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22 見てほしい

 特別講師室は、そこそこ大きい光矢大学に似合わない、小ぢんまりとした部屋だった。教室の半分もない空間に、ぽつんと置いてあるソファ。職員室からそのまま持ってきたかのような机が、不釣り合いにでかくて、パソコンが不機嫌そうにちかちかと光っていた。全体的に無機質な部屋で、大倉は目を丸くしていた。

「え、どうしたの?俺に何か用?」

 それでも、突然の生徒の来訪に快く迎えるのは人の良さがにじみ出ている。蛍なら即効退出願っていた。アポなしは勘弁だ。

 二日に一度、特定の教科だけを教えにやってくる非常勤講師、というのが彼だった。主に歴史に関わる事を教えているそうで、蛍と接点がなかったのはそのためだ。光矢大学には現在非常勤講師なるものは一人しかいなく、実質この小さな空間は彼のためだけにあると言っても過言ではない。

 まだ一時限目の講義が始まるまでにかなりの余裕がある。廊下を歩いていても、たいして生徒も居なかったし、全く知らない生徒が訪ねてくるのは予想外だったのだろう。

 大倉は戸惑いの表情を見せつつも、コーヒー飲む?と気さくに声をかけてくる。

「あれ、君、肝試しするって言ってた子?」

「よく覚えてますね」

 何百人という生徒が居るこの大学で、たった一度、顔を合わせただけで覚えているとはなかなかたいしたものだ。蛍ならすぐ忘れるだろう。

「いやあ、何だか印象に残っててね、君。ちょっとあのグループから浮いてるっているか……あ、ごめん、変な事言ったね」

「……いえ。事実ですから」

 ソファーに二人座らされ、机の上にコーヒーを出される。目を閉じている雪月は、匂いで何なのか判断したらしく、渋い顔をした。コーヒー、苦手なのか。

 蛍も、すぐにコーヒーには口をつけず、とりあえず大倉をじっと見た。彼は優雅にカップを手に取り、匂いを堪能してから静かに飲んでいた。仕草から溢れるこの気品の良さを見て、本当にあの美弥を悪霊にしてしまうほどの人間なのか、疑ってしまう。

 もしかしたら、同姓同名なのではないか。

 そんな不安すらよぎってしまい、拳に入れた力が強まる。美代だって言っていたじゃないか。違う人物の可能性はないのか、と。疑う余地は十分にある。そもそも、こんな簡単に見つけられて、しかも身近に居る事自体、偶然過ぎて信じられない。

 一人で思考回路を巡らせながら、無意識に大倉を見つめていたらしい。彼は少し恥ずかしそうに視線を外して、顔に何かついているかな?と零す。

 さりげなく置いたカップの中には、もうコーヒーは残っていなかった。

「それで、どうしてここに来たの?僕が教える講義を君たちは選択していないと思うんだけど……」

 ちら、と彼は雪月を見やる。瞼を閉じた、盲目の少女。神出鬼没でありながら、奇妙な行動を取る事は、きっと非常勤であろうと、彼にも伝わっているだろう。

 そして、少なからず彼は雪月に動揺をしているように思える。

「あの、」

 言いかけて、口ごもる。そういえば、何て切り出せばいいんだ?何を言えばいい?

 あなたは自分を想いながら死んでしまった幼馴染が居ますよね?それとも、俺が悪霊に取り憑かれてて、貴方が必要なんです、とか?

 真正面から話をするのは、さすがに気が引ける。おかげで、蛍はずっと口を閉じている事となってしまう。

 大倉も困惑させた顔をして、所在なさげにしている。机の隅に置いてある資料らしきものを手にしようか、それともやめるべきか。そんな風に右手を彷徨わせていた。

「横谷美弥さんについて、お話があります」

 隣で声がした。音がするほどに首をその方向に向けると、やはりというか、雪月が真剣な顔をしていた。目を開けていないのに、その、瞼の奥の瞳は、ちゃんと大倉を見ているような気がした。

 控えめな見た目とは裏腹に、彼女は時に大胆で、直球。それは蛍がこの数日間で身を以って知っている。だからと言って、それが良い事とは言い切れない。だって、目の前の大倉は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「知って、いますよね?貴方の事が好きで好きで、たまらなくて、どうしようもなかった人です」

「……君達は、どうして美弥の事を?」

 ビンゴ。

 まさか本当に彼が、美弥の想い人だったとは。

 心の中で教えてくれた太一に感謝しつつも、どうしようか迷う。いや、それよりも雪月の次の行動を伺っていた。

 彼女は、ここからどう繋げて、そして美弥に会わせるつもりなのだろう。

「私は、美弥さんの一生を知っています。彼女の半分以上が貴方で埋め尽くされている事も」

「どういう意味?一生って、どういう事?君、美弥と関わりなんてなかったよね」

 だって、君みたいな子が居たら、絶対に忘れないもの。

 そんな声が聞こえた気がした。空耳だったかもしれない。きっとそうだろう。

 でも、彼の表情が、そう言っていた。

「私達は、霊が見えます。いわゆる、霊感があるんです」

「は……?何言って」

「本当です。信じてもらえないかもしれないけれど……俺達には見えて、感じる事が出来ます」

 ようやく口を開いた時には、蛍は手足が震えていた。それは、着々と近づいてくる悪寒に対してなのか、それとも目の前の穏やかな顔をしていた彼が、段々と怒りに身を任せていく様が怖いからなのか。

