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19 自立

「世界は広い、なんてのは嘘なんじゃないかって思うよ。それこそ、最近私は世界の狭さを感じてしまう事が多い」

 大袈裟に言った美代に、何も追求せず蛍も頷いた。彼もそう感じる時が多々あるのだ。

 運命的なものなのか、はたまた別のものなのかは謎だが、それでも人と人の繋がりを見つけて行くうちにまた一つ道が出来ていて、そこの道は自分も知っている事があるのだ。

 そう、だから大倉涼助なる人物が身近に居た事も、案外簡単に見つかった事も、世界の狭さが分かるような気がした。

「本当に美弥と関わりのある人物なんだね?同姓同名じゃなくて」

 深夜、一時過ぎ。店が開店して一時間が経過し、店内に客が引いた頃を見計らって、雪月と蛍は大学内で得た情報を報告していた。

 美代がカウンターでレジの清掃をしている横では、大板は何か資料らしきものをめくっていた。

 そんな中、蛍と雪月は棒立ちしたまま、今日あった事を整理していたのだ。

 背後では、雪月の霊達三人が見つかった、見つかった、と声を漏らしている。

 そう、本当に見つかったのだ。

「俺達が探している大倉で間違いないと思います」

「どうしてそう言い切れる?雪月が顔を見た訳じゃないんだよね?」

「はい……。でも、美弥は大倉の顔を見た途端、暴走し始めました。この粉も……ほら」

 蛍はポケットから、以前もらった霊の善悪を判断する粉を入れた瓶を取り出した。

 その粉は、不安定な紫から、完全な青になろうとしていた。もしかしたら、前よりも濃くなっているのではないか。

 それは、美弥が悪霊化に一歩踏み出した証拠。

「暴走、止めるの本当に苦労したんです……。大板さんも居ないし、私もキーちゃん達が居なかったから……」

「どうやって止めたんだい?」

 大板が、不意に資料から顔をあげて、問う。資料に夢中で話を聞いているなんて思ってもみなかったから、少し驚いた。

「いや、止めたというより、勝手に止まったというか……」

 蛍がもごもごと口を動かす。この店に来た時からずっと握っているそれを、美代と大板に見えるように掲げた。

 そこには、色を失い、本来あったはずの角が取れた、歪な月のペンダントがあった。

「効果が切れたのか」

 頷いて、蛍は頭を下げる。

 返すつもりだったのに、壊してしまったのだ。いくら不可抗力とはいえ、自分が悪いのは間違いなかった。

 このペンダントは、蛍と雪月を守った。そして、だからこそ壊れた。

 その考えに到るのは、容易い。

「太一……俺の友人からその話を聞いて、講義が全て終わった時に、柊と大倉を見に行ったんです。そしたら、美弥も後ろで見ていたみたいで、大倉の顔を認識した途端、前よりも血走った目で、よく分からない言葉を言いながら襲いかかって来て……」

 蛍と雪月は、当然逃げた。

 雪月の手を引っ張って、大学内を出て、走りまわった。店に行けば何とかなるという考えが出た時には、既に二人の体力は限界に近かった。

 追いかけてくる美弥は、黒い靄で覆われており、表情は分からない。そしてうわ言のようにユルサナイユルサナイと連呼するものだから、本能が危険だと告げていた。

 ペンダントの効果も、もはや期待できない。二人の体力は、干からびた砂漠の井戸のように切れかけていた。

 息も切れ切れ、店からはまだ遠い道の中、蛍達は立ち止まってしまう。そして、美弥が真っ先に彼を襲った。

 それは、以前襲われた時よりも酷い苦しみだった。

 全身から出る倦怠感と、吐き気。次第に目眩がして、まともに立っていられなくなり、膝をつく。そこからが本番とでもいうかのように頭痛がやって来て、思考回路が訳のわからないもので覆い尽くされた。

