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23 想い

 言い淀んだ彼を見ていると、蛍は何だかもやもやしてしまう。何か、出来る事がある気がする。二人にこうして出会わせる事が出来たのだから、もっとやれることがあるのでは。

 そう、たとえば、幽霊雑貨店に勤める、死者と生者に繋がりをもたらす美代のように。

 悪霊を言葉で落ち着かせる、大板のように。

 そして、幽霊の人生を映しだし、自分の事のように思いやれる雪月のように。

 何か、出来るのでは。

 そう思えば、自然と足が動いていた。

 まずは右足。

 そして、左足を出した頃には、雪月と手を繋いでいる事を思い出し、それでも歩みを止めなかった。

 彼女を半ば引きずるように、数歩で二人の元へ。仲が良かったはずの、それでも重苦しいような、愛情の詰まった場所へ、近づく。

 そうして、身体は自然に動いていた。

 雪月の手を引いたまま、何故か、蛍は大倉の手を取って数珠つなぎのように三人手を繋いでしまったのだ。だが、その奇妙な行動に、誰も疑問を持つ暇を与えなかった。

 その次の瞬間、視界は全て変わる。


 セピア色に染められた景色に映り込むのは、いつか雪月と見た、若かりし頃の大倉だった。

 彼は大量の資料を抱え込み、何処かの廊下を気難しそうに歩いている。視線は足元に落として、きびきびと歩く。だけど、そのせいで肩を壁にぶつけて、資料を落とす。

 日本史、と大きく書かれたその本を、彼は慌てて拾う。

 拾いあげて一息ついた時、目についたのは、遠くに居る女性だった。

 艶のある長い黒髪が、ふわりと揺れて、肌の白さを際立たせる。いつか見たオレンジのワンピースを着て、背が低い事を隠すために履いた高めのヒールは、今でも歩きにくそうだ。

 そして、隣に居るのは知らない男性。仲睦まじく腕を組んで歩く姿に、二人の関係を見出すのは容易かった。

「美弥」

 知らないうちに出ていた彼女の名前は、もう遠い昔の事のように思えた。彼女を自ら振ったのは自分で、まだ先月の話だというのに。

 それから彼は何度も目にする。

 彼女が知らない男性と仲よくあるく姿を。そして、見る度に男が変わっている事を。

 その姿を見る度、心のうちはもやもやとした黒い何かが蠢いた。その何かは、一日中付きまとう日もあり、そのせいで寝れなかった事もある。

 だからだろうか。

 彼女が大学の裏の川で溺れて死んだ話を聞いた時、安心してしまった。

 これで、よくわからない感情に振り回される事はない。だって、もう彼女は居ないのだから。

 だが、そう思った矢先の事。

 大倉は、彼女の姿が見えないと思うと、今度は別の感情に支配された。

 美弥が居ない。いつも、必ず近くに、目についていた彼女の姿が、何処にもいない。

 それは、彼の人生での大打撃だった。

 物心ついた時からの存在は、大きくて、心には、言い知れない感情がわだかまっていた。おかげで、何をしていても、心の底から楽しめなくなった。

 趣味であった日本史を仕事にしても、彼女をつくってみても。

 何もかも違う気がした。


 非常勤講師として、光矢大学に勤め始めた頃、ようやく心のわだかまりにも慣れて、無視を決め込むと言う形に落ち着いた。

 そんな時、彼の実家から出てきたのは、おもちゃの指輪だった。それは、いつか彼女と結婚を誓い合った時にあげた、思い出の品。

「俺達、来年高校生だよ?おもちゃでいいの?」

「いいの。私には、りょうくんの気持ちがこもってるものなら、何でも嬉しいんだから」

 そうだ。あの指輪は、大倉が彼女に想いを伝えるために、だけどお金がなくて、必死に作った安物の指輪。毎日彼女が肌身離さずつけていた、指輪。

 そして、その指輪が見つかってから気付いたのだ。

 彼は、美弥を裏切ったのだと。

 結婚を誓い合って、なのに、悲しい思いをさせて、死なせてしまったのだと。

「ごめん、美弥」


 現実に、戻る。

 それは、一時の体験だった。

 自分が大倉になったかのような、錯覚。

 だが、驚いているのは、自分だけじゃなかった。

 大倉も、美弥も、大板も。見えない雪月でさえ、目を開けて、驚きの表情をあらわにしていた。

 つまり、彼ら彼女らにも、同じ映像が見えていたのだ。

「そうだ。俺は、先月指輪を見つけて……。それで」

 ――その指輪を、持ち歩くようになった。

 その言葉に、美弥が近づく。懐かしいような、慈しむような、そんな目で。大好きな彼から貰った指輪を、見たくて。

 大倉が思いだしたようにポケットをまさぐり、その指輪を取り出す。

 それは、本当に簡素なものだった。

 百円ショップに売っているようなビーズを透明のゴムで繋いで、中心に大きなターコイズの石を通してある、不格好な物。

 だけど、何でだろう。蛍には、その指輪が、どんな高価な物より、綺麗で、可愛くて、優しさが詰まっているように見えた。

「美弥。覚えてる?」

『もちろん。りょうくんが、初めて私にくれた、大切な物だもの。……でもね。この指輪、りょうくんに別れようって言われた時に失くして、探してたの。りょうくんの家にあったんだね』

「ああ、お前が帰った時、床に落ちてるのが見えて……。丁度、ゴムの所が切れてたんだ。その後、直して、仕舞って……。いつの間にか、忘れてた」

 大倉は、一歩前に踏み出す。美弥も、同じように踏み出した。

 二人は、何千年も前から決められた事のように、それが当たり前のように、微笑み合って、向き合った。

「ようやく気付いた。俺は、お前と別れたくなかった。自分から切り出しておいてなんだけど、本当は傍に居て欲しかった」

『私が、嫌なんじゃなくて?』

「嫌な時もあったさ。でも、それでも、傍に居て欲しかった。美弥が俺に合わせてくれるのは、俺を好きでいてくれるから。俺は、それに甘えてたんだ。誰にも好かれないような、こんな俺を、最後まで、愛してくれた。なのに、なのに……俺は」

 懺悔と後悔。それは、彼女が死んでから、やりたくても出来なかったことだ。そして、彼女に再び会えた事で、気付ける。

 あの黒くてもやもやしたのは、嫉妬。

 彼女が居なくて、感じたのは寂しさ。

 そうだ。考えるまでもない。

 彼は、大倉涼助は。

 昔から、今まで、ずっと。

「美弥が好きだ」

 差し出された彼女の薬指に、思い出の指輪をはめる。二人は、まるで新郎新婦のように笑いあい、抱きしめあって、涙を流した。

 彼の後悔。

 彼女の心残り。

 それは、美弥が裏切られたと思った、大倉が裏切ったと思った、結婚式を、していない事だった。

「――病める時も、健やかなる時も、」

 大板の優しい声が聞こえる。

 気付けば窓の外からは光が射していて、その明るさに、蛍は目をしかめる。繋いだ手にぎゅっと力を込めると、雪月も握り返してきた。

 おかげで、繋いだ手は離れそうにない。

 目の前で行われる遊びのような、死者と生者の結婚式。温かい、光景。

 それは、今まで見てきたどんなものよりも、美しくて。

 思わず、澄ました彼でも言ってしまったのだ。

「おめでとう」

 二人は頷く。ありがとう、という言葉と共に。

 蛍のポケットの中にある小瓶は、もうとうに赤色で、揺るぎないものだった。

 そうして蛍の依頼は、終わりを告げた。


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