 それでも、言葉をオブラートに包まない彼女が説明するよりマシだろうと思って、続けた。

「俺は数週間前、悪霊に取り憑かれました。どういう訳か、俺の背後から一切離れようとしないその人は、調べると、好きな人と別れたまま、死んでしまったそうです」

 それから、蛍と雪月は代わる代わる、話した。

 これまでの事、美弥が求めているであろう人、そして、蛍は彼女をどうにかしなければならないこと。

「美弥さんは、未だに貴方を求めて彷徨っています。愛川さんに襲い掛かるのは、彼を貴方と勘違いしているから。お願いです。美弥さんと、会って話をしてください」

 蛍と大倉を勘違いしている。そんな話、初めて聞いた。

 そういえば、どうして蛍に取り憑いたのかは分かっていない。もしかして、美代や雪月は最初からそれを知っていたのだろうか。

 一体どうしたら勘違いするのか、だがしかし悪霊というのは目の前が見えなくなる現象を多々起こす。それの類で、たまたま蛍が目に入って、取り憑かれた?それならいい迷惑だ。

 ふつふつと湧きあがる怒りを抑えていると、雪月は締めくくりのように、言った。

「だって、美弥さんは貴方を愛しているから」

 言い切った。美弥の人生を見た彼女だからこそ、言えるその言葉。だがしかし、その言葉に大倉は……激昂した。

「ふざけるのも大概にしてくれ!なにが、幽霊が見えるだ!一体どこで俺達の話を聞いたのか知らないが、からかうのならよそでやってくれ!」

 落ち着いた彼には想像もつかないくらいの怒声だった。殴られるようなその声量に、煮えたぎっていた蛍の怒りも鎮まり、身を竦ませる。

 そんな中、雪月は違います!と大声で叫んだ。

 果たして激論になるかと心配したが、その必要はなかった。

 なぜなら、特別講師室の電気が切れたからだ。

 同時にパソコンの電源も切れる。ぶちっという音と共に、蛍は立ち上がって周りを見渡した。

「停電……?」

 朝とはいえ、窓の外からはザアザアと土砂降りを知らせる音がしている。おかげで外から入り込む僅かな光では、頼りない状況だった。

「……もう、いいだろう。帰ってくれ」

 電気が切れた事で、冷静になったらしい。それでも大倉は、静かに、そして有無を言わせぬ形でそう言った。

 美弥に会わせる事は、やはり難しいか。

 落胆するものの、それも瞬時に吹き飛ぶ。

 閉められた扉の外から、微かに声が聞こえたのだ。

 オ、オオ、オオオ…………。

 ……サナイ。

 ウラ…………ッタ。

 アナ……タ……ハ。

『ワタシヲウラギッタ』

「ッ!?」

 咄嗟に横にそれた。雪月にぶつかるものの、それを謝る余裕すら与えさせない衝撃が走る。

「愛川……さん?」

 見えない彼女には分からないだろう。蛍がその場に倒れた事も、何故か地面に水が貼っている事も。

 三人以外、誰も居ないはずなのに、何かが居る気配がする。どうしてか、床が濡れている。霊感のない大倉でさえ、それを感じ、得体の知れない恐怖にさらされた。

 だが、それ以上に蛍は、恐怖と、苦しさを感じる。

 息が出来ない。喉が詰まる。ソファーから転げ落ちて、そのまま床に身を預けた。

 全身が何かに圧迫されるような感覚。服がやけに重い。どうしてだ。身体は動かそうにも、全く動かない。手足は動く事を知っているのに、脳がそれを許さない。

 両手で首を抑える。誰かに絞められているような、そんな苦しい痛み。

 だが、本当にそうだろうか?

 これは、この苦しさは、誰かに何かをされているのか?