 ――約束、シタノニ。

 ――ドウシテ、私ヲ見テクレナイノ。

 ――ソレナライッソ。


 死んでしまえ。


 死ぬかと思った。本当に死を覚悟してしまった。今まで何度も悪霊を相手にのらりくらりと交わしてきた蛍でさえ、絶望感に浸ってしまったのだ。

 雪月は見えないし、どうすればいいのか分からず、おろおろするばかり。

 しかし、彼女が悲鳴を上げ、蛍がその場に倒れそうになるその時、何かが砕ける音がした。

 つんざくような音に、およそペンダントから発するものとは思えない。

 しかし、二人にはペンダントの音だと直感した。

 蛍が苦し紛れに目を開けて、地面を見ると、月の形をしたそれが、色を失って落ちていた。今まで何度外そうとしても外れなかったものが、転がっている。

 そう認識した時、身体は随分楽になっていた。

 無意識に立ち上がって、美弥を見る。

 彼女は俯いているが、先ほどの凶悪な雰囲気をまとってはいなかった。

 雪月に状況を説明すると、彼女はホッと安心したように言うのだ。

「ペンダントが、最後の力を振り絞って愛川さんを助けてくれたんです」


 事情を説明した後、美代はなるほどね、と頷いてカウンターから立ち上がった。入口から鈴の音がして、客が来た事を知らせる。

 もちろん、その客は死者で、それでも美代は笑顔でいらっしゃーい、と出迎える。それがこの店の常識なのだと、さすがに蛍も慣れてきた。

「報告、ありがと。とりあえず今日だけ雪月は店に出なくていい」

「え、でも」

「休んでろって言ってんの。久しぶりの外出で疲れてるでしょ。大板も居るし、大丈夫だから」

 入って来た客は、以前トウと名乗っていたおじさんだった。顔見知りだと判断した途端、彼に断りを入れて雪月を追い払うかのようにしっしっと手を振る美代に、大板も頷く。

『何だか知らねえが、疲れてるなら休んだ方がいいぞ、雪月ちゃん』

「は、はい……」

 客にまで気を遣われては、従わない訳にもいかない。雪月はゆっくりとした足取りで階段を上ろうとする。キーちゃんが自然と手を引こうと前に出て、後ろから二人の霊が踏み外さないようにと背後を固める。

 だが、雪月は足を止めて、振り返った。

 そして、おもむろに、不自然に右手を宙に突き出す。

 その奇妙な行動に霊達は首を傾げ、蛍も戸惑う。しかし、数秒考えてから言わんとしている事がわかって、ああ、と声を漏らした。

「いい、二階まで俺が誘導してやる」

 手を突き出した方向は、蛍のいる場所と逆で、少し笑ってしまう。音で判断する話は一体どこへ行ったのだろう?

『はあ?何を言って。雪月の世話は私達の役目、赤の他人が差し伸べる手なんて、燃やしてやる』

「物騒な事言うな。怖いだろ」

 その実全く怖がった様子を見せない蛍は、肩をすくめて見せて、細くて小さな手を取る。そして、雪月は目を、開けた。

「ふふ、キーちゃん、見て。私、見えてるの」

 嬉しそうに階段を登りながら言う。彼女がよそ見をしても、蛍がしっかり足元を見ていればその視界は階段を映す。

 その仕組みに重みを感じながら、階段を登りきる。振り返って、雪月は唖然としているキーちゃん達を瞳に映す。

「……どう、かな。私も少しは自立、したでしょ?」

 蛍を頼りにしなければダメなのに、何が自立だ。

 そう言いそうになるが、雪月がハッとした顔でキーちゃん達から視線を逸らしたのに気付いて、口を閉じた。

「やっぱり、幽霊は人生を映すだけなのか」

「……そう、みたいです。今あるキーちゃん達の姿は、分からない、です」

 悲しそうな顔をして、彼女は俯く。

 しかし、次に顔をあげた時に雪月はいつも通り瞳を閉じて、恥ずかしそうにキーちゃん達に顔を向ける。

 三人の死者は、雪月以上に泣きそうな顔をしていた。


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