13 引きこもりの外出
一週間とは、早いものだ。
気付けば夏休みも目の前の七月下旬、幽霊雑貨店や柊達から遠ざかってそれほどの時が経った。時が経てば経つほど、あの数日間はまるで現実感がなく、夢を見ていたんじゃないかと思う。
だがしかし、美弥は隣で生きているかのように堂々と蛍の隣に座っているし、彼女の人生の一部はまだ鮮明に思い出せる。
「大倉涼助、か……」
目の前で教授が淡々と説明をする中、蛍は誰にも聞かれない程度の声で、無意識に呟いていた。広げられた教科書も、ノートも手つかず。生徒がたちまち寝てしまうと評判の教授の講義で、唯一寝ていない彼も、やはり上の空でいた。
机に頬杖をついて、シャーペンをくるっと回した。ひと夏昔に流行ったペン回しに失敗しながら、その人物について考えてみる。
フラッシュバックする美弥の記憶。あの時見た、雪月と同じ光景のそれは、美弥の顔も、もちろん大倉という男の顔もぼやけて、分からなかった。
記憶の中の大倉は座っていたから、背丈がどれだけなのかも分からない。体格だって、そうだ。分かる事と言えば、少しだけ渋い声をしていた事と、背筋がピンとしていた事だ。
たったそれだけの情報を頼りにどうやって探せというのだろう。
それに、あの記憶は彼女が死ぬ前の記憶であって、いつのものか分からないのだ。もしかしたら最近かもしれないが、逆に彼が老人になっているほど昔の記憶かもしれない。それこそ、彼がもうこの世に居ない可能性だって、なきにしもあらずだ。
さて、どうするか。
うんうん唸っている間に、講義はあっという間に終わり、生徒たちは眠りから覚め、やがて立ち去る。皆が去るまでぼーっとしていた蛍は、唯一寝ていなかったので、教授に褒められる。
「愛川君、君は偉いね。これからも、もっと勉学に励みたまえ」
ありきたりな言葉ではあるが、教授は嬉しいのだろう。白髪が目立つその頭をかきながら、少しだけ口角を上げるその姿は、普通のおじさんだ。
真剣に聴いていたわけではない彼は、どうも、と苦笑してそそくさと立ち去る。さすがに申し訳なかった。
当たり前のようについてくる美弥の気配を感じながら、次の講義に移るために廊下を足早に進む。
そういえば、今日は太一に出会っていないな、と思うと、目の前に意外な人物が現れた。
「……こんにちは」
「いや、ぎりぎりおはよう、だ。後ろの奴らに教えてもらえ、今は一一時四〇分」
伏せた瞼が不愉快そうにぴくっと動いた。と、同時に背後の霊達がざわっと蠢いた。怒っているのか、地団太を踏んだりしているが、当然音は出ない。
初めて見た時は七人、以前は三人。
そして、今日は五人の霊を従えた雪月は、むすっとした顔で弱々しく立っていた。
太一からの話では、彼女は噂になってしまうほど大学に顔を見せない人間ではなかったか。何故、こうも頻繁に見かけるのか分からず、一体どうしたんだ、と聞いてみる。
「お、は、よ、う、ご、ざ、い、ま、す!」
問いに無視した挙句、一つ一つ強調してこう言う彼女は絶対ムキになっている。唇を僅かに尖らせたその仕草は正に子供で、本当に大学生なのか疑う。
「おはよう。で、何で大学に来てるんだよ。来れないんじゃなかったのか」
「……あ、あなたが、」
「俺が?」
「あなたが言ったんでしょう!引きこもってたら人生損するぞって!」
なるほどそれで珍しく登校してきた訳だ。しかし、たったそれだけで大学に来てしまうとは、案外彼女は乗せられやすい性格をしているのかもしれない。
蛍は、そうか、と相槌を打った。あまり興味はないが、ここで機嫌を損ねて大声を出されても困る。ただでさえ、彼女を遠巻きに見て噂している生徒達は多く居るのだから。