 いいや、違う。

 これは、溺れた時の苦しみではないか。

 意識が遠のきそうになる中、蛍は力を振り絞って、目を開ける。

 頼りない耳は、雷鳴の音を拾い、心を怯えせた。

 恐怖で足を竦ませる大倉と、立ち上がった雪月が、訳が分からないと言うようにきょろきょろしている。

 そして、大雨を映している窓を見て、目を見張った。

 窓の外で、美弥がへばりついていた。

「あッがッッ……!」

 苦し紛れに声を出した時、既に美弥が蛍を見降ろしていた。気配を感じたのか、雪月が挙動不審に、呟いた。

「美弥さん……?」

 そうだ、美弥だ。

 彼女が、恨めしそうに、そして何処か楽しそうに。

 蛍を殺そうとしている。

 そうか。これで、愛川蛍の、面白くもない、しかし決してつまらなくもない人生が終わるのか。

 諦めて目を閉じ、溺れるようなその苦しみに、喉の痛みに身を委ねる。

 ――死んだら、俺も悪霊になるのかな。

 とりとめのないような、そんな事を考えながら、意識を手放そうとする。

 だが、そこで誰かの声がした。

「君は、そんな死に方をしてはいけないよ」

 一気に意識が戻る。閉じた瞼を、再び開く。

 誰だろう、と声の主に顔を向けると、彼は、ニッと人の良さそうな笑みを浮かべて、雪月に何かを渡していた。

「これを大倉さんへ。見えるようになる」

 渡したのは、指輪。木で出来た、おもちゃのようなそれを、雪月は手さぐりに受け取って、頷いた。

「気付いているかい?君の求める人は、もうその人じゃない事を。君が会いたがっていた、大切な愛しい人は、貴方の後ろに居る事を」

 現れたのは、大板だった。

 彼が美弥に優しく問いかける度に、床に張っていた水が引いていく。いや、消えていくと言うべきか。

この人は、一体なにものなんだろう。

 そう思ってしまうほどに、彼は何のお祓いらしきものもしないで、あそこまで暴走化していた美弥を、 段々と落ち着かせていった。

「君は、どうしたいんだい?」

『アノ人二、モウ一度アイタイ』

「そうだね。会いたいよね。その人は、君の後ろに居るんだよ」

『この人ジャ……なイ?』

「うん。この子は違う。さあ、もっとよく見て。君が見るべき世界は、この子じゃないよ」

『せ……かい……』

「そう。大倉涼助は、横谷美弥の世界だ」

 電気が戻る。パソコンが稼働する音が、僅かに聞こえた。

 同時に、蛍の溺死体験が終わる。

 立ち上がって、大板に頭を下げ、雪月と手を繋いで、二人を見る。生者と、死者が視線を交わす瞬間を。

「み……や」

 大倉は目を大きく開いて、そんな馬鹿な、という顔をしていた。その右手の指には、おもちゃの指輪がつけられている。

『りょう、くん』

 美弥も、一つ一つを確かめるように彼を呼ぶ。その表情は、悪霊の顔ではない。ただの、恋する女の子だった。

『……ふふ。本当ね、りょうくんだわ。あの子は、違ったのね』

「君は、……美弥なんだよな?」

『ええ。そうよ。変わっていないでしょう?』

「ああ、そうだな」

『りょうくんは、変わったね』

「うん。あれから、何年も経ってるんだ。俺は、歳を取ったよ」

 他愛もない話をしていた。

 悪霊とは思えないほどに、穏やかで落ち着いている彼女は、静かに、笑んでいる。大倉は、それに、戸惑ったように眉を寄せた。

 突然の再会に、どうすればいいのか分からないらしい。

「柊、見えるか?」

 目を開けた彼女は、静かに首を振る。繋いだ手に力が入った。

「大倉さんの顔が、見えません。見えるのは……美弥さんの、人生だけ」

 彼女の能力が出ているだけ。やはり人の顔は、見えないらしい。

「……蛍くんは、見えないの?」

 大板が、小声で問う。しかし視線はずっと大倉と美弥を捉えたままだ。蚊帳の外である三人は二人の様子を見守りながら話していた。

 彼が言っている意味が分からず、暫し沈黙した蛍は、雪月と繋いだ手を見た。そして、思い出す。雪月が霊の人生を映す時に、蛍が触れたら彼も記憶を共有した。だから今は見えないのかと、そう言っているのだ。

「見えない。何も」

 ただ、目の前で二人が再会を素直に喜んでいるようにしか見えない。他に、美弥の人生を見る事は、ない。

 気付けば雪月は瞼を閉じていて、それでも繋いだ手は離さなかった。

「俺は。俺は……お前が溺死した時、まさか、と思ったんだ」

 大倉は、目を逸らして、窓の外を見やる。外は相変わらずの土砂降りで、生徒達がめんどくさそうに歩いてくるのが見えた。

 そろそろ、始業の時間だ。

「気付いたら、葬式が開かれてて、美弥のいつも通りの顔が、棺桶の中にあって。あんなに一緒に居て、ずっと俺についてきたお前が、もう動かないって知ったら……変な感じだった」

『……悲しかった?』

「どうだろう。分からないんだ。涙も出なかった。今も、出ない。でも、心にぽっかりと穴が空いているような気がした」

『やっぱり、私の事、好きじゃなかったの?』

「まさか。俺は、お前の事……」

 言いかけて、美弥の目を見つめた。彼女は真剣な顔をして、答えを待っている。どうしてか、大倉はその先を言うのを躊躇ってしまう。美弥の瞳は、怖かった。

 嘘ではない。彼女の事は、本当に好きだった。だからこそ、別れて、もっと自分の事を理解してもらいたかった。

 だけど、それが仇となった。

 彼女は、大倉の目の前から消えてしまった。

 何もかもを残して。


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