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16 光

「キーちゃん達が居なくても、生活が出来るようになりたい?」

 住宅街が揃う闇の中、出してはいけないと思いつつも、つい大声で言葉を繰り返してしまった。雪月は外灯の光に照らされながら、こくり、と頷く。その顔は何処か決意に満ちていた。

 どうやら、蛍が店を出ると共にこっそりついて来たらしく、当然幽霊は従えていない。彼女の周りに何かが居ないのは新鮮で、おかげで彼女の遥か後ろで跡をつけて来ている美弥がいつもより鮮明に見える。

「見えないのによくここまでついてこられたな……」

 呆れ半分、感心半分で言うと、雪月は照れ臭そうにえへへ、と苦笑いを浮かべた。

「蛍さんの足音についていったんです」

「俺の?」

「はい。音のする方向や、僅かな感覚で何処に障害があって、何処へ向かっているのかを把握しようと思って……。でも、なかなか上手くいかないものですね」

「ああ、なるほど」

 だから蛍が立ち止まった途端、彼女は外灯に頭をぶつけたのか。音がしなければ、何も分からないから。

 それにしても、生活が出来るように外に出るのはいいが、夜中だし、なんといっても蛍についていくのはどうかと思う。

「俺についてきて、どうするつもりだったんだ?」

「えっと……。大学に行くはずだから、講義を受けようかなって……」

「大学はまだ始まっていないし、俺は家に帰るつもりだったんだぞ?俺が大学に行くまで、どうするつもりだったんだ?」

「あ……」

 どうやら、先の事は全然考えてなかったらしい。なりふり構わず、行動力があるその姿勢は蛍にないもので、少し羨ましくもあるが、それにしたって猪突猛進だ。

「もう少し、先の事を考えてから動いた方がいいと思うぞ」

「で、でも!」

 むうう、と雪月は口を尖らせる。正論を言われて、何も言い返せないようだ。さて、この猪のような女をどうするか。

 暫く頭を捻っていたが、店に戻るのも面倒だし、だからと言って、雪月を連れて家に帰るのはよろしくない。今すぐ寝たいのもやまやまだが、先ほど寝ていたからか、機嫌が悪くなるほどの眠気は出ていない。

 となると、さすがにここで放っておくのは良心が痛む気がした。

「……柊」

「はい?」

 蛍が黙ってしまったので、不安そうにしていた彼女の左手を取る。半ば強引にその手を引っ張り、歩きだすと、彼女が戸惑った様子で声を漏らした。雪月はされるがままだった。

「ちゃんと歩け、引きずったままじゃ疲れる」

「あの、愛川さん……?」

「俺が掴んでるのが、分かるか?」

「はい。その……手、ですよね。繋いでるんですよね」

 見えないくせに今ある状況を確認するのは正確だった。ああ、そうだよ、と蛍が照れたように声を大きくすると、一度立ち止まる。それにつられて、雪月は蛍の隣に立ち止まった。

「最初からそんなハードル高い事したって無理に決まってるだろ。まずは幽霊が居ない状況に慣れろ。それから見えない人達がするように訓練して行けばいい。アンタは霊に頼り過ぎて、自分がどうやって動いたらいいのか分かんないんだ」

 蛍が雪月の手を引っ張って誘導するのはキーちゃん達と変わらないかもしれない。それでも幽霊に頼り切る現状から抜け出す第一歩にはなるはずだし、彼ら彼女らのように過保護にサポートしなければ自立心が芽生えてくるはずだ。

