視線を向けていると、背後で足音がする。雪月が立ちあがったのだ。
雪月達はヤスに会釈をすると、そのままゆっくりとした足取りで店を出て行った。美代が僅かに眉を寄せたが、すぐに元に戻し、ヤスの言葉を待つ。
『実は店の外に女性の幽霊が居てね。入らずにうろうろしているんだ。雰囲気もあまり良くないし、伝えておこうかなと思って』
「へえ……。入らない、ね」
『そう。もしかしたら入れないんじゃないかって。そうだったら危険だろう?』
「ありがとう、ヤスさん。助かる」
美代はヤスに抱擁を交わすと、笑顔で手を振る。ヤスも手を振り返して、店を出て行った。言った通り、伝えに来ただけらしい。
随分あっさりした客だな、と思っていると、入れ替わりで雪月が帰って来る。女性の霊に手を引かれて美代の前まで辿りつくと、二人は何も話していないのに頷き合う。
そして、蛍に身体を向けた。
「外の幽霊さん……貴方が連れてきた人……」
「身に覚えはない?」
交互に言われて、何の事だと思案していると、ヤスが言っていた事を思い出す。
女性の幽霊が、外でうろうろしている。あまり雰囲気も良くない。そして、雪月が言うには蛍が連れてきた人。
そうなると、一人しかいない。
先ほどまで蛍を追っていた、あの女だ。
「そういえば……!」
今の今まで店の雰囲気と謎だらけの現実に呑まれて忘れていた。本当の所、肝試しの最中に彼女に追われ、逃げてきたのだ。
そう、この店は好奇心で入っただけで、避難先に向いているわけではない。外に出ればあの幽霊がまた追って来るだろう。
さて追い払うにはどうしたらいいか、と悩んでいると、雪月が近寄って来て、しばし手を彷徨わせる。何をしているのだろうと暫く見ていると、唐突に蛍が持っていたペンダントを掴んだ。
雪月は少しだけ嬉しそうな顔をすると、ペンダントをゆっくりと撫でる。どういうものか、確かめているのかもしれない。
「これ、お月さまの……?」
「そ、ペンダント。その子はそれが欲しいらしくてさ。ありゃ、そういえば名前を聞いていなかった。何て言うの?」
「愛川蛍ですけど……」
「蛍、ふうん、かっこいい名前じゃないか。私の名前はさっき聞いていたと思うけど、神崎美代」
「私は……柊雪月。よろしく、お願いします……」
「……はあ、よろしくお願いします?」
今更な自己紹介に挨拶を返しておく。しかし、彼女達の名前を知った所でこれから関わる事なんてそうそうないだろう。雪月は同じ大学らしいが。
「このペンダントなら……大丈夫です。美代さん」
「おっけ、分かった。じゃあ蛍くん、それ持って行きな」
「は?いや、いいです。お金あんまり持ってないし」
「バカ、貸してやるって言ってんの。ただし一日だけになるけどね」
その言葉に、自然と雪月が持つペンダントを見つめる。一日だけ、貸す?そうして、どうするというのだろう。確かに、欲しくない訳じゃないが、そんな中途半端な事をしてまで欲しい訳じゃない。
断ろうと思うと、雪月がふわりと蛍にペンダントをかけた。見えていないせいで、仕草は何処となく頼りないが、背後で幽霊達が手助けするように囁いたり、手を引っ張ったりしているので、無事にかけられる。
首に下がるペンダントは、まるで最初からそうだったかのように、蛍に安心感を覚えさせた。
美代は蛍の身体を反転させると、無理やり背中を押して、店の外に出そうとする。
「え、ちょっと!」
「いいからいいから、好意に甘えておきな」
「いや、でも、」
「もう、アンタの接客ばっかしてられないの!トウさん達待ってるんだから!」
あんた接客らしい接客なんてしてないだろうが!と言いかけて、背後に居た幽霊達を見る。トウ達が、商品を片手にレジ前に立って苦笑していたのだ。
いくら幽霊相手とはいえ、誰かを待たせて迷惑をかけるのは忍びない。口をつぐむと、されるがままに外に出た。
美代は扉を開けたまま、偉そうにビシッと指をさした。
「いい!?そのペンダントは返すまで絶対に外さない事!絶対にあんたを助けてくれるから!」
「はあ?何言ってるんですか」
「だって、あんた霊の事で困ってるんだろう。それでこの店に辿りついた」
確かに、言っている事は間違っていない。だからと言って、この何の変哲もない、ましてや蛍の趣味でもないペンダントが助けてくれるとは思えない。精神的な支えにでもなるというのだろうか。
「じゃあ、明日同じ時間に来な!またね!」
友達に接するように言うと、美代は店の扉を焦った様子でバタンと閉めた。店の奥で雪月が小さく手を振っているのが見えたが、それに返す隙すらくれなかった。
ため息をつくと、携帯を取り出す。時刻は深夜の二時を過ぎており、三十分以上はこの店に居た事になる。
ついでに菊田からいくつかメールが届いているのに気付き、手早く返信をする。
「心配かけちまったな……」
ぼんやりと呟いて、トンネルに向かって歩き出す。家に帰るには、トンネルを抜けて、再び大学の近くに行かなければならない。
夏だとはいえ、深夜の気温は低く、半袖は肌寒い。急ぐように足を速める蛍の背後には、いつも居る幽霊の姿はなかった。