「ふ、普段は課題を提出するだけで、他は来たりしません……。貴方の言葉に動かされたんじゃなくて、たまにはいいかなって思ったから来ただけです」
おい、それではさっきと言っている事が違うだろう。
人生損するという言葉に惑わされながら、よくそんな事が言えたものだ。しかも、課題を提出するだけの在籍。
何という有様だ。
こんな生徒も居るのかと思うと、真剣に通っている自分がアホらしくなってきた。
「それよりも、愛川さん、ペンダントの事なんですが」
「あ、それ、俺も聞きたかったんだ」
胸元のペンダントに視線を落として、外そうとする。しかし、外せない。金具がなかなか開かない訳じゃない。それ以前の問題だ。身体が外そうとすると、動かないのだ。
おかげで、返そうにも返せず、蛍は今の今までペンダントをつけたまま生活をしてしまっていた。
「これ、返そうと思っても外せなくて。どうやって外すんだよ」
一応、従業員である彼女なら分かるはずだろう。とはいっても、蛍も薄々はどうして外れないのか勘づいているのだが。
「お導きです」
「うん、知ってた」
一体どこのシスターだよ。教会でよく聞きそうな言葉を、彼女は自信満々に胸を張って言うが、意味が分からない。結局、このペンダントもあの店と同じで、不思議な力で導かれ、行動を操作されているというのか。
「なら聞かないでください。それは、問題が解決するまで外れません」
ということは、美弥が蛍から離れない限りは一生外れないという事か。何と面倒な。
「それよりも、私が言いたい事は違うんです」
見えないはずなのに、雪月は人差し指でペンダントを指さした。しかし悲しいかな、後ろで控えたキー ちゃんがそこ、もっと右、などと言って彼女をサポートしているのがもろばれだった。
見てはいけない舞台裏を見たような気がして、複雑な心境の中、彼女は告げる。
「そのペンダント、きっと色が薄くなってきていますよね」
「は……?いや、そんな事は」
咄嗟に胸元を見る。反動で揺れたペンダントは手に取った日と変わらず、薄い黄色を妖しく放っていた。本物の月のような石は、今見ても綺麗だ。
だが、何か違和感がある。そう言えば、以前にもこんな違和感を感じた事がある気がする。
「少し、薄い……かも?」
言われてみれば、そうかもしれない。微弱な変化で気付かなかったが、ほんの少しだけ、白を帯びている気もしなくない。
「何だ、これ。何で色が変わるんだ?」
トイレの消臭剤のような効果以外にも何か意味があるのだろうか。
「使用期限です、気をつけてください」
「き……げん?」
「トイレの消臭剤って、使用するとなくなるでしょう?時間が経てば経つほど、効果も薄れていくし」
「だから何でトイレの消臭剤」
何かこだわりがあるのだろうか。美代だけでなく雪月もさも当たり前のように説明してくるから呆れてしまう。
「色が薄くなればなるほど、効果も比例して薄れていきます。最後には白になりますが、その頃には美弥さんは以前の悪霊に戻ってしまうでしょう」
「つまり、それまでにこいつを何とかしなけりゃいけないってことか?」
「はい」
外そうにも外せない。しかし、使用し続ければ、効果は薄れ、最後には元の状態に戻ってしまう。何ということだ。それならば、一刻も早く彼女を撃退しなければ。
幽霊を追い払う事は多々あるものの、蛍も素人。ここまでしつこい悪霊はどうすればいいのか分からず、今はその方法を絶賛模索中である。
「祓う……か。何とかなればいいが……」
眉つばではあるが、ネットで調べればいくらでも方法は出てきそうだ。ビバ、ネット社会。
「そんな事、させません」
気付けば、雪月に腕を掴まれてた。非力な見た目とは裏腹に、ぎりぎりと痛いほどに力を入れる。そして、その顔は真剣以外の何物でもなかった。