 そこから彼女の意思で盲導犬を飼うなり、点字を勉強するなりすればいい。

「……と、いうと?」

「分かんない奴だな!今日は俺が大学始まるまでお前に付き合ってやるって言ってんの!」

 講義中寝る事間違いなしだが、彼女が事故に遭ったりして心中複雑になるよりは余程いい。それほどに、彼女は危なっかしいのだ。

 再び歩き出した彼に、雪月も自然とついていく。繋がれた手は、思ったよりも強くて、ちょっとの事じゃ離れないだろう。

 足取りはゆっくりとしていて、蛍が気を遣っているのが雪月にも分かった。その事に、何だか感じた事のない気持ちが溢れて、俯く。

 ひとまず、彼女が小さな声でやっと絞り出した言葉は、ありがとう、だった。


 キーちゃんや、自分を助けてくれる人。そしてトウさんといった、店の常連から初見の客まで。その人たちから壁を感じるのは、時々ではない。ふとした時、何だか計り知れない感情を持って、霊達は雪月に接する。

 そして、見えない彼女は、それでもその事を機敏に感じ取ってしまう。もちろんキーちゃんを筆頭に、日替わりで自分の世話をしてくれる彼ら彼女らとは、信頼関係を築けていると思う。

 だが、その信頼関係には、何か薄暗い感情に覆われている気がしてならないのだ。

 ぽつりぽつりと、唐突に語りだした雪月のその話に、耳を傾けていた蛍は、初めて彼女を見た日、そして、それからの店での様子を思い出す。

「とても、そうは思えないけど」

「……それでも、私はそう感じるんです」

 手を繋いだまま、三十分程歩いて、家に帰る事なく暗い道をふらふらとしていた。雪月は疲れた様子を見せないので、無理してないかと聞いてみると、歩くのは好きだと言う。

 それから、この話をされた。

 気付けば空は少しずつ暗闇を失いつつあり、薄い青が広がりかけていた。そろそろ夜明けも近い。

「まあ、本人達にしか分からない奴ってことかな」

 雪月の事を明かす時、キーちゃんは歯向かって来た。蛍に危険を感じるから、という理由で。そうやって無意識に守ろうとするのだから、決して不満を零すような関係には見えない。まあ、あれは当の本人がただ蛍を気に入らないということもあったが。

「だから一人で生きていけるようにって?」

「はい。……いつまでも迷惑をかけているわけにはいけないなって」

 いい心がけだ。後ろ向きな態度が気に入らなくて、食ってかかってしまったが、こうやって前を向いていく姿勢は良く見える。

 素っ気ない蛍にしては珍しく、一日くらいは付き合ってやっても良いかな、と言う心境だ。

「あ……」

 そうして大学近くの道までやって来てしまい、さあどうしようかと考えながら歩いていると、視界に明るみがかかる。

「どうしたんですか?」

「朝日だ」

 この時間に起きている事なんて、そうそうない。久しぶりに見たそれは、懐かしくて、無性に心が落ち着く、神秘的なものに見えた。

 大学の建物の後ろから太陽がゆっくりと顔を出す。直視できないくらいの明るさは、身体が温まる。じんわりと汗ばむ暑さはどこか心地よい。

 気付けばそこかしこに鳥達が顔をだして、静かに、それでもよく聞こえるようにさえずっていた。

「朝日……」

 雪月の漏らした声は、照らされた光に消えて行く。隣を伺うと、何処か悲しそうに目じりを下げていた。

 そうだ、彼女にはこれも視えないんだ、と気付いた時には、雪月は自然と目を開けて、まるで見えているかのように振舞った。

 今は霊が目の前に居ないし、きっと何も見えないのだろう。

 しかし、何も映さない筈のその目は、顔は、驚愕に染まっていた。

 ただならぬ様子に、もしや霊でも居て、人生を映し出しているのかと蛍は朝日の下、何も居ない所に視線を彷徨わせる。だが、何もない。

「どうした?何かあったのか?」

 何を見ているのか分からない瞳が、焦点の合わないまま、蛍に向く。繋いだ手は微かに震えていて、少しだけ不安になった。

「ひ……」

「ひ?」

「光が……」

 ざあっと鳥たちが飛び立つ。朝を知らせる合図だ。そして、一日がまた始まっていく。

 その最中、雪月は、朝日に指さして、言った。

「光が、見えます」


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