「貴方は断ったつもりでも、私たちはそれを了承していません。死者には、安寧を捧げなくては」
――死者と生者に繋がりを、安寧を。
店のモットーだったか。やはり彼女も従業員らしい一面を見せ、頑なに祓おうとはさせない。まるで洗脳されているかのような言動に、さてどう断ろうかと思案する。
だが、それも長くは続かなかった。
「蛍、何してんのー?」
後ろから親友の声がしたのだ。
振り返れば次の講義のために移動をしていたのか、太一が参考書やらなんやらを大量に抱え込んで立っていた。見た目こそ軽いものの、実は彼が蛍よりも真面目であるゆえの参考書だろうか。蛍は講義中、ぼんやりしているから参考書なんて手に取らない。
「太一……」
「なになに、女の子の声がしたけど、ついにお前も色気づいた?ちょっと、どんな子だよ」
最近は女子となるとこういう話しかしない太一は、蛍の後ろに隠れていた雪月を覗き込んだ。
そして、噂になるほど有名な、あの得体の知れない彼女だと知ると、明るい笑顔は一転、眉間に皺を寄せるほど難しい顔になる。
いつも笑って過ごす太一には珍しい表情だと横目で見ながら、雪月の様子も確認する。彼女は少しだけ震えていた。
「……蛍、ちょっとこっち」
太一は強引に蛍の腕を掴んで、そのまま雪月から遠く離れる。そして、彼女と距離があるにも関わらず、彼はひそひそ声で蛍に注意をした。
「お前、あんなに親しそうに話してて大丈夫なのかよ。本当にどんな存在なのか分かんないんだぞ?」
「いや、今の所話してても何も問題はないけど」
「でも……それ以前に、何か、薄気味悪いだろ?」
太一らしからぬ言葉だった。彼はいつも人の良い所ばかりが見える、蛍にとって羨ましい美点を持っていたはずなのに。
「太一、あのな」
別に雪月を庇う訳じゃない。あまり性格が合うとは思えないし、弱気な態度といい、いちいち突っかかって来る所も好きじゃない。何より、全てを霊の存在に任せて生活しているのが気に入らない。
だけど、蛍は太一たちには見えないものが見える。彼らが薄気味悪く感じて、不審に思っても、蛍にはそれらにタネがあるのを知っている。
だから、思うままに言葉にするだけだ。
「そうやって、ただ気味悪いとか、怖いとかで人を卑下するのはどうかと思うぞ。あいつにはあいつなりの事情があるかも知れないじゃんか。なのにそうやって何も知らない事をいい事に好き放題言って、周りに近づかない方がいいなんて言うのは、止めた方がいい」
淡々と、いつもの調子で述べたら、太一はぽかん、と口を開けていた。蛍が誰かを擁護するなんて思ってもみなかったのだろう。何せ、付き合いの長い親友には、蛍が淡白で人に感情が薄い事を知っているのだから。
出会ってそんなに経っていないのに、とでも言いたそうにしていた太一は、それでも暫し考えて、自分の言葉の意味を理解し、素直に謝って来た。
「ごめん。変な事言って」
「分かったならいい。それより、講義は大丈夫なのか?」
「あ、やべ!俺教室遠いから急がなきゃだめだったんだ!またな!」
まるで嵐のように去っていく彼に手を振り、そのまま近づいてきた雪月に目をやる。話が終わるのを待っていてくれたのだろう。
さて、先ほどの続きはどうするか。いや、それより今は自分も講義を優先しなければいけないだろう。
「柊は講義受けるのかよ?」
「き、来たからには……受けます」
クーラーが効いているはずなのに彼女の頬は赤くなっていた。そこまで熱いだろうかと首を傾げつつも、受ける講義について聞いてみる。
すると、彼女は偶然にも蛍と同じ答えを出した。
「情報操作です。……愛川さんは?」
「……俺も情報操作だよ」
学部が違っても、受ける講義が被る事はある。二人は自然と一緒に歩きだしていた。
勿論、彼女はキーちゃんに手を引かれながら。




